第百三十六話 行き過ぎた愛情って大抵は的外れだったりする。
「魔王陛下の復活……か。そのグラン=ヴェル帝国とやらも、廉族の分際でなかなか見どころがあるではないか」
魔界の中枢、魔王城にて。
魔王の側近であり現在実質的な最高権力者でもある六武王の一人、ルクレティウス=オルダートは感心したように言った。
存在値を消費し深い眠りについている魔王を再び呼び戻すなど、魔王に近しい彼らでさえ手段を持っていない。
ましてや魔王の存在に直接触れたことすらない廉族たちがそのようなことを考えるとは、意外なことだ。
そして同時に、魔王を崇拝する魔族としては嬉しくないはずもない…のだが。
「身の程知らずにも程がある。廉族如きが、陛下の何を知っているという?」
魔王の復活、というフレーズには誰よりも喜び勇んで飛びつきそうな魔王バカであるところのギーヴレイは、あまり好意的ではなかった。
「陛下を再びお呼びするのは、我らでなくては荷が重すぎよう。廉族どもが余計なことをして、天界の連中に目を付けられるようなことがあっては困る」
万物の本体とも言える、星霊核。それは同時に、魔王や創世神の源でもある。
魔王を復活させようと思ったら、まずは顕現するための躰を用意し、星霊核に働きかけて魔王の意思を躰へと導き、その上で定着させなくてはならない。
問題は、星霊核へのアクセスだ。
「そう憤るな。どのみち連中では企む以上のことは出来まい?天使どもとて、そのくらいは分かっているだろう。弱き者たちが無為な努力に時間を浪費するのが関の山だろうて」
魔王と創世神以外に、星霊核への干渉権限はない。その方法もない。
廉族たちが何を根拠に魔王の復活を信じているのかは知らないが、いくら彼らが生贄を用意しそれっぽい儀式を行ったところで、それによって魔王が復活することは絶対にありえない。
「当然だ。陛下がお目覚めあそばすとすれば、それは陛下御自身のお力によってのみ為される。外野がどれだけ出張ったところで無駄なこと。それよりも私は、廉族ふぜいが身の程も弁えず勝手に陛下の臣を名乗り陛下のご威光を借りようとするのが許しがたい」
これは随分と行き過ぎた偏愛だな。ルクレティウスは同輩に思った。最早独占欲である。自分以外の者が、魔王陛下を復活させようなどと片腹痛い…というわけだ。
自分以外の者が魔王陛下を敬愛し奉るのが、我慢ならない…というわけだ。
それはもしかして、自分たち他の武王にも同じことを考えてたりするんじゃなかろうか、と少しばかり怖くなったりもする。
「…ならば、介入するか?」
「いや……下手に魔界が動けば、それこそ天界が煩い。しばらくは様子を見る」
現在、天界と魔界は一応のところ休戦状態である。
天界のトップである皇天使グリューファスは先の聖戦で魔族とも共闘し、魔界に対する感情も悪くない。
が、それでも本質的に相容れないのが天使族と魔族であり、魔界との不可侵条約など信用出来ない、という強硬派の意見は天界でも小さくないようだ。
それは魔界とて同じことなのだが、力こそ全て、の魔界においてはそういった声を力づくで抑えつけることは容易い。また、魔王の後継者の存在は魔界の民にとっての希望であり、秩序維持に大きな役割を果たしている。
だが力ではなく話し合いで政を進めていく天界では、力づくで反対意見を潰すということは許されていない…らしい。たとえ少数意見でも、そこに道理があれば尊重しなくてはならない。しかも彼ら天使族が主と慕う創世神には直系の後継者はおらず、皇天使は最高権力者ではあるが絶対権力者ではない。
そういうデリケートな事情もあり、下手に天界を刺激することは避けたいギーヴレイだった。
本音を言えば、天界など攻め込んで滅ぼしてしまえばいい…と思っていたりする。
かつては互角だった天界と魔界ではあるが、それも昔の話だ。創世神の消滅に従い…否、その意志に背いた時点で天使たちへの加護は消え去った。四皇天使と呼ばれた最高位天使たちも今は、グリューファス一人だけ。なおかつ、未だに創世神の呪縛から逃れられない者…新世界を望み現世界を否定する者たちによる叛乱が各地で勃発している状況。
かたや魔界は、魔王こそ不在であるもののその加護は未だ健在にして、武王も五人揃って…いや一人は暇を貰って地上界を漫遊しているし一人はほとんど魔界に帰ってこないが…いる。
まともに戦をすれば、今度こそ天界に勝てるという自信はあった。仮に地上界が介入してきたとしても、その程度では結果は覆るまい。
しかし、彼にはどうしてもそう出来ない理由があった。
単純なことだ。魔王が、それを望んでいなかったから。
独占欲丸出しのギーヴレイとしては非常に悲しいことではあるが、魔王は魔界だけを重視しているわけではなかった。
魔界と魔族たちは特別だ…と言ってくれてはいたが、それでも彼が大切にしていたものは他にも沢山あった。
地上界で、勇者などと呼ばれていた娘たちや、その関係者。
天界で、一時的に行動を共にしていた一部の天使たち。
魔王は、戦そのものを否定はしない。だが、自分の大切なものが傷付くことを、尋常ではないくらいに怖れていた。
戦になれば、間違いなくそれらは傷付き、損なわれる。
ギーヴレイには、自分の行為により主が嘆き悲しむようなことは、絶対に出来なかった。
「そうか…それもそうだな。しかし、ハルト殿下のことはどうする?あの教皇が言うには、帝国の動きに関して関心をお持ちでいらっしゃったのだろう?このまま放置は、よくないのではないか?」
「…………………」
「……ギーヴレイ?」
ルクレティウスの質問に、ギーヴレイはすぐには答えなかった。
彼の表情は全く動いていなかったが、それでもその脳内では凄まじい速度と精度で未来を予測し最善の手を模索しているのだろうということはルクレティウスにも分かった。
「…………それについても、しばらく様子を見る。殿下にも、何か考えがおありのようだからな」
「しかし、殿下の身に万が一のことがあれば…」
「勿論、監視と護衛は付ける。引き続きルガイアに…」
「あれは早々に教皇のもとへ帰されたではないか。なにやら殿下に拒絶されたようだぞ」
そう言えばそうだった。何があったのか分からないが、どうやらルガイアはハルトの不興を買ってしまったらしく、傍に仕えることを拒否られていた。
「…ならば、レオニールに……」
「あやつからはしばらく、連絡すらないではないか。今も殿下のお傍にいるのかどうか」
「………くっ、これだから若造は……!」
物凄く頑張ってハルトのストー…追跡&護衛を務めているレオニールだが、報連相が不十分なために評価してもらえない。
「教皇に、誰か手配させるか?」
「どうも、殿下は聖教会に対しても不信感を抱いておいでのようだ。あまり期待は出来ん」
「ならば………エルネスト、か」
おそらく、エルネスト=マウレならばハルトに引っ付いている。
彼ら武王にも御しきれない相手であり、かつ純粋な戦闘力にはいささか不安の残る人選ではあるが…
それでも魔王の眷属であり、超回復能力の持ち主であり、切り札的な権能の持ち主でもあるエルネストならば、余程のことがない限り対応出来る…だろう。
「しかし、ギーヴレイよ。殿下は何をお考えなのだろうな?」
「それは、どういう意味だ」
さり気なく思うところを言っただけのルクレティウスだったが、予想外に強い返答に些か戸惑う。
「いや……ルガイアにしても聖教会の教皇にしても、殿下が他者を拒絶したり遠ざけたり、といったことは今までなかったではないか」
彼らの知るハルトは、良くも悪くも素直。言われたことには従うし、与えられた以上のものを望むこともないし、何かを疑ったりすることもない。
しかし、教皇から聞かされただけの情報ではあるが、
「今の殿下はまるで、我らの干渉を拒んでいらっしゃるかのように思えるのだが」
「………………」
これにも、ギーヴレイは沈黙で返した。そしてその沈黙は彼の同意を示しているのだと、ルクレティウスは察した。
「ギーヴレイ、お主が殿下に対し何を望んでいるのか、儂には分からぬ。だが、それは殿下の、そして魔界のためなのだろう?」
「…………私が殿下に何かを望むなど、畏れ多い。私はただ、陛下のご意志に従うまで」
「それは……」
「殿下が我々を避けようとなさっていることは確かだ」
ギーヴレイの真意が分からなくて追及しようとしたルクレティウスを遮って、
「彼女に動いてもらうこととしよう」
魔界の宰相は、一番の適任者に思い当たった。
「ああ……彼女か」
ルクレティウスも、ギーヴレイが誰のことを言っているのか即座に悟る。
「彼女であれば、殿下に面も割れていないし実力的にも申し分ない。長い間休暇を堪能したのだから、そろそろ働いてもらおうではないか」
ギーヴレイはそそくさとその場を去っていったのだが、それは思いついた案を実行するために急いだというよりは、言いたくない何かを誤魔化すためのようだと、ルクレティウスはその背中を見送りながら思った。
偏愛が過ぎるばかりに、誰も気付いてないけど実は魔王のこと一番勘違いしてるのはギーさんだったりします。




