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第百一話 薄暗い路地にはフラグがいっぱい転がってるから絶対に近付いてはいけない。




 意気揚々と走り出したその直後、シャロンはまたもや大事なことを思い出してしまった。


 「……どうしよう。私、お金持ってない……」


 普通、貴族の子女は自分で財布を持ち歩くことがない。日常の買い物は屋敷に御用聞きが来るものだし、外出するにしても必ず従者がついてきて、支払いなどを行う。

 それが当たり前の世界に生きてきたため、シャロンには財布を持ち歩くという習慣がない。今回の報酬も、ウォレスに持たせていた。


 彼女は、自分の持ち物で代わりになるものがないか、全身を見回した。

 イトゥルからアンテスルまでの長旅を考慮して、彼女が着ていたのは比較的簡素で動きやすいドレスだ。装飾品も少ない。

 ある程度の値打ちがあると思われる品となると、胸に留めたブローチくらいか。彼女の瞳と同じ、ライラック色の宝石があしらわれた骨董品アンティーク


 「……これなら、売ったら五万イェルクくらいにはなるのかしら…?」


 実のところ、五万ではきかない値打ち物だったりするのだが、物価相場を知らないシャロンには分からない。

 彼女が名残惜しそうにそれを見つめているのは、値打ち云々ではなくそれが母親の形見だから。

 

 しばらくそうしてから、吹っ切ったようにシャロンは再び走り始めた。もうこうなったら、ついでに告白もしてしまおうか。母親の形見まで渡すのだから、そのくらいしてもいいだろう。

 …決して、返事を期待しているわけではないのだけれども。



 裏から邸宅を回り込むようにして、表通りへと出たシャロンだったが、少し離れた路地にエヴァンズ侯爵の姿を見付けて、慌てて角に身を隠した。勝手に外へ出たことがバレたら、叱られて屋敷に連れ戻されてしまう。


 しかし、すぐに思い直した。

 侯爵に、少しだけお金を借りることは出来ないだろうか。彼ならば、五万イェルクなど端金のはず。それに、雇っていた遊撃士に報酬を支払い忘れていたことを告げれば、誠実な彼は少しくらいの外出なら許してくれる気がする。なんだったら、一緒に来てもらえれば…ああでもそうすると告白は出来ないか。いやいや今一番重要なのは自分の思いの行き場ではなく依頼主としての義務を果たすこと。

 値打ちも分からない骨董品を押し付けるよりは、きちんとお金で報酬を支払った方がいいに決まってる。


 そう決めたシャロンは、思い切って角から飛び出し、侯爵の背中が路地の向こうへ消えるのを見てそれを追いかけた。こんな狭い路地に何の用なのだろう…とほんの少しだけ不思議に思いながら。



 シャロンがそう思うのも仕方ないくらい、その路地は狭く暗かった。目つきの悪いチンピラがたむろしていたり…なんてことはなかったが、明るい場所しか知らないシャロンにはなかなか不安を誘う場所だ。

 そしてそれは、侯爵であるエヴァンズも同じはずなのに。


 ただでさえ暗い路地。曲がり角は余計に怖い。いつの間にか、足取りもそろそろと自信なさげなものに変わっていた。

 侯爵はシャロンに気付かずさっさと角を曲がっていってしまった。シャロンも陰鬱な空気にビクビクしながら、その後を追いかけようとして。


 曲がり角のところで、ピタリと足が止まった。

 侯爵と、誰かが話す声が聞こえてきたからだ。



 別にシャロンは、他の人と侯爵が会話しているのを妨げるのは不作法だ、と足を止めたわけではない。確かに貴族同士の会話の場合、それよりも格下の者が割って入ることは重大なマナー違反とされているが、あくまでも会話に割り込むのが問題なのであって、姿を見せてはならないなんて礼儀作法はない。


 そうではなくて、彼女の足を止めたのは、侯爵の声色。

 酷く冷たくて、嘲りの響きを強く含んでいて……シャロンは、侯爵のそんな声を今まで聞いたことがない。


 「失敗は許さないと言ったはずだ。そして貴様は私に、心配要らないと言った…と記憶しているが」

 「それは……こちらとしても、まさかあれで仕留められないなど、予想外だったので…」


 思わず硬直してしまったシャロンの耳に、侯爵と知らない誰かの声が届く。


 「言い訳は不要だ。貴様らには充分な金を渡しているのだからな、今度こそは確実にあの娘を殺せ。目撃者さえなければ、手段は問わない。もう一度事故に見せかけるもよし、魔獣の襲撃を装うもよし」


 シャロンの知るエヴァンズ侯爵は、とても穏やかで静かで思いやりに満ちていて、いつだってシャロンを全面的に認めてくれていた。

 実の父親よりも、ずっと近しくて温かい存在。


 「……しかし、アンテスルまでの道中は閣下も同行するのでしょう?流石に、今回も崖下に落とすというのは無理がある」

 「だったら、魔獣だの野盗だのの仕業に見せかければいいだろう?手段は問わないと言ったのだ、それを考えるのは貴様の仕事のはずだ」


 崖下……落とす…?

 何のことを言っているのか。

 確かに、彼女はつい最近、崖下に落とされたばかりだ。ハルトたちがいなければ、間違いなく死んでいた。

 だけどそれは、彼女を狙う父に雇われた刺客の……


 「いいか、アンテスルに到着するまでの間に、必ずシャロン=フューバーを殺せ。邪魔な遊撃士共はもういないのだから、次に失敗したら容赦はせんぞ」

 「……承知しております。では、襲撃地点についていくつかの提案を……」



 父に雇われた刺客…のはず、だった。

 自分は、父に疎んじられていて、遠くイトゥルにまで追いやられて、それだけでは飽き足らず自分を殺そうと刺客まで雇って……


 冷たい声のエヴァンズと知らない誰かの会話が、頭の中を滑っていく。聞こえているのに、自分の中に入ってこない。

 

 どうして……どうして侯爵はこんなことを言うのか。

 彼は、シャロンの味方のはず。

 彼は、シャロンを守ってくれると言った。

 もう、大丈夫だと言ってくれた。


 それなのに……どうして。



 動きを止めた頭の中を、ただ疑問だけがグルグルと回る。それに眩暈を感じ、シャロンはふらついた。



 ぱきり、と足の下で小枝が音を立てて折れた。

 その音にシャロンが小さく悲鳴を上げたのと、侯爵が気付いたのは、ほぼ同時だった。

 

 「誰だ!?」

 「…あ…………!」


 身を竦ませて自分を凝視しているのがシャロンだということを知った瞬間のエヴァンズ侯爵の顔。

 それは、彼の声色と同じくシャロンにとっては初めての表情。

 苦々しいような、忌々しそうな。


 それが自分の知る侯爵ではないことを……今まで自分が思っていた「おじさま」なんて本当は何処にもいないことを知ったシャロンは、身を翻した。

 ほとんど理性は働いていない。ただ、ここにいては危険だ、と本能が頭の中でひどくがなり立てていた。



 「……くそっ」


 その悪態は、侯爵の口から出たのだろうか。いつも上品で穏やかだった彼が、そんな下品な言葉を使うだなんて。

 侯爵は、慌てて手を伸ばすと、シャロンの腕を強く掴んだ。大人の男性の力はシャロンが想像していたよりも強く、必死に逃れようと暴れても驚くくらいにあっさりと抑えつけられてしまった。



 「……閣下、流石にここでは……」

 

 もう一人の男…話からすると刺客たちの親玉か…がそう言ったのは、人道的観点からではない。

 ただ、郊外で人通りが少ないとは言え、この場所で人を殺せば間違いなく騒ぎになる。今の彼らは、死体を隠す準備も出来ていないのだから。


 「分かっている、まずは屋敷に連れていってからだ。……まさか監視の目を盗んで抜け出すとは、私の知らない間に随分とお転婆になったようだな、シャロン」


 冷たくシャロンを見下ろすエヴァンズは、同時に嘲笑のようなものも浮かべていた。


 「馬鹿な娘だ。大人しくしていれば、何も知らずに幸せなまま死んでいけたものを」

 「おじさま……おじさま、どうして?なんでこんなこと…………私、おじさまだけが味方だって…」


 嘆きと怒りのどちらを優先させればいいのか分からずにまるで駄々を捏ねる子供のような声を出したシャロンを見て、エヴァンズの嘲笑はますます深まった。


 「それはそうだろうさ。そうなるように仕向けるのも楽ではなかったよ」

 「……………え」


 その言葉の意味を知り、シャロンの表情が凍り付いた。

 エヴァンズと男は、お喋りはここまでだと言わんばかりにシャロンを捕らえたまま路地を出る。


 半ば放心したように、シャロンは大人しく二人に連れられていった。

 ただ一つの拠り所、たった一人の頼れる味方を失ったことに…否、そんなものは最初からなかったということに遅ればせながら気付かされたシャロンは、既に抵抗する気力を失っていた。



 エヴァンズの邸宅が近付く。それは、彼女にとっては処刑台への道だ。

 それなのに、不思議と恐怖すら沸き起こることはなかった。



 ……どうしておじさまは自分を裏切った…騙していたのだろう。

 何の目的があって、優しいフリをして味方のフリをして、守ってやると語ったのか。

 何の理由があって、こんなちっぽけな小娘を殺そうとするのか。


 分からない。分からないまま、自分は死んでいくのだろう。

 …酷く虚しい気分だ。せっかく抗うことを覚え、父を怖れずに生きていこうと思った矢先に、()()なのだから。

 

 なんだか、もうどうでもよくなってしまった。どうせ、抵抗しても無駄なのだ。エヴァンズ侯爵が自分の味方ではないと分かった以上、自分は正真正銘、孤立無援となってしまったのだから。


 そんな投げやりな諦めのおかげで恐怖から目を逸らしていたシャロンは、されるがまま邸宅の門へ押しやられる。

 ……そのとき。



 「……シャロン!」


 底抜けに明るい声が、背中に届いた。

 そしてその声に、忘れていた大切なことを思い出す。


 自分は、一人ではないこと。

 「おじさま」がいなくても、ウォレスが死んでしまっても、それでもまだ一人だけ、味方と呼べる存在がいたこと。

 味方…だなんて堅苦しい言い方は、もしかしたら嫌がられるかもしれない。ならば言い換えよう。


 彼女には、友人第一号がいるのだ…と。



 振り返ったシャロンの目に映るハルトは、依頼主の護衛をする遊撃士ではなく、同年代の気の置けない親友のように無邪気な表情で笑っていた。







やっぱ主人公はいいところで登場しないとねー。

…タイミングを見計らってた魔王パパとは違いますが。

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