第百七十話 魔族にも色々な立場があるよねって話。
魔界では、最高幹部である武王の三人が一堂に会していた。
宰相を兼任する武王筆頭、ギーヴレイ=メルディオス。
魔界最強の将として名高いルクレティウス=オルダート。
新参の武王ながらも聖戦では魔王から絶対の信を寄せられていた呪術師、イオニセス=ガラント。
本来ならばもう一人、魔界一の悪戯小僧として知られるディアルディオ=レヴァインと現在休職中の剣豪アスターシャ=レンがいるのだが、この二名はほとんど…アスターシャに至っては全く…魔界に寄り付かない。
今回の非常時に際し両名には招集をかけた…のだが。
「ディアルディオの奴にも困ったものだ。少しは勝手を控えてもらわんと」
「………あれはそういう奴だ、仕方ない。だが、何故アスターシャは連絡を寄越さない?」
嘆息したルクレティウスに答えたギーヴレイは、苛ついている。一刻も早くハルトの身柄を確保し異変に備えなければならないというのに、本来ならば魔界に最も責任を持つべき武王の二人が自分の指示に素直に従わないのが理解し難いのだ。
「とは言っても、あ奴は武王を辞したではないか。陛下直々の命ならばともかく、我らの招集に応じなかったとて責めることは出来まい」
「状況が状況だ、これが陛下の御為だということが何故分からぬ!?」
どことなく呑気なルクレティウスに、ギーヴレイは声を荒上げた。普段は折り合いの良い二人なので、これは結構珍しいことだ。
「未だに天界とは連絡がつかない上に、ハルト殿下の居場所まで分からないだと?これでは対処のしようがないではないか」
「まぁ落ち着け、ギーヴレイ。地上界へは捜索隊を送ったのだろう?」
「そやつらからも、まだ連絡はない。殿下が帝国とやらにおわすことが確かなら、探し出すのはそう難しくないはずだというのに……レオニールの奴にしても、さっぱり報告を寄越さぬ。職務怠慢もいいところだ」
どいつもこいつも使えない、と言外に表情で語ってから、ギーヴレイは大きな溜息をついた。そんな宰相のらしくない姿にルクレティウスは肩をすくめた。
「それほど気になると言うのなら、儂が地上界へと向かおうか?」
「…………いや、今のところはいい。動かすのであれば、“戸裏の蜘蛛”にしよう」
ルクレティウスの提案に一瞬だけ賛成しそうになったギーヴレイだが、すぐにそれを否定した。確かに彼は信頼できる同輩ではあるが、冷静沈着かつ慎重に見えて実はかなりの脳筋タイプである。純粋な武力であれば何も心配することはないが、こういった複雑な状況を任せるには些か不安。
かつ、ルクレティウスとその軍団には、魔界の最終防衛ラインを守ってもらわなくてはならない。
「蜘蛛…ということはルガイアあたりか?」
「…………………」
「どうした、ギーヴレイ?」
「……確かに能力的には申し分ないが……あれはあれでどうにも、何を考えているのか今一つ分からぬ…」
ルガイア=マウレの魔王に対する忠誠心は強固なもので、かつ魔導士としても魔界トップクラスの実力者、さらに頭脳の回転もピカ一とあって重宝する人材ではあるのだが、彼には一つ大きな問題が。
それは、ルガイアがかつて魔王に反旗を翻した元・叛逆者である、ということ。
………ではなくて。
「まぁ……あの弟にして、あの兄あり……というやつか」
「………………うむ」
ときに魔王すらコケにする変り者の肉親である、という一点であった。
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「ハルト殿下、遅くなりましたこと、大変申し訳ございません」
「……………えっと……」
気分転換にテラスに出たところでいきなりレオニールが現れて跪いて、ハルトは吃驚。一体何処から入ったのか。それより何より、魔力隠蔽の施された敷地内にいるハルトを、一体どうやって探し出したのか。
…もしかしたら、魔族には魔力隠蔽は効かないのかもしれない。
そう冷や汗を流したハルトだったが。
「よくここが分かったね……ボクの魔力、辿った…?」
「いえ、不思議なことに殿下の気配も魔力も突然感じられなくなりまして、非常に焦りましたが……なんとなくこの辺りにおいでではないかという気が致しまして、お姿を探しておりました」
「……なんとなくて」
実はレオニール、長期に渡る追跡行為により特殊スキル“粘着追跡(ただし主君に限る)”を会得していたのである。が、本人に自覚はない。大抵のストーカーには自覚はない。
「あらあらん、ハルトちゃんのお友達?」
それでもって、ヴォーノはヴォーノでいきなり現れた見知らぬ男に全く警戒を見せていない。ハルトが気を許しているからなのかハルトに忠誠を見せているからなのかは分からないが、それ以前に自分の屋敷に知らない顔があったら普通は驚くものではないのか。
「…………殿下、この者は?」
「え、あ、えっと…………」
レオニールの目がスッと細められ、ヴォーノを冷たく観察した。そこに、明らかな警戒と蔑視が垣間見られ、ハルトは慌ててヴォーノを紹介する。
「この人は、ボクがまか……追手から逃げてるときに、匿ってくれたんだ。しばらくここにいてもいいって」
「……………左様にございますか…」
レオニールは未だ警戒を解かないが、ニコニコと毒気を抜かれる笑顔を浮かべているヴォーノにどう対したらいいのか考えあぐねている。主の恩人に非礼を働くことは出来ないが廉族ふぜいが何を企んでいるのか…とでも思っているのだろう。
「あ、ヴォーノさん。彼はレオニールっていって、ボクの護衛騎士です。それで、その、ちょっと彼と話したいんですけど…」
暗に席を外して欲しいと仄めかしたハルトに、ヴォーノは気を悪くすることなく頷いた。
「あらぁ、そうよねん積もる話も色々あるでしょうねん、気が利かなくってごめんなさぁい。あたくしは中にいるから、お話が終わったら声を掛けてねん。あ、あとクウちゃんのことはあたくしがちゃんと見てるから、ゆっくりお話してらっしゃい」
…やっぱりウザいくせに気の利くチョビ髭である。
ヴォーノが屋敷の中に引っ込んで少ししてから、ハルトはテラスの椅子に腰を下ろした。レオニールはその前に跪いたまま。
ハルトはしばらく黙ったままだったが、やがてポツリと呟くように話し出した。
「……ねぇ、レオはどう思う?」
「………………」
「…ボクさ、もう分かってるんだ。父上は……ボクのこと、即席の躰って呼んでた。ボクは、そのために作られた存在……なんだよね?」
頭を下げたままレオニールは、密かに歯噛みした。
彼にとって、それは初耳だ。ハルトは魔王の後継者、次期魔王。レオニールもずっとそう聞かされていて、ずっとそう思っていた。
だが、これで得心がいった。
武王たちの、度を越した甘やかしぶり。本当にハルトに玉座を継がせるつもりでいるならば、もっと厳しい教育を施していたはずだ。愚鈍で無知な王に、民を率いることなど出来はしない。
それなのに彼らはハルトに何も求めず、何も課さず、何も期待せず、ただ甘やかすばかり。それは、放任となんら変わりない。
レオニールがいくらこのままではいけないとしつこく進言しても、相手にしてもらえなかったのはそういうことだったのか。
彼らが必要としていたのは、求めていたのは、ハルトではなく魔王のための器。
そういう意味では、確かにハルトは魔王を継ぐ者…だったのだ。魔王の称号ではなく、魔王そのものを継ぐ者。
「魔族たちは…みんな、父上の帰りを待ってるんだよね?だとしたら、ボクは……」
ハルトの声は震えていた。魔界にとって、魔族にとって、重要なのは魔王の存在。器であることを拒んだハルトには、何の価値もない。
魔界の王太子という存在が則ち魔王のための器だという意味ならば、王太子に仕える護衛騎士であるレオニールもまた、魔王のための器を護ることを役目とするべき。
自身の存在意義を否定したハルトは、もう王太子でもなんでもないのだから。
「殿下!」
言葉だけでなく唇も振るわせて声を詰まらせたハルトに、レオニールは叫んだ。顔を上げ、まっすぐにハルトを見据える。
主が話している最中に口を挟むことも、主の赦しなく頭を上げることも、普段のレオニールならば自分にも他人にも許しはしない。が、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
「殿下がどのようなご決断を下されようと、私の忠誠が変わることはございません!この命の限り、殿下をお護り申し上げることが我が務めなれば、殿下にはどうか心安くあられますよう」
「………レオ?」
レオニール=アルバにとって、ハルトは困った主君だった。
無気力で、怠惰で、甘ったれで。どんなに口を酸っぱくして言い聞かせても、他の臣下が甘やかすものだから勉学も鍛錬も全く興味を見せず。
それでもまだ赤子の頃から付き従う中で、その本質には強く純粋な光が宿っていることに気付いていた。ただ周囲が阻んでいるだけで、磨けばその光は必ず魔界を導く希望となるだろう、と。
あまりのだらけっぷりに自分の直感はただの願望に過ぎなかったのかと諦めかけていたとき、ようやくハルトは示してくれた。
自分の意志で、願望で、行動し、考え、高みを目指すようになってくれた。自分の望みは何なのかを、考えるようになってくれた。傷付くことを怖れずに戦うことを選んでくれた。
まだ未熟でも構わない。それをカバーするために自分がいるのだ。ただ、ハルトが自分の足で前進することを選んでくれたという事実が、何より嬉しかった。
魔界で過ごしていたときのハルトであったならば、見限っていたかもしれない。
だが、今のハルトは誰が何と言おうと、例え魔王の意志に反していようと、正真正銘レオニールの主君なのだ。
だから彼は主君へ告げる。
「例え魔界中…いえ、世界中が貴方様に背を向けようと、刃を向けようと、このレオニールめは決してお傍を離れませぬ。御身をお護りすることこそが我が喜びなれば、どうかこの剣を存分にお使いいただきたく存じます」
今までのことで、レオニールにも分かっている。魔界からハルトを護ること、ハルトが魔王の器として利用されるのを阻むことは、魔界に対する敵対行為だと。
全魔族を敵に回しての戦いに、勝ち目があるとは思えない。
しかし今のレオニールは、これまで感じたことのない誇らしさと喜びに心を震わせていた。
運命などという陳腐な言葉の前に屈することを拒否した主君が、この上なく慕わしかった。
それは、生死やお役目や存在意義なんかよりも、もっと根源にある想い。
「レオ………いいの?」
「勿論にございます。この私がいる限り、殿下をお一人には致しません。さぁ、どうかご下命ください」
ハルトの瞳に、徐々に光が戻ってきた。まだ頼りなくはあるが、確かな光。
その光を護るためならば、例え神であろうと魔王であろうと敵に回す覚悟は出来ているレオニールだった。
魔界一の悪戯小僧という称号?、ディアルディオにしようかエルネストにしようか本気で悩みました。
が、ギーヴレイはディアルディオにもずっと前から手を焼いていたので、年季的にディアルディオかなー…と。魔王的には間違いなくエルネストの方が厄介なんですけど。




