第百七十九話 マウレさんとこのお兄ちゃんが弟さんには甘すぎる件
「にゃにゃ、にゃお」
「………!」
「………………?」
諭すような響きで鳴いたネコと、表情を強張らせたルガイア。そして何が何だか?なマグノリアたち。
以前からこのネコ、やけに人間めいた表情やら仕草やらを見せるとは思っていたが、ルガイアは何をそんな大げさに反応しているのやら。
…ただ「にゃお」って鳴いただけじゃん。
マグノリアは心中でそうツッコんだのだが、これまた彼女の第六感がそれを口にはしない方が身のためだと主張していたので、それに大人しく従っておく。
ふとサーシャ…ではなかったアスターシャの方を見ると、訳知り顔で頷いていた。何なんだろう一体。
「にゃおーな、なうなぁーう」
「し、しかしこれは魔界の、いや魔王陛下の…」
「んに?ににゃーお」
「………それは…そう、かもしれない……が」
よく分からないがネコとルガイアとの間で話が通じている。話が進んでいく。
これまたよく分からないがネコと遣り取りするルガイアからは先ほどまでの殺意だとか険悪さが跡形もなく消え去っていた。
人として少し情けないような気もするが、ここはこの小さな仔猫にお任せしてしまってもいいのかもしれない。
「にゃにゃ、んにー」
「…………………しかし宰相閣下は…」
「にゃう!ふにーう」
「いや、そんなことはない!私はただ……」
「……にゃおう?」
「…………………………そうか、お前はそう思うのだな…」
そう思うってどう思ってんだよこいつネコ相手になんで真剣になってるわけ?
思わず隣のアデリーンと顔を見合わせてその表情を見て、自分と同意見であることを確認するマグノリア。
あれなのか、もしかして魔族ってのは動物の言葉も理解出来るのか。そんな話聞いたこともないけど。
しばらく珍妙な遣り取りを続けていたルガイアとネコだったが。
「………………私が、間違っていたと……?」
どうも何かを納得?したようなルガイア。まだ言いたいことは残っていそうだったが、軍配はネコの方に上がったようだ。
「んにに、にゃう」
「…そうだな、お前の言うとおりだ」
いやいや、言うとおりってどのとおりだ。にゃーにゃーのとおりってどういう意味だ。
今まで経験したことのないくらいの強烈なツッコミ衝動に駆られたマグノリアだったが、ここで自分が下手な真似をして和解に至りかけている空気がぶち壊しになるのは避けたい。自分たちではルガイアに勝ち目はなさそうだったし、アスターシャとルガイアの戦いに巻き込まれても無事でいられる自信はなかった。
それに何より、今はこんなことをしている場合ではない。
「話は終わったか、ルガイア殿?我らはこれより魔界の侵攻に備えこの国の皇城に向かおうと思っているが、貴殿はどうする?」
我らは…って勝手に自分たちの行動まで相談なしに決めてしまっているアスターシャの提案にマグノリアたち廉族組は思わず顔を見合わせる。
――――皇城って、皇帝が籠城して魔族を迎え撃つつもりらしいって噂されてるわよね、そんな主戦場にノコノコ行って大丈夫なわけ?
――――大丈夫なわけないだろ。けど断れるような状況か?
――――別に貴女がたまで来る必要はありません。そこにハルトがいて、魔族が攻めてくるというならオレは一人でも行きます。
――――あ、てめー何一人だけ格好つけやがってんだ部外者のくせに!
――――部外者ではありません寧ろ貴方たちよりも関係者です。
……等々、無言のうちに視線だけで以上の遣り取りが四人の間に交わされた。こういうときだけ以心伝心になるのって何故なのだろうか。
「無論、私も行こう。どの道を選んだとて、結末を見届けるのは私の責務だ」
「みゃお」
観念したような表情のルガイアと、対照的に得意げな顔でその肩に飛び乗るネコ。
やっぱり両者の間でどのような合意が形成されたかは不明だが、どうやらネコのおかげでルガイアはこちら側の敵ではなくなった(味方というには信用しきれない)…らしい。
「……ってなぁ、どういう風のふきまわむご!」
「ちょっと余計なこと言わないでよね!!」
しかし魔界の命令で自分たちを殺しにきた(と思われる)ルガイアの突然の掌返しに納得いかないセドリックが口を挟みかけて、アデリーンが慌ててその口を塞いだ。
理由も状況も分からないが人知を超えた化け物が大人しく矛を収めてくれたのだから、こちらも大人しく流れに乗っておくべきだ。
「それじゃ、サーシャ……じゃなくてアスターシャさん…だっけ?あんたは、地上界の味方…って考えてもいいのか?」
魔界の(元)最高幹部である彼女が自分たちに味方してくれるのは非常に心強い。マグノリアの質問にアスターシャは、
「地上界の、というよりは………いや、そうだな、少なくとも今回は、そういうことになる」
…となんとも煮え切らない答えを返してくれたのだった。
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帝都ヴァシリーサでは、民の避難が急速に進んでいた。
魔界からの宣戦布告を受けた皇帝は、その情報を何一つ隠すことなく…否、たった一つの要素を除いて隠すことなく公表し、戦場となるであろう帝都から民衆を避難させる計画を迅速に遂行したのだ。
ここは強固な統治体制に縛られた独裁国家の利が働いた。突然のことに戸惑う声こそあったものの、その理由を問いただそうという声やこれを機に皇家の不始末を説いて支配体制を覆そうという気運が上がることはなく(それどころではないということもあったが)、人々は比較的冷静に、不安と恐怖を押し隠して政府の避難誘導に従い帝都を後にしていった。
すっかり閑散とした都をバルコニーから見下ろして、ハルトは気まずげな表情で後ろを振り返った。
後ろの室内には、驚くほど平静なヴォーノと皇帝、相変わらず堅苦しいレオニールが。流石に皇城で働く文官武官はほとんどが残っていたが、侍従たちの中で希望者は既に城を離れている。そのせいか、どことなくがらんとした城の静けさが、余計にハルトの不安と罪悪感を掻き立てた。
室内に入り、皇帝とヴォーノの向かい側に腰を下ろしたハルトが何か言いたそうにしているのを見て、ヴォーノが笑いかけた。
「あらあらん、ハルトちゃんってば浮かないお顔。どうなすったのかしらん?」
「その………良かったんですか?」
皇帝が民衆に隠した唯一つの情報。それは、ある意味で最も重大な要素。
それは…侵攻の理由。
魔界の要求は、非常に単純だった。王太子であるハルトの身柄を速やかに引き渡せ、さもなくば帝国に攻め入り全てを破壊する…と。
聞かされたハルトは、ここまでか、と観念した。普通に考えて、帝国が魔界の要求を突っぱねるなんて考えられなかった。
いくら皇帝やヴォーノが自分に好意的であっても、それはあくまでも魔王の縁者だからという理由だ。それだけのものしか持たない自分と帝国の未来を天秤にかけるなんて、統治者として許されることではない。
しかし、皇帝は魔界の要求を拒絶した。拒絶してしまった。しかも悩みに悩んで苦渋の決断を…というわけではなく、少なくともハルトの目から見たら実にあっさりと。
ヴォーノはヴォーノで、その決断を下した皇帝をさも当然という顔で見るだけだった。
「良かったって、何がん?」
「だって、ボクを引き渡せば魔族たちは帝国を襲わないんですよね?なのに、このままじゃ沢山の人が死んでしまうんじゃ…」
「あらやだん、ハルトちゃんはおうちに帰りたかったのん?」
「いえ、そういうわけじゃなくて!」
帰りたいはずがない。帰れば自由は奪われる…どころではなく。
何となく、何となくだが、ハルトは魔族たちが何を考えているのか分かっていた。
魔王を復活させる方法。魔王を、ハルトの躰に降臨させる方法。
今まで魔王が世界に顕現した状況には共通点がある。トーミオ村のときも、オロチと遭遇したときも、そしてユグル・エシェルのときも。
ハルトの意識が消失したとき……否、ハルトが死に臨んだとき。肉体の支配権を失ったハルトに代わり、星の源流から浮上してきたのが魔王だった。
そしてあのとき魔王ははっきりと、調整にはもう少し時間がかかると言っていた。それは裏を返せば、もう少し時間をかければ準備は整う、ということ。
ハルトの躰を用い、世界に復活するための準備が。
臣下たちは、魔王復活のためならばハルトの命を奪うことに躊躇を感じないだろう。そして意識までも魔王によって抑え込まれてしまえば、肉体を奪われ精神を消されたハルトは正真正銘の滅びを迎えることになる。
だから、絶対に魔界には帰りたくなかった。例え、世界が直面している異変を鎮めるためだという大義名分があろうとも、ハルト自身はそのために世界に殉ずるほど自己犠牲の精神に富んではいない。
そんなハルトにとって、自分を守ろうとしてくれている皇帝やヴォーノの存在は非常にありがたかった。それに甘えてしまうのも仕方ないといえる。
「そういうわけではないのなら、よろしいじゃありませんかぁ。あたくしたちは、自分たちの望みでこうしているのですもの、ね、皇帝ちゃん?」
「左様にございます、ハルト様。御身におかれましては何一つご懸念あそばす必要はございません」
「……えっと…それは」
彼らは、何故こんなにも落ち着いているのだろう。もうじきに魔族の軍勢が押し寄せてくる。それに対抗する力も術も持たないはずの脆弱な廉族である彼らが、差し迫る滅びに恐怖を感じるどころか不安や焦りさえも見せていないのは、何故なのか。
…彼らが何を考えているのかが、分からない。その企みが自分に害あるものではないと思いたいのだが…
そのとき、部屋のドアがノックされた。
「…何用だ」
「ベネディクトにございます、陛下」
やって来たのは、皇帝の執事である初老の男だった。彼がどこまで真実を知らされているのかは不明だが、少なくともハルトとレオニールが皇帝の重要な客人であるということは承知している。
「ハルト様を訪ねてきた者がおりまして、どのようにいたしましょうか」
「……ボクにお客?」
ハルトは一瞬、マグノリアたちが来たのかと思った。彼女らには自分の居場所を教えていないが、それでも何らかの手段でそれを知って迎えに来てくれたのかも…と。
しかし、執事のベネディクトが告げた名は、あまりにも予想外のものだった。
「一体何者だ、怪しい人物ではなかろうな」
「怪しいかどうかは分かりかねますが…その者は己を、第一等級遊撃士、メルセデス=ラファティと名乗っております」
その名を聞いた瞬間、ハルトの頭の中は真っ白になった。
ルガイア兄ちゃん、宰相(魔界)より弟を優先です。
あと、ようやくメインヒロインを出せそうです。といっても活躍の予定はないんですが…




