第百二十九話 頑固な人って大概道理を無視する。
「…で、これからのことなんだけど」
リエルタ市の繁華街の程近く、サンテン通りに面した旅籠「快眠亭」の一室で、マグノリアは改めて切り出した。
椅子に座るマグノリアと、テーブルを挟んだ向かい側には長椅子にハルトとハルトにべったりひっつくクウちゃん、ハルトの肩の上から時折クウちゃんにちょっかいをかけるネコ…あんなにルガイアに懐いていたのでもしかしたら一緒に聖都に行ったのかも、と思ったが結局ハルトを選んだようだ…。座るところがもうないのでセドリック公子はベッドの縁に腰掛けている。
今後の方針の話し合い…と言っても、決めるのはハルトなのだが。
「ティザーレでの一件も終わったことだし、ハルトお前、次はどうする?」
それまでと同じように依頼をこなしつつ腕を上げつつ昇級試験を目指すもよし、もう少し積極的にメルセデスの行方を捜すのもよし。
そのどちらにしても、マグノリアという監督者がいれば問題ないくらいハルトは成長した。
だが、ハルトの口から飛び出してきた単語に、マグノリアは完全に虚を突かれた。
「ボクは、グラン=ヴェル帝国に行こうと思います」
躊躇いも戸惑いも迷いもなく、マグノリアの目を真っ直ぐ見据えてハルトは宣言した。
そう、それは提案でもお伺いでもなく、確固たる意思表明。
ただの思い付きや気まぐれにも思えない。まるで、ずっと前から考えていたことのように。
だが、それをハルトの自立心の表れだと、彼も自分の意見を持つようになったのだと手放しで喜ぶことは出来そうになかった。
「グ…グラン=ヴェル帝国って………お前、自分が何言ってんのか分かってんのか?」
「もちろんですよ師匠。分かってるから帝国に行きたいんです」
でも常識知らずのハルトであるからしてもしかしたら帝国のことを何も知らずにちょっとした好奇心で言っているだけの可能性もあるかもしれない…と思ったマグノリアの期待はすぐに散った。
北の覇者、グラン=ヴェル帝国。
五十年ほど前まではサイーアや周辺諸国と戦を繰り返していた国ではあるが、現在の実態は完全に謎に包まれている。その徹底ぶりは、ティザーレの比ではない。
広大な領土に豊富な鉱物資源、戦争によって発達した魔導・工業技術により、ほとんど他国と交流することなく自国だけで経済を回すことの出来る大国。
一応は王政のはずだが、実権を握っているのが誰なのかさえはっきりしない。国際会議に代表者を派遣することもなく他国に大使も置かず、一体何を考えているのやら分からない不気味な国。
それが、今までの認識だ。とにかく得体が知れないから関わるのはやめておこう…というような。
しかし、先の一件でそれは「関わるのはやめておこう」ではなく、「絶対に関わるべきではない」に変化した。
ティザーレ王国、そしてユグル・エシェルが独断専行に走ってまで霊装機兵計画に着手した理由。そもそもの元凶。
教皇の命を受けて調査を進めていたイライザと、シエルたちとやりあったルガイアからの(断片的な)情報を総合した結果、判明した事実。
帝国は、魔王復活を目論んでいる。
それは、地上界の…いや、魔界以外の全ての民にとって衝撃の、そして決して看過できない恐るべき計画である。
魔王が復活すれば、今度こそ世界が滅んでしまうかもしれないのだ。
否…それを止められる唯一の存在である創世神がいない今、そうなる可能性の方が高いだろう。
そんな重大な案件は、聖教会を中心とした世界各国の連携で対処しなくてはならない。一個人が…例えそれが聖戦の英雄の身内であっても…勝手な判断で首を突っ込むことは許されないし、万が一それで事態が悪化した場合に到底責任など取り切れない。
シエルたちから帝国のことを聞かされているハルトは、当然分かっていることだと思っていたのだが…
分かっていて、言っているのであれば。
「……本気か?」
「本気、ですけど?」
念を押したマグノリアに、本気でない方が不思議だ、と言わんばかりに答えたハルトは、やはり酔狂や気まぐれで言っているようには見えなかった。
「理由は?」
帝国絡みであれば即刻却下することも出来なくはないが、だからこそハルトがそう決めた理由は聞くべきだとマグノリアは思った。
「シエルが、言ってたんです。帝国は、魔王の復活を望んでるって。それで、なんか人工的に魔獣を作ったりして色々と企んでるって」
「…それについてはもう聞いてる。けど、だからってなんでお前が帝国に行く必要があるんだ?」
修行ともメルセデスとも無関係に危険なことに首を突っ込む理由なんてないはずだし、ハルトは無茶無謀を好むタイプでもない。
「必要ってほどじゃないかもしれないけど……帝国が何を考えてるのか、本当にそんなことを企んでるのか、自分の目で確かめてみたいって思ったんです」
そこで初めてハルトはマグノリアから目を逸らした。ほんの一瞬のことですぐに視線は戻ったのだが、それを見逃すマグノリアではなかった。
しかしそれは、嘘をついているというよりは真実を隠している後ろめたさからくる反応だと彼女は察した。
ハルトは、嘘をついているわけではない。
しかし、全てを話しているわけでもない。
「……それだけか?」
「…………はい」
今度は、目を逸らさなかった。
「………………帝国…かぁ…………うーん……」
「駄目ですか?」
腕組みして考え込むマグノリアに、ハルトは不安そうな顔を見せた。
マグノリアとしては、本音を言えば今すぐ「ダメだ!」と言い放ってしまいたい。理由なんて説明するまでもなく、そんな危険な案件にハルトを関わらせるわけにはいかない。
しかしハルトがここまで真剣になるのは珍しいことで、それを簡単に突っぱねてしまうのにも抵抗を感じていた。
悩むマグノリアに助け舟のつもりか、セドリックが口を挟んできた。
「なぁハルト。別に、お前が確かめる必要なんてないだろ。そんなの聖教会の諜報部隊にでも任せておけば」
「セドリックさんは黙っててください」
「お……おぅ…」
が、ハルトの素気無い一撃にあっけなく沈黙。
通訳してもらっていた恩義からなのかどうか知らないがハルトには頭が上がらないようだ。
「もし、アタシが駄目だって言ったら…お前はどうする?」
「一人で行くつもりです」
マグノリアの意地悪な問いにハルトは迷わず答えたが、ひどく淋しげな顔をしていた。それでも、一人は嫌だから行くのをやめるとも、一人は嫌だからついてきてほしいとも、言わなかった。
「はると、クウちゃんはいっしょ。いつでもはるとといっしょ」
「うん、ありがとうクウちゃん」
ハルトの腕を抱えるように抱きしめて見上げてくるクウちゃんを、ハルトは優しく撫でた。嫉妬したネコがすかさず両者の間に割って入り、自分もそのつもりだ、と言わんばかりにハルトの手にまとわりついた。
「なぁ、ハルト。お前もしかして、父親のこともあるから妙な責任みたいなのを感じてるとか、そんなことないか?」
世界を救った英雄の一人息子として、再び訪れた世界の危機に自分こそが立ち上がらなければ…というような、そんな使命感をハルトが抱いたとしても不思議ではない。
しかしそれは誤りだ。例え親がどうであったとしても、子は子。英雄の父を持った息子もまた英雄にならなければならないなんて、そんな道理はないだろう。
…世間的にはそうかもしれないが、そして教皇もハルトにその役割を望んでいるのかもしれないが、マグノリアはそうは思わない。
もしハルトが、周囲の期待や思惑のような目に見えない圧力に押されて自分の道筋を決めようというのならば、師匠としてそれを止めてやる。
そうマグノリアは思ったのだが、どうやらそれは彼女の勘違いだったようだ。
問われたハルトは、どうしてそんなことを聞かれているのか分からない、というようにキョトンと首を傾げた。
「責任……とかはよく分からないですけど。ただ、そういう難しいことじゃなくて……ボクは、そこに行かなくちゃって思うんです」
漠然としているくせに、揺らがない意志。
「あ…そうなのか。別に、期待に応えなきゃ的なものはない…んだな?」
「……?今のところは……はい、別に」
さて困った。マグノリアはいよいよ頭を抱える。
ハルトの希望は出来る限り叶えてやりたいし教皇からもそう言われている。が、それはあくまでもハルトに大きな危険がない場合、の話。
ましてや、ハルトが個人的に行きたいと願う希望を叶えるためだけに、その危険を冒すなんて。
「……とりあえず、アタシの一存じゃ返事出来ない。教皇に一度報告することになるけど、いいか?」
「ボクにそれを止める権利はありませんけど、教皇さんが駄目だって言ってもボクは行きますよ」
「…分かった、お前の意志もちゃんと伝えとく」
メルセデス絡み以外で、ハルトがこんなに頑固な面を見せるとは驚きである。しかもそれが、確固たる信念に基づいているものなのかただ意固地になっているだけなのかの判別が出来ない。
マグノリアは溜息を残し、再び教会へと向かうことにした。
本音を言えば、あまり教皇とは顔を合わせたくない。報告も、必要最低限に抑えたい。不要なことまで伝える気はないし不必要に干渉されたくもない。
遠隔通信とはいえさっき会ったばかりだというのにまたあの狸親父の顔を拝まなくてはならないのかと思うと、マグノリアの歩みは自然と重くなる。
そんなマグノリアの教皇に会いたくない気持ちが天に伝わったのかどうかは知らないが、再度面会を申請したとき、すぐさま取り次がれるということはなかった。
これは、意外に珍しいことだ。
教皇はとにかく忙しい御仁のくせに、マグノリアがどうでもいいことで連絡してくるようなことはないと分かっているからか、案外すぐに連絡がつくのだ。
何がしかの儀式中だとか重要な会議中であればその限りでもないが、その場合は向こうから時間を指定してきて再度連絡するようにと言伝がされるし、重要ではないちょっとした会議や他者との面会中だと下手をすればそちらを放り出して彼女に通信を開くことだってあったりする。
勿論それは、教皇がマグノリアを重視しているから…ではない。彼が重視しているのは、間違いなくハルトだ。
そしてマグノリアがハルト以外のことで教皇に連絡をつけるはずもないので、彼女の用件は伝わっているだろうに。
取次ぎの神官に言われてマグノリアは、二時間近く待ちぼうけに費やした。
待っている間は通信映像は真っ暗なので向こうで何があったのかは分からないが、「聖下は少し立て込んでおられますのでそのまま少々お待ちいただけますか?」と申し訳なさそうに告げた神官の少し慌てたような雰囲気からすると、何かトラブルでもあったのかもしれない。
リエルタと聖都は離れているので、流石に自分たちには関係ないトラブルだと思いたいマグノリアである。
「やぁ、待たせてしまって済まなかったね、マギー」
ようやく顔を見せた教皇は、全く普段どおりに見えた。慌てている様子もないしトラブルの匂いもないし装いに乱れたところ一つない。
…が、人を二時間も待たせておいて白々しくそう言ってのける様子に、間違いなく何かあったのだろう、とマグノリアは感じた。
しかし藪をつついて蛇を出すのは御免被るので、彼女からそれについて言及することはない。
「それで、どうかしたのかな?何か報告漏れでも?」
「…いや、漏れ…って言うか、追加で報告したいことがあって……」
珍しく歯切れの悪いマグノリアに、教皇はふむ、と小さく唸って続きを促した。
「ハルトが、次はグラン=ヴェル帝国に行くって言ってる」
「……………………ほぅ」
教皇の、感情の見えない呟き。この手の人間は驚いたときほど表にそれを出さないことをマグノリアは知っているので、彼がその言葉を驚愕をもって受け止めたことは確かだ。
「……行きたい、ではなく、行く、と言っているのかな?」
「いや…口調はそこまで強いわけじゃなかったけど……けど、決心は固そうだ。アタシが駄目だって言っても、一人で行くつもりらしい」
マグノリアは、ハルトとの遣り取りをかいつまんで説明。
聞いている間中、教皇の表情は能面のように動かなかった。
「……で、アタシはどうすればいい?」
マグノリアは、教皇の依頼を受けてハルトについている。であれば、依頼主の意志は無視出来ない。そしてそれを抜きにしても、魔王復活を目論む帝国だなんて危険な場所にハルトを行かせるのはマズいとも分かっている。
「仮に君が強硬に止めたとしたら、ハルトはそれに従うと思うかい?」
「いや、それはない。ふん縛って監禁でもしとかない限り、誰が何を言おうとあいつは自分の思うとおりにするだろう」
ハルトは、そう簡単に自分の望みを諦めるようなタマではない。表面的には押しに弱くて優柔不断のように見えるが、そういう頑固な一面も確かに持っている。
そして厄介なのは、彼の望みが道理や常識に一切囚われていない点なのだ。
「…………………明日」
「…え?」
「明日、もう一度この時間に連絡をくれるかな、ハルトと一緒に」
なるほど教皇が直接ハルトを説得するつもりか。
それなら自分の手間は省けるしハルトも言うことを聞くかもしれないし、少しは期待が持てるだろうと考え、マグノリアは了承した。
「分かった。ただ、あいつは貴方が何を言おうと自分は意志を変えるつもりはない、とも言っていたが」
「それは承知の上だよ。実際、彼が本当にその気になったら、私にそれを止めることなんて不可能だからね」
「………?」
教皇は何を言っているのだろう。
純粋な力だとか魔力だとかは別として、この地上界でルーディア聖教会の頂点に座す教皇に逆らえる者などいるはずがないのだ。それが例え英雄の息子であろうと。
それなのに教皇の言い様はまるで、ハルトが自分の権限の及ぶ範疇にはいない、と言っているようで。
そしてもし仮にそのとおりなのだとしたら、教皇ですら従わせられないような厄介な弟子を抱え込んでしまった自分はどうなるのかと、自分の境遇に少しばかり辟易としてしまうマグノリアだった。
それでも、今さら依頼を投げ出して…ハルトのことを放り出す気分にも、なれなかった。
ちょっとずつハルトが我の強さを出してきました。本質的には頑固でワガママな子です。




