第百二十五話 違和感
事件が解決して…というよりも解決を教皇庁へ丸投げして、シャロンたちがロワーズを発って、三日ほどが過ぎた。
マグノリアたちの現状は、何も変わりなし。
「………なぁ、クウちゃん。どっか具合でも悪いのか?」
「そうよ、クウ。体調がおかしいなら、詳しく綿密に正確にじっくりと調べてみないと……ハアハア」
ずっと押し黙ったままのクウちゃんを気にしてマグノリアが声をかけて、アデリーンがそれに便乗して鼻息荒くクウちゃんに迫り、顔を顰めたマグノリアに押し退けられても、クウちゃんは返事をしなかったし二人の方をちらりとも見ようとしなかった。
「……………………」
「クウちゃん?」
「ほらぁ、やっぱりどこか悪いんでしょ?お姉さんが調べてあげるから、ほらこっち来てまずは服を脱い」
「アデルやめとけそれは限りなく犯罪チックな臭いがする」
マグノリアとアデリーンがほとんど揉み合いみたいになってるのにも、まったく反応なし。
ただただ、日がな一日眠り続けるハルトをボーっと眺めるばかり。
別にどこか痛いとか辛いとかそういう感じには見えないが、流石に心配になってくる。
まるで今のクウちゃんからは、普段の幼児らしい喜怒哀楽がすっぽりと抜け落ちているようだ。
ハルトの枕元で丸くなっているネコがチラッとクウちゃんの方を見上げて、すぐに興味なさそうに視線を逸らすと欠伸をしてからまた丸くなる。
最近ネコがべったりのルガイアは、今はどこかに行っている。レオニールも、いつハルトが目を覚ましてもバレないように、どこかに隠れ中だ。
“黄昏の魔女”ヒルデガルダは、無事にベルンシュタインと再会し、隣室でゴロゴロしている。自身も拉致されていたというのに呑気なものだが、彼女を力づくでどうこう出来る人物の方が例外なのであって、シエルも霊装機兵も連行された以上は彼女を脅かすものなどここにはないのだろう。
「死ね……死ねクソ、死ね?」
「すいません公子、だから何言ってんのかさっぱりなんで」
なんかセドリック公子がマグノリアの裾をついつい引っ張っておずおずと言いかけるが、いい加減公子のあしらいにも慣れてきたマグノリアに素気無くされて、何とも言えない表情で引っ込んだ。昨日からこんな感じなのだが、何を言いたいのだろう。
「に、しても……ハルトがいつまでもこのままなのは、参ったな」
別に急ぎの用事があるわけではないが、目を覚ましてくれないと移動も出来ない。ティザーレ王国に対しては聖教会から圧力が掛かっているとは言え、あまりこの国に長居をしたいとは思わない一行である。
そのとき、部屋のドアがノックされた。
「……はい?」
ルガイアが戻って来たのであれば、ノックなどしないだろうし…一体誰だろう?とマグノリアが出てみると、そこにはこの施設で働く聖央教会の司祭と、その横にエリーゼの姿が。
「え、姫巫女?なんでここに……」
姫巫女エリーゼは、今回のユグル・エシェルによる事件の参考人として(それでも重要参考人でないあたり、教皇の恩情か目論見か)教皇庁へと連行された…はず。
それなのに、何故ここにいるのか。そんな満面の笑みで。
「教皇聖下とお話し致しまして、今回の件ではご恩情を頂きましたの」
「名目上はエシェル派の代表でいらっしゃいますが、姫巫女というお役目と代表の実務を両立させることは現実的に不可能ということで、聖下は姫巫女の責任を問うことは出来ないと判断されたようです」
姫巫女を案内してきた司祭が付け加えた。
それが教皇の判断であるならばマグノリアには異論はない。どうせあの狸親父のことだから、彼女に罪があろうとなかろうと解放したらマズいと思えばしないだろうし、問題ないと判断したからこそ無罪放免としたのだろうから。
だから、彼女が自由の身となったことに関しては、何ら異論はない。
ないのだが。
「いや、それはいいんだけど……それで、なんでここに?」
解放されたなら、さっさとエシェル派の修道院に戻ればいいだろうに。
なんでまた、満を持して…みたいな顔をしてここにやって来たのか。
…と、そこにルガイアが戻ってきた。
エリーゼの姿を見て一瞬だけ足を止め、それから何事もなかったかのように部屋の中へ。
エリーゼもルガイアにくっついてくるみたいな感じで、断りもなく中に入ってきた。それを見届けると、案内役の司祭はさっさと引き上げていってしまった。
「お、おい姫さん……」
至極当然のような顔をして入ってきて、至極当然のような顔をしてハルトの寝ているベッドの脇へ。手近にあった椅子を引っ張ってきて、至極当然のような顔をして腰を下ろした。
すぐ横のクウちゃんは図々しいエリーゼにほとんど無反応だった。
「…フフ、先日も思いましたが、寝顔もとても愛らしくてらっしゃるのですね」
「え、先日もって何?あんたら、一体何が…」
「やめときましょうマギー。これ以上首を突っ込んだら私たちの身が危ういわ」
おそらくはワザなのだろう、エリーゼの思わせぶりな台詞に突っかかろうとしたマグノリアを、アデリーンが押しとどめて後ろの方へ引っ張っていった。
体格的に差があるからけっこう大変だったろうが、それどころじゃないくらいアデリーンは必死だった。
自分の意図どおりの反応を見せてくれた遊撃士二人組に満足げに微笑んで、エリーゼはハルトの顔を覗き込む。
息がかかるくらい両者の顔が近付いて、フッとエリーゼの表情が、身に纏う空気が、変化した。
背中しか見えないはずなのにマグノリアたちにもそれが分かったのは、彼女を包むその空気がまるで教会の大聖堂を思わせるような清浄で荘厳な気配に満ちていたからだ。
「とても、深く眠っていらっしゃいますね。とてもとても深い………ご自分を、見失っていらっしゃるのでしょうか……」
囁くようなエリーゼの声。すぐ横にいたクウちゃんだけが彼女の瞳を見ることが出来たのだが、どこか呆けたままのクウちゃんにはその眼差しの虚ろで深遠な焦点が何を意味するのか分からないし、興味を持つこともなかった。
「なぁ、姫さん。そいつ、どうなってんのか分かるのか…」
「しっ。ちょっと様子を見てましょ」
マグノリアがエリーゼに話しかけたのを、アデリーンが止めた。
そんな二人の遣り取りは聞こえなかったように、エリーゼは振り向くことも頷くこともなかった。
「けれど……まだ、大丈夫。間に合います。まだ、私の手の届くところにいらっしゃいます」
姫巫女の言葉が何を指すのか、聞いている者たちには分からない。だがそれは、言葉のままの意味だけではないのだろう。
見守る一行の前で、エリーゼはハルトの胸のあたりに手を置いて目を閉じた。
微かに唇が動いているが、声は小さすぎて何を言っているかは聞こえない。
やがて眼を開けたエリーゼが、ハルトの頬にそっと触れた。
その瞬間。
まるでそれを合図にしたかというようなタイミングで、ハルトが瞼を開けた。
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「お目覚めですか、ハルト様?」
「……………」
柔らかく微笑んで呼びかけるエリーゼを、ハルトはしばらく黙ったまま見ていた。
「……ハルト様?」
再びハルトに顔を近付けようとしたエリーゼを、ハルトは無造作に押し退けた。
そして起き上がった彼の目が、今までになく冷たい光を宿しているのを見てマグノリアは一瞬、彼のもとへ向かいかけた足を止めた。
ハルトはというと、マグノリアの姿に気付いた途端にその冷たい光はどこかへ引っ込んで、いつもの人懐っこい笑顔が戻った。
「師匠、アデルさんも。無事だったんですね!」
すぐ傍にいるエリーゼには目もくれず、ハルトはベッドを降りると二人のもとへ駆け寄った。
無邪気な表情も、軽快な動きも、異常を感じさせるものは何もない。それについては安心するマグノリアだったが、
「おい、それはないだろハルト。姫巫女は、お前を心配して…かどうかは知らないけど多分心配して来てくれたってのに」
ハルトの、エリーゼに向ける表情と態度の冷たさが気になった。
師匠に言われてハルトは、顔を曇らせた。渋々、といった感じにエリーゼを振り返ると、
「……ありがと。ここはもういいから、帰ったほうがいいよ」
……とだけ、素っ気なく。
つれない、と言うにはあまりに冷えた声と口調に、さしものエリーゼも悲しげな表情を見せた。
しかしこの程度で諦めてなるものか、と思い直したように再び笑顔を作る。
「ご無理は禁物ですわ、ハルト様。とても深いところまで意識が潜っていたご様子でしたし、今後も何か影響が…」
「いいから帰るんだ」
エリーゼを見ていれば、ハルトへ好意を抱いていることは誰の目にも明らかだった。その好意が、一般的な友情だとかとは一線を隔しているということも。
少しでも大好きな相手と一緒にいたい、大好きな相手と話がしたい、見てもらいたい、というお年頃の少女らしいささやかな願いを全身から惜しみなく放つエリーゼの、なんとかハルトの歓心を得ようとどこか媚びるようにさえなってしまった言葉を遮るハルトの声は、しかしどこまでも冷淡だった。
「おい、ハルト……」
「すみません、師匠。ちょっとルガイアと話があるんで、席外しますね。クウちゃん、おとなしくここにいるんだよ」
エリーゼの傷付いた表情に、マグノリアは弟子を叱ろうとした。
姫巫女と関係を持つとか個人的に仲良くなるとかそういうのは避けてもらいたいのが彼女の立場だったが、それとこれとは別でハルトの態度は目に余る。
しかしハルトは、師匠に対してはいつもの仔犬然とした調子で唐突にそう言うと、部屋を出てしまった。
エリーゼとは真逆に優しく諭されたクウちゃんは、安堵した様子で深く頷いた。
いきなり名指しされてしまったルガイアは一瞬だけネコと視線を交わしてから、自分の方を見ることすらなく前を通りすぎたハルトの背中を無言で追った。
「な…なんなんだよ、あいつ」
残されたマグノリアは、ハルトの変化に言いようのない不安を覚え、しかしそれを本人に追及するのもなんだか憚られて、ただその後ろ姿を見送るしかなかった。
ようやく、お馬鹿なだけでないハルトの内面に踏み込める…かもです。こいつ主人公(のはず)なのになかなか掘り下げられなくてヤキモキしてたので。




