第百十話 魔王子殿下、ちょっとした存在意義の危機に立たされる。
「シエル……やっぱりここにいたんだね」
「ハルト………」
静かな調子のハルトに、シエルは何かを言い淀んだ。しかしそれ以上は続けず、諦めたように首を振った。
顔見知りらしい二人の遣り取りに、パルムグレンは怪訝そうな顔でシエルを見た。
「ラングレー殿?」
「…すみません、パルムグレンさん。彼がここに辿り着いてしまったのは、オレのせいです」
シエルのハルトを見つめる瞳には、彼の真っ直ぐな覚悟が宿っていた。
ここまで来たら、もうハルトたちを見逃すことは出来ない。迂闊なことを口走ってしまった自分の責任として、彼は彼の手でハルトを排除しなくてはならない。
幸い、準備は間に合った。全てが万全、というわけにはいかないが、ハルトたち三人(と一匹)を相手にするには充分。最も警戒しなくてはならない“黄金翼の聖獣”は封印されていて無力なのだ。
「シエル、魔女さんと、あと師匠たちを返して」
ハルトももう、シエルを問い詰めることはしなかった。ただ、自分の要求だけを告げる。そしてその要求が通らなかった場合どうするつもりなのかも、明らかだった。
ハルトとしては、どうあってもシエルは拒絶すると思っていた。
しかし意外なことに、
「条件次第では、そうしてもいい。……ベルンシュタインとシャロン=フューバーをこちらに引き渡してもらえれば」
「ラングレー殿、それでは我らの情報が……!」
シエルの提案はパルムグレンにとっても意外だったらしく、彼は慌ててシエルを止めようとする。
「しかし、“黄昏の魔女”も彼女の縁者の遊撃士たちも、それ自体は我々の目的には無関係です。計画が完成するまではハルトたちも共に拘束しておく必要がありますが、全て動き始めてしまえば、情報の秘匿も必要なくなる。…違いますか?」
「それは、そうですが……」
「我々は…いえ、貴方がたエシェル派も徒に犠牲を積み上げることを望みはしないでしょう?奴らに対抗するには犠牲はやむを得ないかもしれないが、それは必要最低限に留めるべきだ」
シエルの声色に気圧されて口ごもるパルムグレン。しかし彼はまだ納得出来ていないようだ。
計画、というものが何なのかハルトには分からない。しかし、先の「部品」という言葉も、彼が“黄昏の魔女”を…正確にはその契約精霊であるベルンシュタインを求めシャロンも求め、マグノリアたちまで連れ去ったのも、その「計画」とやらに繋がることなのだということは分かった。
分かってしまったからこそ、頷くわけにはいかなかった。
「それで、ボクたちがもしシャロンとベルンシュタインを君に引き渡したら、君は彼女らをどうするつもりなの?シャロンの身に危険はないの?」
シエルらが、両者を何かに利用しようとしていることは確かで、「部品」などと無機質な言葉が出てくる以上はその利用方法に懸念を覚えざるを得ない。
よしんば高位精霊であるベルンシュタインは心配要らないことだとしても、非力な人間でしかないシャロンの心身に何がしかの犠牲を強いるものであった場合…
「もしそうだったとしたら、ボクはシャロンたちを渡すわけにはいかない」
「いや、そんなことはないぞ!我々は彼女らに協力してもらいたいだけで、決して危害を与えるような真似はしない!!」
シエルの代わりにハルトに答えたのは、パルムグレンだった。
しかしハルトはそちらには目を向けず、ただシエルの答えを待つ。
「……………」
「…シエル?」
シエルは、しばらく何も言わなかった。
真実を告げることを躊躇っている、というのではなく、どこまで真実を告げるべきか、迷っている。
やがて、意を決したように口を開いた。
「ハルト、君はグラン=ヴェル帝国について知っているかい?」
「……え?」
いきなり出てきた聞きなれない国名に、それが何の関係があるのかとハルトは首を傾げた。しかしシエルの横のパルムグレンが酷く慌てた様子になったことから、今回の件の核心に近いのかもしれない。
「ラングレー殿!」
「いいではありませんか。彼らにも真実を知ってもらいましょう。いずれ、彼らにも無関係ではいられなくなる……地上界全ての民にとって、無関係ではいられないことなんですから」
「……………」
パルムグレンを黙らせたのは、シエルの言葉というよりは視線だった。
その瞳のままシエルはハルトに向き直り、彼らの目的を…計画を語り始めた。
「中央大陸の北の覇者、グラン=ヴェル帝国。五十年ほど前までは他国への侵略を繰り返していたあの国も、最近ではめっきり大人しくなったという話だ」
唐突にシエルは話し出すのだが、実はハルトはそのグラン=ヴェル帝国とやらのことは初耳。その国がどこにあるのか、どんな国なのか、何も知らない。
だが、まさかそこまでハルトが無知だとは気付かないシエルは、そのまま続ける。
「けれども、大人しくなったというのも表向きだけ。今もあの国は、水面下で動き続けている」
「動き続けてって……何をしようとしてるの?」
帝国の狙いとシエルたちの計画と何の関係があるのか、シエルはそもそもの発端から説明しようとしているのだと察したハルトは、とりあえず彼の話を聞く態勢を取る。
ハルトの中にはまだ、どこかシエルを信じていたいという思いが根強かったからだ。
しかし次の瞬間シエルの口から飛び出てきた情報は、ハルトを仰天させるには充分すぎるものだった。
「……魔王の復活」
「………!!?」
シエルは、ハルトの驚愕の意味を取り違える。
そしてそれは、地上界の民にとっては、当然の驚愕。
「帝国は、ルーディア聖教を信仰していない。かつては土着の神を崇めていたらしいけど…今あの国は、魔王の復活と世界の支配を希う狂信者たちの巣窟となっている」
「ちょ…ちょっと待って、だって魔王って……復活って…………」
狼狽えるハルトに、シエルはそれも尤もだと言わんばかりに頷いた。
「分かるよ。あまりに荒唐無稽な話に聞こえるだろうね。けど、これは事実だ。そして、帝国の馬鹿げた妄想だと断じてしまうにはあの国の計画は本格的だ」
「だって……魔界ならまだしも、なんで地上界の国が………」
「彼らがどういう経緯で魔王を崇拝するようになったのかは知らない。けれども、残念ながら地上界にあっても魔王崇拝者という連中は確かに存在するんだ」
ハルトは、思わず背後のルガイアを振り返った。
しかし彼の表情は平静なままで、シエルの話について彼がどう思っているのかハルトが察することは出来ない。
「彼らは、人工的に魔獣を作り出そうとしている。といっても、遊撃士試験とか訓練で使われるような、人工的に繁殖させたヤツとは全くの別物だ。魔獣を培養し、ときに組み合わせたり強化させたりした上で、核と魔導具とを入れ替えて自分たちの命令どおりに動く人造魔獣。最近帝国近辺の森林地帯では、本来では生息していないような高位魔獣の目撃が相次いでいる。おそらく、実験の一環だろうね」
「…………高位魔獣…?」
そう言えば、師匠がなんか頭を抱えてそんなことをブツブツ言っていたような気がする。
ハルトは思い出すが、そのときはあまり深刻に考えていなかったせいでそれについてマグノリアに訊ねることさえしていなかった。
「帝国の計画が完成してしまえば、大陸は悲惨な混乱に陥ることになる。考えてみてごらんよ、オロチやリヴァイアサンのような化け物があちこちに跋扈するようになったら、どうなってしまうのか」
「………………」
オロチやリヴァイアサンと言われても、ハルトには分からない…実際にオロチと対面したことはあるがそうと認識する前に吹っ飛ばされて気を失ってしまったから…ので、答えようがない。
だが、少なくともシエルが「化け物」と呼ぶに値する危険な存在なのだろうとは思う。
しかし、ハルトにとって重要なのは魔獣のことではない。
地上界がどうなっても構わない…とまでは考えていないが、彼にとっては所詮は他人事。
それよりも、はっきりさせておかなければならないのは。
「魔王の復活…って言ったよね。それは、どうやって?そもそも、魔王は死んだんじゃないの?」
ハルトは、魔王は死んだと聞かされている。母からも臣下からも。だからこそ、ハルトがその後継として魔王の座を受け継がなくてはならないのだ。
「君は、魔王のことを何も知らないんだね」
シエルに、言われてしまった。
言われて初めて、ハルトは自分が驚くほど父親のことを知らないことに気付く。
「アレは、生死を超越した存在だ。勿論、オレだって確信があるわけじゃないけど……アレが、そう簡単に滅びるとは思えない。帝国が魔王の復活を信じて動いているならば、可能性はあるんだろう」
息子を前にして魔王を「アレ」呼ばわりするシエルだが、ハルトはそれに憤るほど父親に愛着はない。
ただ、それが真実であるならば、自分は一体何なのか。
魔王の後継という理由で愛され守られ尊ばれて今まで過ごしてきた。
それなのに、魔王が復活するならば…それに死という概念が無縁であるならば……
自分など、必要ないのではないか。
ハルトの青ざめた顔と震える肩を、シエルは痛ましげに見つめた。
もし魔王が復活すれば、もうシャロンの身の安全だとかマグノリアの行方だとか、そんなことは些末事となってしまう。
非情にならなければ、待ち受ける惨劇は防げない。
その結論にハルトも達したのだと勘違いしたシエルは、自分も経験してきた痛みを彼に味わわせることに言いようのない罪の意識を感じていた。
「それに、魔王の復活の可能性があるにせよないにせよ、このまま帝国の計画が進めば大量の高位魔獣が野に放たれる。それだけでも、大勢の人々が犠牲になるだろう」
そもそも、魔王の復活と言っても廉族に可能なことなのか。
超常の存在に働きかけることの出来る力も、方法も、誰が持っているというのか。
加えて、魔王が滅びていない、というのは何を根拠にした考えなのか。
生死の概念がなくても、不滅の存在ではないことも分かっている。同格である創世神は滅びたのだ、ならば魔王もまた完全に滅びたのだと考えることは不自然ではない。
帝国が何を思って魔王の復活を信じ、地上界を魔界の属国としようと画策しているのか、そこまでの情報は入手出来ていない。
「確かなのは、帝国が自分たちの思いどおりになる魔獣の群れを作り出して地上界を支配しようとしているということだ。けど、それだけでもオレたちは座視することは出来ない」
「けど、だったら教皇さんに話せばいいじゃないか!ルーディア聖教だって、そんなことになったら困るんでしょ?シエルたちだけでやるよりも、聖教会全体で力を合わせた方がいいに決まってる」
ハルトの指摘に、パルムグレンは気まずそうに顔を逸らした。
その反応から、彼は権力争いだとか派閥争いだとか権謀術数だとかに気を取られているのだと分かる。
しかしシエルは、そんなくだらない理由と自分とは無縁だとばかりにパルムグレンを冷ややかに見据えていた。
「……現教皇…いや、聖教会は、信用出来ない」
「……え、どうして?」
シエルの疑念は、ハルトは知らないことだが教皇がシエルに対して抱いているのと似たり寄ったりのものだった。
「現在の教義は、本来の在り方とはかけ離れてしまっている。そしてそれを主導してきたのが、ルーディア聖教最大の派閥である聖央教会、そしてそこの出身である現教皇グリード=ハイデマンだ」
まるで、教皇よりも自分の方が信仰の「本来の在り方」に詳しいというような口ぶりのシエル。
「彼は、何を考えているのか分からない…油断ならない人物だ。本当に、御神への畏敬と崇拝をもってその座に君臨しているのか、彼にはもっと優先するものがあるのではないか、そんな気がしてならないんだ」
教皇の人となりを知らないシエルの言葉だが、ハルトもまた同様なので反論は出来ない。
そして実を言うと、それは事実でもあった。
「教皇と聖央教会は信頼出来ない、とオレは判断した。教えを歪め権力闘争に明け暮れる彼らに、人々を導く資格はない。そして、邪悪な企みを阻止する力も」
そこでシエルは、自分の傍らを見上げた。
そこにあるのは、石人形にも似た金属製の人形。
「だからオレは…オレたちは、自分たちの力で帝国の狙いを阻むために、対抗手段を獲得しなくてはいけなくなった」
「……対抗手段?」
オウム返しに訊ねるハルトに、シエルは頷いた。
「…そう。帝国の、人造魔獣に対抗出来る手段……オレの持つ技術と、ユグル・エシェルの協力とで開発した……霊装機兵計画だ」
シエルの傍らのパルムグレンは、この上なく誇らしげな表情で頷いていた。
しかし、当のシエルはというと、なんだか不本意そうな、気掛かりがあるような、面白くなさそうな、そんな煮え切らない顔をしていた。
前にボルテス子爵のおうちで石人形を出したときに、ロボットもいいなーって思ってました。ちょっとベタですけど。




