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第百三話 侯爵の事情





 最初のうちは余裕たっぷりの態度を見せつけていたエヴァンズ侯爵だったが、戦闘が続き自分の子飼いが次々と数を減らしていく光景に、少しずつだが確実に焦りを見せ始めた。

 

 彼がロワーズに連れてきた部下は、二十余名。半分は彼の直属の護衛騎士で、もう半分は彼の領地で活動する遊撃士。全員、第五等級以上の実力を持った猛者揃い…のはずだ。


 侯爵は、ハルトの等級を知らない。が、仮に上位だったとしても(実際は最下位だが)これほどの戦力差ならば余程のことがない限りそれを覆されることはないだろう。

 

 だが実際に、ハルトもルガイアも未だ傷一つ受けていない。人数的には遥かに優位にある侯爵の手勢たちの方が、気圧されているように見えた。


 ……このままではいけない。侯爵は、唇を噛みしめる。

 ハルトに告げたことは本当だ。彼は、シャロンのことを殺したくて殺すわけではない。憎くて殺すわけでもない。

 愛情があるわけではないが、彼女が特別な力さえ持っていなければ、文字どおり歯牙にかける必要などなかった。

 或いは、彼女にさらなる利用価値があったならば。



 シャロンは、中途半端なのだ。

 彼らの計画に利用するには力不足。しかし、()の計画には必要不可欠。そのどちらかが否定されていれば、彼女は死なずに済んだだろう。


 

 


 侯爵が、幼いシャロン=フューバーと初めて出逢ったのは彼女がまだ三歳の頃だ。そのときはまだ、彼女に対して何の関心も持っていなかった。ただ、部下の娘だ…というだけの認識。

 しかしその後とある筋から彼女の特殊な能力のこととその価値を聞かされた彼は、同時に彼女を掌握しておくようにとの指示を受けた。


 だからこそ、興味もない小娘のご機嫌取りをしたり味方のフリをしたり、後妻との関係もあって娘の扱いに困っていた伯爵からシャロンの信頼と愛情を奪うことに十年以上を費やしたのだ。

 利用するにしても、排除するにしても、無条件の愛情と信頼は彼にそのどちらも容易たらしめるはず。


 排除の決定がなされた時期、フューバー伯爵が娘をイトゥルに追いやったと知ったときは丁度いいタイミングだ、と思った。

 本邸から遠く離れた場所ならば、護衛も少なかろう。強盗か何かの仕業に見せかけて殺してしまえば、アンテスルにいる、しかも周囲にはシャロンの一番の理解者だと思われている自分が疑われる心配もない。


 しかし、それはやたらと腕の立つ彼女の執事のせいで悉く邪魔された。

 遠距離通信でシャロンとは月に一度ほど遣り取りを続け内情を探っていたのだが、彼女は自分の周りで何が行われていたかなど分かっていない様子だった。ただ、不審者が現れたとか屋敷に外から侵入した跡があったとか、その程度の認識で。

 主に悟られることもなく刺客を排除し続ける執事がいる屋敷では、いつまでたっても状況は進まない。

 そこで侯爵は、言葉巧みにシャロンを誘導した。

 アンテスルへ戻って父親と直接対話することを、彼女に判断させた。


 これで、全て上手くいくはずだった。

 街道は伯爵の手の者が潜んでいるかもしれない、とそれとなく彼女が峡谷を抜けることを考え付くように仄めかし、念のため街道も封鎖し、目撃者が出るといけないのでカナン峡谷で凶悪な魔獣が出没したと偽情報を流して峡谷に誰も近付かないようにして。


 刺客には、どんな手を使ってでも確実に殺せ、と命令しておいた。

 山深いカナン峡谷ならば、多少派手な手を使っても問題ないから、念には念を入れて殺せ…と。


 そうしてシャロンの乗った馬車を峡谷の深い崖下に落とした、と報告を受けたときは、これで命令を果たせたと思った。

 …まさか、それで生き延びるとは。



 死体を回収するために(彼の主は確実な証拠を求めていた)カナン峡谷へ向かおうとロワーズまで来た彼は、街の門番からシャロン=フューバー伯爵令嬢の入都を報告され、自分の耳を疑った。

 そして馬車の停車場でその姿を見付けたとき、次は自分の目を疑った。


 どんなカラクリかは知らないが、シャロン=フューバーはまだ生きている。

 そして、自分はなんとしてでも彼女を排除しなくてはならない。

 偉大なる帝国のために、その悲願を阻む者は須らく排除しなくてはならない。


 幸運なことに、シャロンは自分のことを信じ切っている。心優しく思いやりに満ちた温かな人間だと思い込んでいる。


 それを利用すれば、彼女一人殺すことなど造作もない。

 造作もない……はずだったのに。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 「そんな……どうして魔法が効かない!?」


 魔導術式による雷撃をハルトに浴びせた侯爵の手下の一人は、直撃を受けたのにケロリとしている相手ハルトを見て後ずさりした。

 それを見た他の魔導士連中も、魔法が無効化されるという前代未聞の状況に唖然とし、或いは恐怖し、互いの顔色を窺った。

 

 魔法が効かなければ魔導士はお役目御免である。ならばもう一人を狙えとばかりにルガイアに照準を移す彼らだったが、詠唱を始めた直後にルガイアの【風舞迅雷メガシュトゥルム】が炸裂し瞬く間にちょっと直視出来ない物体へと化してしまった。

 

 …なお、【風舞迅雷メガシュトゥルム】はルガイアがまだ幼い頃、魔導の勉強を始めて最初に覚えた術式だったりする。

 彼はこの戦いをハルトのものだと考えているようで…それはティザーレに来てからずっとそうだが…あまり積極的に参戦しているわけではない。

 ただ、自分に向かってくる敵にはきっちりと対応しているだけだ。ハルトを鍛えるために出来る限り力を抑えているわけだが、彼には中位以下の術式レパートリーはない。目一杯手加減して、上位術式なのだ。



 ハルトは、侵入者を排除しようと決死の表情で斬りかかってくる敵の刃を躱し、すれ違いざまにその胴を深く薙いだ。そのままの勢いで、進行方向にいたもう一人に肉薄し、反応しきれなかったその兵士も上段から斬り伏せた。


 これで、倒した数は十八。残りは数えるくらいしかいない。

 あっさりと形勢逆転されてしまった侯爵の部下たちは青ざめて後ずさり、その背後で守られているエヴァンズ侯爵はもっと青い顔をして固まっていた。


 

 「…もうそろそろよくないですか?」


 ハルトの静かな問いかけに、侯爵が歯を食いしばる音が聞こえた。だが、依然として降参しようとはしない。

 シャロンを殺そうとする理由もさることながら、なぜここまで劣勢になってもなお逃げようともせず足搔こうとするのかがハルトには分からない。


 侯爵たちがじりじりと後ろへ下がる分、ハルトはゆっくりと彼らを追い詰める。侯爵たちが抵抗を続けるのならば、ハルトも最後までそれに付き合うしかなかった。



 そのとき、一陣の突風がハルトのすぐ脇を通り過ぎた。それに弾かれるようにして、何かが放物線を描いて遠くに落ちた。

 それは、ハルトに向かって投擲された短剣だった。

 死角からの攻撃。それは狙いたがわずハルトの喉元へと突き刺さるはずだったのだが、しかしそうはならなかった。


 「えへへー、くうちゃんもがんばれるよ。えらい?くうちゃんえらい?」


 前回の戦闘と同じように、クウちゃんが刺客の飛び道具を風で弾き飛ばしたのだ。

 おそらく、ハルトとルガイアの活躍に自分も黙っていられなくなったのだろう。褒めてもらいたそうにうずうずソワソワして、ハルトの方へ駆け寄る。


 「駄目だよクウちゃん、シャロンのところに……」


 ハルトは慌てた。

 敵の狙いは自分たちではなくシャロンである。何が何でも、シャロンを殺そうとそれだけを考えている。

 それなのに、一番危険なシャロンを一人にしてしまっては……


 「その娘を殺せ!!」


 侯爵は叫んだ。

 いつの間にか回り込んでいた黒ずくめ…こちらは侯爵ではなく刺客の手下なのだろう…が、クウちゃんに置いて行かれて無防備になったシャロンに躍りかかった。


 「キャァアアア!」

 「シャロン!!」


 相手は人間。魔獣とは知性レベルが違う。しかし、微弱とは言え精神系反射を有するシャロンの強い恐怖の感情は、刺客の動きを一瞬だけ止めた。

 黒ずくめの刺客は、なぜ自分が恐れを感じているのか不思議に思ったのだろう。だが、あらゆる戦士系職業の中でも特に感情を排することに長けているのが暗殺者だ。すぐさま自分の中の疑問と恐怖を抑え込むと、再びシャロンを狙おうとした。


 だが、結果として彼は目的を果たすことが出来なかった。


 虚空を駆けて現れた影があった。

 それは、風の獅子。その鋭い爪の一閃で、黒ずくめの頭は胴体と泣き別れした。



 「……え?」


 ハルトは、その風獅子に見覚えがあった。

 それは、クウちゃんがハルトの下へ来ることになった切っ掛け。

 巨大な魔獣を一撃で倒してしまう力を持っていて、姿形もすごく格好良くてハルトが憧れてしまったもの。



 「シャロン=フューバー伯爵令嬢ですね?ご無事で良かった」


 ハルトの遊撃士同期にして期待の新人ルーキー、シエル=ラングレーの契約精霊。

 そこにいたのは、シエルと彼の風獅子シルフィだった。



 シエルは怯えてへたり込んだシャロンに手を貸して、立ち上がらせた。なんだかとても紳士的である。

 シャロンも、突然現れた飛び入り参加の少年に戸惑いながらも、自分を助けてくれたことは確かなのでその手を振りほどくことはしなかった。


 「シエル、どうしてここに?」

 「やあ、ハルト。久しぶりだね。見ないうちにメンバーが変わってるけど、フォールズさんからはもう独立したのかい?」


 場にそぐわない笑顔のシエルは、やっぱりどこか余裕があって格好いいな、とハルトは彼と出会ったばかりの頃の憧憬を思い出していた。

 

 




 

悪者にだって悪者の事情があるのです。結局は悪者だけど。

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