表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/19

『名もなき鍵穴』

放課後の校庭には、夕陽が長く影を落としていた。


湊は校門をくぐると、ふと立ち止まった。

生ぬるい風が、

額の前髪をやわらかく持ち上げていく。


「……今日は、静かだな」

自分でも口にした声が妙に遠く感じられた。


昨日までの“残響”の存在

──もうひとりの自分との邂逅──


そしてあの“鍵”が、

現実感を奪っていたのかもしれない。


けれど、それでも。


この手のひらには、

確かに“何か”が渡されたままなのだ。


湊はポケットに手を入れ、

あの黒い鍵を指先でなぞった。


それは熱を持たず、冷たくもなかった。

まるで体温と同じ、呼吸しているような温度。


校舎の壁に、誰かの気配が映った。


「……!」


振り返ると、そこにはチヒロの姿があった。

彼女は、ふと途切れていた

言葉の続きを探すような眼差しで

湊を見つめていた。


「湊くん、最近……変じゃない?」


問いはやさしかったが、

その中には静かな鋭さがあった。


「うん、たしかに……ちょっと変かもしれない」


湊はうつむきながらも、目をそらさなかった。


彼女になら、何かを話してもいいのかもしれない。

けれど──すべてを話せるほど、

自分の中でもまだ整理できていない。


「私さ、小さい頃に

“葉っぱの声”が聴こえる

って言ってたこと、覚えてる?」


唐突な言葉に、湊は目を見開いた。

確かに、覚えている。


低学年の頃、チヒロは運動会の帰り道

校庭の片隅に咲いていた

クローバーの葉に頬を寄せて、


「今、風のにおいがするよ」


と呟いたことがあった。


あの時の彼女の表情は

──まるで、遠いどこかを見ているようだった。


「いま思えば、ただの想像だったかもしれない。

でも、最近また、聴こえる気がするんだ。

……風じゃなくて、土の音が」


「……土の音?」


「うん。ざわざわって……

まるで、何かを待ってるみたいな」


湊の胸に、何かがひらいた。

それは言葉では言い表せない感覚


──けれど確かに、自分の“鍵”が共鳴している。


「……紙織さん」


湊は声を絞り出すように言った。


「おれ……鍵を、もらったんだ。昨日。 

誰かにじゃなく……もうひとりの、自分自身から」


チヒロは驚いたように瞬きをしたあと、

ただ静かに頷いた。


「きっと、それは“鍵穴”が近くにある

ってことだと思うよ。

鍵だけじゃ、意味がないもの」


「鍵穴……?」


「うん。誰かの心か、世界のどこかか、

それとも──」


チヒロの言葉は、風にまぎれて聞こえなくなった。


だが湊の中で、“鍵穴”という響きだけが

ずっと残っていた。


その夜、湊はひとり、自宅の庭に出た。


母が植えたまま、

いまは誰も手をかけていないミントの茂み。

その葉の先端が、かすかに震えていた。


静かにしゃがみこみ、指先で一枚をそっとなでる。

──そのとき。


「……あ」


まるで葉が反応するように、

手のひらがかすかに熱を帯びた。

黒い鍵がポケットの中で震えていた。


心臓が高鳴る。


鍵が、目覚めようとしている。

この場所に、“名もなき鍵穴”が存在するというのか。


湊は、夜の庭にひとり立ち尽くした。

葉のざわめきの奥に、

確かに何かが「開かれよう」としていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ