第百七十三話 先祖の方が子孫より無条件で偉いって風潮はどうかと思う。
ハルトは、目の前に聳える建物を見上げて口をあんぐりと開けていた。
レオニールは、自分たちが連れてこられた場所にとんでもなく警戒していた。
ヴォーノは、そんな二人を見てニコニコしたままだった。
「あの…ヴォーノさん。ここって、お城……ですよね?」
ヴォーノが二人を連れてきたのは、帝都ヴァシリーサの最奥に位置する、巨大で広大な城だった。
ハルトとクウちゃん、レオニールはもう三日ほどヴォーノのところに厄介になっていた。が、今日はクウちゃんは留守番である。まだ本調子ではなさそうで、安全な屋敷で待っていてもらいたいとハルトが言いつけたのだ。
当然、クウちゃんはゴネる。しかしこればっかりは譲れないと強引に説き伏せられ、きっと今頃屋敷で不貞腐れていることだろう。
で、ハルトとレオニールの二人は奇妙な布を頭からかぶった実に怪しげな格好。この布にも簡易的な隠蔽術式が施されているらしく、これがあれば屋敷の外に出ても少しの間なら安全…というわけで。
「んふふふ、そうよん。さ、こっちにいらっしゃいな」
ヴォーノは二人を手招きすると、正門は通らず外壁に沿って歩き出す。
「あ、あの、ここ、この国の王様が住んでるところじゃないんですか?こんなとこに来ちゃって大丈夫なんですか?」
慌てて後を追いながら矢継ぎ早に訊ねるハルトに、ヴォーノは自信たっぷりに頷いた。
「もっちのろんよぉ、あたくし皇帝ちゃんとは、すっごぉく仲の良いお友達なんだからん」
「え……友達?皇帝と?」
「そうよん。親友…いいえ、心友と言ってもいいくらいねん」
「……………そうですかー」
なんとなく、なんとなくだが皇帝がそれを聞いたら否定するんだろうな…と思ったハルトである。
「……ん、あれ?けど、ヴォーノさんって確か、皇弟の方とつながりがあるんじゃ…」
「んふふふふ、ハルトちゃんってばまだお子様ねん。いいこと、世の中っていうのは表に見えるものだけで成り立っているわけじゃないのよん」
「………?」
「そんなことはどうでもいい。貴様、殿下を何処にお連れするつもりだ?」
思わせぶりなヴォーノの言うことが理解出来ないハルトと、興味がないレオニールは、ヴォーノから目的地の詳細を聞かされていない。魔王とハルトのことを彼がどれだけ知っているのかすらも、未だに。
ただ、魔王のことを知っている彼のことを放置出来なくて、言われるがままについてきているだけなのだ。
「ごめんなさいねぇ。皇帝ちゃんってば、あたくしとの関係は誰にも知られたくない秘め事だなんて言うものだからぁ、門から堂々と入ったのでは目立ってしまうでしょぉん?」
「………………」
「………………」
ヴォーノの言葉をどこまで額面どおりに受け取ればいいのか分からない二人である。が、人目を避けたがっていることは確かなようだった。
やがてヴォーノは、城の裏手で足を止めた。そこから、城の背後に広がる森の中に入っていき、少し進んだところに古びた井戸があった。
「…さ、こっちよん」
ヴォーノはその小太り体形をものともせず、スルスルと身軽にその井戸を降り始めた。
どうやら中には足掛かりがあって、上り下りがしやすくなっている。
「井戸に偽装した隠し通路…か。殿下、やはりあの者は危険です」
「けど、ボクはヴォーノさんが言ってたことが気になるよ」
ハルトの口調は柔らかいが、その決意は固そうだ。レオニールは主君の成長が嬉しいのと主君の身が心配なのとで板挟みになって返事が出来ないでいると、ハルトはヴォーノに続いてさっさと井戸に入ってしまった。
「お、お待ちください殿下!」
ハルトを追って黒々とした闇を湛えた井戸に飛び込んだレオニールは、いつだったかハルトを追って地上界へやってきたときのことを思い出していた。
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「皇帝ちゃん、遊びに来ましたわよん」
「……また貴殿か。相変わらず神出鬼没な…………?」
どこかうんざりしたような表情をちらつかせつつ(やっぱり心友というのは嘘だろう)、ヴォーノに声を掛けられた皇帝は振り返って、そして見慣れぬ二人(怪しげな布をひっかぶっている)に眉を顰めた。
ここは、皇帝の執務室…だろうか。
ヴォーノの通った通路は、驚いたことに皇族のプライベート空間へと続いていた。間違いなく有事のための脱出経路なのだが、何故ヴォーノがそれを知っているのかが不思議である。
しかし皇帝は慣れっこなのか、それに関しては何も言わなかった。
ただ、ハルトとレオニールのことは流石に看過することは出来なかったようで、ヴォーノにやや厳しい視線を向ける。
「ヴォーノよ、確かに余は貴殿に多くを許しているが、無関係の者を勝手に城へ招き入れるのは些か礼儀がなっていないとは思わぬか?」
「あらあらぁん、ご気分を損ねてしまいましたかしらん?ごめんなさいねぇ。けど皇帝ちゃん、こちらの方は、決して無関係なんかじゃありませんのよん」
ヴォーノは、何故かドヤ顔でハルトを指し示し、言った。
「無関係ではない?それはどういうこと……………む?」
ヴォーノに、城内にも隠蔽術式が敷設されていると聞かされたハルトが、かぶっていた布を取り払った。
露わになったハルトの顔をマジマジと眺めた皇帝が、何かに気付いた。
「…………似ておる………………?」
それは自分でも半信半疑といった響きの呟きだったのだが、ヴォーノは満面の笑みで頷いた。なお、レオニールはハルトを護るようにその前に立ち塞がっているのだが、皇帝はハルト以外は目に入っていないようだった。
「いや、しかし……これは一体………………まさか……!」
皇帝は、ハルトとヴォーノを交互に見遣り、ヴォーノが確信めいた表情を浮かべていることに気付き、思わず椅子から腰を浮かした。
見る間にその表情が変化していく。見開かれた瞳は潤み、僅かに唇は震え。
そのままフラフラと覚束ない足取りでハルトの前に進み出ると、皇帝は躊躇いなく片膝をついて頭を垂れた。
…独裁国家グラン=ヴェル帝国において、血の粛清を経て玉座についた絶対の統治者である皇帝が。
逆らう者は容赦なく滅ぼし尽くす、冷血の覇王が。
「え、あ、あの?」
突然のことにハルトは戸惑うが、レオニールはその横で、それを当たり前のことであるかのように平然と見ていた。彼からすれば、誰しもそうしないことの方がおかしいのだ。
「ご無礼をお許しください。私は、カール=ヨアン=ヴァシリュー、このグラン=ヴェル帝国の皇帝にして、偉大なる始祖、魔王陛下の忠実なる下僕にございます」
頭を垂れたまま、ハルトに自己紹介する皇帝。傅かれるのは慣れているハルトだが、見ず知らずの廉族、しかも一国の皇帝が相手となると、魔界にいるときみたいに鷹揚に構えるわけにもいかない。
……が、今、皇帝は妙なフレーズを口にしなかったか。
その言葉の意味に考えを巡らせている間に、ヴァシリュー皇帝はさらに続ける。
「魔王陛下の系譜に連なる御方と存じます。どうかその御名をお聞かせ願えないでしょうか」
「え…と、あの、ボク……ハルトっていいます。その……今、始祖って言いません…でした?」
紫蘇ではない。薬味として大活躍のあれではない。確かに皇帝は、始祖と言った。
魔王を、偉大なる始祖、と呼んだ…偉大なる紫蘇ではなくて。って偉大な紫蘇って何なんだ。
「おお、ハルト様。黒き神の剣を頂く御方よ。我がヴァシリュー皇家の始まり、初代皇帝は畏れ多くも偉大なる魔王陛下の血をその身に受け継ぐ者であったのです」
「……………え、マジで?」
驚きのあまりに口調が荒くなってしまうハルト。間違いなく師匠の悪い影響だ。今までのハルトだったら、「マジで」なんて乱暴でお下品な言葉は使わなかった。
一体これはどういうことなのか。ハルトは思わずレオニールを見上げた。もしかしたら彼ならばそのあたり知っていたりするのかもしれない…という淡い期待を持ってのことだったが、驚愕と疑念と警戒の複雑に絡み合った表情を見るに、彼もまた初耳なのだろう。
その次にハルトは、ヴォーノに視線を移す。何故かは分からないがやたらと情報通っぽい彼なら、知っているかも。何せ、ハルトが魔王の近縁だと知っているくらいなのだから。
「んーーふふふ、もう嫌ねぇリュートちゃんってば。節操ないのは昔っからだったのかしらん?」
……面白そうに含み笑いしている。驚いたり否定したりは、してくれなさそう。
「え……それじゃ、ここの皇家の人たちは父上の血を引いている…ってことですか?」
「初代皇帝は、偉大なる魔王陛下の血とお力の一片を賜り、この帝国を築き上げたと伝承に残っております」
皇帝には、嘘を言っている気配はない。事の真偽はともかくとして、彼はそう信じている。
そしてなればこそ、グラン=ヴェル帝国が地上界の国家でありながらルーディア聖教を、創世神を信仰していない理由もそこにあるわけか。
……となると、魔王復活を目論む勢力と言うのは……
ハルトの顔からさーっと血の気が失せた。
魔王復活を目論む連中にとって、ハルトはただの器に過ぎないわけで。彼らはハルトを依り代に、魔王を世界へ顕現させようとしているわけで。
飛んで火にいる何とやら…と後悔するハルトだったが、皇帝は変わらず臣下の礼を取り続け、ヴォーノは変わらず楽しそうな嬉しそうな顔をして立っているだけで、ハルトとしてもレオニールとしても、どう出ればいいのかひたすら判断に困る状況なのであった。




