第百五十三話 都会ってなんか気後れしてしまう。
「参った、俺の負けだ、降参だ」
あっさりと、ダニールは自分の負けを認めた。
尤も、彼にはそうする他なかったのだ。ただの力試しで、試した相手に殺されるなんて選択をするはずもない。
「え……もういいんですか?」
何となく物足りなさそうにしながらも、ハルトは炎の蝶を消した。
「……なぁ、今のアレ……一体何だ?」
「……………多分、【陽炎羽衣】…だと、思う」
驚いたのはダニールだけではない。見ていたセドリックも度肝を抜かれ、解説するアデリーンも表情が固い。
「【陽炎羽衣】!?嘘だろ、んな可愛げのある術じゃねーだろうがアレ!」
「言いたいことは分かるけど、ハルト以前に私が使うの見てたから、そこで覚えたんでしょうね」
対 鎧蛙戦で、アデリーンはハルトの前で【陽炎羽衣】を使っている。
【風魔弾】のときと同じように、見て盗んだのだろう。
「……は?見てたから覚えたって……魔導術式はそんなもんじゃないだろうが」
「そんなものなのよ、あいつにとっては」
「それに、どこをどうしたら中位術式があんな凶悪なのになるんだよ!?」
「知らないわよ!けどあいつの場合はそうなるの。【雷霜】も【風魔弾】もそうなったんだから、【陽炎羽衣】だってそうなってもおかしくないでしょ!」
「いや、おかしいだろうが!!」
やいのやいのと騒いでいるセドリックとアデリーンを横目に、クウちゃんとネコがまずハルトに駆け寄った。
「はると、つよい!かっこいい!!」
「んにゃ、ににゃお」
クウちゃんはぴょんぴょん飛び跳ねてハルトに抱き付き、ネコは得意げに一声鳴いた。
そんな一人と一匹を微笑ましく見ながら、マグノリアもハルトのところへ。
「師匠、師匠、ボク勝ちましたよ!」
「おう、よくやったじゃねーか。上出来だ」
「えへへー」
誇らしげな師匠に頭を撫でてもらいご満悦なハルト。
そんな一行を、ダニールは半ば放心したように眺めていた。
そこに、クヴァルが近付く。
「……仰せのとおり、本気でやったぜ?」
「ええ、それは分かります。どうやら、彼らは私の想像以上のようですね」
対戦前のマグノリアの態度からして、それなりに自信はあるのだろうと踏んでいたクヴァルだったが、ここまでの結果は想定外である。
…が、それは彼らに利をもたらす誤算だ。
「お疲れ様でした、ハルト君。そして皆さん、あなた方の強さは分かりました。これから実務的な話をさせていただきますが、よろしいでしょうか?」
一行に向けて告げるクヴァル。それは、彼がハルトたちの要望を聞き届けることを意味していた。
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三日後。
一行は、短い休息を終え再び村を出るダニールたちと共に馬車に乗り込んでいた。
今回も商品のメインは例の豆。呼び名をデアモレ(アモレンの疑似品という意味らしい)といい、乾燥させた豆を粉末にして飲んだり(粉末にしないと消化に悪いらしい。レオニールは大丈夫なのだろうか)、精製して抽出した成分を注射したりするそうだ。なお、吸入はあまり効き目がなくておススメしないとのこと。
収穫した分を乾燥させて村はずれの倉庫に保管していたのを馬車に積み込む際、密封してあった袋の一つが何故か開いていてちょっとした騒ぎにもなったりした。この手のものは管理も厳しいのだ。
心当たりがありまくりのマグノリアはそれを自分の胸の中だけに仕舞っておこうと決心した。しばらくクヴァルは犯人捜しに悩まされるだろうが、黙殺させてもらう。申し訳ないけど。
道中はダニールが話していたとおり、なかなかに危険な場所が多かった。広大な帝国の辺境はほぼ人の手が入っておらず、また集落と集落の間隔も広い。遊撃士はいても国際的なギルドに加盟していないため、他国の遊撃士がほとんど手を出さないということもあり、魔獣の生息数も多い。
そんな環境であるため、遊撃士である一行はさぞ用心棒として役に立つだろう…と思われたのだが、実際にはほとんど出る幕がなかった。ダニール始め行商隊の面々が、用心棒なんて必要ないくらい好戦的かつ強いのだ。
商売より、戦いを生業とした方が儲かるんじゃないかと彼らの快進撃?を見守るマグノリアは思ったりした。
そんなこんなで中継地点を幾つか経て辿り着いた、帝都ヴァシリーサ。
入都申請を済ませ外壁から中に入った一行は、目の前に広がる光景にしばし絶句した。
広い通り。整備された街並み。まだ秋とはいえ北方のこの地域はかなり冷え込むはずなのに、何故だか仄かに暖かく感じる街の空気。あちこちに街路樹や花壇が街を彩り、道にはゴミ一つ落ちていない。
立ち並ぶ店も行き交う人々も洗練された装いで、また表情も柔らかい。閉鎖された独裁国家とは思えないほどに、明るく開放的な雰囲気だ。
「どうだ、ここまでの大都会はそうはねぇだろう?」
どことなく得意げなダニールに、頷かざるを得ない。サイーア公国最大の都市であるタレイラもなかなかに都会だったりするが、ここまで洗練されてはいない。
マグノリアがふと目線を上げると、遥か遠くに皇城が見えた。かなり距離があるはずなのにしっかりと姿を捉えられるあたり、相当に巨大な城なのだろう。
「ま、表の顔ってのは取り繕ってるもんだけどな」
意味深なことを言い、ダニールは馬車を裏通りへと走らせた。
彼の言葉の意味が分かるのに、そう時間はかからなかった。
彼らサヴロフ村の行商隊は、お世辞にも清廉潔白とは言えない。扱ってる品物が品物で、それが普通の野菜や果物、細工物と同じように表通りの明るい店で棚に並べられるはずがない。
全てのものには、それに相応しい場所がある。
良くも悪くもそれが真実で、そこから外れるのはナンセンスだ。
一行の乗る馬車が向かった裏通り。
裏とはいっても、狭苦しい感じはしない。広さだけなら、表に負けていない。
だが、明るさが違った。
同じ国の同じ都市であるに関わらず、どことなく薄暗い感じがする。それは光量の問題ではなく、そこに住まう者たちが醸成する独特の空気のせいだ。
建物も同じく。表のように明るくて上品なものではなく、やや雑多で「一見さんお断り」な雰囲気をバンバン醸し出している。
「……なんつーか、こりゃまた随分と雰囲気が変わるんだな」
やはり、一国の王位継承者であるセドリックはこうした居住区による差が気になるようだ。
「まぁな。ここいらは、お世辞にも治安がいいとは言えねぇ。けどよ、しゃちほこ張ってて何でも管理された表よか、こっちの方がよっぽど住みやすいんだがな」
言いながら、ダニールは一つの建物の前で馬車を停めた。大きめの門を馬車ごとくぐり、裏庭に抜けると広い空間に厩舎がある。
「で、ここが俺らの“店”な。こんなの作れるのも、ここが裏街だからだ」
御者台から降りたダニールに続いて、マグノリアたちも馬車を降りる。すると、馬車の到着に気付いたのか建物の中から数人の男女が出てきた。
「おう、ダニールお疲れさん。村の連中は元気だったか?」
「まぁな。気になるならお前も帰りゃよかったじゃねーか。……ああ、こいつらもサヴロフの出身だ。主に帝都での商売に従事してる」
ダニールは出迎えた男の一人に答えると、マグノリアたち一行にその男を紹介した。
帝都での商売…ということは、彼らはただ行商に来てその地の商人に品物を卸すだけでなく、自分たちで小売りもしている…ということか。
「なぁ、こいつらここで商売してるってこと…だよな?」
セドリックも同じことを考えたようだ。
「ああ、収穫の時期まではここで商いをして、それから村に戻って次の商品を積み込んでまたここに…って感じなんだろうよ」
問題は、彼らのルーティンではなく。
「………そういや、出発前にクヴァルが言ってなかったか、その……大規模な抗争やら損害やら何やら」
「…言ってた……ような気がする…………」
「ちょっと、二人ともどうしたのよ。もうダニールたち中に入っちゃったわよ」
二人して顔色を青くしたマグノリアとセドリックを、アデリーンがせっついた。勿論その目的は、さっさと寝床に入ってグータラすることである。
しかもハルトとクウちゃんとネコは、さっさとダニールにくっついて中に入ってしまった。警戒心がないのか何も考えていないのか……その両方かもしれない。
「なぁ、抗争って……なんだと思う?」
「顧客確保のための各種キャンペーン戦だったり、商売のシマを決めるための熱ーい議論だったり……するわけじゃ、ないよな」
「……やっぱそうだよな……」
クヴァルに言われたときから、それなりの予想と覚悟はしているつもりだった。
商売仇との、多少のいざこざはあるのだろうと。
例えば、同じような商品を扱う敵からの妨害行為とか、或いは彼らのデアモレを巡る痲薬組織間の抗争に巻き込まれる…とか。
それでも商品を卸せばその後の心配はないだろうと、帝都を調べるのに専念出来ると、そう踏んでいたのだが…。
だが、ここで腰を据えて商売をするということは、こう…ぶっちゃけて言ってしまえば、ダニールたちは行商人ではなく痲薬組織そのもの…である。
「俺ら、ちょっと認識甘かったか…?」
「ちょっとじゃない気もするけど………ガチもんの抗争か…これ、バレたらマジで国に帰れねーよな」
「テメーはまだいいだろうが。俺様なんて余計に帰れねぇよ」
帝都を拠点とする犯罪組織間の抗争にずっぷりと足を踏み入れてしまったことに気付いた二人は、怪訝に思ったハルトが迎えに出てくるまで二人で自分たちの選択の正誤について語り合っていた。




