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時戻しの異世界生活  作者: みき


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第1話 願いごとは、 石段の上で

 モニターの中で、三十八回目の俺が死んだ。


 画面いっぱいに、見慣れた赤い文字が浮かび上がる。YOU DIED。巨大な甲冑の騎士が、地面に大剣を突き立てたまま、こちらを見下ろしている。倒せそうで、倒せない。さっきの一戦は惜しかった。相手のHPは、残り一割を切っていた。あと一撃。たった一撃が、どうしても届かなかった。


 俺はコントローラーを投げ出さなかった。舌打ちもしなかった。ただ、今しがたの死に方を、頭の中で巻き戻す。騎士が右肩をわずかに引いた、あの瞬間。あれが薙ぎ払いの予備動作だ。猶予はコンマ五秒。そこで横に転がっていれば、背後へ回り込めた。回り込めれば、二発は入った。二発入れば、勝てていた。──わかっている。わかっているのに、指が、ほんの一拍だけ遅れた。


 ゲームというのは、つまるところ記憶だと思う。敵の動きを覚える。自分の失敗を覚える。死んで、覚えて、また死ぬ。そうやって少しずつ、起こる前の未来を先に知っていく。次に何が来るかを知っている者だけが、理不尽な一撃を避けられる。何度死のうが、覚えてさえいれば、いつかは必ず先へ進める。それが、この手のゲームの優しさだ。


 ヘッドセットの通知ランプが、さっきから、ちかちかと点滅していた。高校が同じだった連れからの、ボイスチャットの誘いだ。今から数人で、別のゲームをやらないか、という。俺は少し迷って、結局、応じなかった。誰かと声を合わせて遊ぶより、ひとりで、何度でも納得いくまで死に直すほうが、性に合っている。協力プレイは、自分の失敗を、他人の時間ごと巻き戻させてしまう。それが、どうにも申し訳なくて、昔から苦手だった。


 俺が好きなのは、理不尽に見えて、その実、少しも理不尽じゃないゲームだ。どんなに凶悪なボスの攻撃にも、必ず予備動作がある。型がある。理由がある。覚えて、正しく応じさえすれば、いつかは必ず報われる。世界が、ちゃんと筋を通してくれる。プレイヤーを、決して裏切らない。それが、どれだけ得がたいことか。


 現実は、そうはいかない。同じだけ努力をしても、結果が同じになるとは限らない。理由もわからないまま、うまくいったり、いかなかったりする。覚えたところで、まったく同じ場面なんて、二度と巡ってこない。ゲームの中の失敗は、次に活かせる情報で、現実の失敗は、ただの失敗だ。──そのことに、俺はずいぶん長いあいだ、気づかないふりをしてきた。


 「……もう一回」


 誰にともなく呟いて、俺はかがり火の前に立ち戻った。三十九回目。騎士の咆哮。剣が高々と振り上げられる。だが今度は、知っている。右肩。コンマ五秒。──横へ転がる。背後を取る。斬撃。もう一撃。騎士の巨体がぐらりと傾いで、無数の光の粒になって崩れていった。VICTORY。白い文字が、静かに画面の中央へ滲み出す。


 俺はようやく、詰めていた息を吐いた。勝った。三十九回死んで、四十回目で、勝った。


 達成感、というのとは少し違う。やっとここまで来た、という安堵に近い。誰も褒めてはくれない。どこの記録にも残らない。ただ、俺の中にだけ「三十九回分の失敗」が積み上がっていて、その一番上に、この一勝が乗っている。それを知っているのは、世界で俺ひとりだけだ。


 考えてみれば、俺がゲームに惹かれるのは、たぶん、そこなのだと思う。何度でも、やり直せること。死が、終わりじゃないこと。失敗が、ちゃんと、次への糧になること。一回しくじったくらいで、すべてが台無しになったりはしない。むしろ、しくじった数だけ、相手のことが、わかってくる。何度も殺されるうちに、いつの間にか、敵の呼吸まで、読めるようになる。──それは、とても、フェアな世界だった。理不尽に見えて、その奥には、必ず、攻略法がある。努力が、ちゃんと、報われる。そういう約束が、画面の中には、あった。


 俺は、コントローラーを置いて、両手を、ぐっと、頭の上で伸ばした。凝り固まった肩が、ぱきぱきと鳴る。勝った直後の、この、何とも言えない静けさが、嫌いじゃない。激しい戦いのあとの、急に訪れる、無音。さっきまで画面を覆っていた騎士は、もう、どこにもいない。ただ、暗いかがり火が、ゆらゆらと、燃えているだけだ。


 ふと時計を見ると、午前二時を回っていた。


 窓の外はもう、すっかり静まり返っている。隣の部屋の物音も、通りを走る車の音も、とっくに途絶えていた。俺はコントローラーを膝に置いて、椅子の背もたれに体重を預けた。見慣れた天井の木目が、いつもどおり、そこにある。


 結城悠真(ゆうき ゆうま)、十九歳。大学一年。専攻は、正直そこまで興味のない経済学。バイトはコンビニの深夜シフト。将来の展望は、特にない。


 こうして並べてみると、われながら、たいした人間じゃないなと思う。


 ゲームの中でなら、俺はそれなりにやれる方だった。難しいと評判のボスも、時間さえかければ、たいてい倒せる。攻略の手順を組み立てるのも、最短のルートを探すのも、苦にならない。むしろ、得意な方だと思う。けれどその「得意」は、画面の外へ一歩出たとたん、一円の値打ちにもならなかった。


 ほんの数時間前のことを、思い出す。日付が変わる少し前、コンビニのレジ裏で、俺は届いた品物の検品をしていた。弁当の数が、どうしても伝票と合わない。発注のとき、俺が数字を一つ、打ち間違えていたのだ。たいした量じゃない。明日の昼には、きっと誰も気にしない。そう高をくくった俺の顔を見て、店長は、短くため息をついた。


 「これくらい、って思ったでしょ。そういう小さいのが積み重なってさ、棚が、シフトが、お客さんが、だんだんズレてくんだよ」


 怒鳴られたわけじゃない。むしろ、静かに言われたぶん、よけいに応えた。先のことを考えて動け。言われてみれば、俺は昔から、目の前の一手ばかりに気を取られて、その先の盤面を読むのが、とことん下手だった。ゲームの中でなら、何度でも読み直せたはずなのに。


 今日は、バイト先で店長に叱られた。発注を一つ、数を間違えた。たいしたミスじゃない、と俺は思った。けれど店長は、そうは思わなかったらしい。「結城くんさあ、もうちょっと、先のこと考えて動こうよ」。先のこと。そう言われて、俺は結局、何も言い返せなかった。


 帰り道、スマホに高校時代の友人からのメッセージが来ていた。内定が出たとか、来月から留学だとか、そんな話。短い文面の向こうで、みんな、ちゃんと「次」を見ている。サークルの先輩も、就活がどうとか、資格がどうとか言っていた。誰もが、当たり前みたいに前へ進んでいく。俺だけが、いつまでも同じ場所で足踏みをしているような気がした。


 高校の頃は、たぶん、みんな横並びだった。同じ教室で、同じように笑って、同じように、将来のことなんて何ひとつ決まっていなかった。それがいつの間にか、誰もがそれぞれの方角へ歩き出していて、俺だけが、まだスタート地点で、装備をどれにしようかと迷っている。そんな気分だった。


 別に、焦っていないわけじゃない。ただ、どこへ向かって走ればいいのかが、わからなかった。人生には攻略サイトもなければ、おすすめビルドもない。正解の見えない盤面で、俺はただ、手探りのまま、少しずつ間違え続けている。


 現実には、セーブポイントがない。やり直しがきかない。間違えた発注も、言えなかった一言も、巻き戻すことはできない。一回きりで、しかもその一回を、俺はいつも、少しずつ間違える。覚える前に、本番が終わってしまう。


 「人生も、ゲームみたいにやり直せたらな」


 口に出してから、自分で馬鹿らしくなって、ふっと笑った。そんなことを本気で思うほど、もう子どもじゃないつもりだった。


 眠れなかった。


 布団に入って目を閉じても、さっきの店長の声と、画面の赤い文字とが、交互に頭の中で点滅していた。俺は結局、また起き上がって、パーカーを羽織り、そっと家を出た。こういう夜は、歩くしかないと、経験で知っている。


 深夜の住宅街は、街灯の光が点々と続くだけで、人の気配がまるでない。自分の足音だけが、やけに大きく耳に届く。あてもなく歩いているつもりだったのに、気がつくと、足は町外れの、あの石段の方へ向いていた。


 歩きながら、とりとめもなく、いろんなことを考えた。このまま、大学を出て、どこかに就職して、たぶん、平凡に働いて、年を取っていく。それが、悪いことだとは、思わない。けれど、その先に、何か、待っているのかと問われると、うまく、答えられない。胸が躍るような未来も、これだけは譲れないという夢も、俺には、なかった。ただ、毎日が、淡々と、過ぎていく。間違えないように、目立たないように、波風を立てないように。──そうやって、少しずつ、すり減っていく感じが、たまらなく、嫌だった。


 ゲームの主人公みたいに、世界を救う必要なんて、ない。ただ、一度くらい、本気で、何かに、夢中になってみたかった。失敗を、恐れずに。後悔を、引きずらずに。──でも、現実の俺は、いつも、一歩を、踏み出す前に、最悪の結果ばかりを、数えてしまう。やってみる前から、できない理由を、探してしまう。そういう自分が、いちばん、嫌いだった。冷たい夜気が、火照った頭を、少しだけ、冷やしてくれる。俺は、白い息を吐きながら、ただ、黙々と、歩き続けた。


 古い、小さな神社。子どもの頃、祖母に手を引かれて、何度か来た場所だ。長い石段を上りきった先に、苔むした社がぽつんと建っている。今ではもう、昼間でも訪れる人はまばらで、こんな夜更けには、当然、誰もいない。


 『願いごとはね、悠真。ちゃんと声に出すと、ちゃんと聞いてもらえるんだよ』


 ふいに、祖母の声がよみがえった。小さな手をつないで、この石段を一段ずつ上りながら、祖母はよくそう言っていた。心の中で願うだけじゃ足りない。声に出しなさい、と。その祖母も、もう三年前にいない。俺がこの神社に来るのは、葬式の帰り以来だった。なるほど、それで足が向いたのかもしれない、と、今になって思う。


 祖母は、駅前で小さな雑貨屋をやっていた。客の来ない時間のほうが、ずっと長いような店だった。子どもの頃の俺は、その店の隅っこに座り込んで、よく携帯ゲームをやっていたものだ。同じ場面で何度もやられて、そのたびに最初からやり直す俺を見て、祖母は、おかしそうに笑った。


 『悠真は、ほんとに諦めが悪いねえ。──でも、それでいいんだよ。やり直せるうちは、何度だって、やり直しなさい』


 あの頃は、その言葉の意味なんて、まるで考えもしなかった。やり直せるうちは。今になって、その「うちは」というひと言が、やけに胸に引っかかる。


 石段の下に立つと、上のほうは闇に溶けて、まるで見えなかった。何段あるのか、数えたことはない。ただ、ずいぶんと長い。一段一段の高さが不揃いで、苔の生した石も混じっている。昼間でさえ、足元に気をつけないと危ない階段だった。それでも俺は、なんとなく、一段目に足をかけた。


 神社の前まで上りきると、思っていたよりも、ずっと空が広かった。


 雲の切れ間に、欠けた月が出ている。賽銭箱の上に吊るされた鈴は、紐が古びて、半分ほどけかけていた。俺はポケットを探って、小銭を一枚、箱に落とす。からん、と、思いのほか大きな音が、夜の静けさの底に響いた。


 二礼、二拍手。打った柏手の音が、澄んだ空気にやけによく通る。


 さて、何を願うんだったか。──願いごとなんて、ずいぶん長いこと、していなかった。


 ふと、上ってきた石段のほうを振り返る。木々の切れ間から、眠った町の明かりが、小さく、点々と見下ろせた。あの光の一つ一つの下で、みんなが、それぞれの一回きりの夜を過ごしている。明日のことを考えたり、考えなかったりしながら。俺の部屋の明かりは、消したままだったな、と、どうでもいいことを思った。願うなら、今しかない気がした。


 目を閉じて、俺は少し考えた。試験に受かりますように、でもない。宝くじが当たりますように、でもない。そういう具体的なものは、何ひとつ浮かんでこなかった。代わりに、胸の奥にずっと沈んでいた、形にならない願いが、ぽつりと水面に浮かび上がってきた。


 声に出しなさい、と、祖母は言っていた。だから俺は、馬鹿げているとわかっていながら、ほとんど吐息みたいな小さな声で、それを口にした。


 「……やり直せる人生が、ほしい」


 間違えても、戻れる。失敗しても、もう一度やれる。死にゲーのボスみたいに、何度でも挑み直せる。そんな人生だったら、俺はきっと、もっとちゃんとやれる気がした。今のこの、一回きりで、少しずつ間違えていくだけの毎日じゃなくて。


 「ここじゃない、どこかへ。やり直せる、どこかへ」


 風が、吹いた。


 さっきまで、あれほど静かだったのに。両脇の木々が一斉にざわめいて、頭上の枝が、大きくしなった。ほどけかけていた鈴の紐が、ぷつりと切れる。ちりん、と一度だけ、澄んだ音を残して、鈴は俺の足元に転がり落ちた。俺は思わず、目を開ける。


 社の奥が、暗い。ただの暗がりのはずなのに、その黒さが、やけに深く見えた。覗き込めば、どこまでも続いていそうな──そんな、ありえない暗さだった。背筋を、すっと冷たいものが撫でていく。


 気のせいだ、と思った。


 夜風で、目がどうかしただけだ。俺は軽く頭を振って、社に背を向けた。長居をする理由もない。願いごとは、もう済んだ。あとは帰って、布団に入って、明日からまた、同じ毎日が続くだけだ。──そのはずだった。


 足元に転がった鈴を、なんとなく拾い上げて、賽銭箱の縁にそっと置く。それから、石段のほうへ歩き出した。


 下りの石段は、上りよりもずっと怖い。闇の中へ、まっすぐ落ち込んでいくように続いている。俺はスマホを取り出して、ライトを点けた。白い光が、不揃いな石の段差を、ぼんやりと照らし出す。一段目。二段目。慎重に、足を運んでいく。


 ポケットの中で、もう一台の感覚——スマホが、震えた。


 通知。こんな時間に、誰だ。反射的に、俺は手元の画面へ目を落とした。それが、いけなかった。ほんの一瞬、足元から視線が外れる。その一瞬で、踏み出した右足が、苔に覆われた石の表面を、捉え損ねた。


 ぬるり、と、足が滑る。


 体は後ろに引かれるのではなく、前のめりに、闇へと放り出された。手すりはない。掴むものは、何ひとつない。スマホが指を離れ、回転しながら段を落ちていく。ライトの白い光が、木々の梢をめちゃくちゃに舐めて、激しく揺れた。


 あ、と思った。声には、ならなかった。


 世界が、回転した。石の角が背中を打つ。肩を打つ。足が宙を蹴る。痛い、と感じる間もなく、次の段が後頭部を打った。視界が白く弾けて、すぐにまた、黒く塗りつぶされる。それを何度も、何度も繰り返しながら、俺の体は長い石段を、転がり落ちていった。


 もう、どっちが上で、どっちが下なのかも、わからない。回り続ける視界の隅っこで、月が、街灯が、木の影が、ばらばらにちぎれて、飛んでいく。さっき拾って賽銭箱に置いたはずの鈴が、どこか遠くで、ちりん、と鳴った気がした。きっと、気のせいだ。


 不思議と、頭の片隅だけは、妙に冷静だった。


 ああ、これはまずいな、と、どこか他人事のように思う。死にゲーなら、ここでロードだ。かがり火から、やり直し。──でも、これは違う。これは、ゲームじゃない。巻き戻せない。覚えても、意味がない。一回きりの、現実だ。


 落ちていく一瞬の中で、脈絡もなく、いろんなものが瞬いた。祖母の、しわの寄った手。店長の、呆れたような声。画面に滲んだ、赤い文字。前を歩いていく、友人たちの背中。どれも、もう戻れない。戻れないまま、俺は、ここで。


 戻れたら、いいのに。


 さっき願ったばかりの、あの馬鹿げた願いを、最後にもう一度だけ、強く思った。やり直せる人生が、ほしい。たった今の、この一瞬を、戻せたらいいのに──。


 そこで、意識が、ふつりと途切れた。


 ——どれくらい、そうしていたのか。


 頬に、何かが触れている。やわらかく、ひんやりと湿ったもの。鼻先をくすぐるのは、濃い草いきれと、雨上がりのような土の匂いだった。アスファルトの匂いでも、線香の匂いでもない。嗅いだことのない、けれど、どこか懐かしいような匂い。


 俺は、ゆっくりと目を開けた。


 見上げた先に、空があった。──ただし、見たことのない空だ。青が、やけに濃い。雲の形が、どこかおかしい。そして何より、あれほど石段を転がり落ちたというのに、体のどこにも、痛みがない。それが、いちばん、おかしかった。


 俺は、のろのろと身を起こして、あたりを見回した。一面の、丈の高い草原だった。風が渡るたびに、銀色を帯びた穂が、波のように、どこまでも揺れていく。遠くには、見たこともないほど濃い緑の森が横たわり、そのさらに向こうに、ぼんやりと、崩れかけた石造りの塔のようなものが、霞んで見えた。電柱も、建物も、舗装された道も、どこにもない。人の手のあとが、何ひとつ、見当たらなかった。


 夢か、と思った。けれど、頬に触れた草の冷たさも、胸を上下させる呼吸も、やけに生々しい。俺は、自分の両手を見下ろした。見慣れた、なんの変哲もない手だ。──ただ、その左の手首に。さっきまで、何もなかったはずのそこに、見覚えのない、淡い時計のような紋様が、薄く浮かび上がっていた。


 そのとき、遠くで、声がした。


 犬でも、猫でも、人でもない。聞いたことのない、低く、濡れたような——獣の、唸り声。それが、確かに、こちらへ近づいてくる。


 弾かれたように、俺は立ち上がった。心臓が、嫌な音を立て始める。ここは、どこだ。

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