第百四十七話 酒飲みと非酒飲みの間には深い断絶があると思う。
田舎は概して夜が早いものである。
それは、自給自足の生活では朝が早いゆえでもあり、都市部と違って夜に時間を潰すような娯楽がないからであったりする。
それはこのサヴロフ村でも同様なのだが、今夜だけは違った。
とっぷりと夜も更けた広場には篝火が焚かれ、その一角だけを闇から切り取っている。篝火の周りには、大勢の村人たちが車座になり語らっている。
豊かとは言えない村としては豪勢な肴と酒が並ぶ。
久々に出稼ぎから帰って来た村人たちを歓迎する宴だ。
「なんだか、アタシらまで邪魔しちまっていいのかな」
「水臭いこと言うなって!こういうのは人数が多い方がいいんだよ!!」
遠慮がちに言ったマグノリアに、ダニールは豪快に笑って答えた。
宴会には、マグノリアとハルト、クウちゃん、セドリックとネコも参加している。せっかくだから、と声を掛けてもらったのだ。
誘われたのは全員だったのだが、アデリーンは安定のグータラっぷりで断った。知らない人間に囲まれて好きでもない酒を飲むよりも一人で寝ている方を選ぶのは、積極的引き籠もりとして正しい。
ダニールたちは、一年近くも村を出ていたそうだ。それはいつものことで、時折村に帰ってきては少しの休息の後、再び商売へと行くのだと。
なかなか帰ってこられないとはいえ、貴重な現金収入を村にもたらしてくれる彼ら出稼ぎ組は村人たちに頼りにされているようで、リーダー格のクヴァルでさえもダニールたちには頭が上がらないようだ。
「おらクヴァル。おめぇ、全然飲んでねぇじゃねーか。ほれほれ、たまにゃ羽目外してみろって」
「ちょ…待ってくださいダニール、ですから私はあまりお酒に強くないと…あああ……」
既にだいぶ顔を赤くしているクヴァルの盃をなみなみと満たすダニール。クヴァルも断れないのか諦めたように、ちびちびとそれに口をつける。
マグノリアは自分に矛先が向かないように、適度なペースで飲み続けた。彼女はどちらかと言えば酒に強い方だが、ザルというわけではない。
セドリックは最初から、酒は飲めないと宣言して果実水だけをもらっていた。王族なら酒席に参加することだってあるだろうに、そういうときはどう誤魔化しているのだろうか。
もちろん、幼女であるクウちゃんに酒を勧めるほど非常識な大人はいない。
…で、ハルトだが。
「おぉ、ボウズいける口だな!!もう一杯どうだ?」
「あ、はい。ありがとうございます」
もう何杯目か分からない盃を、いっきにあおる。ダニールは、その飲みっぷりがいたくお気に召したようだ。
「いい飲みっぷりじゃねーかボウズ」
「これ、飲みやすくて美味しいですね」
因みに、振舞われているのは穀物から作られた蒸留酒だ。口当たりも度数も、決して「飲みやすい」部類ではない。
「おいハルト、お前そのへんにしておいた方が……大丈夫なのかよ」
「え、何がですか?」
ダニールを遥かに超えるペースで飲み続けているハルトが流石に心配になるマグノリアだが、当のハルトはまるで平然としている。
顔も赤くなっていないし、呂律もしっかりしている。挙動におかしいところもない。
「お前…ザルっつーかウワバミだな………」
お酒なんて全然飲めませんみたいな顔して、とんだ酒豪である。
「気に入ったぞボウズ!お前、名前は?」
「ボク、ハルトっていいます」
「ハルト!どうだ、この村に定住する気はねぇか?」
「えー…それはちょっと……」
酒飲みあるある…酒が好きな人間は、酒が強い人間が好きである。
その例に漏れず、ダニールはハルトの飲みっぷりだけでなくハルト自身のこともお気に召したもよう。
「あ、でもそれだったら、ボクも皆さんのお仕事について行商に行ってみたいです」
「……俺たちの商売に?」
マグノリアは、思わず盃を取り落としそうになった。
まさかハルト、それが狙いだったのか…いやいやハルトのことだからそんなことまで計算してるわけはない……いやいやいやしかし、帝国に行きたいと言い出したのはハルト自身なわけで、目的のために彼なりに色々と考えていたりするのかも。
いつまでもサヴロフ村にいても意味がない。情報を得るにしろ魔王復活を目論む何者かに接触するにせよ、まずは帝都かそれに近い都市部に行かないことには始まらない。
その手立てに心当たりがなくて困っていた一行だが。
一年近くをかけて帝国の各地を回るダニールたちに同行することが出来れば、それも不可能ではない。
…しかし。
「……んー、行商は、なぁ……」
ダニールの温度が急激に下がった。困惑しているような、何かを警戒しているような。
「ダメですか?帝国のいろんなところを見てみたいんです」
食い下がるハルト。やはりダニールたちを利用するつもりだ。しかし純心で裏表のなさそうな彼の見目は、相手にそういった疑いを抱く余地を与えない。
「けどな、随分と長い間帰ってこれないし、途中にゃ危険な場所も多いし、道中はけっこうハードだぞ?ボウズや嬢ちゃんみたいな子供にゃちょっと無理だろうよ」
「大丈夫です、ボク体力には自信あります!」
「クウちゃんも!クウちゃんもはるとといっしょならいつでもげんき!!」
お子様二人は自信満々に言い切る。そしてそれは事実なのだ。精霊であるクウちゃんは肉体的疲労とは無縁であるし、ハルトの体力はおそらくだがマグノリアを遥かに凌駕する。
体力面で心配なのはセドリックとアデリーンだが、あくまでマグノリア目線で見たときに心配なだけであって、行商人に耐えられるレベルならばついていけないなんてことはないだろう。
マグノリアは、自分も乗っかることにした。
「そうだな、もしそうさせてもらえるならありがたいんだが。ああ、アタシらは遊撃士だから、魔獣とかは心配要らない。寧ろ用心棒が出来るぜ?」
それを聞いても、ダニールは頷かなかった。
「あー、俺の一存じゃ決められないな。ま、今度クヴァルにでも頼んでみたらどうだ?」
「ああ、そうするよ」
ここではあまり食い下がらないようにする。
彼女らの…ハルトの目的は帝国の人たちにどのように受け止められるか分かったものではないのだ。あまりムキになって、そこまでして外に行きたい理由は何なのかと問い詰められてしまうと困る。
それに、どうもダニールの態度が気になる。そして何より、すぐ傍にいて自分の名前が出たはずなのに全く反応を見せないクヴァルの様子が。
「えぇー…いいじゃないですか。お仕事の邪魔はしませんよ」
「こらハルト。あまり我儘を言うな。彼らには彼らの都合ってのがあるんだよ」
しかしそんなことまでは頭が回らないハルトはまだ引き下がらない。
「何でですか師匠?行商って、いろんなところ行くんですよね?だったら…」
「あー、もう随分と遅くなっちまったな」
突然、それまで黙って果実水を飲んでいたセドリックがハルトを遮った。実に自然な様子でネコ(隣でこっちも果実水をぺちぺちやっていた)を抱き上げると、
「おらハルト、クウちゃん、ガキがいつまでも夜更かししてるんじゃねーぞ。明日も仕事で早いんだろうが」
立ち上がり、ハルトの襟首を引っ張って立たせる。
「え、セドリックさん」
「お前がそれじゃ、クウちゃんも真似して夜更かしするだろ。兄貴だったらお手本にならなきゃな。…それじゃ悪いが、俺様はガキ共と一緒にお暇させてもらうぜ」
セドリックはダニールとクヴァルに告げると、目が合ったマグノリアに軽く頷いた。
「悪いな、セドリック。ガキ共の世話押し付けたみたいで」
「いいってことよ。どのみち酒が飲めないのに居座るのも決まりが悪いしな。アンタはゆっくりしてけよ。たまにはこいつらに愚痴でも聞いてもらったらどうだ?」
「ああ…それはいいな。そうさせてもらおうか」
セドリックは、ハルトを引き摺ってクウちゃんとネコを伴って借家へ戻っていった。
「…ガキって、あいつも十分ガキじゃねーか?」
ハルトよりは年上であるが彼をガキ呼ばわりするほどには大人ではないセドリックの台詞に怪訝そうなダニールだが、
「ま、ガキはガキだけどな。それ以上にハルトたちがお子ちゃまなんだよ…特に精神年齢が」
そこのあたりは事実だったりするので、誤魔化す必要を感じないマグノリアであった。
酒飲み・非酒飲み間で一番思うのが、「お酌問題」。飲まない人間からすると、一人で飲みたいように飲みたいタイミングで手酌すりゃいいじゃん、て思っちゃいます。
会社の宴会系でお偉い人の周りにお酌したい人間が列をなす光景、ちょっと異常。




