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聖母の自家製ベーコンと限界メイドたちの狂信

第4区の一ノ宮レイが、半泣きで逃げ出してから翌日。

我が第7区のクランは、かつてない活気――というか、異様な熱気に包まれていた。


「聖母様! 本日のシーツの交換、ミリ単位の弛みもなく完了いたしました! どうぞお改めください!」

「聖母様、こちらの廊下の床ですが、私の髪の毛一本すら落とさぬよう、舌で舐められるレベルまで磨き上げてございます!」


リビングを歩くだけで、昨日一ノ宮のクランから「実質的な亡命」を果たした十数人のメイドたちが、一斉にその場に平伏して神への祈りを捧げてくる。


結局、彼女たちは「4区に戻ったらどんな仕返しをされるか分からない」ということで、至条総理の超法規的措置(第一種聖母保護指定の権限)により、正式に我がクランの「補佐職員」として雇用されることになったのだ。


元いたブラック企業から、ホワイトすぎる「聖母の直轄地」へ転職できた彼女たちのモチベーションは、文字通り宇宙の彼方まで突き抜けていた。


「いや、みんな本当にありがとう。でも、床を舐めるのは衛生的に良くないから普通に雑巾で拭いてね……?」


俺が前世のバックヤード仕込みの優しい笑顔でそう言うと、

「はぅあ! 聖母様が私の健康(衛生)を気遣ってくださった……っ!」

「私は、前世でどれほどの徳を積めばあのお方の視界に入れるの……っ!?」

と、床に額を擦り付けてガチ泣きを始める始末。


(……ダメだ。この世界の女性、優しさに飢えすぎてて加減がわからない)


彼女たちの限界オタクっぷりに軽い眩暈を覚えつつ、俺はリビングの窓からクランの広い庭を眺めた。

昨日、国家予算三億円で再現された『聖母コーヒー(微糖)』を運んできた政府専用ヘリは、大量の空き缶を回収して帰っていったが、庭の隅にはまだ、バリスタたちが置いていった高級な調理用機材や、いくつかの物資が残されている。


それを見て、俺の心にある「前世の男のロマン」がムクムクと頭をもたげていた。


前世の派遣時代、激務のストレスを癒すための俺の密かな趣味。

それが――【肉の燻製クンセイ】、特に塊肉から仕込む『自家製ベーコン作り』だった。


「せっかくこれだけ広い庭と、最高品質の豚肉(国家支給品)があるんだ。……ちょっと、やってみるか」


思い立ったら吉日。俺はクランの厨房へ向かい、冷蔵庫から国家最高級ブランドの豚バラ肉の塊(普段なら現地の男が一口食べて床に捨てるレベルの超高級肉)を取り出した。


前世の記憶を頼りに、塩、三温糖、そして数種類のハーブを完璧な黄金比で調合し、肉の表面に丁寧に擦り込んでいく。


「す、聖様……!? 何をなさっているのですか!?」


そこへ、お茶の準備をしようと入ってきた怜華さんとツグミが、驚愕の声を上げた。

さらに、後ろにいた新入りのメイドたちも「男様が自ら肉にハーブを塗っている……!?」とパニックになりかけている。


「あ、いや、ちょっと燻製肉ベーコンを作ろうと思ってね。これから数日間、冷蔵庫で塩漬けにしてから、庭でじっくり煙で燻すんだ。前世の、男の趣味みたいなものだよ」


俺がそう言って微笑むと、怜華さんの鋭い目が、獲物を見つけた鷹のように細められた。


「前世の、聖職者時代の秘伝の製法……。肉を『煙』で燻し、長期保存と究極の旨味を引き出す古代の魔術……ですか」


「いや、ただのキャンプ飯というか、スモークウッドで煙を当てるだけなんだけど」


「ツグミ。ただちに我がクランの地下倉庫から、最高品質の桜の銘木、および最高級の炭を用意しなさい。新入りのメイドたちも、聖様が肉をお触りになる際、室温が一度でも上がらぬよう、周囲で一斉にうちわを仰ぐのです!」


「はいっ!!」

「聖母様の『秘伝のベーコン計画』、命に代えても完遂いたします!!」


(いや、ただ塩振って冷蔵庫に入れるだけだから、うちわで仰ぐ必要は全くないです)


俺のツッコミなど耳に入らない様子で、クラン全体が「聖母の新たなる神託」に向けて、狂ったように動き出してしまった。


数日後。

塩抜きと乾燥を終えた塊肉を、庭に設置した特製のスモークボックスに吊るし、サクラのスモークウッドに火をつける。

モクモクと立ち上る芳醇な煙の香りが、初夏の庭に広がっていく。


俺は折りたたみ椅子に腰掛け、キンキンに冷えた『聖母コーヒー(微糖)』をプシューと開けて、煙を眺めながら一息ついていた。

横では、怜華さんとツグミ、そして十数人のメイドたちが、まるで国宝の鍛造たんぞうを見守るかのように、一列に直立不動でスモークボックスを凝視している。


数時間後、ついに燻製が完了した。


ボックスの扉を開けると、そこには、サクラの煙によって美しい琥珀色(きつね色)に染まり、表面から極上の脂がパチパチと音を立てて溢れ出ている、完璧な『自家製ベーコン』が姿を現した。


「おお……なんという神々しい輝き……」

「これが、前世の聖水(缶コーヒー)に並ぶ、伝説の聖食……!」


メイドたちが気絶しそうな顔で呟く。


俺はナイフを手に取り、出来立てのベーコンを厚切りにスライスした。それをフライパンでさっと炙ると、ジューシーな脂の爆ぜる音と共に、鼻腔を狂わせるようなスモーキーな香りがクラン中に立ち込める。


「はい、怜華さん、ツグミちゃん。いつもお世話になってるお礼。熱いから気をつけて食べてね」


俺は、カリカリに焼けた厚切りベーコンを、フォークに刺して二人に差し出した。


「せ、聖様から、直接の『あーん』……っ!? ご褒美が、ご褒美の過剰摂取で心臓が止まる……っ!」


ツグミが顔を真っ赤にしてパニックになりつつも、意を決してベーコンをハムッと口に含む。怜華さんも、震える手でそれを受け取り、口へと運んだ。


二人の動きが、ピタリと止まる。


「っ……!!!!」


この世界の料理は、「男様を満足させるための最高級の素材」をただ並べたものか、一般向けの簡素なファストフードしかない。

そんな歪んだ世界に、【最高級の肉×前世の男がこだわり抜いた『燻製』という圧倒的な手間の化学反応】が放り込まれたのだ。


サクラの煙の芳醇な香り、肉の旨味を極限まで引き出した塩気、そして口の中でとろけるような脂の甘み。


「美味い……っ! 美味すぎます、聖様……っ! 今まで食べていた肉は、ただの消しゴムだったのではないかと思うほどの衝撃です……っ!」

ツグミが美味さのあまり涙をボロボロと流し、怜華さんに至っては「くっ……この至高の聖食を前にして、私は今までなんと平庸な食事を聖様に捧げていたのか……っ!」と、己の不徳を恥じてその場に跪いてしまった。


「いや、本当にただの趣味のベーコンだからね!?」


さらに、後ろでその匂いを嗅いでいた新入りのメイドたちも、

「な、何あの匂い……香りを嗅いだだけで脳がハッピーになっちゃう……」

「聖母様、お願いです、私たちにもその聖なる肉の、焦げカスだけでも拝領させてください……っ!」

と、ゾンビのように目を血走らせて懇願してくる。


しょうがないので、余ったベーコンを細かく切って、みんなで分け合えるようにスープ(即席のミネストローネ風)にして振る舞ってあげると、クラン内は「聖母の炊き出し」を拝受した信者たちの嗚咽と歓喜の嵐で、完全に宗教施設と化した。


そしてその夜。

ナナクのネット掲示板は、またしても常軌を逸したログで埋め尽くされていた。


『【大ニュース】ナナクの聖母様、庭で「謎の煙」を操る古代の肉魔術を披露。匂いだけで4区の元メイドたちが昇天』


『>>1 俺もクランの近くを通ったけど、あり得ないくらい美味そうな匂いが漂ってたぞ。香水にして発売してくれ』


『関係者のリークだけど、聖母様が自ら仕込まれた「ベーコン」とかいう肉、一口食べた情報官(怜華)が美味さのあまりその場で国家機密を全部喋りそうになったらしい』


『缶コーヒーの次は、人類の食文化の変革か……。聖母様、マジでこの世界を裏から支配し始めてない?』


俺が前世の趣味で、ちょっと baconベーコンを焼いて、普通に周囲に分け与えただけ。

だが、その「普通のシェア」と「圧倒的な美味さ」は、他区から来たメイドたちの忠誠心を完全に固定し、第7区の『聖母伝説』を、いよいよ不可侵の領域へと押し上げていくのだった。


(第一章・完)

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


「男尊女尊の世界で、男が普通の接客マナーを通したらどうなるか」という実験的な試みでしたが、第一章・完として綺麗に大団円(?)を迎えることができました。

いつもながらひらめきで書くのは作者も楽しいのですが、勢いだけで書くので続きがなかなか書けません。

ですので一旦ここで幕引きとなりますが、今後のひじり君の動向(他区の包囲網や、総理からの無茶振りなど)が気になる方は、ぜひ【ブックマーク】をして、ログを残しておいていただけますと幸いです。


気が向いた時にふらっと第二章が始まる……かもしれません。

貴重なお時間を割いて読んでくださった読者の皆様に、心からの感謝を!



【読者の皆様へお願い】 もしも「続きが気になる!」と思っていただけたら、 下にある【ブックマーク】や【ポイント評価(☆☆☆☆☆)】をいただけると、執筆の大きな励みになります! よろしくお願いいたします。

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