第百五十九話 本能とか直感とか違和感とかにはとりあえず従っておいた方が無難である。
拠点へと急いで帰ったハルトたち。取引場所への襲撃は、その規模的にも陽動である可能性が否定できなかったからだ。
はたして帰還した彼らを待ち受けていたのは、怪訝な顔で戸惑うばかりの居残り組だった。
「何があった?」
ダニールとしては、そう尋ねるしかなかっただろう。これで拠点が破壊されてたりしたら敵の襲撃があったに違いないと問うまでもなく分かるのだが、彼らの“店”には傷一つなく、商会員にも居残り組護衛にも、死傷者は皆無。
…というか、戦闘の形跡すら皆無。
しかし、何かがあったことは確かだ。
表からは見えない裏庭に運び込まれた、夥しい量の死体。それらは全員、ダニールたちを襲ってきた者たちと同じ覆面をしていた。
五十人以上の襲撃者たち。数からすると、やはり本命はこちらだったということだろう。
「いや、それなんだけどよ……よく分からねぇんだ」
戸惑いつつイーヴォが答えた。
「なんか表が騒がしいって思って様子を見にいったら、こいつらが転がってて……」
イーヴォ自身、自分がどれだけおかしなことを言っているか自覚があるのだろう。次第に口調が怪しくなってくる。
「どういうことだ、そりゃ?襲ってきた連中が、勝手におっ死んでくれましたってか?」
「いや、彼の言うことは事実だよダニール」
マグノリアもイーヴォに加勢。彼女もイーヴォの傍で全てを目撃しているので断言出来る。
「アタシらも襲撃に備えて警戒してた。そこに表が騒がしくなった。迎え撃とうと思ったけどいつまでも連中がこっち来ないからアタシとイーヴォとで見にいったら襲撃者は全員死んでた。分かってるのは、これだけだよ」
過不足なく自分たちに分かることを伝えるマグノリア。しかしそれだけでは、一体襲撃者たちの身に何があったのか分からない。
被害がなかったのだからめでたしめでたし、で終わってしまうには、あまりに気色悪い。
「死んでたって……まさか全員事故死とかじゃねぇよな」
死体の一つから覆面を剥いでその下の顔を見るダニール。苦悶に歪んだまま固まった表情に、次々と他の死体からも覆面を剥いでいく。
「事故死ってよか、病死…の方がアリなのか?」
襲撃者たちの死体には外傷はなかった。その代わり、残されていたのは肌の異様な変色と断末魔の死に顔。
斑に赤黒く変色した肌は、触れるだけでグズグズと崩れる。つい先ほどまで生きていたとは思えないほど、腐食が進んでいた。
「これ、普通に腐ってるわけじゃないわね」
いつのまにかダニールのすぐ横に屈みこんだアデリーンが惨たらしい死体に動じることなく観察してそう言った。
「なんか分かるのか、嬢ちゃん?」
「確かなことは言えないけど……高濃度の瘴気にアてられたときの症状に見えるわね」
平然とグロテスクな死体をつついたり挙句には体組織を一部採取したりなんかするアデリーンに周囲はかなりドン引きだが彼女はそれに気付かず続ける。
「マギーたちが外に出たときには、こいつらもう死んでたのよね?」
「ああ、瘴気なんて感じなかったぞ。そんなの漂ってたらアタシらだってタダじゃ済まなかったろうし」
地上界で瘴気が自然発生することはない。そこには魔獣の存在や何らかの呪いなどの外的要因があるはずだ。そしてその要因を排除しない限り、永続的にそこから瘴気は垂れ流される。
「他に瘴気による被害は聞こえてこないし、てことはほんの一瞬でこれだけの人数が死に至るほどの濃度ってのも………どういうことかしら」
襲撃者たちの直接の死因は分かったが、彼らが何故そんな目に遭ったのかは分からず仕舞いだった。
「んにー、にゃお」
「ネコ、あんまり外に出たらダメだよ、なんか危険かもしれないし」
理由は分からないが何故かドヤ顔のネコが尻尾を高く上げてうろついていたので、ハルトは抱き上げた。マグノリアは何も感じなかったと言っているが、まだ瘴気が残っていてもおかしくないのだ。
ハルト自身は瘴気による影響を受けることはないが、こんな小さな仔猫では微量の瘴気でも命取りになるだろう。
「にゃう、にゃにゃーう」
「………?」
「少々悪戯好きのペットのようだな、ハルト少年」
何か言いたげなネコに首を傾げていると、サーシャがハルトのすぐ横に来て言った。やや乱暴にネコの頭を撫でるが、ネコは嫌がるでもなく喜ぶでもなく微妙そうな表情で身を任せる。
「いえ、普段はとってもいい子なんですよ」
「………………そうなのか?」
どうしてそこでサーシャが驚いた反応を見せるのかは分からないが、ネコはいつも素直で従順なペットなのだ。今まで環境がコロコロ変わっても大人しくしていたし、滅多にハルトの傍から離れることもない。
…が、そんなネコが今回だけはハルトについていかずに拠点に残った理由は、分からないハルトだった。
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その夜。
ハルトは部屋で一人考え込んでいた。
彼の脳内会議で上げられた議題は、「ヴォーノ=デルス=アスの招待に応じるか否か」である。
彼の申し出は社交辞令には聞こえなかった。
では何故、ヴォーノはハルトを誘ったのか。あの場にはアデリーンもクウちゃんもサーシャもいたというのに、彼女らには目もくれず。
それに、ただ気に入った、というだけにしては彼の執着具合は普通ではなかった。その理由がヴォーノにあるのかハルトの方にあるのかは分からない。
そして、気になる「帝国の色々なところに連れていってあげられる」のくだり。どうして彼はそんなことを言い出したのだろう。まるで、ハルトがそれを望んでいることを知っているかのように。
ダニール曰く、ヴォーノは皇弟派とも関わりを持っている…らしい。だからこそ、ドルーたちも彼には一目置いていたのだろう。
皇弟ともなれば、帝国でも極めて上位。いくら皇帝と反目し合っているとはいっても、大貴族中の大貴族であることには違いない。
であれば、色々と気になる点はあるがヴォーノの誘いをありがたく受け取って、彼のところへ行くのが自分にとって最善ではないか。
この国で、魔王の復活を計画する者たち。
それが皇帝派なのか貴族派なのかは分からないが、人造魔獣計画といいティザーレの有力者を抱き込んだことといい、かなりの権力が動いているはず。
ヴォーノのもとへ行けば、それに近付けるかもしれない。
魔界や聖教会を無視して帝国まで来てしまったのだ、この際だからとことん行けるところまで行ってみたいと思う。
自分の気持ちに、とことん向き合いたいと思う。
自分にとって、魔王とは何なのか。
自分とは何なのか。
仮に帝国の魔王復活計画が信憑性を持ったものであった場合、自分はそれを支持したいと思うのか、阻止したいと思うのか。
そして自分のその決断に、魔界の臣たちは一体何を思うのか。
今までずっと目を逸らして後回しにし続けてきた問題ではあったが、そろそろ向き合わなくてはならない頃合いだ。
そんな自分にとって、ヴォーノの申し出は正に渡りに船。
であれば、何を躊躇しているのかと言えば結局のところ、
ヴォーノなんか怖い。
…という、本能寄りの素直な感情だけがネックなのであった。
エルニャスト、人知れず頑張りました。




