第百四十話 教育ほどローリスクハイリターンな投資はない。
「ここがサヴロフ村だよ!」
キリルの裏道のおかげで、当初予定よりも随分と早く目的地に到着することが出来た一行。
なお、裏道というのが獣道と岩場と沢の混在された実にアクロバティックなものであったため、不慣れな一行だけでは遭難まっしぐらだったことだろう。
村は、森を抜けた高台にあった。
広さはなかなかのもので、大陸最大の領土を誇る帝国の村らしく各戸の敷地面積も隣家との間隔も、リエルタあたりに比べるとかなり余裕がある。ただし、家そのものはこじんまりとしていて、平屋建てだ。屋根には雪を落とすために傾斜が付けられている。
敷地に対して家がやけに小さいのは、暖房代を節約するためと雪の重みで潰れないようにするため、また冬の短い日照時間に隣家に陽光が遮られないようにするためか。
「なんか、可愛らしい感じの村ですね」
…とは、ハルトの感想。
だだっ広い中にポツンポツンと小さな家が点在している光景を愛らしいと見るか寂しいと見るかは個人の判断として。
「それで、キリル。ここにクヴァル=カダヴィって人物がいると思うんだけど、知ってるか?」
「……え、クヴァル兄?」
マグノリアが尋ねた途端、意気揚々と村を案内していたキリルの温度が見る間に下がった。気まずげな表情。
「兄ってことは……もしかして、弟…とか?」
「いんや、血を分けた家族ってわけじゃないんだけど……まぁ兄弟みたいなもんってーか…」
手配師に渡された手筈書には、サヴロフ村のクヴァル=カダヴィに接触すること、あとはその指示を仰げ…とある。そこまでし書かれていない=手配師の仕事はそこで終わり、なのでその人物がこれからの一行の命運を左右するわけである。
「丁度良かった。それじゃ紹介してくんないかな」
手配師からクヴァル=カダヴィには連絡がついているはずだが、友好的な人物とは限らない。しかし身内の紹介があれば、少しは待遇も良くなろうというもの。
…最初にキリルのことを思いっきり怯えさせてしまったことはまぁ、口外しなければ分からない。
しかしキリルは、
「えー…あ、うん……紹介、紹介……ね。……えっとさ、クヴァル兄の家まで連れてくだけじゃ、ダメ…かな?」
なんだか快諾はせずモダモダしている。
「え?いや…ダメってわけじゃないけど…何か事情があるならそれでも」
本当は紹介してもらいたかったマグノリアだが、どうもキリルはクヴァル=カダヴィに会いたくなさそうだ。無理に紹介を強いるのも悪いので、ここは案内だけで良しとしよう。
マグノリアの妥協に心底ほっとしたようなキリルだったが、その直後彼の表情は固まった。
「キリル!!今まで何処に行っていたのですか!!」
…突然飛んできた、冷たくも激しい叱責によって。
「く、クヴァル兄、違うんだよ、これはその、あのオイラ、そんな遠くに行くつもりじゃなくって」
「遠くだろうと近くだろうと、村を出るときには必ず行き先を告げろと言ってあるでしょう!」
青年が、足早にキリルに向かって歩いてきた。速度的には小走りでもおかしくないくらいだが、どことなく品のある所作のせいか優雅にさえ見える。
「だ…だって……」
「おや、言い訳ですか?」
「うぅ………ごめんなさいぃ」
半泣きになったキリルを見下ろす視線は、どちらかと言うと兄(のようなもの)というよりはスパルタ教師か何かのよう。冷たい容貌も合わさって厳しさが強調されている。
身に纏う、年齢に見合わない威厳から、彼がこの村の指導者的な役回りを担っていることは想像に難くなかった。
蒼を帯びた白銀の長髪に、アイスブルーの瞳。ピンと立った両耳は髪と同じ色。着衣から覗く尻尾はキリルのものよりも長くてフサフサ感が半端ない。
「はるとー、しっぽ!ふわふわ!しっぽ!!」
…クウちゃんがはしゃぐ気持ちも分からなくない。が、獣人に対し面と向かって耳や尻尾に言及するのはよほど親しくなってからの方がいい、というマナーをクウちゃんに教えておかなかったのは失敗だった。
クウちゃんの不躾な言葉に眉をひそめ、青年…クヴァルはマグノリアたちをチラ、と見た。余所者であることは一目瞭然。そしてキリルと共にいることから、彼が村に連れてきたことも同様。
「…キリル、この方々は?」
「ああ、すまない。アタシらはあんたを訪ねてきたんだ。キリルにはたまたま来る途中で会って、案内をお願いしただけで」
クヴァルの目が、よう分からん奴を村に引き入れやがって的にキリルを睨み付けたので、マグノリアは慌てて告げた。ついでに手配師から渡されていた書状も取り出す。
その何の変哲もない封筒を見た瞬間、クヴァルの目の色がほんの僅かだけ変わった。
村人を叱りつける厳しい目から、相手を見定める厳しい目へと。
マグノリアから封筒を受け取ると、封を開け中を取り出し入っていた紙に目を走らせる。その所作もいちいち洗練されていて、こう言っては悪いがサヴロフ村のような田舎にいるタイプには思えない。
ひととおり書状を読み終えると、クヴァルは再びマグノリアたちに目線を戻した。先程よりも用心深く、何も見逃すまいと言わんばかりに一行を隈なく観察すると、視線はそのまま、
「あなたには後で話を聞かせてもらいます。村長が待っていますので、集会場に向かいなさい」
「うぅ……はぁい…」
キリルに告げ、トボトボと何処かへ向かう少年が遠ざかってから、口を開いた。
「では、こちらへ」
余計な世間話などを好むタイプではないのだろう。そう言うなり背を向けて歩き出した。
その背中についていく一行だが、マグノリアは通り過ぎる家々から自分たちへ向く視線に気が付いた。
歓迎…のようには思えない。好奇…というほど積極的でもない。探るような、疑うような、怯えるような、警戒のこもった視線。
…見慣れない余所者に警戒しているだけだ、と思いたい。
「なぁ…ここは、獣人の集落なのか?」
居心地の悪い視線と居心地の悪い沈黙に最初に耐えられなくなったのは、セドリックだった。マグノリアは今後のビジネス?の方で頭が一杯だったし、ハルトは居心地の悪い空気になんて気付いていないしクウちゃんはハルトが気にしないなら自分も気にしないしアデリーンはもともと引き籠もりだけあって他人からの目なんてどうでもいいし、ネコにいたってはこの空気を面白がっているようなフシもある。
問われた瞬間クヴァルの歩みが一瞬だけ止まり、詮索に気分を害してしまったかとセドリックが危惧したのだが、
「あ、悪い。別にちょっと気になっただけで別に他意は…」
「獣人の集落、というわけではありません」
案外すんなりと、答えてくれた。
「ここは……帝国の掃き溜め。居場所を追われた者、居場所を見付けられなかった者が最後に行き着く場所の一つです」
すんなりと答えてくれた割に、穏やかではない表現ではあるが。
「…そっか。どこも色々と大変なんだな」
セドリックは、態度と口調こそ尊大だが空気の読める男である。クヴァルのその表現に、それ以上踏み込むことは避けた方がいいと判断し、当り障りのない感想を述べるに留めておいた。
会話は続かず、一行は無言で村の中を進み、村はずれの何やら平べったく大きな建物が幾つも立ち並ぶ一角も通り過ぎ、崖の手前までやってきた。
ここから先は、深く切り込んだ渓谷とその向こうに聳える峻険な山脈。なお、この山はリエルタや天候によってはタレイラからさえも見通すことが出来る。
崖の近くには、小さな掘っ立て小屋があった。クヴァルは、その中に一行を案内する。
建物の普請は安っぽいものではあるが、内部は小綺麗に整えられていた。最低限の生活が出来そうな設備と家具。物は少ないが、その少ない物は全て測られたようにきっちりと定位置に収められていて、この部屋を整えた人物の几帳面さが滲み出ている。
全員が中へ入ると、クヴァルはドアを閉めてから切り出した。
「さて、レンブラント氏からの書状には、あなた方が我々に対し利になるようであれば居場所の提供或いは便宜を図ってもらえないか、と書かれていますが…」
なお、レンブラントというのは手配師の名前である。おそらく本名ではない。
「彼には色々とお世話になっておりますので、出来る限りの協力はしたいと思います。が、我々も慈善活動を行うほどに余裕はありませんので、客人として迎えるわけにはいきません」
「なるほど、居場所の提供の対価としてアタシらに何が出来るのか…ってわけだな?」
「話が早くて助かります」
手配師の仕事はあくまで、マグノリアたちが帝国で活動するための足場の取っ掛かり部分を用意すること。この場合は、何らかの事情で外部の人手を必要としていたクヴァル…か或いはサヴロフ村か…と、一行を引き合わせること。
そこから先は、クヴァルとマグノリアたち(正しくはハルトのはずだが)の交渉次第だ。
互いに納得出来る条件が提示出来れば良し、出来なければこの話はここまで。
「それで、我々はあなた方に何を期待することが出来るのでしょうか?」
「まず先に言っておくが、アタシらは遊撃士だ。だから一般的な遊撃士の仕事なら問題ない」
…と言いつつ、他国と接点がなく遊撃士ギルドの手も入っていない辺境で、その仕事が知られているのかちょっと不安だったりするのだが、
「…魔獣討伐や素材採集に関しては、自前で対応いたします」
どうやら遊撃士とは何ぞや、くらいは理解していてくれているようだ。
とは言え、それらで必要としてもらえないのであれば、彼女らがそこまで役に立てることはあまりない。
「それじゃ逆に聞くけど、あんたはアタシらに何を求める?この話を受けたってことは、そうする必要があったってことだろ?」
マグノリアたちは確かに遊撃士だが、だからと言って荒事以外の全てが出来ないというわけではない。ここは、何が出来るかではなく出来ないことを詰めていった方が話が早い。
「当然のことながら、単純作業は出来るし力仕事も大抵はこなすし家事…は、まぁやってやれないこともない。けど、そんなことならわざわざ外部の手を借りることはないよな?」
「………そう、ですね。お願いしたいことは色々あるのですが…」
クヴァルは一旦言葉を切ると、一行を見回す。
それから少し考え込んで。
「ひとまずは、村人たちの教育をお願い出来ますか?」
「へ、あ、教育?って教師の真似事をしろって??」
予想外の返答にマグノリアは素っ頓狂な声を上げてしまった。
育ちの良いセドリックや魔導士のアデリーンは知らないが、少なくとも自分は学業において決して優秀な人間ではない。ハルトに教えているようなごくごく基本の一般常識ならなんとかなるが、いくらなんでも村人たちは弟子よりも常識的だろう。
「寺子屋をしろ、というわけではありません。ただ、我が国が他国と一切関わらなくなってもう五十年ほどになります。国内は独自の発展を遂げていますが、私を含め外の世界を直接知る者はいません。書物や絵巻を入手しようにもルートがほとんど断たれているため、間接的にも外国を知る国民は限られているでしょう」
「あー…なるほど、外の世界のことを教えろってわけか」
クヴァルは、教育の重要性を理解している。
一般的な学問にしろ一般的な社会のことにしろ、それらは直接に飢えを満たすパンではない。直接に身を守る盾でもない。
しかし学ぶという行為、知を得るという行為は人を前進させる。パンそのものでなくとも、それを作り出せるようになる。盾そのものでなくとも、身を守る術を知ることが出来る。
かように教育とは社会を形成するにあたって…否、生きていくにあたって重要かつ必要不可欠なものであるのだが。
無論、先に挙げた飢えを凌ぐ方法や身を守る術は、ここで長く生きてきている村人たちも持っている。
彼らに欠けているのは、広い視野。客観的な視点。自分たちの国がどういう国で、世界の中でどういう位置付けにあるのか。自分たちの国と外の国とで、何が違うのか。
比較対象を知らなければ、自分たちの正しい姿も見えてこない。
それほど豊かではないであろう辺境の村で、わざわざ食・住を提供してまで外部の人間を招くだけの価値が、教育にはあるのだとクヴァルは考えたのだ。
まるで為政者のような考え方をする奴だな、とマグノリアは思った。田舎の村のリーダー程度に納まっているのは惜しい人材のような気がする。
「それじゃアタシらは、村人たちに外の国のことを話せばいいんだな?」
それならマグノリアでも楽勝である。話す内容に偏りは出てしまうだろうが、それはどんな分野の専門家でも同じこと。寧ろ、遊撃士として色々な国・地域に行き色々な経験をしている自分には、適役かもしれない。引き籠もりで外界を知らないアデリーンは別として。
「ああ、いいえ、その役目はそちらの二人にお願いしたいのですが」
しかしクヴァルが指名したのは、セドリックとハルトの二人だった。
意図は分からない。確かに二人ともお育ちの良さを前面に押し出しまくってはいるが……
セドリックはまだしも、ハルトに教師役なんて無理。絶対ムリ。不可能。見た目はなんか賢そうに見えるが、中身はアレだから。
「えっと、クヴァルさん。そっちの黒髪のガキはやめといた方がいい。人に物を教えられるような奴じゃない」
「ちょっとその言い方酷いです師匠!」
ハルトが憤慨しているのはマグノリアの言い方であって言っている内容ではない。さては自覚があるのか。
「まぁこいつ…ハルトにはどっか掃除とか片付けとか雑用をさせといてくれ。教師役ならアタシが引き受けるからさ」
「あなたと魔導士殿、そしてそこの少女の三人には、別のことをお願いしたいのです」
「……アタシと、アデルと……クウちゃん?」
マグノリアの頭に疑問が浮かぶ。
教師役に指名するのがセドリックとハルト、別のこととやらを頼みたいのがマグノリアとアデリーンとクウちゃん。
どう考えても、性別で分けているとしか思えない。
「ええ。………実は少々、お話ししにくいことなのですが…」
クヴァルの歯切れの悪さと決まりの悪い表情が、マグノリアの疑念を後押しするかのようだった。




