第百五十八話 お薬は、用量用法を守って正しくお使いください。
煙を吸い込んで倒れている者たちは全員、眠っているだけだった。呼吸と脈拍を確認してサーシャがそう断言してくれたので、ハルトは一安心。
「さて、しかしこれからどうしたものか」
揺すっても耳元で大声を出してみても誰一人目を覚まさない。余程強力な催眠剤だったようだ。自然に目を覚ますまで待っているのでは、残してきた拠点の面々が心配である。敵が、取引だけを狙っているとは限らないからだ。
「あ、そう言えば師匠に色々貰ったんでした」
ハルトは、心配性で過保護な師匠からいくつかの道具を渡されていた。戦闘力に限って言えば心配のない弟子ではあるが、それ以外では何かと心配な点が多い。それらを補助する道具たちだ。
「えっと……なんか気付け薬みたいな……これだったかな?」
白い陶器製の瓶を腰のポーチから取り出してラベルを見ると、そこには確かに「劇的!覚醒君」と商品名が。どうやら間違いなさそうだ。
因みにこの「劇的!覚醒君」だが、意識を失ったり失いそうになったときだけでなく、幻覚を見るときや暗示にかけられたとき、また正気を失ったときにも効果を発揮するロングセラー商品である。
用量用法は、患者の体格と症状に合わせて1~5滴を付属のスポイトで飲ませる、というもの。蓋を開けるとそれがそのままスポイトになっていてとても便利。
……なのだが。
「アデルさんアデルさん、これ飲んでください」
こともあろうに、ハルトは蓋を開けた瓶をそのまま直にアデリーンの口に押し込んだ。
この「劇的!覚醒君」、効能の幅広さから分かるように薬効で結果を出しているわけではない。
主成分は、ディートア地方の密林に生えている草の汁を煮詰めたもの。この草は虫や獣による食害を防ぐために非常に苦い成分を葉に持っている。虫に味が分かるとも思えないのでただ苦いだけでなく刺激も強い。
一説には、目に付く植物を全て食らい尽くし移動するという魔獣災大飛蝗さえもその草には見向きもしないとか。
まぁそんな刺激的な成分を煮詰めて作ったものだ。そんなのを寝ている間に飲まされたりなんかしたら…
「に……にっっっっっっっがーーーーー!!!」
涙目でアデリーンが飛び起きた。比喩抜きで、本当に飛び上がって起きた。せき込みながら口に押し込まれた瓶を抜き取りえずきながらあちらこちらを走り回る。
「にが!にがい!にがい!!なにこれ、なんなのコレ!?」
「良かった、目が覚めたんですねアデルさん」
「良くないわよ!ハルトあんた何飲ませた!?」
アデリーンは自分の口内を満たす地獄の苦味がハルトの仕業であると勘づいていた。襟首を締め上げてブンブン揺する。
「はるとをいじめるな!」
「うるっっさい!そう言うならあんたも飲んでみなさいアレ!!」
ハルトを守ろうと縋り付くクウちゃんも容赦なく怒鳴りつける。珍しく本気で怒っているアデリーンである。
「だって仕方ないじゃないですか、アデルさんたち全然起きないし」
「だからってあんた………あああほらやっぱり「覚醒君」じゃないの!あんたこんなもの瓶ごと飲ませるってどんな拷問よ竜でも一発で目覚めるわ!!」
一度放り投げた瓶を確認して、アデリーンは力説。使用上の注意は瓶の裏側に赤文字でしっかり記載されている。が、ハルトがそんなものを読むはずはなくマグノリアもそこまでは説明していなかったに違いない。
…お薬は、用量用法を守って正しくお使いください。
「目が覚めたんだからいいじゃないですか。けどこの薬すごく効くんですね。他の人たちにも飲ませてあげようっと」
「だから用量ーーー!」
何故か懲りずに二瓶目を開封するとダニールにも同じ行状に出ようとしたハルトに全身全霊でツッコむアデリーンは、これもそれも全て師匠の管理不行き届きだこの埋め合わせは必ずどこかでさせてやる…とここにはいないマグノリアを強く恨んだのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「いやー、油断したぜ。まさか催眠剤使ってきやがるとはな」
「覚醒君」一滴分で無事に目を覚ました商会員と取引相手たち。表情が冴えないのは催眠剤の影響ではなく口の中のニガニガのせいだろう。
双方が店の外に配置していた護衛たちは、先に眠らされていた。「覚醒君」の手持ちが切れてしまったので、申し訳ないが彼らはもう少しの間夢の中だ。
「すまなかったな、ドルーの旦那、ヴォーノさん。あんたらにまで迷惑かけちまって」
敵の襲撃は予想していたとはいえ、ドルーたちにしてみれば完全にとばっちりだ。彼らも色々と事情は察しているのでこちらの責を問うことはないだろうが、一応は礼儀として謝罪するダニール。
「あらぁん、いいのよん悪いのはそいつらでしょぉ?それに助けてもらってこちらにはなんの損害もないのだし、全然気にしないわん」
「…やはり、ティーロンの連中ですか。これは不問には出来ませんね」
ヴォーノは全く気にしていないようだったし、ドルーは犯人の一人に見覚えがあったようで敵の正体を察していた。きっとこの後、皇弟派と財閥系貴族派との間で一悶着あるのだろうが、それはハルトたちには与り知らぬこと。
「でもでもぉ、残念だったのはハルトちゃんたちがかーっこよくアタクシたちを守ってくれたところを見れなかったことねん。きっととても素敵だったんでしょうねぇ」
本気で悔しがっているヴォーノから、ハルトが一歩遠ざかった。
「ねぇハルトちゃん、やぁっぱりアタクシのところへいらっしゃいな。用心棒としてじゃなくっても、お客様として来てくれたら嬉しいわぁん」
「え、えと、お言葉は嬉し………(この間ハルトの中でかなりの葛藤があったもよう)…い、ですけど、ボク、ダニールさんのところにお世話になってるので…」
他人の厚意を無下にするのはハルトにとって珍しいことだが、それだけヴォーノは色々と強烈だった。
「あらそうなのん?残念ねぇ。アタクシのところに来てくれたら、帝国中のいろぉんなところに連れて行ってあげられるのにぃ」
「………え?」
「でもいいわん、気が変わったらいつでもいらっしゃい。ここのお店の店長に言ってくれればアタクシに伝わるようになってるのよん」
帝国の色々なところに連れていける、というのはどういうことだろうか。
見たところ裕福層だしドルーたちには一目置かれているようだしこの店のオーナーだというし、もしかしたら帝国内でもかなりの実力者なのかもしれない。
一瞬、帝国の内情に切り込むための足掛かりにちょうどいいかも…と思いかけたハルトだったが、両手を組み合わせてうねうねと身をくねらせているヴォーノの姿に再び戦慄を感じ、自分の頭に一瞬だけよぎった考えを即座に却下した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その後の取引は簡潔に終わった。
迷惑料としてダニールたちサヴロフ商会が大幅な値引き交渉に応じたのと、ヴォーノがやたらとハルトに好意的だったために、相手方から今回の不始末の件で商会を責める声が上がることもなく、さらに面倒な死体の処理までヴォーノが引き受けてくれたりした。
無事に商談成立で、品物の受け渡し場所の打ち合わせをしたらこれで今日の取引は終了だ。
「それじゃハルトちゃん、いつでもいいからねん、好きなときに来てちょうだいねん、アタクシ待ってるわよん」
「………えと…………………はい」
湿っぽく名残惜しいヴォーノを振り切って、ハルトは店を出る。ふと顔を上げると、サーシャがひどくおかしそうにニヤニヤしていた。
「…なんですか、サーシャさん」
「いや………あの手の者に好かれるのだな、と思ってな」
「んもう、他人事だと思って」
プンプンしていたハルトは…ハルトだけでなくアデリーンもダニールも、誰一人として気付いていなかった。
一言も言葉を交わすことのなかったヴォーノとサーシャではあるが、その両者が密かに目配せを交わしていたことに。
父親よりは、息子の方がしっかりしているようです。




