第百四十九話 良い感情も根拠がなけりゃ気色悪いだけだ。
「うーーーー、なんだよこんな朝早くから…まだ昨夜の酒が残ってるんだ、仕事まで寝かせてくれよ…」
「二日酔いキメてる場合じゃないわよ。あと今日は休みにしてもらって」
うだつの上がらない週初めのお父さんみたいな台詞で顔を顰めて布団をかぶろうとしたマグノリアに、アデリーンは容赦ない。普段は逆の立場なのだが、いつもの仕返しとばかりに布団を思いっきりひっぺがす。
…いやいや、意趣返しなわけではない。大事な話があるのだ。重要な議題なのだ。だから仕事も休みにさせるのだ。
「…ったく……なんだってんだよ、もう」
ブツブツ言いながらも、マグノリアは素直に顔を洗って身支度を整えてリビングに現れた。既にセドリックとアデリーンは完全覚醒状態で座っている。
…もう一度言おう。
アデリーン=バセットが、仕事でもないのに(そもそも彼女は村に来てから一度も働いていない)マグノリアよりも早起きしてそこにいる。
それだけでマグノリアは、只事ならぬ何かが起こったのだと即座に悟った。
不満げな寝ぼけ顔は一瞬で真剣な顔つきに変わり、とりあえずそこに全員が揃っていることを確認して誰かの身に何かが起こったわけではないと一安心してから、席につく。
「で、何があった?」
どうでもいいことで、アデリーンが早起きをしているハズはない。開口一番、早速本題に入る。
「この村のヤバ気な秘密に、気付いちゃったのかもしれないのよ」
「上手くいけば、拠点を帝都近くに移せる。で、下手すると俺たちの身が危うくなる」
アデリーンとセドリックが続けて言った。なるほど隠遁の魔導士を早起きさせるだけのことはある。
マグノリアは無言で頷いて、続きを促した。
「昨日、セドリックが行商隊の荷馬車の中から見つけたものなんだけど」
アデリーンは、昨夜セドリックが持ち帰った赤紫色の豆をマグノリアにも見せた。鑑定スキルを持っていない彼女には只の穀物にしか見えないが…
「これ、見てみたら成分がアモイデの花と一緒なのよね」
「アモイデってそりゃ……確かあれだよな、アモレンの原料じゃ……」
「師匠、アモレンって何ですか?」
ハルトが知らないのも無理はない。この世間知らずの箱入り息子はきっと、そんなものに接する機会などなかっただろうから。
「あー、痲薬って分かるか?」
「………?」
やっぱり、知るはずもない。
「薬の一種なんだが、うーーーん、なんて説明したらいいか……」
「効能よりも副作用の方が大きい…っていうか効能が人の利にならない薬のことよ」
何も知らない相手に物事を説明するのは難しい。マグノリアが頭を捻っていると、アデリーンが助け舟を出してくれた。
「アモレンの特徴はね、摂取した人間に高揚や多幸感、万能感を与えるの。正確には、そう錯覚させるわけだけど」
「……たこうかん?」
「理由もなく興奮したり嬉しくなったり、自分は最強無敵で何でも出来るって思っちゃうのよ」
「…いけないことなんですか?」
それは確かに、ポジティブなことのように聞こえる。
が、高揚にも幸福にも万能感にも理由となる出来事が本来はあるはずであり、根拠なくそれらを活性化させれば必ずその反動は現れる。
…対価が必要となる、と言い換えてもいいかもしれない。
「ただそれだけならいいのよ。けどね、何もしてないのに薬の力で嬉しくなることに慣れてしまうと、薬がなくちゃそうなれなくなってしまうの。で、そうなりたいがために何度も薬に手を出すんだけど、それまでの量じゃ足りなくなってどんどん摂取量が増えていく。薬の効果が切れたあとは、とんでもなく身体も頭も重くなって絶望に襲われたりする。それから逃れるためにまた薬を欲しがるんだけど、手に入らないと錯乱して暴れたり他人を傷つけたり正気を失ったりするの」
「それは……よくないですね」
具体的に言われて、ようやくハルトも理解したようだ。
「痲薬には色々あるんだけど、特にアモレンは毒性が強い部類ね。過剰摂取で死亡する人も多いし、あと使用の真っ最中に意味不明なことを叫んで自殺する例が見られるって、以前に日刊の記事で呼んだこともあるわ」
「それは……怖いですね」
「ただ、アモレン…原料のアモイデは確か栽培がすっごく難しくて、なかなか手に入らないんだけど…」
そこでアデリーンは、手の中の種子に目を落とす。
マグノリアも、彼女が何を言わんとしているのか察した。
「こいつは、その代替品ってことか」
「少なくとも、ただの食料として扱えるものじゃないわね」
………………………。
沈黙。
ネコがアデリーンの掌の上に鼻を近付けて、顔を顰めてそっぽを向いた。
「え……これ、ヤバ気な案件…?」
「だから言ったでしょ」
マグノリアが恐る恐るそれを指差して確認するのに、アデリーンは何を今さら、と頷いた。
さらにセドリックも付け足す。
「村の連中が何か隠してやがったのはこのことだろうな。このサヴロフでは、痲薬の代替品を作って都市部に卸してやがる…もしかしたら小売りもかもしれんが」
「なぁ、これ……暴いて大丈夫系か?」
「んなわけないでしょうね。代替品っつったって、ここまで効き目が強いやつだったら規制されてるだろうし」
……………………。
再び沈黙。
クウちゃんが退屈そうに欠伸をしてハルトの膝枕で寝転んだ。
「いや、それ……暴いてどうすんだよ」
「これをネタに帝都に連れて行かせるってのはどうだ?」
事も無げに言ったセドリックに、マグノリアは仰天する。これをネタに…って脅しか。脅すつもりか。痲薬(の代替品)を製造販売している連中に、「お前らの秘密は知っている。当局に売られたくなければ言うことを聞け」…と。
「いやいやいやいや、いくらなんでも無謀すぎるだろ!絶対口封じとか、そういう流れになるに決まってる!!」
無謀というか短絡的というか…いややっぱり無謀だ。道中で「知られたからにはやはり…」とかなるのが目に見えている。
しかしセドリックは、短絡的にそう考えたわけではないようだった。
「まぁよく考えてみろって。村がこのことを何が何でも俺たちに知られたくなかったんなら、そもそも外部から人を招くような真似をすると思うか?」
「え………え?」
言われてマグノリアも改めて考えてみる。
彼女らは、手配師による手引きで帝国を訪れた。手配師の仕事は、何かを必要としている者同士のマッチングとお膳立てだ。
彼女らが帝国での足掛かりを求めていたのと同じように、サヴロフ村も外部の人間を何らかの理由で求めていた…?
「いや、それは愚痴聞きと教育…」
「そんなことと、ヤバ気な犯罪行為とを天秤に掛けるって?」
教育や不満の解消の重要性を説いたクヴァルは、嘘をついているようには見えなかった。
しかし、確かにセドリックの言うとおり。いくら大切なこととは言え、村ぐるみ…規模的に村ぐるみでほぼ間違いないだろう…の違法薬物製造を知られる危険に比べれば些末事だ。
…となると。
「村の連中…少なくともクヴァルは、最後まで隠し通すつもりはないんじゃねーか?じゃなきゃ栽培施設の見学なんてさせねーだろ」
「あれは普通の野菜…」
「その横に並んでた建物もみんな同じ作物だと思うか?それに、ひとまず一か月っていう期間も長すぎる。愚痴聞きだの外の世界のことを教えるだの、それはおまけなんだろうよ」
言われてみれば。
マグノリアが聞かされた愚痴はみな、こう言ってしまうのは何だが取るに足らない些細なものだった。本当に個人的な不平不満。わざわざ外部から半分非合法の手配師に頼ってまで人手を集める必要があるのだろうか、と思うほどに。
「教育はともかく、愚痴聞きなんてこの国の人間でもいいはずだろ。それなのに敢えて外の人間を欲した。外国との接点がほとんどないこの帝国内で、外国の不法入国者を。そういう連中なら、当局に駆けこまれる心配もなけりゃ消息を断ってもバレやしないもんな」
「てことは、ここの奴らは……アタシらを、引き入れようとしてる……?」
辿り着いた推論。確かめてみなければそれが真実かどうかは分からない。
だが少なくとも、この村で痲薬が作られていることは確かなわけで。
「今までの仕事は、アタシらの様子見……だったわけか?」
「ついでに使ってやろうって魂胆もあったかもしれないけどね」
全く使われてやらなかったアデリーンはシレっと言う。まるで自分は最初からそれが分かっていたから働かなかったのだ、と言わんばかりの表情だが、勿論そんなわけはない。
「あのーー……」
一人、完全に置いてけぼり状態でほけーとしていたハルトが、ようやく口を開いた。
「それで、結局何がどうなっててボクたちは何をどうするんですか?」
それまでずっと話を聞いていても、全く理解していないようだった。




