第百五十七話 交戦
「ああああああんもうほんと可愛い可愛すぎるわん凛々しくもあどけない顔立ちも純心で透き通る瞳もまるで奇跡の芸術品じゃないのよんお肌ももうすべっすべで」
「…………………」
「ねぇあなたお名前はん?うちにいらっしゃいなうちの子におなりなさいなそうなさいあたくしヴォーノっていうのよんヴォーノ=デルス=アス…ね、あなたみたいな子が傍にいてくれたらきっと毎日が光り輝くんでしょうねん」
「…………………」
「はるとをはなせ!!」
ハルトに抱き付いて恍惚の表情でかつエライ剣幕でまくしたてる小太りチョビ髭男…ヴォーノ=デルス=アスとヴォーノに抱きつかれ蒼白の顔でほとんど気を失わんとしているハルトをなんとか引き剥がそうと、クウちゃんが飛び掛かった。
ヴォーノにハルトへの敵意が全く見られないことから(寧ろ行き過ぎた好意しか感じられない)攻撃を仕掛けることはないが、ヴォーノの腕にぶら下がって拘束を解こうと四苦八苦。
しかしヴォーノは、まるで意に介さない。
「あらんこちらの愛らしいお嬢ちゃんはあなたのお友達?妹さん?ねぇ一緒に来ても構わないわん二人であたくしのおうちにいらっしゃいよん」
「あーーーーーヴォーノさん?」
呆気に取られていた一同の中で、ようやくダニールが我に返りヴォーノに恐る恐る声を掛けた。
「その……まずは落ち着いて、取引の話……しようぜ?」
「あらん!いやだあたくしったら、つい取り乱してしまいましたわん。それもこれも、この子がこぉおおんなに可愛すぎるのがいけなくてよん」
言いつつ、ヴォーノはようやくハルトを解放してくれた。
自由を取り戻したハルトではあったが、まだ茫然自失。目の焦点がいまいち定まっていない。
「大丈夫か、ハルト少年」
苦笑しながらサーシャが気遣ってくれた。
「え……と、はい…なんとか」
「あらぁん、ハルトちゃんっていうのねん素敵な名前だわんウフフフフ」
「……………アハハ……どうも」
名残惜しそうに身をよじらせるヴォーノに、ハルトはドン引きで少しだけ後ずさりした。
「…ヴォーノ殿、そろそろよいだろうか」
しびれを切らしたように発言したのは、メガネの男、ドルー。彼が取引相手の中心人物なのだが、なぜかヴォーノの顔色を窺うような素振りを見せている。
「あらあらん、失礼いたしましたわん。それじゃ始めましょうか」
自分が場を引っ掻きまわしたくせにシレっとした顔でさっさと席につくヴォーノ。それを見た残りの面々…取引相手とダニールたち商会員も各自席につき、護衛のサーシャとハルトはその傍らに控えた。
相手の護衛は揃って屈強そうな男たち。目つきも気配も鋭くて、何かあれば即座に反応できるよう警戒に余念がない。
対する商会側の護衛は、サーシャとハルト、アデリーン。お世辞にも、屈強とは言い難い絵面である。
だが、余裕たっぷりに悠然としているサーシャと、何が何だか分からないからほけーとしているハルトと、取引だとか面倒なことには興味がないので冷めた目で佇むアデリーンは、多くの修羅場をくぐり抜けてきた相手方に「こいつら只者じゃない…!」との印象を与えたようだ。誰も三人のことを軽んじたり冷やかしたりはしない。さすがに幼女には若干の戸惑いを隠せないようだったが。
ハルトたちは、取引には直接干渉しない。彼らの仕事はダニールたちの護衛なので、商品の質と代金との釣り合いだとか輸送コストの負担とか定期的な納品の可否とかには興味もないし、口を挟める立場ではない。
それよりも三人が注意すべきは…
取引も佳境、ちょうど値段交渉に差し掛かった頃合いだった。
ダニールの後ろに控えていたサーシャが、不意に窓の方へ視線を向けた。ハルトとアデリーンが反応するより早く、
「…ダニール殿」
警戒を含んだ調子でサーシャが呼びかけたのにダニールが応えるよりも早く。
突然、窓の一つが割れた。
外側から窓を割った何かが、店の中に飛び込んでくる。
それは、金属製の円筒だった。
窓が割れた瞬間、ハルトたちも相手方の護衛たちも即座に身構え、護衛対象を守るべく前へ出る。
しかし飛び込んできたのが襲撃者ではなく小さな無機物だったことに、一瞬の躊躇を見せた。
その躊躇は本当に一瞬だったのだが、その刹那に円筒から物凄い勢いで噴き出してきた、真っ白な煙。
「敵襲だ!」
「ドルー様、ヴォーノ様、こちらへ!」
瞬く間に煙が充満していく店内で、相手方の護衛が叫ぶのが聞こえる。だが、数人の護衛が二人を守りながら裏口へと向かおうとしている途中で、次々と倒れていった。
「サーシャさん、これ……?」
「気を散らすな。来るぞ」
ダニールや他の商会員たちだけでなく、アデリーンまでも煙が届いた瞬間に床に崩れ落ち、ハルトは狼狽えた。しかしサーシャに叱咤され、ほぼ反射的に剣を抜く。
サーシャの言ったとおり、割られた窓とその直後に開け放たれた扉から、幾人かの人影が侵入してきた。煙幕が濃くてはっきりした人数は分からない。が、こちらで動けるのはサーシャとハルト、クウちゃんの三人だけだ。
急に倒れてしまったアデリーンたちが心配なハルトだったが、こう煙がすごくては助けることも敵を迎え撃つこともままならない。
それなのに、サーシャは全く視界が利かない中を何の躊躇いもなく敵へと突っ込んでいった。
煙の向こうから、呻き声が上がる。それは一つ二つと連続し、サーシャが敵を物凄い勢いで倒していっているのだということを示していた。
「クウちゃん、この煙をなんとかして!」
「うん、わかった」
ハルトに命じられたクウちゃんが、小さな旋風を起こした。螺旋に翻弄され、視界を覆っていた煙は見る間に晴れていく。
「……な!?」
驚いたのは、襲撃者だった。標的の視界と動きを奪うための煙が失われ、連中の姿が露わになる。
全員、奇妙な形状の覆面で素顔を隠していた。それ以外の格好は、統一性はあるもののお揃いの衣装というわけではない。
人数は三十人程度。その中のおよそ半数は、既にサーシャによって床に沈められていた。
サーシャ一人に任せきりにするわけにはいかない。ハルトは自分から望んで護衛を申し出たのだ。負けじと残っている半数へ向かう。
いつぞやの刺客とは違い、連中の得物は様々だった。
ハルトが最初に向かったのは長剣と小振りの短剣の二刀流の男。短剣は変わった形をしていて、鍔の近くに鉤のような突起がある。
おそらくそれで敵の武器を絡めとり、長剣の方で攻撃するというスタイルなのだろう。
なのだろう、というのも、結局彼が長剣を使うことはなかったからだ。
ハルトの剣は、確かに男の思惑どおりに鉤爪に捕らえられた。が、それは薄紙一枚で鉄砲水を防ごうとしたのとほぼ同じこと。
相手の短剣ごと、ハルトは剣を振り切る。せっかくの防御も役には立たず、胴を深く薙がれた男はそのまま後ろへひっくり返った。
たじろいだ次の標的は目の前に迫ったハルトに慌てて戦槌を振り下ろすが、あっさりと躱されてカウンターで撃沈。
次の瞬間、ハルトは身を翻した。そのすぐ脇を掠める、幾つもの礫。壁にめり込んだそれらはとても小さいものではあったが、石壁に穴を開けるほどの威力は持っているようだ。
初撃をハルトに躱されてしまった襲撃者が構えていたのは、スリングショット。小動物の狩りに用いられるものだが、威力からして間違いなく魔導的強化を付与されているはず。
近付くのが危険な相手なら、遠くから射殺してしまえ、というわけか。
しかし、遠隔攻撃が得意なのはその男だけではない。クウちゃんの真空波によって左腕を切り落とされた男は、苦悶の絶叫を上げてうずくまりそのまま動かなくなった。
襲撃者たちの練度は、それほど高くはなかった。殺しだけを専門に請け負っているプロというよりは、犯罪組織の普通の構成員なのだろう。
自分の近くにいる敵を全て片付けたハルトは、サーシャの方を見る。敵のほとんどは、彼女が相手をしてそして倒していた。
その剣の鋭さに、速さに、鮮やかさに、ハルトは目を奪われる。師匠の戦い方とはまるで違う、もっと研ぎ澄まされた何か。
余分なものを削ぎ落した後に残るもの。濁りを徹底的に排した、上澄みの一番綺麗な部分。
ハルトは、サーシャに出逢ったときからその剣の美しさに気付いていた。
理屈ではなく、ただ彼女はそうなのだろう…と。それを確認したくて、護衛役に立候補したのだ。
「これで終わりか。先にこちらの動きを奪ってくるのはなかなかではないか」
それすらも一つの芸術品のように優雅な所作で剣を収めたサーシャの姿を見て、ハルトは不思議な既視感を覚えていた。




