第百十二話 シエル=ラングレーの選択
「言いたいことは分かったよ。けど、そんなことのためにシャロンは渡せない」
話が理解出来なかったわけではなかろうに、ハルトの考えは変わらなかった。どんなことを聞かされようと最初から答えを変えるつもりはなかったのかもしれない、とシエルが思うほど、ハルトには悩んだり迷ったりする様子は見られなかった。
「国家レベルでの犠牲者と、シャロン嬢を天秤にかけるのか?それが君の正義だと?」
「悪いけど、ボクは正義とかどうでもいい系だから。ただ、嫌だと思ったことは嫌だし、嫌だと思ったことが他人にとやかく言われて嫌じゃなくなるなんてこともない」
ハルトの、傲慢とも受け取られかねない言葉…否、それは彼の傲慢に他ならない…を聞きながら、ルガイアとネコはどこか安心したような、同時にどこか淋しげな、そんな表情をしていた。
シエルとパルムグレンは、子供の理屈のような自分勝手さに憤る。
特にパルムグレンは、純粋な憤りというだけでなく自らの正当化のためもあるのか、口角泡を飛ばしてハルトを糾弾した。
「何と勝手なことを!大勢の人々が犠牲になると分かっていて私情ゆえにそれを見過ごすなど、異端審問官としてあるまじき行状!!まさか教皇聖下もお前と同じ意見だとでも言うのか!?」
ハルトの揚げ足を取って教皇の威信を貶めようとするパルムグレンの意図に、ハルトが気付くはずもない。気付くはずもないのだが、彼は首を横に振る。
「教皇さんは関係ありません。彼の意見を聞くつもりもないしそれに従うつもりもない。ボクが何を望んで何を為すかは、彼が口を挟めることじゃないから」
「…………な、“七翼の騎士”の台詞とは思えん……!」
信仰に対する反逆とも受け取れるハルトの発言に絶句するパルムグレン。たとえ異端審問官という立場でなくとも、聖教会信徒の考えとしては決して許されざるもの。
堂々と、教皇の指示には従わないと明言してしまっているのだから。
パルムグレンらエシェル派は、かつて強硬的な原理主義集団として聖教会の中でも危険視されていた。しかしその頃であっても、ここまではっきりと教皇庁に対する不服従の姿勢を見せることは出来なかった。
それは、異端として排除される最大の要因。
そんな爆弾発言をしたハルト本人は、しれっとしていた。
確かに教皇グリード=ハイデマンは彼の地上界滞在について協力してくれる心強い味方ではあるが、だからこそその手伝いをすることもやぶさかではないが、だからといって自分の手綱を預けた覚えはない。
ハルトは、自分の意志にも行動にも、自分以外の者の介入を許すつもりはなかった。
「シエル、ボクはボクの意に反することでなければ君たちが何をしようとも構わないし、干渉も介入もしたくない。けど、君たちの計画のせいでシャロンが危険に晒され続けるっていうなら、邪魔させてもらうよ」
ハルトの眼差しと切っ先を真向から受け止めて、シエルは迷いを捨てた。
目の前の少年は、たとえ世界中から何と言われようとも、自分の意志を曲げることはない。
…ただ拘束して動きを奪うだけでは、彼を止められない。
「……互いに歩み寄る余地はない、というわけだね。分かった。こちらとしても、シャロン嬢とベルンシュタインを渡してくれさえすれば“黄昏の魔女”もマグノリア=フォールズとその仲間も無事に返すつもりだったが、そして君とは敵対したくなかったけど……」
シエルも、腰から剣を抜いた。先にハルトに折られたものとは別の、強い輝きを秘めた長剣だ。
「君がシャロン=フューバーに固執するというのなら、オレは君を排除する」
鏡映しの彫像のように、二人の少年は互いに剣を向け合ったまま、静かに対峙した。
◆◆◆◆◆◆◆
駆け引きも探り合いもなく、二人の剣は真正面からぶつかり合った。
迷いと躊躇いを捨てたシエルの攻撃を、ハルトは表情一つ変えずに受け止める。
さらに続く剣戟。上から、下から、左右にフェイント。容赦なく攻撃を繰り出すシエルと、悉く受け止めるハルト。
傍から見れば、一方的に攻撃を仕掛けているシエルが優位に立っているようだった。
しかし、手加減の一切を排した自分の全力に引けを取らずついてきているハルトの腕に、シエルは内心で舌を巻いた。
…これほどの猛者は、彼が戦い続けてきた永い永い時間の中でも数えるほどしかいなかった。
今のシエル=ラングレーは、第五等級遊撃士という仮初めの身分を捨てている。正真正銘の駆け出し遊撃士であるハルトでは、渡り合えるはずのない差があるはずだった。
それなのに。
シエルは、ハルトの実戦をほとんど見たことがない。ほとんど…と言うか、先ほど剣を交えたのが初めてだ。
同期の仲間たちで受けた依頼の際に、それぞれの実力はある程度把握しているつもりだった。
遊撃士試験の際のハルトを見ていて、確かに他の同期連中に比べると一段高いレベルに達しているとは感じた。伸びしろも十分にある、と。
だが、これはいくらなんでも異常だ。
シエルが本気を出せば、現代の地上界においてまともに相手が出来る廉族などほとんどいない。
そう、あの三剣の勇者だとか聖戦の英雄と呼ばれる者たちであっても、決して負けることはないと彼は思っている。
そんな彼と、ハルトは今、対等の戦いを繰り広げている。
シエルの驚愕とは別の意味で、もしここにマグノリアがいたのであれば、彼女もまた驚愕したことだろう。
今のハルトの戦い方は、今までとは明らかに異なっていた。
傷付くことを怖れるためか、敵の攻撃は受け止めずに躱すというのがハルトの本来の戦闘スタイルだった。
しかし今のハルトは、シエルの攻撃を全て真っ向から受け止めている。体勢的に躱した方が安全かと思われるような角度からの斬撃ですら、頑ななまでに。
そこには、ただの勝敗だけではないハルトの譲れない何かがあるのだと、ハルトの普段を知らないはずのシエルさえ、そう思った。
シエルは、風獅子を呼び出さなかった。ハルトもまた、クウちゃんに何も命じなかった。ルガイアもネコも、ハルトの戦いを見守り、パルムグレンもやきもきしながらではあるが口も手も出そうとはしなかった。
二人の戦いは、外部からの干渉の全てを強く拒絶していた。
一度仕切り直そうとシエルは一歩後ろへ下がる。ハルトはその機を逃すまじと攻勢に転じた。その細腕からは想像も出来ないほどの重く鋭い一撃一撃に、シエルはこのまま受け続けるのは危険だと感じた。
彼が今手にしているのは、ハルトに破壊された廉価品とはモノが違う。流石に神授の聖剣…とまではいかないが、それを模した非常に精緻で高スペックのレプリカ。普通に使う分には傷一つ付かない頑強さを持っているが、しかしこのままハルトの剣を受け続ければ、シエルの剣か腕のどちらかが早晩限界を迎えることになるだろう。
勝敗は分からない、とシエルは思った。同時に、ずっとこうして戦っていたい、とも。
間違いなくハルトは、シエルが全力をぶつけるに値する相手。思惑だの目論見だの計画だの、そんなものはかなぐり捨てて二人でこの先に待つ光景を見てみたい。
しかし、それはシエルには許されない贅沢だった。
彼には、使命がある。それはエシェル派だとか聖教会だとかティザーレ王国だとかはたまたグラン=ヴェル帝国だとか、それらの間で戦争が起こるかもしれないだとか、そんなちっぽけなものではない。
必ず魔王を滅ぼすと誓い合った仲間がいた。それが叶わなかった彼らの思いを背負って、シエルは今ここにいる。
自分だけの我儘で、それを無為には出来ない。
シエルは、剣士としての矜持や願望より、自分の使命を優先させる決断をした。
切り結びながら、術式の詠唱を始める。そのイントネーションに気付いたはずのハルトは、顔色一つ変えなかった。やはり、報告にあったとおりハルトの魔導耐性は尋常ではないレベルなのだろう。
だがハルトのその余裕は誤りだ。術法は、何も攻撃のためだけの手段ではない。
「【閃光球】!」
短い詠唱を終えシエルが放ったのは、初歩的な光学系術式。それ自体に殺傷力も付帯効果もなく、ただの目眩ましくらいにしか使えない、低位術式。
その「ただの目眩まし」をまともに食らい、ハルトの攻撃が止まった。
シエルに与えられたのは僅かな時間と二つの選択肢。
視界を奪われたハルトを斬るか、当初の予定どおり後退して仕切り直すか。
迷ったのは一瞬の中のさらに刹那の時間。シエルは最後の一撃に全てを込めて…
直後、その力を全て移動のために転換し、大きく後ろへと飛び退った。
ハルトを殺すつもりだった。この一撃で、全てを終わらせるつもりだった。
しかし、攻撃の直前シエルの視界に映ったのは、視界を奪われたにも関わらず平静なままのハルトの表情。
相手が見えていないからといって迂闊に斬りかかっていたならば、間違いなく自分が斬られていた。
起こらなかった未来の事象のはずなのに、シエルの脳裏にはその光景がまざまざと映し出されていた。
ハルトがゆっくりと瞼を開けた。
まともに目を焼かれたというのに、既に視力は戻っているのだろう。そして彼は、霊装機兵の傍らに立つシエルを見据えた。
「……シエル」
「悪いけど、オレはここで終わるわけにはいかない。まだ、やらなくてはならないことが沢山残っているから」
ここでシエルらの企みを阻めばそれで一件落着、のハルトとは違う。よしんばここでハルトを倒したとしても、不気味な神官と謎の幼女が残っている。例のハルトのストーカー男も姿は見えないが、この近隣にいることは間違いないだろう。
そんな状況で危険は冒せない。
シエルはそう自分に言い訳して、パルムグレンに頷いてみせた。
「全く……試運転にしては、少々荒っぽすぎるのではありませんかな?」
どこか呆れた風にぼやきながらも、パルムグレンはシエルに応えた。
彼は霊装機兵の後ろに回り込むと、開口部から内部にするりと身を滑り込ませた。
「………?」
初めて見る搭乗風景にハルトが首を傾げる目の前で、霊装機兵の足元に描かれた魔法陣が突如、光を放った。
それまで項垂れるように前傾姿勢で固まっていた霊装機兵が、まるで命が吹き込まれた人形のように顔を上げ背筋を伸ばし、その両目に光が宿った。
もしここにいるのがハルトではなく、彼の父リュートであったなら、おそらく相当に興奮したことだろう。
「ロボットだ、リアルロボットだ!」とか叫びながら、小躍りして喜んだに違いない。彼がかつて暮らしていた世界においては、実在していないにも関わらずそれの認知度は非常に高かったのだから。
だが残念なことにこの世界で生まれ育ったハルトが、それを知るはずもなく。
彼は、動き出した金属製のカラクリ人形に無慈悲な目を向けた。
シエル君がいると、なんか展開がクソ真面目というか重苦しくなるんですよねー……ハルトも空気読んじゃってボケてくれないし。やっぱり師匠と別行動を取らせるべきではなかったか……




