第百三十五話 出世払いって踏み倒されがち。
マグノリアはしばらく黙って、神像の上の天窓を眺めていた。かつてはステンドグラスが嵌まっていたであろうそこはすっかり抜け落ちて、傾きかけたオレンジの陽光が絶妙な角度で差し込んでいた。
きっとこの教会が現役だった頃は、黄昏時に神が後光を背負う様が見られたのだろう。
ハルトは俯いていた。自分のことを思い悩んでいるというよりは、師匠にどう声をかければいいか考えあぐねているように見えた。
ややあって、マグノリアは自分の身の上話を切り上げることにした。
「……とまあ、アタシがお前にこんな話をした理由なんだけど…」
彼女は、ハルトにお説教だとかご高説を垂れるつもりはない。自分はそんなタマじゃないし、そんなことをしても全くの無意味であると分かってもいる。
「別に、理由なんてないんだな」
「……え?」
肩透かしを食らったようにハルトが目を丸くした。理由なくする世間話にしてはやたら重いし彼女の繊細な部分に踏み込み過ぎている。
「まあ、なんだ、これから一蓮托生っつーか、命を預け合う相手なわけだから、アタシの抱える事情ってのを知っておいてもらいたかったってだけだ」
「一連…托生…?」
ハルトの表情が変わった。
何かを期待しているような、同時に怖れているような。
「帝国へは、アタシも付き合うよ」
「けど……危険なんじゃないですか?」
一丁前に師匠を心配してみせた馬鹿弟子の頭を、マグノリアは乱暴にクシャクシャと撫でる。
「分かっててそんなところに行こうとしてんのはお前だろーが」
「だ、だって、それはボクの我儘だし、だけど師匠がそれに付き合う理由なんて」
「我儘って分かってんのかこの野郎」
自分の我儘を自覚することが出来た分、成長した…のかも?
いやいやその上でそれを貫こうというのだから性質は悪い。確信犯か。
「それとも何か?アタシにはついてきてほしくないとか?」
「いえ!いえそんなことはないですけど!すっごく嬉しいですけど!!」
…こういう素直なところがあるから憎めないのである。
「そもそも危険っつっても、お前一人だと何が危険で何が危険じゃないかすら判断出来ないだろ。アタシがいればその辺は、未然に回避することが出来る」
予期せぬ危険、というのは案外少ないものである。あらゆる可能性を考慮し用心していれば、ほとんどの場合でその兆候は事前に見られるのだ。
或いは、細心の注意を払って行動していれば、例え見逃していても地雷を踏み抜くことは避けられる。
この先地雷原、の立て看板が草に埋もれていても、マグノリアならばそれに気付いてそこを遠回り出来る。
…が、ハルトだけの場合、仮に看板が目立つところに据えられていてそれを目にしていても、注意書きを理解せずそのまま突き進むに違いない。
マグノリアだって予知能力を持っているわけではないのだから、前触れもなくいきなり降ってくる災難までは躱しようがない。が、躱せる危険を躱すのとまっすぐ突っ込んでいくのとでは、その先に待つ結果は大違いだ。
「………ボクは、師匠に何も返せません」
「なんだよ、随分と生意気なこと言うようになったじゃんか。安心しろ、そんなの最初から期待してないから」
殊勝なことを言うハルトに告げたのは本心だ。ちょっと傷ついたような顔をされたが、いくら成長したとは言ってもまだまだお子様なハルトに何かを望むべくもない。
「勿論、道中の稼ぎは折半だからな?後は、出世払いにしておいてやる」
「しゅっせばらい?」
…あ、これも知らないか。
まぁ、最初から生まれ育ちの良いお坊ちゃまは出世なんて言葉無縁なのかも。
「お前が将来偉くなったり立派になったりしたら、恩を返してもらうってこと。利息込みで請求してやるから、覚悟しとけよ」
「…………ボクの、将来…………」
何故か考え込むハルト。将来的に公爵家を継ぐか第一等級遊撃士を目指すのではないのか。そこは迷わず頷いてほしいところだったのだが…
ハルトが頷いたのは、しばらく考え込んだ後だった。
「分かりました、約束します」
しかも、やけに真剣な…寧ろ沈痛にさえ見える表情で。
マグノリアとしては半分くらい軽い気持ちで言ったことだったのだが、ハルトを変に追い込んでしまったかもと心配になる。
「あのな、そこまで思い詰める必要ないからな?出世っつっても、別にお前の望む形で身を立てればいいんだからな?」
「分かってます、大丈夫です」
……何が「大丈夫」なんだろう。話の脈絡が何だか変だ。
「えーっと……遅くなるから、そろそろ戻らないか?」
実を言うとマグノリアは、自分の過去を打ち明けることでハルトも同じように胸に抱えるものを話してくれるのではないか、と密かに期待していた。
だが、それはまだ時期尚早のようで。
立ち上がったマグノリアを見上げるハルトは、話したそうな話したくなさそうな、揺れる感情の間で戸惑っているようだった。
無理矢理聞き出すことは不可能ではないだろうけど、この先のことを考えるとやめておいた方が賢明だ。
ハルトもおそらく、マグノリアに訊ねられることを予想していたのだろう。自分だけ何も話さないのはアンフェアだと思っているかもしれない。
だからそんな必要は…少なくとも今は…ないのだと示すために手を差し出すと、ハルトはどこか安心したように自分の手を重ねてきた。
なんとなく、手を繋いだまま教会を出る。
沈みつつある陽が、道に長い影を作っていた。二つの影法師は、親子のようにも恋人のようにも友達のようにも見えた。
ただ少なくとも、師匠と弟子には見えなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「遅かったわね。デートは楽しかった?」
「デートじゃない!!」
宿に帰るなり揶揄してきたアデリーンに力いっぱい否定して、ずっとハルトと手を繋いだままだったことに今さらながら気付き、慌ててそれを振りほどくマグノリア。
ハルトは抱き付いてきたクウちゃんをそのまま抱っこして、長椅子の方へ。こっちの方がよっぽど恋人じゃないか。
「つか、来てたのかよアデル。何の用だ?」
アデリーン=バセットが連続して仕事を受けることはない。決してありえない。一度の依頼で稼いだ金を使い果たすまでは、自宅に貝のように引き籠もっているはずなのに。
「何よ、ご挨拶ね。呼ばれたから来てやったに決まってるじゃない」
「呼ばれた?て誰に?」
マグノリアは、アデリーンに声を掛けた覚えなどない。と、セドリック公子が手を上げた。
「俺様が呼んでおいてやったんだよ。今後の打ち合わせとかも必要だろ?」
「……打ち合わせ?今後の?」
死ねクソの呪いが解けたはずなのに、彼の言葉の意味が理解出来ない。
いや、言葉自体ではなくて、彼が何を言いたいのかが理解出来ない。
「帝国に行くんだろ?ティザーレとは訳が違うんだから、準備は万全にしとかねーと」
「…………へ?」
思わずマグノリアは、セドリックとアデリーンの顔を交互に見た。
二人とも、平然としている。
「行かないのか?」
「いや、行くけど……行くけど。だけど、もしかしてお前らも……?」
教皇の反対を押し切って帝国へ行こうとしているのだということは、セドリックもアデリーンも分かっているはず。
その行為がどれだけマズいのかも、分かっている…はず。
「パーティーメンバーなんだから、当たり前だろうが」
「私はまぁ、ハルトを弄れるなら場所は何処でもいいんだけど。あ、でもあんまり向こうに長居は嫌だからね」
二人とも、正気だろうか。マグノリアは自分のことを棚上げして呑気な彼らが心配になる。
「お前ら、分かってるのか?帝国だぞ?魔王の復活とか目論んじゃってるヤバい連中の巣窟だぞ?」
物見遊山ではないのだ。一体何に巻き込まれることになるのか、分かったものじゃないのだ。
それに、明確な目的があるわけでもない。ハルトにはあるかもしれないが、彼はそれを語ろうとしない。
目的もはっきりしていないのに、危険極まりない場所へ行くことがどれだけ愚かで無謀な行為か。
こんな状況で、よく付き合うつもりになれるものだ。
…やはりマグノリアは、自分のことを棚に上げている。
「あ?まさか俺様が足手まといになるとでも思ってるんじゃないだろーな。承知しねーぞクソ」
「って言うかそんなところにあなたとハルトの二人で行くつもりだったわけ?それとも二人きりになれなきゃ嫌だとかそういうこと?」
しかし二人は、当然自分も行くものとして考えているらしかった。




