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ある騎士の場合

 「何が英雄だ! 調子に乗るなよ、ベルダン。聖剣のスキルを持つお前なら、あんな軍勢退けて当たり前だ!」


アナライズ王国の王太子アーカイブルは、騎士の1人に対していつもそう叫んでいた。


農民の子であるベルダンは、ある日教会で神託を受けスキルを授かった。それが『聖剣の騎士』であったことは彼にとって不幸でしかなかった。


本来それは、王族か高位貴族に授かるスキルだ。だが彼に降りてきたところを見ると、数代前にでも農民に不埒な行為を犯した者がいるのだろう。それにより、高位貴族はその権能をなくした。



たぶん犠牲になった女性やその家族は、口をつぐみ耐え忍んで来ただろう。愚かな男はきっとすぐ忘れたとしても。

それが誰だったかなど、今となっては分からない。昔は今より人権はなかったと聞く。


ただベルダンの両親にそのようなことはなく、彼は愛されて生まれて来た。何れは幼馴染みのアンナと結婚し、穏やかに暮らすのが夢だった。


その願いが虚しく散ったのが、まさにスキルの神託を受けてからだった。


彼は国王の命令で騎士団に入隊させられ、12才と言う半端な年齢から剣術を学ぶことになった。勿論家族と引き離されて。逆らうことなど出来なかった。そんなことをすれば、家族は皆殺しにされただろう。だから目に涙を溜めながらも、泣き言を言わないよう口を引き結んで別れたのだ。


「ああっ、ベルダン。行かないで、いやあぁ」

「アンナ、元気で」

愛する幼馴染みだけが、たまらず声をかけた。背を向けたまま彼は彼女へ呟く。そうして故郷を後にしたのだ。



殆ど貴族しかいない騎士団で、嫉妬により厳しすぎる訓練(罵声や虐待めいたものも多い)を乗り越えて、ベルダンは強くなっていった。


最初は彼を嫌っていた者達も、清廉な性格や前向きな姿勢に傾倒していく。いくら邪険にされていても仲間の騎士を庇って戦う姿は、英雄に相応しいと言われ始めていた。


何より真面目な性格の為、訓練を怠らず研鑽を積んだことで、さらに聖剣の騎士らしい佇まいになっていく。


面白くないのは王太子アーカイブルである。


次期国王である自分よりも人気があり、みんなに頼りにされているのだから。元より国を統べる者と騎士の役割は違うのだが、それも忘れ激しい嫉妬により目が曇った。騎士団の訓練視察で、ベルダンを眩しく見つめる愛しい人を見つけたからだ。


「あんな奴、いなくなれば良いのに。そうすればオルフェスはもっと俺を愛してくれるはずだ」


アーカイブルは、伯爵令嬢リルデイジーが好きだった。可愛らしく微笑む、奥ゆかしい女性だ。上位貴族の中では下の身分な為、彼の母である王妃マリアは嫌っていたが。


「王太子になる息子には、もっと強い後ろ盾になる家門が必要です。リルデイジー・ハイネ伯爵令嬢では役不足だわ」

そう言って。その言葉に周囲の貴族は忖度し、王妃と同じように彼女を除け者にしていく。彼女らは時には聞こえるような悪口を言い、持ち物を隠したり壊したりと増長していった。

今まで彼女と友好的だった者も、王妃やその派閥に逆らうことを避けクモの子を散らすように去って行く。

味方が少ないその場所で、黙って耐え忍む日々を過ごすリルデイジー。



それを分かっていても、アーカイブルは彼女を望んだ。その気持ちに国王が折れ、一先ず婚約者候補となったのだ。


ただこの希望はアーカイブルの思いだけで、リルデイジーの気持ちは分からない。だがアーカイブルは信じて疑わなかった。

次期国王で美しく、優秀な自分に選ばれたのだからと。


その思いを受け取るように、彼女はいつも微笑んで優しかった。


「さすがですわ、アーカイブル様。そのお考えに、間違いなどありませんわ」

彼女はいつも、アーカイブルの意見に賛同した。




◇◇◇

その数年後。

多くの戦いを終えた今日、王城では祝勝式典が行われた。

幾つもの国を併合しその国は大きく領地を広げた。今後逆らう国がないほどに。


国王は功労者であるベルダンに、褒賞を与えることにした。多くの人々が集う謁見室には、他にも多くの功労者がいたが、みんながベルダンを称える。

「彼の活躍で我が国は戦に勝てた。彼は英雄だ」と心から心酔していた。

その名に恥じぬ活躍ぶりは見事なものであり、まさに一騎当千であった。


厳かなだが明るい雰囲気の中で式は続けられていく。そして国王はベルダンに問うた。

「今までご苦労であった、ベルダン。そなたが望むものを2つ与えよう。申せ」


「ありがたき幸せ。では私は、これからも敵国を監視するべく、辺境の地に住みかを移したいと思います。そして妻として、リルデイジー・ハイネ伯爵令嬢を望みます」


「うむ。そなたの希望であれば致し方ない。彼女は王太子妃候補であるが、その功績に免じて結婚を許そう」


「感謝します、国王様。これからも忠誠を誓います」


跪き深く礼をして、隊列に戻って行くベルダン。信じられない発言に驚愕し、彼を睨み付けるアーカイブル。即座に国王に駆け寄ろうとし、立ち上がろうとするアーカイブを止めたのは王族席に並んで座る王妃だ。


「アーカイブル、諦めなさい。ベルダンは英雄なのよ。英雄の妻になるのだから、こんなに誉れ高いことはないわ」


口許を扇で隠している王妃だが、思い通りに事が進み愉悦を隠せないでいた。


「彼女は、彼女の気持ちはどうなるのですか?」

「貴族は国の駒よ、気持ちなど関係ないの。ベルダンを国に引き止めるよう、楔を刺すのがリルデイジーの役目なのだから。貴方も王太子なら聞き分けなさい」


小声で話す2人の声は、階下に座る者には聞こえない。けれど誰もが予測した通りだった。


「王太子妃候補はまだ2人いる。きっと王妃の望む公爵令嬢に決まるだろう」

「それではさっそく公爵の派閥に接触を図ろう」などと人々が動き出す。


もう誰もリルデイジー・ハイネ伯爵令嬢のことを気にする者はいなかった。




◇◇◇

納得出来ないアーカイブルは、秘密裏にベルダンに刺客を放つ。


「あいつさえいなければ、たとえ王太子妃にはなれなくとも、側妃くらいには出来る。愛する彼女を他の男に渡すものか! 彼女だとて同じ気持ちのはずだ」


彼は軍事力となる英雄を屠ってでも、愛する女性を奪うことを決めた。



就寝中に訪れた十数人の刺客達に、ベルダンは襲撃された。祝勝会で酒に薬を盛られ、昏倒して眠る彼は左手を彼らに切り落とされた。けれど刺客の反撃はそこまでで、ベルダンが覚醒した瞬間に血濡れのままの彼に、手練れの刺客達全員が切り捨てられた。王家の有望な刺客達は、王太子の命令で命を落としたのだ。


ベルダンは王家からの刺客だと薄々気づき、後から不利な証言をされることを避けて、知らぬふりをして全ての命を摘み取った。左手首を落とされ敵認定した彼らに、もう慈悲はかけず一撃で仕留めていった。


結果的には任務を失敗したことで責め苦を受けて死ぬよりも、潔い引導の渡し方だったかもしれない。




◇◇◇

それを知った国王は、アーカイブルを激しく叱責し、自室に監禁した。王太子が刺客を放ったことをベルダンが語ることはなかったが、国王は気付かれていると感じてた。


ベルダンの左手首が切り落とされのは、戦闘中だと思いたいが、最初に切られた状態で彼らが負けたのならば、もう目も当てられない。刺客20人が全滅。本来刺客は相手の隙を狙い仕掛けるプロだ。ずっと相手を観察し、ここぞという時に手をくだす。相手の反撃も考えた訓練も積んでいる猛者。その中でも、国王の刺客は熟練の精鋭達なのだ。次期国王の命に逆らえず、覚悟の上で『聖剣の騎士』に向かって行ったはずだ。


「何と愚かな………。最高の味方を敵にまわしおって。しかも私の大事な戦友達は、息子に殺されてしまった………」


国王が引退した後、王太子(アーカイブル)が国を治めることになる時、ベルダンがいればどれだけ他国の抑止に繋がったことか。それを無下にしただけではなく、このままでは最悪の敵になってしまう。それ以上に苦楽を共にした仲間の刺客達を失い、言い難い胸の苦しみに涙が溢れる。


「やっと戦わなくても良い状態になったから、これからゆっくり骨を休めようと言っていたのに………」




◇◇◇

国王に呼ばれたベルダンは、謁見室ではなく応接室に呼ばれていた。人払いをした後、そこでいきなり頭を下げる国王。


「ベルダン済まなかった。そなたに向けた刺客は、調べによりアーカイブルの放ったものであった。本当に申し訳ない」


その姿にベルダンは慌て、許すので頭を上げるように伝えた。国王の頬には、血の涙がとめどなく溢れたままだ。


「ベルダン、恥を忍んで頼む。私には王子が1人しかおらん。何とかあやつを許し、次の国王になるのを認めてくれないか? 今あやつを退ければ王位を巡り、内乱が生じるだろう。そうなれば敵国が攻め入る隙を作る。やっと平和になったこの国を守ってくれないだろうか?」


ずいぶんと勝手な言い分だと、国王とて分かっていた。けれど願わずにはいられなかったのだ。


「そんな大事なことに、私が口出しなど致しません。勿論アーカイブル様が次期国王になることに反対はしません。ただ……………。私はもうこの状態で、十分に剣を握れません。ですので辺境の行きも辞め、他国に渡ろうと思います。妻と私の両親達と共に。他国に出る許可を頂けないでしょうか?」


国王は苦悶の表情で頷いた。

アーカイブルが許して貰えた。

それだけで良かったはずなのに、英雄であるベルダンがこの国を見限ったことを知りショックを受けたのだ。

無理に家族と引き離し、戦わせたあげくがこの結果だ。国への忠誠など期待する方がどうかしている。

考えて見れば当たり前のことだった。

それでも彼は笑って全てを許してくれると、心の隅で期待する浅ましさがあった自分に呆れる。


「ああ、良いぞ。今まで大儀であった。辺境の地で暮らす時に贈ろうとした報奨金も持たせるから、恙無く暮らすと良い。………なあベルダンよ。そなたには辺境の地で、伯爵位を授ける予定だった。貴族になりたくはないのか?」


その問いにベルダンは即答する。


「私の願いは農民として生きることです」

「そうか、そうなのか。本当に今まで苦労をかけたな。ありがとう」


この時国王は彼が元々農民の子で、信託を受けて連れて来られたことを思い出していた。農民として暮らしていれば、戦争で自他を傷つけたり権力に振り回されることもなかっただろう。


ああ、ベルダンは帰りたいのだ。

土と共に暮らす日々に。

そんな彼を引き留めることは出来はしない。してはいけない。


国王はベルダンの体に損傷が残った慰謝料として、彼が一生働かなくてよい程の金貨を持たせた。そして温暖で人の優しい土地を何か所か紹介した。


きっと彼は、その金で新たな土地を耕すことを望むだろう。だから土地の情報も与えたのだ。


「元気でな」

「ありがとうございます、陛下。陛下もご健勝でお過ごし下さい」

「ああ、ありがとう」



誰を恨むでもなく、ひたすらに誠実で真っ直ぐな男だったベルダン。

「本来彼のような男こそ、王を継ぐのに相応しいのにな」

呟きは風に溶けていく。


大きく頭を下げ踵を返し歩いて行く彼は、もう騎士ではなくなっていた。自由な風のように、弾んだ気持ちで城から姿を消したのだった。



◇◇◇

ベルダンが妻にしたいと言ったリルデイジー・ハイネ伯爵令嬢には、彼は指1本触れていない。彼女が好きなのは、昔から従者のハングラットだけだ。野心家の両親には反対されそうで、彼女は何も伝えていない。話したことで逆に彼が害されることを懸念した。それなのに王太子に見初められ、身動きさえ出来なくなっていた。


自分は両親に逆らえない。

王家からの婚約者候補の話にも。

両親も伯爵家の娘に訪れた幸福にほくそ笑んだ。

「娘が王太子妃何れ王妃になれば、事業にも援助して貰え、ますます儲かるだろう。わっはっは」

「娘が何れトップレディになるのよ。私達に似て美しいから当然ね。おほほっ」


自分は王太子妃の器ではない。候補故に何とか辞退できないかと訴えるも、娘の言葉などに耳を貸さず選ばれるようにいっそう努力しろと言う両親には無駄な足掻きだった。


それからはもう、王妃派の貴族に嫌がらせを受ける日々だ。両親の手前、アーカイブルに一時の嫌がる素振りも見せられず、心を殺して微笑みを貫き続けた。一部貴族からは、いつも笑っていて気味が悪いと言われたほどに。

最後までアーカイブルは気づかなかったが。



そんな時だ。

リルデイジーがベルダンに会ったのは。

王妃教育の帰りに他の貴族の目を避ける為、貴族女性が近づかない騎士の訓練所でその様子を眺めていた。


大空の下で自分より年若い男の子が、必死に剣を振るっている。時に年上の先輩に小突かれながらも、笑顔の仮面を被り続けて。


「ああ、同じだ。私と同じ・・・・・」


もうその頃には王妃派のことを聞く貴族達は、リルデイジーを遠巻きにしていた。だから彼女の涙を拭いに来たのは、ベルダンだけだった。


「どこか痛いの? 大丈夫ですか?」


労るような優しい声を聞き、さらに嗚咽が酷くなる。

「痛くないの。違うくて、くずっ、ふっぅ、えぐっ」


泣いているリルデイジーを慰めるベルダンを叱責する騎士はさすがにいなかったので、ベルダンはそのまま彼女の様子を見ることにした。


少し落ち着いた彼女は囁く。

「貴方はどうして頑張れるの? 突然こんなところに連れて来られて。聖剣の騎士にされて。嫌じゃないの?」


彼も小声で呟く返す。

「僕が逆らえば、家族が殺されます。そんな思いをするくらいなら、聖剣の騎士なんて必要のない国にするまで戦います」


そう言い切る幼い顔に、再び涙が零れ落ちた。

(この男の子は家族を守る為に戦っている。自分とは違うのだ。でももし自分が王太子妃になれば、何かの役に立てるなら。私にも生きている意味があるのかもしれない)


リルデイジーは、自分だけが不幸だと思うのを止めた。いつか王太子妃に、なれずとも文官などで国に尽くすことで、戦う彼の力になれるかもしれない。そう思うことにしたのだ。


この時ベルダンは彼女のことを知らなかった。彼女が王妃から冷遇されている王太子妃候補だと言うことを。


知った後も、時々見学に来る彼女と言葉を交わしていた。

真面目に訓練を熟す平民の騎士と、恐らく王太子妃にはなれない知性高き伯爵令嬢は、遠くから他愛のない言葉をかけるだけだ。

そのくらいは良いだろうと思うほどに、周囲は彼らの頑張りを次第に認め出していた。


ベルダンとリルデイジーに恋愛感情はない。言わば同士のような繋がりだった。


そしてベルダンは、周囲からのリルデイジーへの悪辣な態度を知るに連れ、彼女を救ってあげたいと思うようになっていた。



◇◇◇

ベルダンが国王に、妻としてリルデイジーを望んだのは彼女を助けるためだ。彼女の両親は最初こそ娘が王太子妃になる夢を見たが、現状を知り諦めていた。それならば金になる者へ嫁に出そうと思い、いろいろと他貴族のことを調べているようだと同僚に聞かされていたベルダンだ。


仲良くなっていた騎士の友達は、ベルダンがリルデイジーのことを好きだと思い、いろいろと助言をくれたのだ。それが功を奏し、リルデイジーが婚約者候補を辞退し、金持ちの後妻に嫁ぐことを阻止できた。国王からは王太子の婚約者候補からベルダンに嫁ぐことになったことを納得させる為に、彼女の両親には多額の金が渡り彼女の役目は終了した。



それがアーカイブルの怒りに繋がったのは予想外だったが。

「それほど好きなら、何故いろんな悪意から救ってあげなかったのだろう? 彼女の悪意は王太子妃候補になったせいなのに」


周囲を把握できていなかったのは、周囲を見られなかったアーカイブルの未熟のせい。自分の思いに逆らう者はいないとおごっていたせいだろう。

それか愛する思い自体が、自己愛より下だったら納得も行く。


そして国王にとっての最悪の幕引きを迎えたのだ。



◇◇◇

その後ベルダンは家族全員と、婚約者リルデイジー・ハイネ伯爵令嬢とその従者、幼馴染みのアンナとその家族を使用人として誤魔化し、他国へ向かう船に乗り込んだ。同僚達も国民も惜しみ無く感謝を込め、船に乗る彼の第二の旅立ちを見送った。


怪我のせいでもう戦えないと思われたが、聖剣の騎士の力を宿した彼は、片手でも刺客を軽く屠る抜群の戦闘センスがある。国王はされを知りつつもこれまでの功績と謝罪の意味を込めて、彼を手放したのだ。



港から船が離れ人々が見えなくなってから、ベルダンはアンナを抱きしめて幸せを噛みしめた。


「やっとアンナに触れられた。夢みたいだ」

「………生きていてくれてありがとう。ベルダン」


二人はずっと手紙のやり取りをしていた。自分のことが彼の弱味にならないように、手紙の差出人は承諾を得てからベルダンの母の名を使っていた。


ベルダンがリルデイジーを妻に迎える話も、事前に知っていたけれど辛くて涙が出ていたのは、今になれば笑い話だ。


正確にはまだ、結婚誓約書は出していない。そして出す気も2人(彼とリルデイジー)にはなかった。


最初からベルダンはアンナと、リルデイジーは従者のハングラットと結婚するつもりだった。リルデイジーの両親は国王から得た金に満足し、リルデイジーには何も持たせずに放り出した。予想通りである。その際に彼女は除籍だけを願い、あっさりと受理されていた。もう用はないとばかりに。彼女の兄も両親に似て情は乏しく、王太子妃になれなかった妹は邪魔な存在だったから、反対など起こりようもなかった。左手首を失った聖剣の騎士にも用はないのだ。


ベルダンの手首が無事な場合でも、辺境の地でリルデイジーとは婚約解消か離婚をして、アンナと結婚するつもりだった。端から伯爵位など貰う気などなかったから、離婚も容易いと考えていた。


こうして左手首を失ったベルダンだが、一番円満に事が進んだと喜んでいた。聖剣の騎士の役目も解かれ、国の支配から逃れることが出来たからだ。それでも彼は心配なことがあった。アンナにこの体が嫌われることだ。


「アンナは俺で良いの? 左手首がなくても嫌じゃない?」

怖々と聞くベルダンに彼女は微笑み、左手首を優しく撫でた。


「どんなにか1人で辛い思いをしたのかしら? そして戦ってきたのかしら? そんな貴方を嫌う人は私が殴ってあげるわ。私が貴方を守るから」


そう言われてベルダンは滝のように泣いた。ずっと我慢してきた涙を出しきるような量を、彼女に支えられながら泣き続けたのだ。

「あぁ、生きていて良かった。何度死線を乗り越えただろう。背中を刺された傷も数えきれない。………でも、もう一度アンナに会いたくて、会いたくて頑張った…………」


「ああぁ、ありがとう、ありがとう。嬉しいよ、ベルダン!」


甲板の上で抱き合う2人は暖かな視線を受けていた。誰も彼も邪魔することなく、静かに涙を流すだけだ。


リルデイジーもハングラットに寄り添い、温かな体温を感じる。生まれてきた喜びを噛みしめるように。



◇◇◇

その後港に着き、ベルダンはリルデイジーに多額の金貨を渡した。受け取れないと言うも、結婚祝いだと譲らないベルダン。


「貴女には励ましをいつも貰ったから。元気で」

「感謝します。今まで、ありがとうございました」


リルデイジーとハングラットは深く頭を下げて、歩き出した。優秀な教育を受けた彼女と、彼女に寄り添って来た彼なら、この大きな街で仕事には困らないだろう。平民の暮らしにも次第に慣れていくはずだ。


そしてベルダンとアンナ、家族達は農地を購入する為に動き出す。暫く宿屋暮らしが続くだろう。一先ず今日は宴会だ。

みんなで楽しく呑んで食べた。会えなかった分の祝福をするように。


「幸せだな。みんなの笑顔を見られて」

「これからもそれが続くように頑張るわ」

「力を合わせて生きていくのよ」

「もう1人だけじゃないんだから」

「そうよ。私達にも頼って。何もしてあげられなかった母にも………」

「それなら俺にも頼ってくれ。まだまだ農作業はお前に負けないからな!」


「ああ、みんなありがとう。遠慮なく頼らせて貰うね」



彼らの未来は、ここから再び始まる。



◇◇◇

「リルデイジーは何処にいるんだ?」


監禁から解放された時には、全てが終わっていたアーカイブル。当然のように彼女の居場所は誰にも分からない。


諜報や刺客を使う権利は、彼が国王に即位するまでは取りげられたままだ。国王はもう過ちは犯さない。


聖剣の騎士の分を補うように、騎士達は奮闘していく。今度は自分達が国を支えるのだと、今はいないベルダンを思いながら。


これからも反乱が起きる度に、幾度となく戦う彼らは誇り高く生きるだろう。


聖剣の騎士を失った国が今後どうなるかは彼ら次第だが、武力に代わりに話し合うことも増えるだろう。人は進化する生き物だから。



アーカイブルはなくしてから、己の過ちに気づく。

「俺がもっと守ってあげていれば。もっと母を納得させる材料を揃えれば良かった。そうであれば今頃、リルデイジーは不幸になっていなかったのに。今も俺を思って泣いているだろう、可哀想に」と、憐憫に浸っていた。


だが一つ間違っていることは、始めからリルデイジーの心はアーカイブルにはなく、彼女は幸福の絶頂にいるのだ。今までの距離を急速に縮めるが如くに。


「ごめんなさい、ハングラット。また卵が焦げたわ」

「大丈夫ですよ、リルデイジー。苦味もまたスパイスですから」

「ああ、焦げたのは私が!」

「貴女には僕が作った、焦げなしを食べて下さい」

「もう、貴方はいつも甘やかすんだから」

「ふふっ、それが僕の特権ですから」


あま~~~い。



終わり

アーカイブルが国王になったら大変そう。王子は1人だけど、残念な兄を見てきた賢い妹がいるので、女王とかにしたら何とかなるかも。国王頑張れ。娘の信頼を回復するのだ(笑)。

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