066 『拒絶(リジェクト)』
066です。
僕と目が合った殆どの人が体を萎縮させ身動き取れないでいた。それこそ金縛りにあって体の自由を奪われたようにも見えた。
この程度の力で恐れられても困る、という気持ちが素直な感想だった。
どう言葉をかけていいものかと思案していると虎猫さんが小さな悲鳴を上げる。恐怖が伝播していく。
僕自身を見ていたみんなの視線がある一箇所に注がれていく。
「お前……それはなんだ?」
カズさんが代表するかのように腕を上げ、僕の右腕を指差した。
右手の甲に刻まれていた適正者の紋章が浅葱色に発光し、さながら蛇のように蠢いていた。どうやら僕の闘気の質、密度などに呼応して紋章は活動している。
「俺は、そんなものがあるなんて聞いてないぞ。真悟、それは一体、なんだ?」
どうやらチェイス(白の創造主、二体目の転生体)からは、この蠢く紋章については聞かされていなかったようだ。
こうやって目にすることで、この紋章の意味がわかる。何をすれば良いのかさえもわかってしまう。
「大丈夫です。この状態の紋章であれば危害を与えるようなことはしません」
紋章のあるべき姿に僕はイメージする。それは元の紋章へと戻すという意味ではない。
想像する。適正者が覚醒し、本能に目覚めた闘気がどのような形を作るのか。そう、まだ僕は三割しか引き出していない。
そうなると、この紋章は右腕を覆うくらいに成形できるだろう。
四散し自由気ままに動き回っていた蛇の紋章は右手の甲から放たれ、腕にまで伸び模様となって固定した。
右腕は浅葱色をした模様、わかりやすい表現をするならばトライバルのタトゥーのような見た目となった。それも、禍々しく、凶暴で、見ているだけで不安にさせられるような、そんな見た目をしている。
このままでは温泉に入れなくなるなと不安がよぎったけれど、ああ、どうせ死ぬからいいのかと独りごちした。
「何が、おかしいの? シンちゃん?」
声を震わせながら虎猫さんが聞いてくる。
「おかしい?」
「だって、シンちゃん……口元がにやけているもの」
虎猫さんに指摘されるまで、笑っていることに気づかなかった。
「なぜでしょうね。だんだんとわかってきたんです。覚醒した力の解放と、闘気を纏うという意味が……これなら倒せますよ」
物理的な力だけを右手に宿らせる。悪くない。この紋章が全身を覆えば、カーニヴァルなど赤子以下の存在価値だ。
「なんだ……それではつまらないなぁ」
カーニヴァルは口を開けば「つまらない」と言っていたその意味がよくわかる。そうだ。こんな力を手に入れたら通常の敵では「物足りない」のだ。あの男が強者を求め、敵である適正者の覚醒を試みたのも頷ける。
ふふふ、と自分でも気づかない内に卑しく笑っていた。
とても小さなこの笑い声が茶沢通りを支配していく。張り詰めていく空気。唯一残された適正者たちの怯える顔、震える体がさらに愉快にさせていく。
どんな目で見られようと気にならない。わかっていたことだ。
人は裏切る。差別する。自分とは異なる生き方、価値観、容姿、人格、思想、優位性、劣等性を認識すれば除外する。
除外するのなら、恐れるのであれば、僕自ら、君たちの目に触れられないところへ行こうじゃないか。
一人でいい。
一人で戦う。
一人で殺し合いたい。
紋章は僕の闘気、つまりは眠っていた狂気に触れたことで表に出て、形を成した。
ルイガを殺した時のどす黒い感情が、今となっては心地よくも感じられる。
「真悟、お前、呑まれたな。自分の狂気に」
適正者の一人が僕へと一歩足を踏み出した。声からすると……ああ、カズヒデさん。カズさんか。顔の認識が曖昧になってきた。いいさ、顔なんて記号だ。僕が僕だとわかっているのならそれでいい。
「存外に気分は悪く無いですよ。それに、これを受け入れと言ったのは、誰でもないカズさんです」
「俺は、身を落とせとまでは言ってないぞ!」
「だから?」
「は?」
「なんですか。その台詞? まるで魂を悪魔に売った男に向けるような常套句じゃないですか。もっと気の利いた面白い台詞で言いくるめてくださいよ」
「見てわからないのか! いま、ここにいる全員、お前の狂気に触れて言葉を失い、動くことすら叶わないんだぞ」
「それで? もし一歩でも動いてしまったら……僕に殺されるとでも思っているんですか?」
カズさんだと思われる適正者以外の人間が固唾を飲み込む。もう一言、何かを言えば女の適正者の数人は恐怖で体を弛緩させてしまうだろう。
「カズヒデ。いまの真悟さんは……俗にいう暴走状態なの?」
冷製で、とても澄んだ声が女の声が聴こえる。これは、そうノヴァさんだ。僕に好意を寄せてくれた一人だ。……どうしたんだろう。あともう一人。僕にとってノヴァさんよりも大切なヒトがいたはずなのに、もう数分前のことすらどうでも良くなってきた。
「闘気の暴走はもう抑えたはずだ。それに真悟はちゃんと自分の中にある狂気を受け入れたはずなんだ。こんなこと、聞いてないし、予想外だ」
「じゃあ、カズヒデは狂気に呑まれたというのは?」
「真悟が抱えていた本能だ。それすらも受け入れたからこそ、覚醒は無事に終わったはずなんだ」
些末な話し声が聞こえる。
僕のことはもう放っておけばいい。すでにそこにいる数人の適正者は僕を見放している。顔に出さずとも、口にしなくとも、今の僕にはわかってしまう。
僕は僕を受け入れた。けれど、そちらは受け入れてはくれなさそうだ。僕を受け入れてよ、なんて一昔前にはやったセカイ系の主人公でもあるまいし。孤独になることが怖くて、誰かの温もりが欲しいのなら素直になればいい。しかし、拒絶されたまま、いい人を取り繕って「安心して。私たちはあなたを許容します」みたいな作り笑顔に溢れた場所なんて居心地が悪すぎる。むしろ気持ちが悪い。
元々、中学の頃から存在を否定されながら、裏切られながら生きてきたんだ。『Relic』で分かり合える人と出会えたけれど、狂気に触れた人間がいたら、彼らに迷惑を掛けてしまう、いっそのこと身を引き、一人になったほうがいい。
理性が残っている内に、言うだけのことは言っておこう。
「僕の力は見せました。こんな姿になれたのは、ある意味……」
覚醒した力を見てみたいと言っていた男の適正者の顔、名前を思い出そうとしたが、上手く思い出せなかった。この中に居るはずなのだが、カズさんとノヴァさんを除くとどの顔ものっぺりとしている。一人、大きな身振り手振りをしている適正者がいるが、どうでもよかった。
「……覚醒した力を引き出したおかげで、紋章の使い道も知りましたよ。ありがとうございます。では、事が終わるまでホテルで休んでいて下さい」
「おい、待て! 真悟!」
「安心して下さい。こんな状態になってもやるべきことはわかっています。カーニヴァルを殺し、そして『境界を越えた者』を始末します。明日の十四時には、元の世界を取り戻していますよ」
僕らの世界を取り戻した瞬間、僕は死にますがと口から出そうになったが、喉元でとどめた。
はて、どうしてそんなことをしたのだろう。
ノヴァさんと偽りの約束をしたのが一つ。あと、もう一つは、なんだっけ? さっきも同じような感覚に襲われたけれど、わからない。
「──!」
カズさんとノヴァさんの叫び声が聞こえる。誰かの名を叫んだようだが、名前の認識すら耳と脳が拒んでいるせいで聞き取れなかった。
背中から、俊足をもって斬撃をくりだそうとする適正者が一人近づいてくるのがわかる。
振り返り、大きな剣の剣先を指二本で受け止める。
女の適正者か。息が荒く、熱意が込められているが、残念ながら闘気が一切なかった。勝負を挑むのであれば、それ相応の力と技量を用いてほしい。ただ、適正者同士の殺し合いはしたくない。してはならないと、狂気とは別の本能が告げる。
「──ごくん」
女の声が聞こえた。聞き取りにくいが、どうやら僕の名を叫んでいるのか?
「真悟くん!」
ぼやけていた顔が輪郭をなし、目鼻と口、耳や眉にまつげ、髪型までもが見えてきた。
「ポニテさん?」
名前はポニテのくせに、リアルは普通に髪を下ろしている。
「ようやく反応してくれた。ずっと名前を呼んでいたのに。叫んでいたのに……なんで無視したの?」
大剣にじわじわと闘気が込められていく。相変わらず僕に対する敵意がないのだが、戦う意思はあるようだ。
「僕と戦うんですか?」
「真悟くんがそのままなら、戦う」
「すみません。なんでそんな無駄なことをするんですか? 覚醒した僕の力を見たでしょう? 大きな剣を振り回した所で、ありったけの闘気を込めた所で、僕に傷を負わすことすら叶いませんよ?」
「そんなこと、私が知ったことか!」
ポニテさんらしい、猪突猛進っぷりだ。清々しくて眩しい。
「いつもいつも、考えなしの向こう見ずな行動を取りますね。そんなんじゃいくつ命があっても足りませんよ?」
そういうと、ポニテさんは破顔した。
「そうだよ。私はいつも無茶をする。でもさ、そんな私を絶妙なタイミングで助けてくれる人がいるの。その人がいたから、私はこうして此処にいるの!」
その一言が、なぜか胸に刺さり、受け止めていた大剣を離してしまった。
振り上げられる大剣はか細い両手から離されて地面に落下する。
ポニテさんの両の手は僕の背中をガッチリと掴み、体は密着した。
「私は一緒にいるよ」
これまでの戦いで破れた上着から覗かせる素肌に、ポニテさんの温かい涙が染みこんでくる。
せっかく一人になろうと決めたのに、またこうして引き戻される。外に出ていこうとしていた狂気が内側へと引っ込んでいくのがわかる。
ポニテさんを抱きとめている右腕にあの禍々しい紋章の刺青もどきは綺麗に消えていた。
ぼやけていた視界が鮮明になり、エクスさん、日輪さん、ハンプティさんに、虎猫さんの顔がちゃんと見分けられるようになった。
今ならわかる、僕は研ぎ澄まされた五感のせいで彼らが僕に抱いた負の感情がダイレクトに受け取ってしまったのだ。
拒絶するのなら離れてしまったほうがいいと思ってしまった。狂気に呑まれることで、僕もまた彼らを拒絶し一人になろうとしたのだ。
これでは、本当に現実に見切りをつけた適応者たちと同じではないか。
「ポニテさん、すみません。もう、大丈夫です」
「嘘だ」
「嘘じゃないですって」
ほらと言って、僕は綺麗になった右腕を見せようとしたが、ポニテさんは抱きついたまま、顔をあげようともしない。
「ねぇ、カズヒデ。これって愛の力だと思う?」
「三流映画並の脚本かよ。愛だろうと、恋だろうと、知ったことかよ」
「意外にドライなことを言うのね?」
「なんとでも言え。はっきりとしていることは、俺たちはあのお二人さんにとっては邪魔な存在ってことだよ」
「……そうね」
カズさんとノヴァさんは僕らに聞こえるように大きな声で話し合い、勝手に納得して踵を返した。
そして、残された人たちも、悪びれたように小さく会釈して、ホテルの方へと戻っていった。
「行った?」
「僕ら二人だけです」
ポニテさんはようやく僕から離れて顔を上げると、泣きはらした赤い目と鼻。鼻水まですこし垂れていた。さすがにこれは可愛いなんてお世辞にも言えないけれど、そこまで僕を心配してくれたポニテさんに感謝した。
「こんな顔、みせるの、真悟くん……だけなんだからね」
僕に向けた大剣の攻撃がツンだとすれば、これはデレなのかもしれない。
物騒な照れ隠しではあるけれど、おかげで僕は取り込まれつつ合った狂気を引き離すことが出来た。
「今度は、私の番、だからね」
「ん、というと?」
「言わないとわかんないの? カズっちに、ノヴァちゃんときたら、最後は私と二人きりになる順番でしょ!」
小さな拳でポニテさんは僕の胸を数回叩いた。肉体的な痛みはなく、精神的に気持ちが良かった。
ポニテさんは大きく洟をすすって、右手左手と両目をこすった。
「私、いつからこんなめんどくさい女になったんだろ……これも全部、真悟くんのせいだからね!」
ポニテさんは眉を上げて抗議する。
僕は反論せずに、そうですねと言ってあげた。
ひとまず、僕が破壊した茶沢通りから離れ、そのまま誰もいない、夜の渋谷を散歩することにした。
しばらくの間、並んで歩いていたけれど、会話なんてなかった。
僕はというと、何から話せばいいのか皆目見当がつかなかった。
ホテルを中心と考えると、かなりの離れた居住区にはいった所で「よし」とポニテさんが一声いれた。
「真悟くん。あの狂気ってやつのこと、ちゃんと話して」
愚直なほど真っ直ぐな視線は僕のすべてを見透かしていた。
露骨に僕の狂気を晒したのだ。隠さずに話すことにした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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