第百六十九話 錯綜する真実と散りばめられる誤解。
「先ほど、神託の勇者のことは聞きましたね。…では、神託の勇者が、創世神の器として作られた存在だ…ということは?」
唐突なだけではなく突然の、しかも想定外の質問に戸惑うマグノリアとアデリーン。二人は顔を見合わせてから、そろって首を横に振った。
「いや、それはどういう……」
「やはりご存じありませんか。仕方ありませんね、現在のルーディア聖教は、真実から遠ざかり過ぎてしまった…」
まるで現在のではないルーディア聖教を知っているかの如き口振りのシエルだったが、マグノリアはそこは追及せずその続きを待つ。
「確かに一般には知られていないことですが、これは事実です。意識体である御神は、器である肉体を介さなければ直接世界に干渉することが出来ない…出来たとしても、かなり制限されてしまいます。そのため、来たる復活の日のために用意したのが、神託の勇者と呼ばれる御神のための器なのです。そして、御神と同位体である魔王もまた同じことをしたとしても不思議ではないと…思いませんか?」
思いませんか?と問われても、御神のことも魔王のことも知らない二人に返事は出来ない。が、話の流れからいってシエルが何を言いたいのかは、ようやくだが想像出来た。
…想像したくなかったが、想像出来た。
「まさか……それが、ハルトだっていうのか……?」
マグノリアの心の中は、どうかシエルがそれを否定してくれますように、との願いで占められていた。しかし残酷なことに、シエルの首の動きは肯定を表していた。
「魔王にとって、一人の人間の運命を狂わせるくらい造作もないことでしょう。生まれたばかりの赤子…或いは生まれる前かもしれませんが、彼にその運命を背負わせ、自らの依り代として世界に送り出した……」
「なるほど。聖戦の英雄の息子を自分の器に選ぶだなんて、魔王もいい趣味してるじゃない」
シエルを遮るように言ったアデリーンの表情には、憤怒が見え隠れしていた。まるで、自分のものを横取りされたように感じ、憤っているのだ。
「そうですね……確かに、優れた血筋を利用するというのは理に適っています。器と言っても、魔王の意識体を受け止めるためにかなりのスペックが要求されるでしょうから、誰でもいいというわけではないですし」
その点、荒ぶる御神を鎮めたと言われる英雄の血を受け継ぐハルトは、魔王の目に適ってしまったというわけか。
そのとき、マグノリアは何よりも重大なことに気付いた。
「ちょっと待て……それじゃ、ハルトは……あいつはどうなる?」
魔王の器として選ばれたのであれば。
ハルトの自我は、心はどうなってしまうのか。
器というのなら、魔王にとって必要なのは肉体だけのはず。それを依り代に魔王が復活したなら、ハルトは……
マグノリアの危惧に、シエルは酷く辛そうに首を振った。彼には、下手な慰めを言うことは出来なかった。
「残念ですが……魔王が完全復活を果たせば、彼は消滅するでしょう。魔王の意識体を前に、人の精神はあまりに脆弱すぎる。ハルト=サクラーヴァという人間は、どこにもいなくなります」
「そんな………!」
愕然とするマグノリア。
ハルトが、消滅する。
あのお馬鹿で、素直で、そのくせ変に頑固なところがあって、師匠師匠とまとわりついてくる、手のかかる弟子が。
メルセデスに追いつきたいと、彼女と共に在りたいと、そのために強くなりたいと願っていたハルト。そのささやかな夢さえ叶わずに、彼は消えてしまうのか。
確かにシエルの言うとおりだとすれば、今までのことも理解出来る。
時折ハルトが見せた、異常なまでの力。信じがたい光景。
あれは、魔王の器として選ばれたからこそのものだったのか。
それならば、彼が自身の力に無自覚だったのも、当然のことだったのだ。
「………………」
何かを言いかけて、マグノリアは俯いた。何かを言いたかったが、何を言えばいいのか分からなかった。何を言ったところで無意味だとも分かっていた。
シエルの話はあまりに突拍子の無いものだったが、疑いの気持ちはなかった。ここまで突拍子の無い噓をつくような相手ではないと分かっているし、人を揶揄う冗談にしてはタチが悪すぎる。
それに……出逢った当初から今までのハルトの様子からすると、辻褄が合ってしまうのだ。
そこまで考えて、ふと気付いた。ハルトが、頑なに帝国へ行くと言い張った理由。
魔王の復活が気になるから…というはっきりしないことを言ってはいたが、あれはもしかして。
「……あいつ、そのことに自分でも気付いてたりするのか…?」
「それは…どうでしょう。器には自覚がないというのが今までの通例でしたから」
シエルは、グリードも魔族とグルだと言った。サクラーヴァ家のことも疑っている。であれば、ハルトが実家で何かを勘づいたという可能性も。
彼のいきなりの家出も、それが理由なのだとしたら。
マグノリアは、勢いよく立ち上がった。すぐ横にいたアデリーンが驚く。
「ちょっと何よ急に」
「あいつまさか、魔王を斃すとか考えてるんじゃないだろーな!?」
仮に。
仮に自分が神だの魔王だのの器に選ばれてしまったとして。そのせいで自分自身が消滅すると知ってしまったら、人はどうするのか。
選択肢は、たった二つ。諦めるか、抗うか。
「それは、オレも思いました。だからこそ、出来るだけ早く彼を止めないといけない」
シエルの顔にも焦燥が浮かんでいた。ハルト一人の身を案じているマグノリアと違って、彼はその先の可能性を憂慮している。
「人が…廉族が魔王を斃すなど、全くの愚行です。いくらハルトが優れた能力を持っていたって、結局それは「魔王の器である」というだけの理由。その彼の力が魔王に通用するはずもない」
それは、一滴の雫で海を洗い流そうとするに等しい行為。
「そもそも、魔王とは御神と並ぶ超常の存在。廉族など、そう望むだけで消滅させられる規格外のバケモノなんです。それなのにハルトが魔王のところへ赴くだなんて…」
「魔王からすれば、躰を明け渡すためにノコノコやって来た…ってところでしょうね」
アデリーンがシエルの言葉を引き継いだ。
「このままだと、ハルトは魔王を斃せなくて、躰を乗っ取られて、魔王が復活してしまう…ってわけでしょ。…まぁ帝国が魔王復活を企んでるったってそれもどこまで本当か怪しいものだし、私はそこまで焦る必要ないと思うけど」
シエルとユグル・エシェルが掴んだ情報…グラン・ヴェル帝国が魔王復活を目論んでいるという情報には、それなりの根拠があるのだろう。ここにシエルがいるのがその証拠だ。
しかし、企んでいる・目論んでいるというのがそのまま魔王復活の実現に結びつくとは限らない。
第一、魔王の意識体がどこで眠りについているのかも彼女らには知る由もなく、復活方法と言っても皆目見当がつかないのだ。
相手が超常の存在ならばこそ、それは帝国の魔王崇拝者たちとて同じはず。
「オレも、出来ることならそう思いたいです。……が、どうしても看過出来ない事が二つあるんです」
「何よ大袈裟ね。それは?」
「一つは……かつて魔王の近侍として仕えていた男が密かに動いているらしい…との情報です」
魔王の近侍、という言葉に二人は戦慄を覚える。それは則ち、魔王に直接仕えることが出来る高位の魔族ということではあるまいか。
「え、魔族が地上界に来て色々やらかしてる…ってことか?」
「いえ、魔族ではなく」
しかしシエルはそこは否定した。
「オレたちも、詳細は分かっていません。その男は実に狡猾で慎重な奴で、なかなか尻尾を掴ませないのですが…廉族、通人種であることは分かっています」
「へ……廉族が、魔王の近侍???」
奇妙な組み合わせに首を傾げるマグノリア。なんでまた廉族が魔王の近侍に?というかどういう経緯でそうなった?
…が、それはどうでもいいことなのである。
「魔王崇拝者としてかねてより暗躍していたその男には、何度も煮え湯を飲まされました。奴が現在この帝国にいるという時点で、オレは非常に強い懸念を持っています。それに…」
「それに?」
「先ほどの戦闘跡。あれはおそらく……魔族によるものでしょう」
おそらく、と言っているがシエルの口調からすると確信しているようだ。しかもそれに、
「ああ…だから魔力反応が普通とちょっと違ってたのね」
魔力感知スキルの持ち主であるアデリーンまで、その言葉を裏付ける。
「え、じゃあ結局魔族が地上界に来てるってことじゃねーか!!」
「ねぇマギー、今はそれより重大なことがあるでしょ」
魔族が地上界に来ていて、しかもハルトがその争いに巻き込まれたかもしれない、という可能性に狼狽えるマグノリアを、アデリーンは冷たく窘めた。
「確かにハルトのことも心配だけど、問題はそこじゃないわ。魔王が復活なんてしたら、世界がどうなるのか分からないのよ?」
「え……あ、そう……だけど…」
と言いつつマグノリアの歯切れが悪いのは、いまいち実感に乏しいからである。
彼女とて、歴史を知らないわけではない。学校での授業態度は最悪だったが、それとは別に一般常識として天地大戦、そして聖戦のことは誰でも(一部世間知らずボンボンは除いて)知っていることだ。
かつて、天界と地上界の生命を全て滅ぼし世界を手中に収めようとした魔王と配下たる魔族たちの残虐非道な侵略行為、そして十五年前、復活し対峙した創世神を邪悪な意志へと変質させてしまった、魔王の恐るべき邪念。
創世神はもういない。荒魂を鎮めたと言われる剣帝も既に故人。そんな現状で魔王が復活したとして、再び世界は終末の危機を逃れられるのか。残りの英雄たちで、魔王の暴虐は止められるのか。
魔王復活、という事象にはそんな懸念が付き物なわけだが、あまりにスケールが大きすぎて実感が湧かないのだ。
いくら第二等級の遊撃士と言っても、英雄連中に比べればマグノリアは凡人である。いきなり魔王だ世界の危機だと言われても、半分くらいは悪い夢を見ているような気がしているくらいで。
…そんなことよりやっぱりマグノリアが気になるのは、バカ弟子の安否だったりする。
だが、アデリーンはそんな過保護な師匠の心情よりも現実を重視したようだ。
「…で、あんたはどういうつもりでハルトを探してるの?あいつを助けるため?それとも魔王の復活を阻止するため?」
アデリーンの質問の中に含められた意図に、シエルは気付いた。気付いたからこそ口ごもり、マグノリアはそれに首を傾げる。
「え、別に二者択一な選択肢じゃないだろ?つか、ハルトが魔王の器だってんなら、あいつを保護すれば魔王復活だって……」
言いながら、シエルの表情がどんどん険しくなっていくことに嫌な予感を覚え、そしてその予感の正体に思い至った。
「…………なぁ、シエル。お前がハルトを探す目的って………」
マグノリアの声が一段低くなった。
シエルは、そんなマグノリアの視線を真っ直ぐ受け止める。
意識体である創世神や魔王は、依り代たる躰なくしては世界に直接干渉することが出来ない。間接的に理に働きかけたり運命を歪めたりはお手の物だろうが、少なくとも荒れ狂う力で国や大陸を吹き飛ばす…ということは出来ない、というのがシエルの見立てだった。
魔王が眠りから目覚めたとしても、躰さえなければ世界における影響力は最小限に留められる。
なら、魔王の手から世界を救うにはどうすればいいか。
簡単なことだ。顕現できないように、躰を破壊してしまえばいい。
「待ってください、オレはそこまで結論を決めつけているわけじゃない」
シエルは、マグノリアの懸念を半分だけ否定した。
「確かに……ハルトを殺せば、一時的に平和は保てるかもしれない。けど、そんなのは本当に一時凌ぎにしか過ぎないということは、オレにだって分かってます」
一つの躰が駄目になれば、新しいものを用意すればいいだけのこと。多少の時間はかかるだろうが、魔王や世界そのものからしてみれば、そんな時間は大したものではない。
現に、歴史上幾人もの“神託の勇者”が存在した。創世神は、いつ自分が目覚めてもいいように長き間に渡って躰を用意していたのだ。
実際に選ばれたのは剣聖アルセリア=セルデンただ一人だけだったが、仮に彼女が命を落としたりしていれば、きっとまた別の時代に別の“神託の勇者”が生まれてきたのだろう。
「…けど、手っ取り早いことは確かよね」
冷酷な口振りのアデリーンだが、その表情を見れば彼女がハルトのことをどうでもいいと…世界のためなら彼が死んでも仕方ないと考えているわけではないことは確かだ。
「そうですね、それは確かにそうです。けど、オレ個人としても、ただの一時凌ぎのためだけに彼を犠牲にはしたくない」
「けどアンタ、ティザーレで似たようなことしてたじゃない」
アデリーンが鋭くツッコんだ。シエルとユグル・エシェルは、シャロン=フューバーを人柱にして帝国に対抗する戦力を作ろうとしていた。
そんな彼が今さら人情を語るのは納得いかない。
「それとこれとは別です!あれは戦力増強のためであり、彼女の犠牲が無駄になることはないと断言出来ましたから!だけど今回の場合は…………」
否定しながらトーンダウンしていくシエル。結局は同じことだと彼も分かっているのだ。
「ええ……ええ、そうですね。きっとオレは、ハルトを殺したくはないけど世界のためならばそうするのでしょう」
だから、マグノリアの前であっさり白状した。
それを聞いて、マグノリアはシエルを責める気にはならなかった。責めても意味はないし、責めたところで彼女にはシエルを止められそうにもなかったし、彼の言うことが間違いではないと分かっていたから。
それよりも、ここでシエルがハルトに対し明確な殺意を抱いていないことに救いを感じた。
「まだ結論は出してないって言ったよな。ってことは、お前もまだハルトのことは諦めてないって考えてもいいか?」
「……はい、オレは世界も友人も救いたい」
マグノリアの問いに、シエルはしっかりと頷いた。この場を誤魔化すための詭弁ではなく、本心から。
「“神託の勇者”であった剣聖アルセリア=セルデンも、荒魂と化した御神を退けることに成功したと聞いています。なら、方法はきっとあるはず」
あるとはいっても見当もつかないそれは、賭けに近い可能性。けれども、希望であることに違いはない。
「ハルトに近しい貴女たちにも、力を貸してもらいたい。協力してもらえますか?」
シエルが差し出した手を、マグノリアは躊躇いなく握り返した。あのバカ弟子の尻ぬぐいをするのは、もうほとんど自分の義務のような気がしている。
「こういう状況じゃ、断ることなんて出来ねーだろ。な、アデル?」
「え、ちょっと待ってよ、それにしたって少しは考えなさいよね!魔王だの世界だの、私らの手には余りまくる事態じゃ…」
アデリーンはそれより少し冷静なようで尻込みしていたが、
「それじゃ、ここまで来て蚊帳の外、か?」
「う………そ、それは………」
「新たなハルトの一面が見られるかもなー。なんてったって魔王の依り代なんだし」
「やってやろーじゃない」
結局、命惜しさより知的好奇心を優先させた。
ここに、即席ハルト救出(?)パーティーが結成された。
…のだが、すっかりセドリックの存在を忘れているマグノリアであった。
誤解と勘違い。魔王が後々のこと考えてなかったのとグリードが地上界(というか自分たち)に都合のいいように歴史を捻じ曲げたせいで踊らされる面々です。




