第百七十二話 出来ることがないって一番ヤキモキするよね。
「申し訳ございませんが、旦那様は只今お留守になさっておいでです」
ヴォーノの屋敷に行ったのはいいが、執事らしき老人に門前払いを食らわされてしまった。
「それじゃ、いつ戻るか分かりますか!?」
だからと言って、はいそうですかと引き下がるわけにもいかない。マグノリアは食い下がるのだが…
「重ね重ね、申し訳ございません。旦那様はお仕事の関係でここ数日こちらには戻っておいでではなく、ご帰宅の予定も分かりかねます」
「………………」
無表情だが事務的で後ろめたさの欠片もなさそうな老人の口調に、マグノリアは嘘はないと判断した。ヴォーノほどの大商人であれば仕事で数日間留守にすることもあるだろうし、主人が留守の家に客人だけ招き入れるというのも不自然だ。
ハルトはここにはいない、と結論付けて、マグノリアはセドリックを連れてシエルとアデリーンに合流することにした。
彼らは今頃、例の戦闘跡で聞き込みを終えていることだろう。他にもいくつかハルトが好みそうな場所を絞り込んでいるから、そちらを当たってみようと方向転換。
……の、前に。
「…なぁ、大丈夫か?」
「………………なわけねーだろうが」
マグノリアが気遣ったのは、セドリック。
彼には知っていることの全てを話した。魔王復活を望むのは帝国の魔王崇拝者たちだけではない、ということ。既に魔族もこの件に絡んでいるらしいこと。ルーディア聖教会、少なくとも教皇は魔界とグルである、ということ。
そして、ハルトが魔王の依り代として選ばれてしまったこと。
空が割れるという非常事態は、もしかしたらハルトや魔王復活と関わっているかもしれないこと。
話しながら、これが荒唐無稽な与太話ではないと自分が感じていることと、その根拠も説明した。最初は信じられなさそうなセドリックだったが、ハルトが魔獣オロチを瞬殺したこと、心臓を貫かれても死ななかったこと、精霊を受肉させたこと…等を聞くうちに、その表情がどんどん強張っていった。今はすっかり青ざめている。
「つーか、俺様から言わせりゃ、なんで手前らはそんなに落ち着いてやがるんだよ」
「落ち着いてるはずないだろ、これでも焦ってるし悩んでるんだよ」
「そうじゃないように見せる程度には落ち着いてるじゃねーか!」
思わず怒鳴ってからそれが八つ当たりだと気付き、気まずげな表情でセドリックは目を逸らした。ここでマグノリアに腹を立てても、何も解決しない。
「…悪い。…………けどよぉ、それを俺様に聞かせてどうしろって話じゃねーか」
「それについては、悪いと思ってる。けど、蚊帳の外にしとくわけにもいかなかった」
「…………あーーーー、もう!ほんと、どうしろってんだよ!!」
セドリック、とうとう頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。悩むことなく「よし、それじゃハルトを殺そう」とか言い出さなかったことにひとまずの安心を覚えたマグノリアだったが、ここまで悩ませてしまったのは心苦しい。
「お前の立場は分かってるつもりだ。だから、アタシらから離れてサイーアの王太子として為すべきことを為すって言うなら、止めやしない」
「……だーかーらー!それが出来りゃこんな悩んでねーっつの」
頭をガシガシと掻いて、それから空を仰いで、しゃがみ込んだままセドリックは呻いた。
「こんなの、王太子だからってどうこう出来ねーよ。そもそも本気で魔界が乗り出して来たら、地上界はお終いじゃねーか」
「………………そうか、だからか」
「……あん?何がだよ」
いきなり合点がいった、という感じに頷いたマグノリア。セドリックの疑問には答えず、ブツブツと呟く。
「魔界がその気になれば、地上界はひとたまりもない。だからあの人は、そうなることを防ごうと魔界に協力した…?魔王復活を止めようとして滅ぼされるより、魔王の統治下で地上界の存続を…」
「おい、何言って……もしかして教皇のこと…か?」
どこかの馬鹿弟子と違って察しの良いセドリックは即座に気付く。が、反論も忘れない。
「教皇は悪くないって思いたい気持ちは分かるけどよ、どのみち魔王ってのは地上界も天界も滅ぼそうとした化け物なんだろ?協力したからって助けてもらえるとは思えないんだが」
「それは………そうだけど…………」
しかし、本当にそうなのだろうか。あの教皇が、その程度のことも分からないとは思えない。
何か、秘策があるのだと思いたい。
「つーか、教皇が本当は地上界を守りたいと思ってんのか滅ぼしたいと思ってんのかはこの際置いといて。問題は、各国の動きだ。ルーディア聖教会が魔界と組んだことが知れ渡ったら、それに追従するか反抗するかで世界規模の戦だぞ」
セドリックの懸念は、マグノリアとて同じだ。本来は地上界の国々が一致団結して魔界と魔王に対抗しなくてはならないのだが、我が身可愛さに踏み切れない国もあるだろう。
滅ぼされるくらいなら、服従の意を示して慈悲を乞うしかない…と。
「だから余計に困ってるんだよ、俺様は。こんなこと、黙殺するわけにゃいかないが公表すると後が怖い」
「その……ハルトのことは?」
セドリックの視点が国やら世界に限定されていることが気にかかったマグノリア。彼はまだハルトのことについては何も言及していない。
もし、既にハルトを見限っているのだとしたら………
セドリックはまたしても、マグノリアの言わんとしていることを即座に察した。
「なんだよ、もしかして「依り代がなければ魔王は復活しないんだからハルトを殺しちまおう」とか言い出さないかって心配してたのか?」
「い、いや、そうじゃな…いわけじゃないけどお前、言い方ってもんが……」
理解は早いが、デリカシーとかそういうものには欠けているセドリックである。
「なんだよ、濁したって意味ねーだろ。実際、このことが広く知られたらそう考える奴は少なくない…つーかほとんどの奴がそう考えるだろうし」
魔界を敵に回して戦争をするよりも、ハルト一人を殺してしまった方が遥かに早いし、簡単な話だ。真っ向からでなくとも、暗殺だとか謀殺だとか、彼一人を殺害するのならばいくらでも手段はある。
だが、セドリックにはそのつもりはないようだった。
「ま、んなことしても無駄だと俺様は思うぜ。器ってのに選ばれるのが新生児限定なのかそうじゃないのか知らねーが、まぁ普通は新生児…もしくは生まれる前の胎児の時点なんだろうな。そっから器が使用可能なくらいに成長するのが、十四、五年ってとこか?赤ん坊じゃ使いにくいだろうし。ハルトを殺してもまた十五年後に新たな器が現れたら、一時凌ぎってレベルでもねーじゃねぇか」
彼の考えは、マグノリアと一致している。
だが問題は…
「問題は、それでもいいからとにかく事を先送りにしたいって奴らが出てきかねないことだな。要は、ハルトは魔王復活を目論む連中にもそれを阻みたい連中にも狙われてるってわけだろ?」
「…………そうなるな」
「で、手前はそのハルトを何とか助けたいわけだ?」
「…そうなるな」
マグノリアの返事に、セドリックは再び空を仰いだ。未だに亀裂が不気味に横たわる空を。
「それに関しては、反対はしねーよ。ハルトが生きてても死んでもヤバい状況は大して変わらねーんだから、俺様としてもあいつは死なせたくない。ただ……」
願望が、いつでも実現可能なものとは限らない。
「それが出来るかどうかは、自信ねーよ。手前は、そこんところ覚悟出来てんのか?」
「覚悟…っつーほど立派なもんじゃないけど、腹は括ったよ」
「……………そっか」
マグノリアの返事に、セドリックはどこかほっとしたような表情を見せた。それから、砂を払って立ち上がる。
「ま、どうすべきかなんてまだ分からねーけどよ、とりあえずはハルトの身柄確保が最優先ってのは確かだな」
「ああ、そこから先のことは、その後で考えよう」
二人の出した結論は、消極的な先送りでしかなかった。魔王復活だなんて大それたことを企む連中や魔族たちが、そうそう簡単に諦めることはないだろう。ハルトを保護したとしても、この先ずっと彼は狙われ続けるか、或いは新たな依り代が生まれて魔王が復活を果たしてしまうか。
けれども、自分たちの力ではどうしようもない壁に行き当たったとき、その前でただ嘆くだけよりも、無駄に壁を叩くよりも、手で地面を掘り進めようとする方がずっと建設的だ。
例えそれが思考停止に繋がる行為であっても。
何も出来ることがないという状況は、人を容易く絶望へと追い込むものであるから。
ちなみにハルトたちがご厄介になってるヴォーノのおうちは本宅ではなく別宅だったりします。
まるで扱いが二号さん。




