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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
最終章 イヤリング。
124/124

(5)

「騒がしくしてすみませんでした」

 赤信号で停まったところで、運転手さんに声をかけた。中年の、ちょび髭の運転手さんは振り返るときに迷惑そうな顔をしていた。「運転しとるときに走られると危ないがやですけど、……気ぃつけてぇな」

「はい。すみませんでした」

 おとなしく席に戻る。……運転しているときに声をかけるのも本来はいけないのだろう。

「かばん、やろ。彼が言うとったのは。はよ確かめぃや」

「……えっと?」

 信号を睨みつけ、生真面目に仕事をしてたかに見えた運転手さんが一瞬、こちらに目を向けた。ミラー越しに。だが、

「もうすぐ信号変わるさけ、はよ座りなさい」

「……はい」

 おとなしく真後ろの席に戻る。

 その席に、白のハンドバッグを置いたままだった。


 ――和貴の言う『かばん』ならば、桜井家に持っていったこのバッグに違いない。

 チャックを開いてみるが、


「……なんにもない」


 ハンカチ、財布、手帳、ポーチ。以外になにも入っていない。試しに、中身を全部取り出して底まで確かめてみた。ひっくり返す。からっぽ。

 ……失望しつつ、かばんを隣の席に戻す。


 そのとき、

 かすかに、金属のこすれ合うような音がした。


 内ポケットを開いてみたが、実家の鍵が入っているのみ。

 それで、外のバックルを外し、手を入れてみると、


 ある二つの感触を私は確かめた。


 紺色の上品な紙質の、プレゼントらしき薄い包みと、

 先に読んで、と茶封筒に走り書きされた、……彼の、文字。


 右からひかりが入り込み、のどかな田園風景を彩る緑の強さが倍加される。その眩しさに目を細めながら私は恐る恐る封を開いた。


『真咲さんへ』


 ルーズリーフに書かれているのは、和貴の、字だ。……間違いない。

 左利きの人間がボールペンで書いたゆえ、すこし字がこすれている。


『現在夜中の、うんにゃ、朝の七時十分です。隣で爆睡するきみのことを見ながらこれを書いています。正直、僕も眠い。泥のように眠い』


 ……和貴ったら。

 眠たげにまぶたをこする彼のことが目に浮かぶ。


『きみが起きるまで起きていたいんだけれど、念の為、保険をかけます』


 なんのことだろう。疑問をさておき、先を急ぐ。


『直接渡せないチキンでごめんね。松田さん、だっけ。これ買ったときに世話になったよ。あのひとから言わせると僕らは、日本人形とフランス人形だってさ。そこまで口割らせた僕ってすごくない? ま、そんな話はどうでもいっか。

 僕がいなくて寂しくても枕を濡らさないように、きみにこれを捧げます。


 真咲。

 愛してる。


 子リス和貴より。


 追伸。

 僕のケー番とメルアド書いとく。

 なんで聞いてくれなかったんだよ。ちょっと寂しいよ。

 それと、きみがピッチか携帯持ったら教えてね』


 その下には、和貴の連絡先が記されていた。


 あまりの眠気のせいか、私の知る和貴の文字よりも、ぐっちゃぐちゃだ。けども、私の眠るあいだにこんなメッセージを残してくれていたなんて……胸が熱くなる。

 手紙を元のかたちに折りたたみ、膝の上に置き、隣席に置いていたプレゼントを広げる。……よく見るとこの包装に見覚えがあるような……


 見覚えがあるどころではない。


 ――頬を引っ叩かれたかのような衝撃を感じた。


 急いで開こうとするのに、シールを剥がしてから、ぷちぷちに覆われたそれを取り出すのに、ひどく時間がかかり、もどかしかった。――はさみでも持ってればすぐに開けたのに。どうにかテープの位置を探り当てて開き、しゃらん、と金属音を鳴らし現れ出てきたそれは、まさか。――


「う、そ……」


 欲しくてたまらなかった。

 後ろ髪を引かれる思いで諦め、二度の訪問で再び諦めていた。

 手に入らないものだと。

 和貴のことも、――


 ……触れる手が、震えてしまう。

 赤と緑と茶に彩られた葉っぱに、チャーミングな子リスが傍に居るんだよと微笑みかける。


 ――いつ、手に入れたのか。


 そこで思い出された。


 プレゼント用に袋を貰いに戻ったあのとき。

 その一年後。松田さんが私にかけた言葉を。


『或る方の想いが貴女にも届くと良いのですが』


 点と点が一本の線となり繋がる。

 幾度と無く愛され、幾度と無く求められたからだを抱きしめた。


「……言ってくれてよかったじゃん。……ばか」


 どうしようもない想いが結晶となり、私のなかからあふれた。


「かず、き」


 その言葉を口にするだけで、強くも弱くもなれる。


 凍てついたひとびとのこころをも溶かすかのあたたかい笑顔。冷たく拒絶したときの威圧的な眼差し。後悔しても知らないよ、余裕を浮かべたときのあの表情。僕を信じて、と手を差し伸べたあの真摯な瞳のいろ。

 愛していると言った。

 どれを、とっても、


「和貴ぃ……」


 ブレスレットを持ち上げれば、彼の代わりを務める、おどけたリスが私のことを見つめていた。

 本物に、会いたい。

 いますぐに抱きしめて欲しい。

 それなのに、それらの願いは叶わない。

 だからこそ、彼はこれを――


 想いが伝わり、ブレスレットを包む手を濡らす。


 人目をはばからず号泣する私を乗せ、このバスは一路向かう。

 私の知らない、未来が。

 夢が待つその先へと。

 すぐ傍に愛する人が居ない、未来。

 けれども――愛に満ちた未来へと。


 ラジオからは控えめに美空ひばりの曲が流され、なぜだかすすりなく人間の声を聞く。一足早い草いきれの匂いがどこかから漂い、私のこころに新しい春を運んできた。



 ―完―

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