第百三十七話 裏方がいないと世界は回らない。
「あんたさんはもーう少し、賢い御仁かと思ってやしたけどなぁ」
「……返す言葉もないや」
呆れたジト目で睨まれつつぼやかれて、マグノリアはそう言うのが精一杯だった。
彼女が訪れているのは防具屋で、彼女が話しているのはそこの店主だ。四十前の、風采の上がらない痩せた小男。だが、この店の本当の商品を知る「顧客」たちの中に、店主を侮る者は誰一人いない。
店は大して広くなく、また並ぶ商品も少ない。手入れのための道具の方が多いくらいだ。
それはこの店がオーダーメイドを主として扱っている、ということもあるのだが…
「ま、依頼されれば手配するのがあっしの仕事ですんで」
店主はマグノリアにスッと何かを差し出した。それは、何の変哲もない封筒。その中には、何の変哲もない便箋が入っている。
ただし、その便箋に書かれた内容は、何の変哲もないどころではない。
「助かるよ、オヤジさん。いつもすまないな」
便箋を懐に入れるマグノリア。代わりに彼女の方から店主に差し出した同じような封筒には、謝礼…この場合は商品代金…が入っている。
中身を確認した店主の目が僅かに見開かれたのは、金額が彼の言い値を超えていたからだ。それも、色を付ける…というレベルでは収まらない程度に。
彼女の意図を確認するかのような店主の視線に、マグノリアはやや気まずげに頭を掻いた。
「あー…いや、もしかしたらちょっとばかり面倒をかけるかもしれなくてさ」
「……あんたさんがそう言うなんて珍しいですなぁ」
店主は意外そうだ。彼が知るマグノリア=フォールズは決して無茶をしたり危ない橋を渡るような真似はしない堅実な遊撃士のはず、なのだが。
そう、この男の裏の…否、真の顔は、手配師である。真っ当なものから訳アリまで、ありとあらゆる「お膳立て」が彼の仕事だ。
仕事を進める上で面倒な折衝が必要になったり、或いは一筋縄ではいかないような相手とのコネクションが必要になったり、犯罪スレスレ…どちら側のスレスレであっても…の手法が必要になったりしたときに、彼を頼る遊撃士は多い。
安全確実堅実、がモットーのマグノリアはその信条ゆえに彼の世話になることは少ないが、全くないわけではない。
「となると、よっぽどヤバい案件に首突っ込んでおいでですかい?」
「んー…………」
店主は別に情報屋というわけではなく、また顧客情報に関しても非常に高い倫理観念の持ち主でもあるので、マグノリアは情報漏洩を怖れて口ごもったわけではない。
ただ、知らせれば彼の身に危機が及ぶ事情と、知らせなければ彼の身に危機が及ぶ事情が混在しているので非常に説明に困るのだ。
尤も、「手配」した時点で、店主も多少の事情は察していることだろう。
「まぁ、なんつーか…もしかしたら聖教会が接触してくるかもしれないから、迷惑料と、あと口止め料…みたいな?」
「教会に目を付けられるなんて、これまたあんたさんらしくないですなぁ」
「いや、別に目を付けられてるわけじゃ……ある、のかな…?」
別に彼女は、聖教会に喧嘩を売ったわけではない(教皇に啖呵を切ってはしまったが)。お尋ね者やら異端者やらのレッテルを貼られて追われているわけでもない。
ただ、聖教会のトップである教皇の意志に反することをしようとしている…だけで。
「…ま、詮索はしやせんぜ。お客様を必要な何かに引き合わせる、それが手配師の仕事でやすからね」
「悪い、助かるよ」
お行儀の良い連中から見れば決して褒められたものではない手配師の業務内容ではあるが、世の中が綺麗ごとだけで回っているわけではない以上、彼が食いっぱぐれる心配はないだろう。
実際、彼が廃業してしまったらマグノリアも他の遊撃士も非常に困る。
「とまぁ偉そうに言ってますがね、流石に帝国相手は勝手が違いましたや。少しばかり要領が悪いかもしれやせんが、ご勘弁を」
彼は謙遜するような人物ではないので、マグノリアの依頼をこなすために相当の無理をしたに違いない。
「で、とりあえずルートどおりに帝国に入った後は、そこに書いてある場所に行ってくだせぇ。中には紹介状も入ってますんで、そいつを見せりゃいい。ただし、そっから先は…」
「分かってるさ。そこまで手配してもらえりゃ充分だ。後は自力で何とかするよ」
手配師と言っても、なんでもかんでも全部お任せ、というわけにはいかない。マグノリアが彼に求めたのは、帝国への潜入経路と潜伏場所へのアクセス、のみ。
それ以降は完全に、自分たちの力でやっていかなければならない。
マグノリアは店主に礼を述べると、店を出た。
時間の割に暗い視界に空を見上げると、今にも降り出しそうな厚ぼったい雲が頭上に立ちこめていた。
「………嫌な雲だな」
それがどうか自分たちの先行きを暗喩しているものではありませんように、と内心で普段は祈ったこともない神に願うと、せめて足取りだけでも重くならないように大股で、宿への道を戻っていった。
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「いたか?」
「いや、こちらにはいない」
「次は向こうだ、急げ!」
抑えた口調の中に焦りを滲ませて追手たちが慌ただしく走っていった。
その後ろ姿を見届けてから、シエル=ラングレーは小さく安堵の溜息を一つ。それから安全を確認すると、自分自身にかけていた目眩ましの術を解除した。
ユグル・エシェルとの共同計画が阻まれ、異端審問官たちに連行されたシエルは、聖都ロゼ・マリスにある地下牢へ投獄された。
当然、裁判も審問も何もなかった。聖教会…教皇も、シエルたちが仕出かしたことの何処から何処までを罪とするか、判断しかねていたのだろう。
と、いうのも。
シエル及びユグル・エシェルの主な行為を挙げると、
一つ、聖教会に無断で魔導兵器を開発したこと
一つ、聖戦の英雄、“黄昏の魔女”ヒルデガルダ=ラムゼンの誘拐・監禁
一つ、アンテスル領主トール=エヴァンズ侯爵殺害
一つ、フューバー伯爵令嬢シャロンの誘拐計画
一つ、遊撃士三名(うち一人は実はサイーア王族)の誘拐・監禁
一つ、異端審問官への傷害及び殺人未遂(聖務執行妨害)
…といったところであるのだが。
魔導兵器…霊装機兵計画に関しては、確かに褒められたことではない。が、教会法に「聖教会に無断で兵器を開発・所持してはならない」という条項は見当たらない。
異端審問に都合がいいように作られた条文を恣意的に解釈すれば不可能ではないが、他の宗派への影響も考えると、教典の恣意的解釈は限定的に留めておくのが好ましい。
侯爵の殺害と遊撃士三名の誘拐は紛れもない犯罪だが、それは一般の刑法(しかもティザーレの)の下に裁かれるべき類のものであり、教会が出張る案件ではなかったりする。
ヒルデガルダ拉致も似たようなものだが、彼女は聖戦の英雄であり教皇の後見を受ける人物であるため、強引に教会法を適用させることは不可能ではないが。
また、シャロンの誘拐はあくまでも計画段階であって、未遂にすらなっていない。彼女に危害を加えようとしていたのは専らエヴァンズ侯爵だった。
結局、今の段階で聖教会が彼らを断罪出来る材料と言うと、ヒルデガルダ拉致と聖務執行妨害くらいなのだ。
突き詰めればどうとでもなるだろうが、その過程で帝国が絡むことを否定出来ないとなると、教会が慎重になるのも頷ける。
そんなこんなの大人の事情(?)で、裁判も審問もなければ特に懲罰を与えられることもなく、シエルはただひたすら取り調べを受けるだけの数日を過ごした。
もちろん、簡単に口を割るようなシエルではない。彼の過ごしてきた時間は、くぐり抜けてきた死地は、そんなものに屈するほど生易しいものではなかった。
ユグル・エシェルの行動に関しては、パルムグレンからほとんど流出していることだろう。本来の彼は生半可な拷問など通用しない意志力の持ち主であるのだが、魔王への恐怖と絶望に正気を失ってしまった今の彼には耐えられまい。
教皇は、パルムグレンやユグル・エシェルよりもシエル本人に強い関心を抱いているようだった。同時に、強い警戒も抱いていた。
自分が転生者であること、魔王との関わり、あの場に魔王が顕現したこと。
それらについてシエルが口を割ることは決してなかったが、しかしあの場にいた神官…のふりをした何者か…によって告げられている可能性は高い。
そう考えれば、シエルが割り合い好待遇を受けていたのも理解出来る。
取り調べと言っても、拷問じみた聴取はなかった。魔王によって負わされた傷も治療してもらえたし、地下牢は決して居心地が良いとは言えなかったが清潔だったし、食事もきちんと提供された。
異端者に対する聖教会の苛烈な弾圧を知るシエルには、教会の扱いは拍子抜けするほどだった。何しろ、舌を抜かれたり眼球に火箸を突き刺されたり生皮を剥がれたり酸を飲まされたりしてもおかしくないと、覚悟していたのだから。
…が、さしもの聖教会、さしもの教皇であっても、二千年前の「最後の護り手」にそういった振舞いは出来なかったか。シエルは、後世にあたる今の時代において自分たちが英雄視されていることを知っている。
教皇は、彼を尊重するというよりは彼の力に恐れを抱いて強引な手法を躊躇っているのだろうと、シエルは考えていた。
そう、教皇がシエルを尊重するはずがない。
たとえ彼が、二千年前の天地大戦で地上界を守り抜いた英雄の生まれ変わり、歴史の教科書にも教会の説法にも登場する偉人だったとしても。
否、だからこそ教皇は、彼を怖れ警戒しているはず。
なぜならば……教皇と魔王は、繋がっているから。
魔王の言葉のせいで、シエルは非常に重大で恐ろしい事実に気付いてしまった。
その一つは、創世神に仕えるべき聖職者、その筆頭である教皇が実は魔王の手の者だ、ということ。
そしてもう一つは……
この事実は、何があっても伝えなければならない。
手をこまねいていれば、彼は守るべき平穏と友を失ってしまう。
傷がある程度癒えて動けるようになると、シエルは牢を抜け出した。彼を警戒する教皇により幾重にも重ねられた結界は突破が非常に困難だったが、なりふり構ってはいられなかった彼は自身が再び傷付くことも厭わず障害を全て破壊し、聖都を出た。
当然、追手がかかる。捕まれば、今度こそ容赦ない待遇が自分を待っていることだろう。
だから彼は、急がなくてはならない。
彼の懸念について、頼れそうな相手は一人しかいなかった。
それは、実力という点ではシエルからすると非常に心許ない人物ではあるが、この件に関しては、彼女にしか頼れない。
彼の友を、ハルトを救うことが出来るのは、きっと彼女しかいない。
追手の気配が完全に消えたことを確認すると、シエルは再び走り出した。




