ある婚約者の場合 前編
「いつものように黙って金を出せ、コニー。母親と違って醜いお前と結婚してやるのだから、これからも感謝して金を寄越すんだな。逆らえばお前の生家など、いつでも潰してやる。ハハハッ」
「はい。お金です……どうぞ」
「分かれば良いんだ。お前は由緒あるバルバセ侯爵家、ラディク様の婚約者なんだからな」
じゃあなと肩で風を切り、去っていくラディク。コニーはため息を吐いて、「頑張って稼いだお金なのに。もったいないな」と、悲しくなった。
少し昔のこと。
下町の食堂で働くマルシアは、貴族とは知らずにオスカーと恋人となり、後にコニーとなる子を孕んだ。その後面倒くさいとばかりに、彼は何も言わずに彼女の前から姿を消したそうだ。
「嘘を見抜けなかった私も悪いわね。もう絶対美形の男には心を許さないんだから!」
マルシアはその後、(痩せているけど気持ちが)太っ腹母ちゃんとして食堂を盛りたて、長く通っていた貴族 (ユニアス)の後妻に入った。太っちょで優しい、ユーモアのある顔の男だった。幼いコニーのことも養女にし、可愛がってくれていた。
逃げた元恋人のオスカー・ダリア子爵は、法で結ばれていた妻子も不幸に落としていた。
クズで放蕩三昧な振る舞いで、子爵家の没落は加速度的に進み、その借金を残して亡くなってしまう。その後すぐ妻子(妻アカザ、娘ヴィリジア)は、身ぐるみを剥がされて追い出された。それでもまだオスカーに振り回された母子に同情が集まっていたことで、身まで売られることはなかったのは恩情だったと言って良い。
本来ならば、隠居して南国にいる前ダリア子爵が責任を取らなければならないのに、息子の葬儀の時でさえ梨の礫。連絡は何度もしたと言うのに。暫くして一度だけ連絡があったが、「体調が悪くてそちらに行けないので、処分は任せる」との連絡だけ。アカザ達を労る言葉の一つもなかった。
ただオスカーは頭は空っぽだが、遺伝のせいで美しい姿をしていた。整った優しげな容姿にスラリと薄い筋肉が付いた、絵本の王子様体型と言うやつだ。
「自分達に似て美しい」と両親から溺愛され、傲慢な俺様へと成長。妻であるアカザを虐げ続けてきた。誰もが望む俺の妻になったのだから、尽くすのは当然とばかりに。
アカザの生家は男爵家だった。数代前に領地に視察に来ていた王妃が、男爵領のワインを気に入ったことで、機嫌の良かった国王が気まぐれに爵位を与えたのだ。ワインを醸造して販売を生業とするただの商人に。
爵位には税金も多く生じる為、断りたかったが不敬に当たる為にそれもできず、名ばかりの男爵は生まれた。
貴族と言っても領地がない貴族なんて、最早名誉職だ。いやもしかしたら税金を増やしたい国王の、周到的計画だったのかもしれない。この国の男爵の数は、他国より2割くらい多いと聞く。ただでさえ、下位貴族は多いと言うのに。
そんな迷惑爵位だったのに、さらに迷惑を押し付けられる。
商人の父の元で働いていたアカザは、当時ダリア子爵令息だったオスカーと、金銭目当てで結婚させられたのだ。
最後は没落したものの、歴史的に見れば王家との血の繋がりもあった(侯爵家に嫁いだ王妹の娘が、恋愛結婚で嫁いで来たとかの話が複数ある)子爵家。何せ王家の者は、政略的な面のことも考えた美形好き。昔から子爵家は美形揃いだったのに、そこに王家の美形遺伝子も加わったのだった。
そんな子爵家だったから、普通は元平民の男爵家と縁が結ばれるはずはないのだが、オスカーがシャレにならない程のボンクラだった為、苦肉の選択をしたらしい。
確かに美しい。けれど他には突出する能力も知性もないのに、ちやほやされるのが好きで手持ちに金がなくても、借金を重ねてまで豪奢に振る舞う愚か者。
周囲にいる者はそれを分かって迎合するハイエナと、美形好きな節操のない女達だった。いくら顔目当てで娘が望んだとしても、不幸になるのをみすみす分かっていて、結婚なんかさせられるはずがない。
そこでアカザが、生け贄になったのだ。
妻がいる男は諦めるようにと、未婚の娘を持つ両親達は強く言って聞かせた。
アカザから生まれたヴィリジアは美しく知性もあったが、何しろ父があれではと、まともな貴族との付き合いはなかった。
ヴィリジアが幼い時に、オスカーの父である前子爵夫妻は隠居用の資金を持って南国へ消えており、親族貴族との伝手も持てぬままで。
けれどオスカーがやらかした責任を取るのは、いつもアカザの父だけだった。アカザが申し訳なくて泣いたが、「結婚を断れない俺が悪いんだ。だから気にしなくて良い」と慰められるのだった。
それを隠れて見ていたヴィリジアは、絶対に母と祖父を幸せにしようと思っていた。祖父と苦楽を共にしたと聞いていた祖母が、授爵前に若くして亡くなっていたのは、今考えると幸いだったかもしれない。
オスカーが亡くなり、放り出された2人はアカザの父ブロンソンと暮らすことになった。その後はブロンソンの伝手で洋品店に勤め、刺繍や裁縫をしながら静かに暮らしていたアカザとヴィリジア。
◇◇◇
ユニアスの養女となり、ビータ伯爵家の令嬢となったコニーは、幸せな生活を送っていた。養父であるユニアスは子煩悩で優しかった。
前妻は彼のことがつまらないと言って、性格の不一致として生家に帰ったと言う。けれど実際は、誰かと浮気していたことをユニアスは知っていた。後に彼女が役者の妻に刺されたとか、その役者夫婦が逃げて行方を探している等の多くの噂も流れていた。
バルバセ侯爵家のラディクはある社交の会で、ユニアスの妻であるマルシアに一目惚れした。
元平民の彼女であるから夜会など目立つ露出は極力避け、孤児院や貧民院などの寄付金支援のような、地味だが平民の人助けになるものを選んで参加していた。
ユニアスと共に参加したマルシアとラディクの出会いは、本当に偶然だったのだ。ちなみにマルシアは、人の気持ちが慮れるユニアスのことが大好きになっていた。ラディクのような顔だけが良い男は、最早受け付けないのだ。トラウマ~。
それなのにラディクは、話すことも儘ならないマルシアに近付く為に、コニーに縁談を申し込んだ。
ユニアスには養女であるコニーしか子供はおらず、ビータ伯爵家を継ぐのはコニーしかいない為、彼の両親も婚約に前向きだった。だって結婚さえすればマルシアやコニーなど、どうにでもできると思っていたからだ。ユニアスのことも口下手で優しいだけの男だと考え、侮っていた部分もある。
ただ彼らは、オスカーの血を継ぐ彼女達のことを軽く見すぎていた。
◇◇◇
代々王家には、不思議な力があると言われていた。
それは歴史に名を残す英雄から、国ごと結界を張れる聖女。果てには他国を操るほど美しい傾国の王女の逸話など。
王家の血は、未知数の能力が満載だ。
オスカーの祖父の妻が、前王孫に当たる人物だった。だからコニーとヴィリジアも、不思議な能力を受け継いでいたのだ。
◇◇◇
ある日いつものように、ラディクがコニーを貶める言葉を投げつけていた。
「全く融通も利かず、陰気な顔で忌々しい。もう少しマルシアに似ていれば、ちゃんと愛してやれたのに。まあ、俺達の子供に期待だな。マルシアに似てくれれば良いのだが」
「そうですか。子供に期待……。私は子を産む道具扱いですか? 子供が美しくなければ、私と同じように詰るのですか?」
「そ、そこまでは言ってないだろ。揚げ足をとるなぞ、小賢しいやつめ! ふんっ、今日はもう帰る」
ラディクは気分を害し、定期的に設けられたお茶の席を立った。ビータ伯爵家から踵を返す婚約者を見て、またため息を吐く。
「お義父様はこれを仮の婚約だと言うけれど、彼と結婚することがこの家の利益になるのかしら? 搾取される未来しか、想像できないんだけどなぁ」
コニーは元々、ビータ伯爵家を継ぐ気はなかった。だってユニアスの血を継いでいないのだから。家から出て自活する為に、翻訳の仕事をコツコツと引き受けて、将来の仕事の足掛かりにしようとしていた。
ラディクにねだられて渡したお金も、コニーが貯めたものだった。自分が美しくないと罵られ、更に金銭を要求されることを家族に話すのが、とても恥ずかしかったからだ。
ラディクの方はラディクの方で、大事にされている1人娘なら、お金に余裕があると思ってねだっていた。当たり前だが家を継がない次男の彼は、長男より金銭面での制限がある。それもまた彼を苛立たせていた。
「たった1年遅く生まれただけで、自分には何も与えられない。俺の方が優秀なのに」と。
彼は自惚れが強く、兄のことを敬っていない。だからこそ他の貴族家のように、家業の補佐仕事も任せられることなく、家を出て働くか婿入りしかなかった。するとますますラディクは、兄を嫌うようになる。まさに無限の負のループである。
彼がコニーに高圧的なのも、兄弟の関係の悪さが関係していたのだ。
◇◇◇
ブロンソンの洋品店で働く元子爵夫人のアカザとその娘であるヴィリジアは、爵位を返上したことで平民として暮らしていた。
それなのにヴィリジアはブロンソンの誕生日に花を選んでいた際に、花を買いに来たラディクと偶然に出会い、一方的に「愛している」と告白を受けてしまった。
ヴィリジアは平民の服を着ていたことから、貴族だと思われるはずはない。だからこそ貴族然としたラディクの告白は、完全に正妻ではなく愛人や浮気としての意味だろう。
「あ、ごめんなさい。無理です~」
ヴィリジアは瞬時にそう思い、走って逃げた。幼い時に亡くなったクソ親父と同じ種類の人種だと直感して。
「あ、あぁ、待ってくれ、美しい人。正妻は無理でも、大事にする方法はあるんだ。聞いてくれ!」
女性を下に見る男尊女卑のラディクは、コニーの母を傍で見ていたくてコニーと婚約したクソ男だ。彼の両親も養父であるユニアスの財産を狙っているハイエナだった。
そんな男の大事にするは当てにできないし、仮にされても誰かが犠牲になることは目に見えている。それに平民は飽きて捨てても問題ないと考えていそうな雰囲気が、ムンムンと漂ってくるように感じた。平民として生きていれば、その直感は結構当たることが多い。
洋品店で働く人々はブロンソンを信じて傘下に入っていたので、彼女達の事情を話されていた。
そんなこんなでいろいろと協力もあり、その時は逃げおおせたヴィリジアだが、相手はしつこそうである。
「もう国は捨てて、隣国に移住しようか? そうすればあのラディクって貴族は来られないだろう?」
「お爺ちゃん、それは駄目よ。たくさんの従業員の生活もあるのに、責任を放棄するようなことは」
「だがな、ヴィリジア。俺はお前の母さんの結婚を断れなくて不幸にしてしまった。可愛いお前に会えたことだけは良かったが、本当なら普通の家庭で幸せになって欲しかったよ。だから今度こそ間違えない。商会は信じる者に任せれば問題ないんだ」
「もう少し考えましょうよ、父さん。ヴィリジアは可愛いと言うよりも美しいわ。たとえ隣国へ逃げても、同じようなクズが寄ってくる可能性もあるもの。それなら住み慣れた場所で暮らす方が、私もヴィリジアも幸せだと思うのよ」
「そうだな。今は一応男爵位があるけれど、隣国なら平民となるし商会もなければ丸腰となるしな。ヴィリジアは家から出ないようにして、少し様子を見ながら対策を考えるとしよう」
「ええ、お爺ちゃん。私はこの街が好きだから、ここにいたいわ」
ブロンソンは少し考えた後、徐に1人の貴族の名を口にした。
「ユニアス・ビータ伯爵はオスカー・ダリア子爵と恋人だったマルシアと再婚し、連れ子のコニーも大切に育てている人格者だ。ユニアスはお前達のことも心配して、様子を聞きに来たことがあるんだ。
異母姉妹ではあるが、コニーの姉が困っていないかとな。
ビータ伯爵は優しい顔をしているが、商会の情報網で調べてあることが分かった。彼は王国の暗部を仕切る影のフィクサーである可能性が高い。
空手で隣国に逃げるなら、彼に託してみるのも良いかもしれない。
「私に妹がいるの? 何だか嬉しいな」
「オスカーは貴族であることを隠していたそうだ。そして妊娠を告げた途端に彼女達を捨てたから、コニーが無事に生まれたことも知らなかっただろう。それでも彼女は食堂で働き、再婚するまでは周囲の協力を得てコニーを育てていた。立派な女性みたいだ」
「そうなのね。何だか私も元気が出てきたわ。お姉ちゃんとして頑張ろうって」
「ふふふっ。すっかりコニーさんに興味津々ね。でも私もマルシアさんに会ってみたいわ。同じようにオスカーに迷惑をかけられた女として。元妻としては謝罪が先かしら?」
「そうだな。でももうマルシアとコニーは幸せだろう。ただ彼女達の美しさのせいで、困った男が付きまとって婚約したらしい。その付きまとい男がヴィリジアに絡んできた、ラディク・バルバセ伯爵令息らしい。クズ差加減がオスカーに似ているな」
「まあ。では同じ男が、妹にも愛を囁いていたと言うことなのね?」
「愛どころか悪態だな。彼が好むのは、美しい母のマルシアの方らしいから。とんだ変態だぞ」
「人格は関係なく、顔の造形が優先なのね。それじゃあ、怪我をしたり老化すればすぐに興味をなくすでしょうね」
「マルシアは妊娠しただけで、オスカーに捨てられた。体のラインが崩れるとか、子供の養育とかが面倒で全部投げ捨てたのだろうな。恐らくラディクも同じ種類の人種だな」
「クズ男は1人みたら、回りに30人はいると思った方が良いわね」
「あらそれだと、害虫に失礼だわ。あっちは生きようとして、必死に飛びかかってくるのだもの。嫌だけど、温情をかける気持ちは少しだけ起きるわ」
「類は友を呼ぶの発想は、案外あたりかもよ。同じような考えと爵位で、一緒にいて居心地が良いのでしょうし」
そんな自由なディスカッションを行っていると、窓の方からクスッと笑い声が聞こえた。そこにいたのは、件のユニアス・ビータ伯爵だった。
「失礼しました、ブロンソン・ジルバ男爵殿。商談の時刻でしたので、執事に案内して貰っている最中でした。でも今の内容を話すなら、窓を閉めることをオススメしますよ。それとも私に聞かせようとしたのなら、正解ですが」
顔を真っ青にして「あ、あ、忘れてました。どうか、ご容赦を」と、頭を下げるブロンソン。何だか全部聞かれていたみたい。
◇◇◇
そんなこんなで怒りもなく、「今後のことを相談しませんか?」と言うユニアス。
ラディクとバルバセ侯爵夫妻は、ユニアスが影のフィクサーとは知らず高圧的であったそうだ。コニーとの婚約も強引に話を通そうとしていた為、ユニアスが見極めようと条件を付けて受けた形だ。
今回のラディクの動きは、婚約解消条件と合致しており慰謝料も取れるだろうと笑っている。
「バルバセ侯爵家は傲慢で、爵位を振りかざすだけで裏取りをしないと有名でした。今回それが正しいと分かり、処分がしやすくなりました。あれはもう、この国に必要ない」
一瞬顔から笑みが消え、周囲の温度が低下したように感じた。
ブロンソン、アカザ、ヴィリジアは、とてつもない強力な味方を手に入れたようだ。
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長くなる為、前後編にしました。




