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絶対皇帝の『薫り高き神聖儀式(※ただの燻製チーズ作り)』

――お願いだから、誰か俺を現実から連れ去ってくれ。


深夜23時


 一ノ宮総本山のプロ仕様の厨房で、俺――ひじりは、コンロの前に座り込んで深くため息をついていた。


昼間に発動した「デパ地下直伝・爆速在庫管理(棚卸し)」が、なぜかネット上で『全国のクランの首根っこを掴んだ天才の兵糧攻め』などと大バズりし、明日の朝には2区の武闘派女王たちがマウントを取りに怒鳴り込んでくるらしい。

 考えただけで胃がキリキリと痛む。プレッシャーでおかしくなりそうだ。


「ダメだ、このままじゃ恐怖で一歩も動けなくなる。……よし、現実逃避だ」


こういう時は、無心になれる趣味に没頭するに限る。


 俺は、昨日全国から届いた「貢ぎ物(陣中見舞い)」の山からコッソリ掠め取ってきた、とある最高級食材を調理台に並べた。


「5区クランから届いた、熟成エメンタールチーズと、最高級のゴーダチーズ……。よし、今夜はこいつらを使って、前世で一番の趣味だった【本格自家製スモークチーズ】を作ろう」


俺は引きこもりニートを志望しているが、酒も飲まないくせに、こういう「おつまみ系」の職人調理には異常なこだわりを持っていた。デパ地下時代、高級燻製専門店の手伝いをして以来、完全にその魅力に取り憑かれてしまったのだ。


まずは下準備。冷蔵庫から出したばかりのチーズは、表面に結露(水分)がつきやすい。水分が残ったまま燻製すると、煙の成分と反応して酸味や苦味が出てしまい、せっかくの最高級チーズが台無しになる。

 俺は清潔なキッチンペーパーで、まるで割れ物を扱うように、優しく、丁寧に、完璧にチーズの表面の水分を拭き取っていった。


「よし、これを常温に戻して乾燥させる。この『待つ時間』こそが、職人の領域なんだよな……」


次に、厨房の隅にあった業務用のステンレス製スモーカー(燻製器)を引っ張り出す。


 使用するスモークチップは、同じく貢ぎ物の中にあった「ウイスキーの古樽を砕いたオークチップ」と、香りの強い「サクラのチップ」を、前世の黄金比率でブレンドしたものだ。


コンロに火をつけ、チップからゆっくりと、薄く美しい、琥珀色の煙が立ち上り始める。


「これだよ、この匂い……。心が洗われるようだ……」


スモーカーの中の温度が上がりすぎないよう、絶妙な火加減を維持する。熱しすぎればチーズがドロドロに溶けて網から落ちてしまう。限界ギリギリの低温スモークで、じっくりと、2時間かけて煙をまとわせるのだ。


 煙の逃げ具合、パチパチと爆ぜるチップの音。


 俺は完全にトランス状態に入り、ただ無心で煙のグラデーションを見つめ続けていた。


――その頃、総本山の廊下では、深夜の定期見回りを行っていたジークリンデと、夜を徹して監査書類を作っていたカレンが、同時に足を止めていた。


「……ッ!? ジークリンデ、この『匂い』は一体何事ですか……!?」

 カレンが血相を変えて鼻をひくつかせた。


厨房の隙間から漏れ出てきたのは、これまでの人生で一度も嗅いだことのない、狂おしいほどに芳醇で、重厚で、まるで歴史ある大聖堂の香香おこうのような、あまりにも高貴な『木と大地の焦がし香』だった。


ジークリンデは、腰の魔剣が共鳴するようにガタガタと震えるのを抑えながら、驚愕に目を見開いた。

「なんという濃密な魔力の気配……! いや、これは魔力ではない。ひじり総帥が、真夜中に、誰にも告げずに【新たな国家戦略の儀式】を執り行っていらっしゃるのだ……!」


「儀式、ですって……!?」


「ああ。あの香りを嗅ぐだけで、背筋が凍りつくような、圧倒的な『支配者の風格』が伝わってくる。間違いない、総帥は昨日掌握した全国の物流網ロジスティクスを、さらに強固に結束させるための、未知の精神魔法バフを練り上げておられるのだ……! 触れれば脳が焼き切れるほどの、神聖なる硝煙の香……っ!」


カレンはあまりの尊さと威圧感に、その場に膝をついて涙を流した。


「ああ、ひじり様……。明日の朝、2区の武闘派女王たちが襲来するのを前に、一歩も動揺することなく、真夜中に『世界の理を書き換える聖なる煙』を燻していらっしゃるのですね。私たちが書類を作っている裏で、すでに勝負を決めにいかれているなんて……どこまで底知れないお方なの……!」


「邪魔をしてはならん。私たちはこの『聖なる煙』を、ただただ五感に刻み込み、総帥の覇道に身を捧げるだけだ……!」


二人の狂信的なお姉様たちは、厨房のドアの前で、祈りを捧げるように深く頭を下げて直立不動の姿勢をとった。


そんなこととは夢にも思わず、俺はスモーカーの蓋をそっと開けた。


「うおおお! 見てくれこの、完璧な、美しい飴色のコーティング……! 煙が完璧に入り込んでるぞ! よし、これをアルミホイルに包んで、さらに冷蔵庫で一晩寝かせて、煙のトゲを落ち着かせれば……『俺専用・最強の贅沢おつまみスモークチーズ』の完成だ!! 早く明日にならないかなぁ!」


ひじり君は、自分が「深夜に国家の命運を操る暗黒の儀式を行った魔王」として完全にロックオンされていることなど露知らず、明日の買い食い(※おつまみ実食)を楽しみにしながら、幸せそうにお布団へとダイブするのだった。

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