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第百三十八話 怪しいオブジェクトはとりあえず調べてみたい。




 鬱蒼とした針葉樹林。

 木々に遮られて陽光はまばらにしか地表に届かず、足元は苔と岩と木の根で非常に不安定。

 遠くで、獣か魔獣か甲高い鳴き声が響いた。



 「ねぇちょっと、少し休憩しましょうよ」


 一番最初に音を上げたのは、アデリーンだった。

 純粋な魔導士であり体力的に劣る彼女が、他の脳筋連中に後れを取るのは無理もないところではある。



 ハルトたち一行…ハルト、マグノリア、アデリーン、クウちゃん、セドリック公子の五人…おっと忘れるところだったあとネコの一匹…は、手配師に教えられたとおりのルートで、帝国へ向かっている真っ最中だ。


 ここは、リエルタからさらに北に広がる樹海。南の山岳地帯とは違い起伏はそれほどではないが、薄暗い樹林と立ちこめる霧が侵入者を阻むかの如く一行の前にわだかまっていた。


 この辺りは、国境線も定かではない。どのくらい歩き続ければ森を抜けるのかも、目安程度にしか分かっていない。

 先の見えない努力は非常にキツイものである。



 「悪いがもう少し頑張れないか、アデル?出来れば日が暮れる前に森を抜けておきたい」


 マグノリアも鬼ではないが、一応手配師にもらった地図には半日程度で踏破出来るようなことが書かれている。

 しかも休息しようにも、この森にはおそらくそれなりの魔獣が生息している。休憩中に襲われるのも嫌だが、何より夜になってから夜行性魔獣がうろつき回る森で野営するのは絶対に避けたい。


 「マギーの言うとおりだ。少しは根性見せろや」


 そう言うセドリックも表情に精彩を欠いているが、それでも強がるくらいの余裕はあるようだ。

 そして体力馬鹿のマグノリアやハルトに言われたのでは駄々を捏ねてしまうアデリーンも、ボンボン育ちのもやしっ子公子にそう言われると、意地を張りたくなるものである。


 「わ…分かったわよ頑張ればいいんでしょ頑張れば。……言っとくけどハルト、帝国に入ったら覚悟しときなさいよ」

 「え、なんでボク?てか覚悟って何のですか!?」


 いきなり矛先を向けられたハルトは怯える。クウちゃんが庇うように立ち塞がるが、彼女もまたアデリーンの標的であるため盾役は期待出来そうにない。


 「やだわ今さら何言ってんのよ、大丈夫痛いのは最初のうちだけだからほんのちょっとだけだからウフフフ…」

 「師匠、師匠、アデルさんが怖いです!!」


 どうやらハルト、自身の為すべきことに関してはなかなかに自立心を見せてくれたものの、別の部分で甘えることを覚えたようだ。

 今までの経験上、アデリーンはマグノリアには強く出られない、ということを学んだ彼は、クウちゃんの手を引っ張って師の陰に隠れようとする。


 ……が。



 「ちょっとお前ら、黙ってろ」


 マグノリアは素気無く、ハルトの頭を押しやった。


 「師匠?」

 「ちょっと、どうしたのよ?」


 急に低くなったマグノリアの声にハルトとアデリーンは何があったのかと身構える。もう帝国に入っていてもおかしくない。どこにどんな危険が潜んでいるか分からないのだ。

 

 セドリックだけは、マグノリアの視線が静かに木立と霧の向こうに固定されていることに気付いた。彼女の警戒は、緊急というほどのものではない。


 「……何かあるな。建物…か?」

 「ああ、そうみたいだ」


 互いに顔を見合わせて頷くと、マグノリアとセドリックはそれぞれの得物を抜いた。

 今のところ人影は見えないが、もし誰かいたとしたら帝国民である可能性が高い。そして、それが友好的であるという保証はない。


 

 「ねぇ、あんたら二人だけで話進めないでよ」


 置いてけぼりのアデリーンがぼやくが、それでも斥候は前衛二人に任せきりにする気満々なのか、前に出ようとはしなかった。

 マグノリアとしてもそれは最初から期待していないので、構わず慎重に歩を進める。


 ハルトはマグノリアのすぐ後ろについた方がいいのか距離を取ったらいいのか決めかねて一人でワタワタしている。それに気付いたセドリックが、呆れつつも手招きしてくれた。


 「テメーはあれだな、思い切りがいいんだか悪いんだか分かんねー奴だな」

 「ご…ゴメンナサイ」


 セドリックの隣に並んで、ハルトも同じ方向に目を凝らす。


 すぐに気付かなかったのも、仕方ない。

 木々や藪に囲まれているというだけでなく、その建物の壁は緑と茶色の斑模様に彩られていた。そこにあると言われなければ気付かないくらい、風景に溶け込んでいる。



 「……変な色の壁ですね」

 「いや、どう見ても迷彩だろ」


 ピントのずれた感想を漏らしたハルトに、マグノリアは安定のツッコミ。ツッコんでおいてなんだが、この程度のボケはもう慣れっこになってしまった。


 出来るだけ足音を忍ばせ、木々に隠れながら建物に接近する一行。近付くにつれ、その建物の異様さが際立ってくる。



 「民家…には見えねーな」

 「ああ、見たところ、窓も煙突もなさそうだ」


 民家にしろ何某かの施設にしろ、窓一つないというのは不自然だ。

 こんな森の中にある建物など、普通なら炭焼き小屋か狩猟小屋くらいなものであるが、巨大な斑の石積みはとてもではないがそうは見えない。


 「どうする?中を調べるか、このまま無視して先に進むか」


 マグノリアはこの中で一番まともな判断力を持っていそうなセドリックに意見を仰いだ。

 不気味な建物だが、彼女らの…ハルトの目的に関連しているとは限らない。ただの廃墟かもしれないし、変り者の住まいかもしれない。下手につついてトラブルを招くのも避けたいところだ。


 「とりあえず、中に人がいるか確かめてみるか」

 「…どうするんだよ?」

 

 セドリックは気楽にそう言うが、窓がないから外から様子を窺うことは出来ない。となると中に入るしかないが、こんな怪しげな建物、呼び鈴を押して快く迎え入れてもらえるとは思えないし勝手に入れば不法侵入。


 しかしセドリックはニヤリ、と笑うと建物へと近付いた。


 「まぁ見てろって」


 そう言うと、目を閉じてしゅを紡ぐ。


 「…へぇ、探索系の補助魔導なんて使えるのね、この公子サマは」


 セドリックが何と唱えているのかマグノリアには分からなかったが、微かに聞こえてくるイントネーションと動く魔力の質で、アデリーンはそれを瞬時に理解した。


 彼が使おうとしているのは、風系統探索術式。完全な補助系であり、その地味さゆえに魔導士内でもあまり人気がない。派手を好みそうなセドリックが扱えることが、意外だった。


 

 一瞬、空気が動く感覚がした。

 風が吹いたのではない。ただ、空気が揺らめいたのだ。


 やがて術式を終えたセドリックが振り返った。


 「中に生体反応はないな」

 「……よし、行くか」


 危険がないのなら、調べてみるくらいはしておいた方がいいだろう。こんな場所あるこんな奇妙な建物、見逃すにはあまりに不気味過ぎる。


 マグノリアは金属で出来た扉らしきものを引いてみる。動かない。押してみる。動かない。

 鍵がかかっているようなので、ここはマグノリア流ピッキング術の出番といきたいところなのだが…


 鍵穴が、どこにも見当たらない。


 「開かないの?」

 「ああ……どうしたもんかな」


 マグノリアは悩む。開かない扉で鍵穴も見当たらないとなると、ここは開けてはいけないという神の思し召しだったりするかもしれない。

 だが同時に建物の不気味さも相まって、何者かが内部を秘匿しようとしている…ようにも思える。



 継ぎ目の一つも、窓の一つもない外壁。開かないのに鍵穴さえもない扉。まるで木々に隠されるようにひっそりと佇む建物。


 放置したくはないが、中に入る手段がないのではどうしようも…



 「ハルト、あんたこの扉壊せる?」

 「ちょ、アデル、お前何言って…!」


 気軽にハルトにそう尋ねたアデリーンに、マグノリアは慌てた。いくら中に生体反応がないと言っても、ただ中を調べたいというだけの理由で扉を破壊するだなんて非常識すぎる。

 もしかしたら、少し変り者の誰かさんの家、かもしれないではないか。


 アデリーンはそこのところ、躊躇を知らない性格であるし、ハルトもまた


 「…多分、出来ると思います」


 深く考えずに頷いてくれちゃったりする。


 「いや馬鹿、出来ると思います、じゃないだろ!少しは常識ってもんを」

 「いいじゃないのマギー、今さらでしょ。どうせ私たち不法入国者なんだし。ほらハルト、ズバン!とやっちゃって」

 「分かりました」


 分かりました、じゃない絶対分かってない。アデリーンは分かってるかもしれないが面倒なことを気にすること自体が面倒なだけだ。

 ハルトはハルトで、妙な方向に吹っ切ってしまったようだ。


 「おい、ハルトちょっと待…」

 「それじゃ、行きます!」


 止めようとしたマグノリアをアデリーンが邪魔しているうちに、ハルトはさっさと扉の前へいきチャッと剣を抜き。


 …太刀筋は、マグノリアにも見えなかった。


 一歩を踏み出したハルトの右腕と剣が、霞のように輪郭を失ったかのように見えた、瞬間。

 鋼鉄の扉に、下から斜め上方へ斬線が走る。その直後、重くけたたましい轟音を上げて、真っ二つになった扉が崩れ落ちた。



 「……あーーー……」


 衝撃で舞った土煙が収まり、転がる扉の残骸を見下ろしてマグノリアは観念するしかなかった。

 それにしても……


 「おい、マジかよ……これ、斬れるもんなのか……?」


 セドリックが茫然とするのも無理はない。

 ハルトが一刀両断した扉は、これはもう扉じゃなくて鋼鉄の塊だと言った方が適切なくらいに分厚かった。


 「はるとすごい、すごい強い!」

 「にに、んにゃあ」

 「んー、いやぁそれほどでもえへへ」


 素直に称賛するクウちゃんと何と言っているのか分からないが多分称賛しているであろうネコと照れるハルトを無視して、マグノリアは建物の中へ足を踏み入れた。もうこうなったら、とことん調べるしかあるまい。半ば投げやりな気分である。

 アデリーンも、当然のようについてきた。セドリックはハルトの腕が信じられないようで、「おいお前の腕どうなってんだあと剣も!」とか騒ぎながらハルトに詰め寄っているが、放っておけばそのうち追い付いてくるだろう。


 

 扉が壊れた際に相当大きな音がしたのだが、誰も駆けつけてこない。セドリックの調べたとおり、中に人はいなさそうだ。

 ただでさえ暗い森の中、しかも窓の一つもない建物であるのに関わらず、内部は明るいとは言わないまでも動くのに支障の無い程度には見通せる。

 それでも流石に何の用心もなく謎の建物を散策できる考え無しはこの一行パーティーにはいないので…と言いたいところだが多分ハルトは該当するのだろうけどまだ後ろにいるので、マグノリアは先頭でアデリーンはその背後について、少しずつ辺りを警戒しながら歩を進める。


 玄関…と呼ぶには随分と無機質な出入り口からは、廊下が続いている。かなり広い廊下だ。両側の壁が心持ち光を帯びている。その朧な光が照明となって彼女らの視界を助けていた。


 突き当りには、両開きの扉。入口のものとは違い、開け放たれている。

 マグノリアとアデリーンは、そこから部屋の中を覗き込み……絶句した。



 立ち並ぶ、円筒状の巨大な装置。素材のガラスはほとんどが砕けて床に散らばっている。装置から半ばこぼれるように、どろりとした粘性の何かが垂れ下がって腐敗臭を放っていた。


 「なんだ…これ」

 

 思わず鼻をつまんで後ずさりしたマグノリアとは対照的に、アデリーンは平気そうな顔で…と言っても匂いに顔は険しいが…その謎の粘液に近付き、屈みこんでマジマジと観察。


 「なぁ、アデル……それ、近付いて平気か…?」


 何せ、腐敗臭が只事ではない。それだけではない刺激臭も混ざっている気がする。部屋の中にいるだけで、病気になってしまいそうだ。


 アデリーンは懐から手袋とピンセット、試験管を取り出すと、本格的な調査に入る。というかそんなものまで持ち歩いていたのかこのマッドは、とマグノリアは思ったのだがここは彼女に任せるのが良さそう。


 ピンセットで粘液の中から何かを摘まみだしたアデリーンは、それを目の高さまで持ってきてしばらく眺めていた。

 それからさらに粘液を試験管の中へ入れ、コルクで蓋を締めてそれを何の躊躇もなく懐に収めた。


 「え……おい、大丈夫…なのか?」

 「これ、何かの生物ね」


 得体の知れない物体をそんな気楽に懐に入れてしまっていいのかと心配するマグノリアをよそに、アデリーンは事も無げにそう言った。


 「詳しく調べてみないと分からないけど、この粘液は体組織が腐敗・溶解したものみたいね。中に小さいけど骨の破片が残ってたわ」

 「あ……そう。……て、生物?」

 

 アデリーンの報告を受けて、マグノリアは再度部屋の中を見回した。ほとんどの装置は壊れているが、比較的原型を保っているものを見付け、恐る恐る近付いてみると……



 「生物て……これが?」


 別にマグノリアは、生物の定義について語りたいわけではない。当然、それについて一家言を持っているわけでもない。

 ただ彼女は、その輪郭さえも定かでないくらいブヨブヨした、目も鼻もどこにあるか分からないような肉塊に小さな突起が申し訳程度にくっついた()()が、一般的に生物と称されるものであるという確信が持てなかったのだ。


 まるで、出来損ない。或いは、未完成。



 アデリーンもマグノリアの後ろからそれを覗き込み、頷いた。


 「不完全だけど手足の基になる部分もあるし、まぁそうなんでしょうね」


 そしてこともあろうに、装置の中に手を突っ込んでそれを引き出してしまう。

 ピンセットで摘まめるようなサイズではないので、手袋があるとはいえ、素手で。


 「げ……マジか」

 「…ふぅん、見た目よりもしっかりしてるわね。これは…翼、なのかしら?」


 腐りかけの生物らしきものの死骸?を持ち上げたりひっくり返したりして観察を続けるアデリーンから、マグノリアはやや距離を置いた。物理的距離だけでなく精神的な方も少し遠ざかった。


 「翼……?でもそれ、四本足の動物…ぽいけど」


 通常の獣に、四足歩行かつ翼を持つ種類は存在しない。

 そして、その特徴が当て嵌まるとしたら……


 「間違いなく、魔獣よね、これ」


 アデリーンは、それも出来れば持って帰りたいと悩んでいるようだったが流石に容れ物がないので諦めて装置の中に戻した。仮に一部でも持って帰ろうとしたのであればマグノリアは全力で阻止するつもりだったが。



 「魔獣……ってことは、まさか」

 「まぁ、そういうことよね普通に考えて」


 そのとき二人の脳裏にあったのは、当然のことながらユグル・エシェルの一件で知った情報。

 

 「それじゃ、ここが…魔獣の培養施設…てことか?」

 「少なくとも、「だった」が適切ね。もうどう見ても稼働はしてないし。それにここだけとも限らないんじゃない?装置の数も、兵力増強にしては少ないわ。どっちかと言うと、研究施設みたいな雰囲気よね」

 「それ…何か違うのか?」


 マグノリアには、培養施設も研究施設も同じように思える。が、マッドでサイコな魔導士にはその違いが明確に分かっているようだ。

 

 「違うでしょ、全然。ここじゃ量産なんて無理だって。どっちかと言うと、私の研究室ラボに雰囲気が似て………って、そう言えばハルトたちは?遅くない?」


 どうして研究室を語っている最中にハルトのことを思い出すのか。と言うかこんな不気味過ぎる研究施設の中で思い出さないでやってほしい。

 自分の弟子が心配でならないマグノリアは、しかしアデリーンに言われてその大事な弟子のことを忘れていたことに気付く。


 「そういや……セドリックとネコがいるからハルトもクウちゃんも大丈夫だと思うけど…」


 アデリーンの方は、なんでそこで頼れる相手としてセドリックだけでなくネコまで出てくるのか不思議だったが、彼女がそれにツッコミを入れようとした瞬間。



 轟音と振動が、二人を襲った。




 

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