第百六十八話 自分の知る真実が本当に真実なのかどうかって、結局のところ絶対に証明不可能な難題だと思う。
マグノリアとアデリーン、そしてシエルが爆発音のした辺りに辿り着いたとき、そこは既に事後の場所となっていた。
派手に崩れた建物、巻き込まれた怪我人たちとその呻き声、慌ただしく駆け付けた救助隊、遠巻きに怯えと好奇の視線を送る見物人たち。
そして、激しい戦闘の跡。
石畳は、完全に破壊され焼け焦げて真っ黒になっていた。建物の外壁か巨大な瓦礫の山が道を塞いでいる。
しかし、この惨状を引き起こした犯人の姿は、どこにも見えなかった。
「……何があった?」
「そりゃ、ド派手な戦闘…でしょ」
茫然としながら分かりきった会話を交わすマグノリアとアデリーンを置いて、シエルが破壊された石畳へと近付き屈みこんだ。
しばらくその場所から、現場をひとしきり見渡す。
「……遅かったか…」
その口から、ぽつりと呟きが漏れた。
傍らに、風獅子が身を寄せる。
「シルフィ、この辺りに雑精霊は残ってるか?」
風獅子はシエルの問いに視線だけで答え、空中の匂いを嗅ぐような仕草を見せた。
それを見たマグノリアは、精霊に嗅覚とかあるのかな…と疑問に思ったのだが、実際には匂いを嗅いでいたわけではなく。
やがて風獅子は再びシエルに顔を近付けた。
「…………そうか、ハルトは確かにここから逃げたんだな?」
心底安堵したようなシエルの呟きに、マグノリアは反応した。
「おい、それどういうことだ?あいつがここにいたって?」
肩を掴んで問い詰めてくるマグノリアに、シエルは一瞬冷ややかな視線を向けた。今ここで彼が知る真実を告げたとしても、彼女は何の力にもならない。
だが、弟子の安否を気に掛ける師匠の表情に、考えを改めた。
彼女は確かに戦力にはならないが、事情を知る権利くらいは持っているはず。
だから、シエルは自分の知る真実を、自分にとっての真実を…少なくともハルトに関することは全て…語ることにした。
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喧騒から離れた場所で、シエルとマグノリア、アデリーンは向かい合っていた。道端の縁石に腰掛けて、シエルはもうしばらく黙ったままだ。
「…なぁ、説明してくれるんじゃなかったのか?」
ダンマリを決め込むシエルに、マグノリアがしびれを切らした。
割れた空、消えた弟子、破壊された街角。根拠はないが嫌な予感がしてならない。シエルの沈痛な面持ちがまた、それを助長する。
「あそこにハルトがいたってのはどういう意味だ?ただ巻き込まれただけ?それともあの騒ぎとハルトが何か関係あるのか?」
もとより騒ぎを起こしがちな弟子である。しかし今マグノリアが心配しているのは、ハルトがまた突拍子もないことを仕出かしたのではないか、という自身の管理監督責任ではない。
ずっと様子のおかしかったハルト。帝国へ行くと頑なに言い張っていたハルト。曖昧な理由の奥に何かを隠していたハルト。
これまでもずっとマグノリアの命を救ってきた彼女の危険予知…得能だとか天恵とかとは関係なく彼女が培ってきた感覚が、今も彼女に警鐘を鳴らしている。
…これはヤバい。今回ばかりは絶対に関わってはならない。今すぐ何も見なかった聞かなかったことにして、安全なリエルタへ帰るべきだ。
頭の中で、そんな自分の声がする。だが同時に、そんな真っ只中にハルトを置き去りには出来ない、したくないと自分を押しとどめる声も響いている。
「おい、シエル!いい加減に……」
「最初に訊ねておきますが」
行き場のないモヤモヤをぶつけるようにシエルの胸倉を掴みかけたマグノリアの腕を掴み返し、シエルがようやく口を開いた。ただし、彼女の疑問への答えではなく。
「貴方がたは未だに、ルーディア聖教会の指揮下にあるのですか?」
「今はそんなこと…」
「大切なことです!」
何故シエルがそんなことを気にするのか不思議だったが、強く言い切られてしまった。どのみち隠すようなことでもないので、マグノリアは素直に答える。
「…いや、今は完全にアタシらの独断で動いてる…つーか、教皇には止められたのに無視して強引に帝国に来ちまったから、見放されててもおかしくないかも」
そしてこれまた何故か、それを聞いたシエルはほんの少しだけ表情を緩めた。
「それを聞いて、安心しました」
「どういうこと?それじゃまるで、聖教会は信用ならないって言ってるみたいだわ」
アデリーンがシエルの言葉に疑問を呈し、シエルは頷いた。
「そのとおりです。彼らは、己の権益を守るためならば真実を捻じ曲げることすら厭わない。オレは、教皇グリード=ハイデマンの本性とその狙いも知っています」
「本性……狙いって…」
地上界の民は須らくルーディア聖教徒であると思っていたマグノリアは、シエルの口振りに驚愕する。シエルが行動を共にしていたエシェル派も、ルーディア聖教会の一派なのだ。教皇は、その聖教会の頂点たる存在。
…まるで、教皇が全ての元凶であるかのような……
そしてシエルの口から飛び出てきたのは、そう言っても差し支えないような内容だった。
「教皇は、魔族と繋がっています。そしてその狙いは……魔王復活にあると、オレは考えている」
◆◆◆◆◆◆
シエルの爆弾発言に、マグノリアもアデリーンもしばらく開いた口が塞がらなかった。
よりにもよって、地上界の守護者たる教皇が、魔族と繋がる?魔王復活を狙う?
そんなことありえない。魔王の復活とは、則ち地上界の滅亡を意味するのだ。創世神の消えた今、魔王を止められる者はいない。世界は、魔族たちによって蹂躙され支配されることだろう。
今は停戦状態ではあるが、それは魔界が主を失ったからだ。魔王が復活すれば、魔族たちがおとなしくしている理由などなくなる。
教皇が、その手助けをする…などと。
唖然としている二人の反応はシエルにとっては想定内だったようで、彼は特に腹を立てるでも呆れるでもなかった。
「驚くのも無理はありません。オレだって、出来ることなら認めたくない。ですが、これは事実です」
「こ…根拠は?何か証拠でもあるのか?」
証拠もなく教皇を魔族の手の者呼ばわりすれば、それは背教であり許されざる罪。しかしシエルの表情は揺らがない。
「以前に、ティザーレでの一件の折にですが、オレは魔王の配下と相まみえました」
「あそこに、魔族がいたってのか!?」
それは初耳である、驚天動地である。マグノリアはシエルに詰め寄った。シエルはそんなマグノリアを冷ややかに見つめる。
「あそこにいたもなにも……貴女たちだって一時期行動を共にしていたじゃありませんか」
「行動を共に?……………ってまさか」
あのとき、彼女らに同行していたのは。
サイーアの王子であるセドリックと、依頼人であるシャロンと……
「まさか……ルガイアが…?」
教皇が魔族と繋がっている、というシエルの言葉から導かれる答え。
「そしてそれだけではなく………オレは僅かではありますが、魔王とも対峙しました」
「!?!?!?!?!?」
お次は魔王ときた。もう、驚天動地どころの話ではない。
というかシエルは、自分が矛盾したことを言っているのに気付いていないのか。あの場所に魔王がいたのであれば、それはもう復活済みということだ(信じたくはないけれど)。魔王復活を狙うだとかなんだとか、今さらではないか。
「魔王が顕現していたのは、僅かな時間です。そうでなければオレは、間違いなく死んでいたでしょう。けれど重要なのはそこではなく…」
シエルは、一瞬だけ言い淀んだ。マグノリアの顔を見て、アデリーンの方も見て、話すべきかどうか逡巡し、そして腹を括った。
「すぐに源流へと還っていった魔王ではありますが、その際にグリード=ハイデマンの名を出しています。奴は配下に、教皇に全て任せると伝えていた……三界を支配した暁には、教皇に地上界の統治を任せるという意味合いだと思います」
「そんな…………ウソだろ…」
マグノリアは、その場に座り込んだ。
彼女にとって教皇は、なんと形容したらいいのか分からない存在だ。
ある意味では親の仇とも言えるし、ある意味では自分の恩人とも言える。慣れ合いたくはないし情けをかけられたくもない。個人的には色々と消化しきれない思いを抱いてはいるが、客観的に見れば信頼出来る人物だと思っている…思っていた。
「ちょっと待ってよ、それを信じろって言うの?」
教皇に対して然程の思い入れのないアデリーンの方が、マグノリアよりも冷静だった。
「第一、それって私たちが合流する直前のことでしょ?その場にはハルトもいたはずじゃない。だけどあいつ、何も言ってなかったわよ」
アデリーンの追及に、シエルは目を伏せた。それからすぐに視線を上げると、
「それはそうでしょうね。あのときハルトは眠っていましたから」
「どういうこと?」
シエルのニュアンスにただの睡眠ではないという響きが含まれていることに気付き、アデリーンは怪訝そうに眉をひそめた。
「教皇は、ハルトのことをやけに気にしてはいませんでしたか?或いは、ルガイアという男も」
「な、何よいきなり……当然じゃない、あいつあれで剣帝の息子なんだから」
唐突に変わる話題。アデリーンはシエルの言いたいことが分からない。
シエルは構わずに続ける。
「…ああ、そうでしたね。確かに、だからこそ…なのかもしれない」
「は?ちょっとあんた何わけわかんないこと…」
「神託の勇者、という存在を知っていますか?」
またもや唐突に変わる話題。ますます、シエルが何を言いたいのかが分からない。
「当たり前でしょ。神託の勇者を知らないとか、どこぞの世間知らずボンボンじゃあるまいし」
どこぞの世間知らずボンボン。それが誰のことを指しているのかを察したシエルは、悲しげに再び目を伏せた。
「そうですね…確かにハルトは、あまりにも無知過ぎる…まるで、誰かがそうなるように仕向けた…みたいに」
「何それ?あいつが物知らずなのは誰かの仕業だって言いたいの?なんで?」
マグノリアは二人の遣り取りを聞きつつ、心の何処かで納得していた。
確かに、ハルトはあまりに物を知らなさ過ぎた。
一般常識と言えるようなことから、自分自身の父親のこと、家のことまで。
いくら甘やかされて育ったボンボンとは言っても、流石にそれは不自然ではなかろうか。
そう、誰かが意図的にハルトを世界の真実から遠ざけたりしない限り。
「誰かの仕業……オレもそう思います。いくらなんでも、彼の家…サクラーヴァ公爵家が絡んでいるとは思いたくない…けれども英雄の一族だからといって他の者も剣帝のような崇高な志を抱いているとも限らない…寧ろ英雄によって得た既得権益が…」
「ちょっと!何一人でブツブツ言ってんのよ!!御託はいいからさっさと本題に入りなさい!!」
とうとうアデリーンが切れた。
怒鳴られたシエルは、何故だか憐れむような顔をしていた。
或いは、真実を知ることになる彼女たちを、本当に憐れんでいたのかもしれない。
さてややこしいことになってきました。
何がって各キャラが知ってる情報がバラバラなもんですから。
なんかオレは全てを知ってるんだーみたいなスタンスのシエルだって、ハルトが魔王子ってこと知りませんし。情報の共有ってほんと大事。じゃないと書いてる自分が訳分からんくなって大変。
…あ、報連相ってだから大事なのね。




