プロローグ
茶葉がそよそよと揺れて、さわさわと音をたてる。
そこに赤とんぼがやってきて、鈴虫がなく。
秋めいた景色に、少年は目を細めた。
羽高琥珀はため息をついた。
琥珀は下をみる。
そこには、ただの青色の自分のリュックが置いてある。
車のスペースが狭く、琥珀の足の上にのっている荷物は琥珀の足枷でしかなく、この状況も、足枷でしかなかった。
指先が限界だというように痛み始めた。
「ごめんね、狭くて」
運転席で茶髪の好青年が笑う。
「いえ」
「ここ、いい眺めでしょ?オープンカーだし」
好青年と琥珀が乗っている車は茶色のオープンカーで、下があったかく、上が寒いのも相まって露天風呂のようだった。
「俺、やっぱ『叔父さん』なんだなぁ。姉貴は子供産むの早かったし、歳離れてるしで」
「……」
「俺が4歳の時に琥珀が生まれたもんなぁ。意外と歳近くて親近感あるよ」
隣で笑う好青年━━━━━羽高悠仁は、琥珀の叔父である。
悠仁の姉は36歳。
悠仁は20歳。
そして、琥珀は16歳で、悠仁と4歳差だ。
叔父と甥とは思えないほど年の差は小さい。
「琥珀が生まれてから、俺は━━━━」
悠仁の顔に影が差し込むのを琥珀は目撃をした。
「なんでもないよ」
琥珀が気まずそうな顔をしていることに悠仁は気がついたのか、悠仁は取り繕うように笑った。
悠仁は“できちゃった”弟だ━━━━母の穂希がそう言っていたのを思い出す。
「お茶は好き?」
「いえ━━━」
悠仁の問いかけに琥珀は口ごもった。
風と共に流れていく茶畑を見つめながら、どう答えようか、と迷う。
正直、お茶に興味がないし、今まで水しか飲んでこなかったのだ。
どうしようか?
「俺は、前まで嫌いだったんだよ」
悠仁の口から意外な言葉が飛び出す。
茶の名所に住んでいて、お茶が好きだと母から聞かされていた琥珀は驚いた。
「麦茶が苦手だったし、ご飯と合わないし、何がいいのかなって」
悠仁が言葉を紡ぐ。
「初めてほうじ茶を飲んだ時は驚いたよ。ジュースじゃないのに、ジュースを飲んでるみたいだ!ってね」
「ジュース…?」
琥珀は首を傾げた。
ほうじ茶はお茶で、ジュースのようなはずがない。
「やっぱそうだよな。姉貴にも、母さんにも笑われたよ。だけどちょっと甘くて、美味しいんだよ」
悠仁が茶畑を見据える。
古風のオープンカーの鍵のチャームが、ほうじ茶ラテのストラップであることに琥珀は気がついた。
この人、ほうじ茶が好きなのか。
「琥珀、お腹すいた?」
「いえ、そんなに」
「え!年の差あんまないんだから、敬語なしにしてよ」
悠仁の人懐っこさに琥珀は低く唸った。
敬語の方が距離を作れるし、それ以上踏み込めないし、踏み込まないのだ。
「わかった。特にないけど、羽高さんが行きたいところあるなら」
緊張しながらも言葉を絞り出す。
自分も『羽高』なのに、ついそう言ってしまう。
「下の名前で呼んでよ。呼び捨てで。苗字嫌いだから」
「……?」
どういうことだろう。
「琥珀」
黙り込む琥珀に悠仁が視線を送る。
どこまでもついてくる柴犬のように感じられた。
「悠仁が行きたいところがあるなら」
恥ずかしさで半ば吐き捨てるようにいうと、悠仁はにんまりとした。
ふわっと、茶葉の匂いがオープンカーに漂う。
「そうだなぁ━━━ここあたりだと、茶そばとかかな。いってみよう」
琥珀の不安を置き去りにするように、悠仁が少しだけアクセルを踏み直したのと同時に、琥珀の新たな生活が始まった。
∴ ∴ ∴
「いらっしゃいませー!あ、悠仁さん」
店に入ると、悠仁と同じくらいの活発な女性が2人を出迎えた。
店内は茶色で統一された落ち着いた雰囲気で、畳で座れるところと、腰掛け椅子の席があった。
「元気そうですね。オーナーから様子を見てこいと、近頃訪ねようと思っていたところです」
「げっ」
女性の言葉に悠仁が顔を引き攣らせた。
オーナーとは?この人は誰?琥珀の頭の中では疑問が渦を巻いていた。
「この子は?」
琥珀が悠仁に尋ねる前に、女性が琥珀のことを尋ねた。
「琥珀。俺の甥だよ。琥珀、この人は高校の同級生の真紀子」
女性━━━真紀子が紹介されると共にお辞儀をしたので、琥珀は自分が紹介される時に慌ててお辞儀をした。
「まぁ、ここのオーナーにはいろいろと世話になったから、時々顔を出してるんだ」
いろいろ。
なんだか深そうなので、聞かないでおくことにした。
かける雰囲気じゃないし。
言い訳のように琥珀は心のうちでつぶやいた。
「じゃあ、ほうじ茶麺天ぷらセットで」
悠仁が片手をあげて注文をする。
ほうじ茶麺なんてあるんだと、琥珀は少し驚いた。
「琥珀君は?」
真紀子が聞いてきたので琥珀はどきりとした。
なんなんだ、距離が近すぎる。
人見知りの琥珀は咄嗟にそう思った。
「同じので」
そうして注文を済ませると、2人用のカウンター席に腰掛けた。
ポツポツと雑談をしながらまっていると、ほかほかとした湯気とともに、ほうじ茶そばがやってきた。
そばは茶色で、お椀の上には温かいほうじ茶がのっている。
お茶だらけ。
琥珀は不意にそう思う。
「ほうじ茶、のんでみな」
悠仁が琥珀にほうじ茶をすすめる。
少しだけ体が身構えた。
「えー……。っ!あつっ!」
嫌がりながらも口をつけると、想像以上にほうじ茶は熱かった。
わかってていったな!?
パニックになりながらそばにあった冷たい水を口に流し込んだ。
舌が火傷したのだろう。
ひりひりとするのを感じつつ、冷ましながらもう一度口をつける。
ふわっと、ほうじ茶の香りが琥珀の鼻腔に広がった。
ごくん。
温かな液体が喉を滑り落ちていく感覚がする。
そのまま下へと落ちていき、お腹が温まった気がした。
その次にきたのは香り。
なんとも言えない、爽やかなお茶の甘みの少しの渋み。
お茶といってもいいし、ジュースといってもいい。
悠仁の感覚がようやくわかった気がした。
「……おいしい」
「そうか、よかったよ!そばを食べよう。天ぷらが冷めないうちに」
悠仁は琥珀にも箸を渡すと、ほうじ茶そばを麺つゆにつけはじめた。
ほうじ茶は美味しかったけど、もう一度口をつける気にはならなかった。
琥珀は天ぷらの山から茄子を選び取ると、何もつけずに食べた。
さくっ。
天ぷらの小気味良い音がして、油と茄子の味が口に広がる。
麺つゆに薬味を入れた後、琥珀はようやくほうじ茶そばを口にした。
そばの味と、ほうじ茶の味。
絶妙に絡み合い、口の中で踊り出す。
つるりとした喉越しの麺は弾力があって、飽きなかった。
「そろそろいくか?」
琥珀が食べ終わったのを見て、悠仁が車の鍵を取り出す。
悠仁の家━━━━━新たな琥珀の家へと向かうのだろう。
「うん」
不安ながらも琥珀は力強く頷いた。
このとき琥珀は、この後、お茶だらけの世界にいざなわれることなど、知りもしなかった。




