第百六十七話 センスは外見によらない。
はっきり言って、意外すぎた。
何がと言うと、ヴォーノ=デルス=アスの自宅…である。
流石に帝国の高位貴族と繋がりがあるだけあり、そして大富豪らしく、それは立派な構えの邸宅だった。敷地面積もさることながら、屋敷の造りも装飾も屋敷へ続く庭園のアプローチも、見事としか言いようがない。
ハルト自身、城生まれの城育ちではあるが、魔王の好みがどちらかと言うとシンプル寄りなものであったため、慣れない豪華絢爛な様式に気後れを感じてしまったくらいだ。
しかし豪華さはまぁ想定の範囲内で、何が意外かってそのセンスである。特に内装の。
外観はいかにも成金!といったふぜいの佇まいだったのが、一歩屋敷の中に足を踏み入れるとガラッとその雰囲気を変える。
金に糸目を付けず贅を凝らしているのは確かだ。が、洗練されつつもどこかシンプルで素朴さを残した温かみのある家具や壁紙の色、掛けられた絵画、さり気なく飾られた季節の花々に、家主のセンスの良さが窺えた。
応接室に案内され、室内をキョロキョロと見回すハルトと、長椅子に横になってハルトの膝枕で身体を休めるクウちゃんに、ヴォーノは手ずからお茶を淹れてくれた。
「クウちゃん、具合はどうかしらん?お医者さまに見せなくても大丈夫?」
「あ…はい、大丈夫だと思います……少し休めば」
精霊であるクウちゃんを医者に見せても無駄だ…とは言えない。上手く誤魔化す言葉が見当たらなくて時間を稼ごうとお茶を口にしたハルトは、その香りに何故か懐かしいものを感じて動きを止めた。
「んふふ、お口に合うかしらん?」
目を丸くしたハルトを見て、ヴォーノは嬉しそうに訊ねる。
「…はい、美味しいです。初めて飲む味ですけど、なんかほっとするっていうか…」
「んふふふ、そうでしょお?そのお茶はねん、あたくしが美食の師と仰ぐ御方が好まれてたものなのよん」
美食の師とは何ぞや。
「お師匠さま…ですか?」
ハルトにおけるマグノリア、みたいなもの…だろうか。
「んーふふ、彼はきっと否定するんでしょうけどねん、師と言っても教えを仰いだわけではなくってぇ、…………そうねぇん、道筋は違っても同じ美食の極致へと到達することを望む、一種の同志…と言っても差し支えないかと思うわん」
愛おしげに遠くを見遣り頬を紅潮させ潤んだ瞳と高揚に震える声でうねうねしながら語るヴォーノの姿は…というかもう存在そのものはそのウザさも最高潮で、彼に同志呼ばわりされたその御仁に何故か同情してしまうハルトであった。
「えっと……ヴォーノ、さん。クウちゃんが目を覚ましたら、ボクもう行きますね」
「えぇええん?なんで、どおしてぇ?もう少しゆっくりしていったらいいじゃないのよん」
有難い申し出(のはずなのにあまり有難くなく感じるのはきっと気のせいだとハルトは思うことにした)ではあるのだが、今のハルトは魔界から追われる身。先程の追手はレオニールが対処してくれたが、これで終わりなはずがない。じきに第二、第三の追手が地上界へと遣わされることだろう。
…魔族が、ハルトを諦めることは決してありえない。彼らが魔王を慕い望む限り、ハルトの存在は彼らにとって不可欠のものだから。
そして魔族たちは、ハルトという目的を達成するのに邪魔な存在は容赦なく排除するだろう。例えヴォーノがその事実を知らなかったとしても、彼がハルトを匿っている時点できっと魔族らは彼のことも敵だと認識する。
……願うことならば、師匠たちには無関係でいてもらいたい。それが、ハルトの一番の懸念だ。
ハルトがマグノリアたちと行動を共にしていたことは当然、魔界の宰相たちも知っている。ハルトの決意に彼女らが関わっていると疑われた場合、魔族たちはどう出るか。
それが心配で、ハルトはマグノリアたちのところへ戻ろうとはしなかったのだ。
魔界の宰相ギーヴレイ=メルディオスという男は、無駄な感情論を嫌う。ハルトを連れ戻すのにマグノリアたちが明確かつ具体的な妨害行為に出ない限りは、見せしめ的に廉族を狙うことはないだろう…と思いたい。
人質という可能性も捨てきれないが…こればっかりは、彼女らが魔族に目を付けられないように祈るしかない。
そんなわけで彼女らから距離を置くことにしたのに、次はヴォーノが近付いてきた。正直、クウちゃんを休ませるのにとても助かったし、マグノリアたちと違いそこまで親しいわけではない…寧ろほとんど赤の他人である…ヴォーノが巻き込まれてもそれほど心は痛まないが(けっこう薄情なハルトである)、それでも助けてくれた相手を巻き込むことに一抹の罪悪感がないわけではない。
だからそう申し出たのに、即座に縋りつかれてしまった。
が、いくらなんでもここで「んじゃお言葉に甘えて」なんて言うほどハルトは甘ったれではない。
「…ここにいると、きっとヴォーノさんにも迷惑かけちゃうと思うので…」
「あらそれはどうしてん?」
食いつかれた。ハルトはどう説明したものか悩む。
「え…っと、その…………ボク、今ちょっと追われてる真っ最中でして」
「んまぁあ、それは大変ねぇん」
追われてる身であることくらいは話しても問題ないかと思ったのだが、それだけでは全然大事に考えてくれないヴォーノである。思いっきり深刻な顔で言ってみたのに。
それは多分、ヴォーノが犯罪組織に関わるような人物だからだろう。追う追われる狙う狙われる殺す殺されるは日常茶飯事の世界の住人ならば、「追われている」だけの現状は然程驚くべきことではないのだ。
大変ねぇん、と言ってはいるが、ヴォーノの口調は実に呑気だ。まさか自分にまで危険が及ぶなんて、考えてもいないに違いない。
「あの、追手っていうのも痲薬組織とかそういうんじゃなくって…その、それよりもっと厄介な奴らで、すっごく危険なんです。だから…」
「大丈夫よぉん、彼らはここにハルトちゃんがいるってきっと気付かないわん」
どうしよう、困った。ここまで言ってもヴォーノは本気にしてくれない。そりゃあ、廉族の追手だったら気配やら匂いやらを遮断してしまえば身を隠すことも難しくないが、何せ相手は魔族なのだ。きっとハルトの魔力反応ですぐに居場所など…
「あたくしのおうちにはねん、ちょーっとしたおまじないが掛けてあるのよん。気配も魔力反応も誤魔化してくれる術だからぁ、例え相手が魔力感知のスキルを持ってたりしてもそう簡単にここは見付からないわん」
……隠蔽術式。
魔力反応を誤魔化す……のであれば、もしかして。
「…………えっと…」
「あたくしたち廉族は確かにとぉーーっても非力な種族だけれどもぉ、その代わりに危険を遣り過ごして身を守る術は他の種族よりもずぅっと得意なのよん。常設型敷設術式だから外に出るのは危険だけれどもぉん、このお屋敷の中にいればハルトちゃんは安全よぉ?」
常設型敷設術式…というのが何なのか、ハルトは知らない。が、非力な廉族が直接的な武力ではなく様々な策と工夫で生き延びてきたという事実は、教わっている。
確かに身を隠す方法がなければ、廉族は天地大戦の折に絶滅していてもおかしくはない。
「逃げる、という一点で言えばぁ、あたくしたち廉族の右に出る種族はなくってよぉん」
…その言葉も、理解出来る。
もしここがヴォーノの言うとおり安全な場所なのだとしたら、少しくらい彼の言葉に甘えたい…と思う。クウちゃんは未だ弱っているし、これからどうすべきか考える時間も欲しい。
…考えても答えが出るとは思えないが、怒涛の展開に頭の中身が完全に置いてけぼりを食らわされている今、少しでも腰を落ち着けて頭を冷やす時間があるのならば、非常に助かる。
「………あの、追手は本当に本当に危険な奴らなんです。多分、ヴォーノさんの護衛の人たち全員でかかっても、絶対に勝てないくらい………帝国軍が出てきたって、勝てないくらい」
そんな大げさな言い方をすればヴォーノに要らぬ疑いを抱かせるだけなのだが、ハルトはそこに気付いていない。
そしてヴォーノも、ハルトの大仰な表現を聞き流した。
「あらぁん、それはだから見つかったらのお話、でしょお?見付からなければ安全なことに変わりはないわん」
「…………本当に、大丈夫…ですか?」
脅すようなことを言ったのに平然としているヴォーノを見ていると、本当にここにいれば大丈夫なような気がしてくる……それはただの願望に過ぎないのかもしれないけれど。
「大丈夫よん、ハルトちゃんはなぁんにも心配しなくっていいのだわん」
…そう、ハルトはきっと拠り所が欲しかったのだ。ここにいれば安心、ここならば大丈夫…と思える居場所が。
本当に一人きりで抗うには、ハルトはあまりにも弱すぎた。
だから、会ったばかりで何も知らない相手の、事の重大さに何も気付いていなさそうな相手の差し伸べた手に縋ることを、自分に許してしまった。
「……それなら…お言葉に甘えても、いいですか…?」
「もっちのろんよぉ、ゆーっくりしていってねぇん」
そんな自分の内面ばかりに気を取られていたハルトであったので、気付かなかった。
ヴォーノの言葉、「あたくしたち廉族」。同じ種族を前にして使うにはニュアンスがおかしい表現である、ということに。
ハルトが飲んだお茶は、ヴォーノが入手してシグさんとこに卸してた緑茶です、リュートも気にしてたやつ。日本人DNAはハルトにも受け継がれてる?




