第百七十一話 権力者にも色々と事情ってのがあるもんだ。
シエルから驚愕の事実を告げられたマグノリアとアデリーンは、何はともあれハルトを探すことを最優先にした。
それなりに付き合いも長くなったとは言っても、馴染みのない帝国で彼が立ち寄るような場所に心当たりはない。だが何か手掛かりはないかと、とりあえずはサヴロフ商会の拠点へと戻る。
戻りしなに、セドリックには知り得た情報…ハルトが魔王の器であること、ルーディア聖教会も魔界とグルであるらしいこと…を伝えておこうと二人で話し合って決めた。
パーティーの中では新参であるセドリックだが、見た目と態度と口調に似合わず冷静で思慮深い面を持っている。その視点は公平だ。さらに情に厚いところもある。秘密にしておくよりも全てを話して力を貸してもらうべきだ。
さらに、一国の王太子であるセドリックならば、マグノリアたち平民には不可能なことも可能だったりする。例えば軍隊を動かしたり広く情報を集めたり、要するに国家権力を動かすようなことが。
「おう、てめーら何処に行ってやがったんだよ………って、おい、そいつは…!」
拠点に戻った二人を出迎えたセドリックは、ついてきたシエルを見て固まる。
「どういうことだ、なんでそいつが此処にいるんだよ?」
尤もな疑問に、シエルは涼しい顔だ。…というかそんなことどうでもいいという顔をしている。というかそもそもこいつ誰だっけ?という顔をしている。どうやら印象が薄かったらしい。
「そんなことより、ハルト戻ってない…よな?」
「あ?あー…そういやまだ帰ってきてねーな。ま、飯時になったら帰ってくんだろ」
何も知らずに呑気なセドリック。実のところハルトならその可能性もなくはない…と思うマグノリアだったが、流石にそう思い込むほどには楽観的ではない。
「あいつが行きそうな場所に心当たりはないか?」
「なんでそれを俺様に聞くんだよ。あいつのこと一番詳しいのは手前じゃねーか」
「そ…それはそうなんだけどさ」
確かに、ここで一番ハルトのことを知っているのはマグノリアだ。付き合いも長いし、接している時間も長ければ密度も高い。その彼女が分からなければ誰も分からないだろうとセドリックは言いたいのだろうが…
「今この状況でお子様二人が勝手にうろついてるのはあんま良くないと思うんだよ。何処か行くとか何処かに興味あるとかそんなこと聞いてないか?」
「……そういやぁ」
声を上げたのは、セドリックではなく遣り取りを聞いていたダニールだった。
「あのボウズ、ヴォーノさんに随分と気に入られてたよな。自分とこ来いって誘われてたし。ひょっとしたらあの人んちにお邪魔して茶ぁでも飲んでるんじゃねーの?」
「ヴォーノ…さん?」
「この人たちの取引相手。なんかすっごい豪商みたいよ」
マグノリアには初耳の名前であるが、アデリーンが説明してくれた。さらに、
「あー、確かにすっごいハルトのことお気に召してたっぽいわね。ハルトは引いてたけど」
そのときのハルトの様子から、あれだけドン引きしていた相手の家にわざわざ行くかしらんと疑問に思ったのだが、まぁご招待に預かったというよりは半ば無理矢理引き摺り込まれた…とかならあり得るかも、と思い直した。
「なぁダニール、そのヴォーノさんってのは何処に住んでる?」
「え?あ…ああ、確かキャナン通りの一等地に屋敷があったような気が……馬鹿デカい銀杏の木が二本屋敷の外からでも見えるから、すぐに分かると思うぜ」
流石は犯罪組織、個人情報の取り扱いがガバガバである。が、そんなダニールの緩い意識のおかげで一つ手掛かりは得られた。
その他にハルトが立ち寄りそうな場所…帝都で過ごすうちにお気に入りになったような場所の候補を幾つか絞り込み、マグノリアたちは再びハルト捜索へ。
ついでに、セドリックとネコも強引に連れ出す。
「お…おい、どうしたんだよそんな慌てやがって。ハルトがどうかしたのか?」
当然、事情を知らないセドリックは戸惑う。が、マグノリアとしてはサヴロフ村の面々の前でそれを説明する気にはなれなかった。
「詳しくは道中話す。とにかく今はハルトを探すのが最優先だ」
「お……おう?」
首を傾げつつも空気を読んで素直に頷いてくれるセドリック。この辺りは空気を読めない(読まない?)ハルトよりもよっぽど助かる。
「手分けした方がいいのでは?」
「……そうだな。アデル、お前はネコと一緒にシエルについてくれ。さっきの場所で聞き込みも頼む。アタシとセドリックはヴォーノって奴の屋敷に行ってみるから」
「え、私がコイツと!?」
「心配しなくても噛みつきゃしないだろ」
シエルの提案にマグノリアは即決。班分けに悩む時間も勿体ない。ネコはマグノリアの指示が理解出来るのか、ぴょんとアデリーンの肩に飛び乗った。何故かシエルがネコに胡散臭そうな視線を向けたのだが、その理由は分からない。
「なぁ、だから何がどうしたっつーんだよ。ハルトに何かあったのか?それともあいつが何かを仕出かしたとか?」
ハルトのことを心配する際には必ずその二つの可能性を考慮しなくてはならないことを、セドリックは理解している。そしてどんな場合でもその両方を除外しない方がいいというのが、マグノリアの経験則だったりする。
「……んーーー、なんって説明すりゃいいのか………」
事情は道中で説明すると言いながら、いざ説明しようとすると言葉に詰まるマグノリア。果たしてセドリックが信じてくれるかどうか、という点も心配だったりする。
そして、彼がマグノリアの話を信じた場合にどう判断し、何を決断するのか。
マグノリアはセドリックのことを信用してはいるが、彼は他の面々とは違い一国の責任ある立場だ。国や世界に対する責務として、シエルやマグノリア、アデリーンが避けたいと思っている選択肢を真っ先に選ぶ可能性もある。
魔王復活は絶対困るが、ハルトのことも助けたい。そう願うマグノリアにとって、敵は魔王復活を目論む魔族たちだけではない。
シエルの話を信じるならばそれとグルになっているであろうルーディア聖教会もそうだし、どんな手を使ってでもそれを阻もうとする勢力(例えばユグル・エシェルのような)が現れれば、ハルトを護るためにそれらとも敵対することになる。
さらにセドリックの判断如何によっては、サイーア公国までも。そして公国だけで済めばいいが、他の国々も巻き込んで…となると下手すれば地上界丸ごとが敵だ。
かと言って、マグノリアからセドリックに何かを強要することは出来ない。仮に彼が彼女らと別の道を行くと主張しても、それは彼の決断として受け容れるつもりだ。
…寧ろマグノリアが納得いかないのは教皇の方である。地上界を牽引する世界宗教のトップでありながら、魔界と通じ魔王に与するとは何事か。
確かに聖戦以降、魔界と地上界は停戦状態にある。が、魔族は魔族、魔界は魔界。その凶悪さが停戦によって薄れることはなく、その残虐非道な行いがなかったことにはならない。
それなのに、なぜ教皇は魔界に加担するのか。
マグノリアの知る教皇グリード=ハイデマンという男は、確かに目的のためには手段を選ばない冷酷さも持ってはいるが、その根本には「地上界を護る」という使命と責任感があったはず。
もしかしたら…マグノリアには分からないだけで、何か正当な理由が、或いはのっぴきならない事情があるのだろうか。
そう考えたマグノリアは、結局のところ自分は教皇のことを信じたがっているのだということに気付き、そんな自分が少しばかり腹立たしかった。
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「ねぇねぇハルトちゃん、落ち着いてからでいいから、あたくしと良い所にお出掛けしてみないん?」
テラスから応接間へと戻ったハルトに、ヴォーノがそんなことを言い出した。ハルトはと言えば、レオニールの忠誠を再確認して少しばかり安堵したところだったので、思わずそれに反応する。
「良い所…ってどこですか?」
「殿下、なりません!このような胡散臭い者の提案など、胡散臭すぎます!」
しかしながらレオニールはヴォーノの胡散臭さに警戒を最大値にまで引き上げていて、今もハルトとヴォーノの間に身を割り込ませて主を守ろうとしている。
胡散臭い呼ばわりされたヴォーノは、そんな失礼なレオニールにも腹を立てたりせずにニコニコしたままだ。よっぽど大物かよっぽど愚鈍かどちらなのだろう。
「あらぁん、そんな怖い顔しないで?あたくし、きっとハルトちゃんのお役に立てると思うのよん」
「ふん、馬鹿馬鹿しい!貴様のような下賤の者がハルト様のお役に立ちたいなどと不遜も甚だし…」
「ちょっとレオ!」
ヴォーノの胸倉を引っ掴みそうな勢いのレオニールに飛びついて、ハルトは制止する。
「殿下、何故お止めになるのですか!」
「いや、だってね、そりゃ確かに胡散臭いけど一応この人はボクのこと匿ってくれてるんだよ?いくら本当のことでもそんな失礼なこと言っちゃダメでしょ」
ハルトも大概、失礼だったりする。
「しかし……この者が何を企んでいるのか」
「あらぁん、レオちゃんってば心配性なのねん。ご主人様を大切にする気持ちってステキだわん♡」
「き…気色悪い!!」
ヴォーノからすると自分に好意的ではない相手だというのに、彼はレオニールのことまで気に入ったようだ。
「けどねん、多分ハルトちゃんには必要なことなのよん」
「……ボクに、必要?ヴォーノさんの言う「良い所」に行くことが…ですか?」
まるで何もかも分かっていると言わんばかりのヴォーノの口振りが気になるハルト。
怪訝そうなハルトに、ヴォーノは一層笑みを深めた。
「んふふふ、興味あるかしらん?」
「…………えーーーっと……」
正直、興味がないと言ったら嘘になる。ヴォーノが何を言いたいのか皆目見当も付かないが、自分に何が出来るのか何をすべきなのか分からない宙ぶらりんの状態で、「必要なこと」と言われれば縋りつきたくもなる。
「…殿下、この者の甘言にお耳を貸されてはなりません。御身はこのレオニールがお護り致しますゆえ、すぐにでもこの怪しげな屋敷から出ましょう」
「んもう、レオちゃんってば過保護なのねん。リュートちゃんに心酔するギーヴレイ様を思い出すわん」
ハルトを背中に庇ったままジリジリと後退を続けるレオニールをヴォーノは微笑ましく見つめて言った。その表情は、どこかメランコリックに寂しげで。
「……………………」
「……………………」
「…………………え?」
しばらくの沈黙の後、ハルトがようやく反応した。
「今……ギーヴレイって…リュートって………言った??」
「…………き、貴様…!やはり魔界の手の者か!!」
それは、本来ヴォーノが…廉族が知るはずのない名。よしんば知っていたとしても、ハルトとの関係など知る由のない名。
則ち、ヴォーノは魔王のことを知っている。そして、ハルトと魔王との関係も。
驚愕に目を見開いたハルトと、今にも斬りかからんと腰の剣に手をやるレオニールを前に、ヴォーノは変わらずニコニコしたままだった。
「…ね?あたくしと一緒に来る気になってくれたかしらん?」
それは、狡猾な誘惑にも温かな思いやりにも聞こえる響きだった。
グーさんにもギーさんにも色々あるんです。リューさんには多分ないですけど。あの人何も考えてないから。




