第百八話 買収って要するにギブアンドテイクだと思うんだけど悪者扱いされるよね。
ハルトは、確かに魔界においては完全にお飾りの王太子ではあるのだが、しかし飾りというのはそれなりに見えなくてはならないものなのだ。
魔王の後継に相応しい威厳と風格。そのどちらもハルトには欠けているものではあったが、あたかもどちらも兼ね揃えているかのように振舞うのは王太子としての最低限の仕事だったし、謁見や典礼ではそう演じ続けてきたためにお手の物だったりもする。
ハルトは、地上界での自分は一介の遊撃士でしかなく、他者は自分の外見の幼さや経験の足りなさを見て相応の対応をするということを学んでいた。
実際、魔界の王太子という肩書を取り払ってしまえば彼は「一介の遊撃士」なわけで、そんな彼がただ偉そうにしたところで相手を威圧するのがせいぜいといったところなのだが。
彼は出立前に、教皇グリード=ハイデマンから彼の私設部隊であり半ば公式に異端審問官として認められ恐れられている“七翼の騎士”の臨時要員として任じると告げられていた。
そして彼の父もまた、その一員であったと。
腰の重い聖職者には、その名を出せば十分だ。彼の求めを拒むのならば、強硬的な手法を取ることも出来る。
それだけ、地上界におけるルーディア聖教会、そして教皇の権力というものは絶大であった。
そしてハルトは、自身に権力はないものの、その使い方と効果は十分すぎるほど知っていた。
ハルトの宣告に、神官はしばらく固まっていた。“七翼の騎士”という単語のせいか、はたまた…
「ハルト=サクラーヴァ殿…と、申されたか」
この世界で、サクラーヴァという姓は非常に珍しい。そもそもからしてこの世界の名ではないのだからそれは当然なのだが、しかし珍しいながらもその名を知らない者は存在しないと言ってもいい。
「その…貴方は……剣帝殿のご血縁ですか…?」
「今、父は関係ありません。ボクは、ボク自身が教皇の使者としてここに来ました」
やはり、地上界で剣帝の名は相当の影響力を持つようだ。
関係ない、と言いつつその息子であることを告白したハルトに、神官は下手な対応は自分たちの命取りだと悟る。
英雄の息子が、教皇の直属として自分たちを審問に来た、などと。
神官は、傍らにいた側近に目配せをした。彼の額には冷や汗が浮かんでいたが、流石に表情は平静を装っている。
「これは、失礼致しました。私は、ユグル・エシェル代表補佐のリヤド=パルムグレンと申します。審問とは穏やかではありませんが、調査にはもちろんご協力致します。すぐに何かの間違いだということが分かっていただけるでしょう」
「それを決めるのは貴方たちではありません。が、協力には感謝します」
いよいよもってハルトらしからぬ物言いである。余程マグノリアたちの身を案じているのだろう。
神官は、ハルトたちを先導して歩き始めた。いつの間にか、パルムグレンの側近の一人…先ほど目配せされていた男…がさりげなく列を離れたことにルガイアは気付いたが、何も言わなかった。
ハルトもどうやら気付いているようだったが、黙殺していたからだ。
「では、どこからご案内いたしましょうか。この修道院の経営はラスキンという者に任せておりますが、彼は院長室にいるはずですのでまずはそちらに…」
「“黄昏の魔女”はどこにいるのですか?」
ハルトは、パルムグレンの言葉を聞いていない。聞く価値も必要もないと言わんばかりだ。
無視されたに等しいパルムグレンは、戸惑ったように愛想笑いを零した。
「先ほどもそのようなことを仰っておりましたが…ここに“黄昏の魔女”はおりませんよ」
「ここにいることは知っています。或いはここではなくとも、貴方たちの管理下に」
「……………」
疑いではなく確信を告げるハルトの声色に、パルムグレンは黙り込んだ。その背中に緊張が僅かに走った。
「は、はは……これは困りましたね、いないものはいないのですが、どうしたら分かっていただけるでしょうか」
「益体もない問答を続けるつもりはありません。“黄昏の魔女”、もしくはシエル=ラングレーに会わせてください」
「…………」
「彼はここにいるのでしょう?」
パルムグレンは答えず、無言で歩き続けた。
一際大きな建物の中に入り、長い長い廊下へ。しばらく突き進み、やがて足を止めた。
それから振り返ったパルムグレンは、変わらず穏やかな笑顔だったがその中に不穏な影が混じっていることに、ハルトは気付いた。
「……さて、異端審問官殿。実務的な話といきましょうか」
「………?」
パルムグレンは、恍けるのをやめたようだ。
「ここに“黄昏の魔女”はおりませんし、我々は何ら信仰を損ねるような真似はしておりません。その旨を教皇聖下にご報告いただければ、双方にとって良い結果を出せると思うのですが」
「良い結果…とはどういうことですか?」
謎の提案をしたパルムグレンの意図が分からず、ハルトは怪訝そうに首を傾げる。
「我々エシェル派は、順調に勢力を伸ばしております。姫巫女を擁することも出来た現在、大司教或いは枢機卿の選出も遠くないでしょう」
「……それが?」
ハルトは分かっていて素気無く問うたわけではない。本気で分からなかったのだ。
しかしパルムグレンは態度を変えないハルトを、手強い相手だと見なしたようだった。
「……貴方も“七翼の騎士”の一員ならば、今後聖教会にて上を目指しておられるのではないのですか?我らは、その後ろ盾になれると申しているのですよ」
「………?」
聖教会で、上を目指す。
そんなわけはないだろう。自分は次期魔王だ。地上界の宗教に興味などない。
「サクラーヴァ公爵家と言えば確かに聖下の懐刀ではありますが、しかしご存じかと思いますが、教皇は大司教及び枢機卿の選出に直接介入は出来ないのですよ?」
「………?」
「…ですから、後ろ盾は多い方がよいでしょう。姫巫女を擁する一派からの推薦は非常に大きな力を持つことになる」
どうやらパルムグレンは、ハルトを買収しようとしている…ようだ。実に的外れなことであるのだが、こういうことは聖職者あるあるなのだろうか。
だとすれば随分と世知辛いことである。
「我らの目的は、全ての聖教徒…ひいては全ての民にとっても正しき道なのです。そのことを知っていただければ貴方も…」
「御託はいいから魔女さん返してください」
つらつらと調子よく話し続けるパルムグレンを、ハルトは遮った。いい加減、彼の勘違いに付き合ってはいられない。
「…………我らの協力は必要ない、と?」
「いえ、ですから協力してくださいってさっきから言ってるでしょう?魔女さんを返すか、シエルに会わせてくれって」
パルムグレンは、両者の主張が完全にすれ違っていることを悟った。
そして、目の前にいる審問官に買収は通用しない、ということも。
「……そうですか……そうですね、直接的に票は得られなくとも聖下の懐刀であればその恩恵は十分に得られるというわけですか」
ただし、未だ勘違いは残している。
ハルトは地上界での権力に興味がないだけなのだが。
「ならば……仕方ありませんね。出来れば、教皇派とも仲良くさせていただきたかったところなのですが……」
パルムグレンの目が変わった。
それまでの、どこか媚びるような色は綺麗さっぱり消え去っている。
「どうあっても我らを阻むと仰るのであれば、こうせざるを得ません」
パルムグレンは、指を打ち鳴らした。
すると、いつの間に集まって来ていたのか廊下の後ろからも前からも、廊下の途中のドアからも、わらわらと僧兵が現れハルト達を取り囲んだ。
ハルトもルガイアもクウちゃんもその光景には驚くことなく、静かに構える。彼らはもとより、そのつもりだったのだ。
三人(と一匹)の余裕の態度を、パルムグレンは嘲笑った。
「はっ!たった三人で、何が出来ると言うのですか?」
“七翼の騎士”が手練れ揃いだというのは彼も聞き及ぶところではあるが、人数差で押し切ってしまえと思ったのだ。
人数差で押し切ってしまえると、思ったのだ。
実際にハルトはあくまでも臨時要員(しかも教皇の気まぐれ的な)でしかなく実績もないので、ある意味でパルムグレンの判断は正しい。
正式な“七翼の騎士”であれば、この十倍の人数差であっても意味を成さない。
しかし別の意味で、彼がハルトたちを阻むことなど、出来るはずがなかった。
なんだかハルト君が急に偉くなっちゃったみたいです。
この子多分、頼れる人がいないところでは結構しっかりしてるタイプかも。
逆に頼れる人がいるところだといつまでたっても自立出来ないかも?




