ある少女の場合
「え、え、何なの! キャー、誰か助けてえぇー」
馬車が崖道を移動していた途中、ガタッ、ゴトッという音と共に停止した。その直後、アメリは馬だけが切り離された馬車部分と共に、谷底に落ちたのだ。
「ドガアアアァァンッ、バダンッ、ガカッツ」
バウンドした馬車は、大きな岩にぶつかり動きを止めた。
御者と御者の隣に座っていた従僕が、谷の底で馬車から這いずり出た瀕死のアメリを崖の上から嘲笑う。
「ああ、可哀想なアメリお嬢様。新しい奥様に疎まれて、命まで奪われた」
「本当にお可哀想に。新しい奥様が、アメリお嬢様を前伯爵様の元に遊びに行かせるなんてこと、ある訳ないのになぁ」
可哀想と言うわりには、醜悪な顔に満ちている2人。彼らはアメリの義母、フランシーヌが嫁いで来てから、臨時給金を渡されて手足の様に動いていたようだ。
他の使用人達はアメリが母を亡くした後、家族のように親身になって接してくれたので、寂しさをさほど感じずに過ごしてきた。あの2人との関係も、それほど悪くはなかったはずなのに。
◇◇◇
そんな2人の裏切りに気づいたのは、侍女のメアリーが教えてくれたからだ。
「お嬢様、くれぐれもお気をつけ下さい。サムとコウジーは後妻に金を渡され、碌でもない輩の所に足を運んでいるようです。特にサムは旦那様がいない時に後妻の部屋へ入り込んで、朝まで出てこないとメイドから報告を受けております」
信じられないと思う私に、彼女は続けた。
「あの女は自分に都合の悪い使用人を、次々と追い出しています。私もいつ追い出されるか分かりません。くれぐれも油断なさりませんように」
そう言いながら彼女は、辺りを見回し私の部屋から出て行った。
予言のように彼女は、その後すぐ解雇された。
彼女だけではなく、古参の使用人も日を置くごとにいなくなって行く。
さすがに不安になり父に相談したが、義母を信じる父が言う。
「家のことは彼女に任せてあるからね。まあ少しぐらい譲歩してあげておくれ。彼女も彼女なりに、女主人になろうと必死なんだよ」
ああ、駄目だ。
父は彼女の妖艶でそれでいてか弱く、いつも俯きかげんの庇護欲を刺激する姿に心を奪われている。彼女の薄紫の髪が揺れるだけで、父は目を細め優しく微笑むのだから。
馴れ初めはいつも行く教会。下位貴族の未亡人であった彼女と何度も偶然に顔を合わせたことで、自然と惹かれ合い恋に繋がったと言う。
本当に偶然なの?
何もかもが、彼女に都合良く進んでいる気がする。
嫁ぎ先から追い出されて、悲嘆に暮れて市井で暮らしていた?
そんな人が頻繁に、教会に行く暇などあるのだろうか?
追い出されたなら、そんなに財産はないはず。普通なら必死に働くだろう?
そう言えば、彼女の家族に会ったこともない。
「何処までが本当のことなの?」
ずっと解けない、思考の迷路から抜け出せない。
そんな時に、父が事故で亡くなったと連絡が来た。領地から王都の邸に戻る途中だったそう。愕然とした。いつも通る道なのに、どうして?
葬儀には、父方の祖父が真っ先に駆けつけてくれた。黒髪黒目の父と違い、金髪と紫紺の鮮やかな色の瞳だ。アメリは祖父方の血が濃く出ていた。
「ああ、可哀想なアメリ。母に続いて父まで亡くするなんて。困ったことがあればすぐに教えておくれ」
抱きしめられたことで、張り詰めていた心が揺れた。泣き止まぬ私に声もかけず、ずっと寄り添ってくれていたビワンダ。
17歳になっていた私はもうすぐ成人し、伯爵家を継ぐことになる。母のいない部分を埋めるように、今は亡き祖母と共に社交面でもずいぶんと助けてくれた。父の執務の負担にも、領地から優秀な人材を派遣し、ずいぶんと援助してくれていたことも知っていた。
フランシーヌは庇護欲溢れる姿に涙を浮かべ、本当に悲しげに参列者に挨拶をしていた。父と仲睦まじいことを見せられていた人々が、彼女を怪しむことはなかった。
その後私は、執務以外の時は部屋に閉じこもり、父の死を受け入れられずに泣く日々を過ごす。義母はなにくれと声をかけて、気づかってくれた。そしてある時こう言ったのだ。
「気分転換に、お祖父様の所へ訪問するのはどうかしら?」
「…………そうですね。それも良いかもしれないですね」
メアリーからあれほど言われていたのに、優しくしてくれる彼女に心を許し始めていた。そして祖父に手紙を書いて連絡し、領地へ向かっている途中で馬車は落ちたのである。
この場所は時々雨の時に事故が起こる難所で、御者は特に神経を使う崖に添った道だ。けれどアメリが移動中は、雨は一度も降っていない。そんな状態で事故を仕組んだ使用人達。
◇◇◇
今の私は誰が見ても虫の息だ。
落ちた時に壊れた馬車の下敷きになり左腕は千切れ、窓ガラスの破片は深く太ももに突き刺さっていた。使用人達は馬車から外した馬に乗り去って行った。仕事の完了を報告しに行くのだろう。領地に続く崖の道は、滅多に人は通らない。私は誰にも見つからずに、このまま死んでいくのだ。
「そこの人、まだ生きているか?」
もう死を待つばかりの私に、声が聞こえた。それは年配の男の人のようだった。
(幻聴、なのかしら?)
私は痛みを堪え浅い息を繰り返しながら、その声の主を目で探した。声の主は血の乾いたような黒い石の上にいた。その姿は透けており、向こう側が見えていた。
「ああ、貴方は、生きてはいな、いのね」
思いがけず声をかけていた。
「そうだ。人としては、もう死んでいる。君もフランシーヌの犠牲者かい?」
「え! どう、して、義母の、名を? ま、さか……」
「そうだ。私もその女の犠牲者なんだ」
「なんて、こと。どうなって、いるの? くっ、痛っ……」
話すことで更に力が抜け、目の前が歪んでいく。
それを見て男の人が叫ぶ。
「俺は魔導師だ。彼女の夫の護衛として雇われていたが、彼女の仲間達にその夫ごと落とされた。馬車の中にいたから、対応が間に合わなかった!」
何人も殺しているということ?
何なのあの人。
いったい何を考えているの?
ああ、悔しい、憎い、このまま死にたくない。
生きたい、生きたい、生きたい!!!
「君が望むなら、生きられる方法がある。私が未だに消滅していないのは、死ぬ直前にスライムの体を支配して体を乗っ取ったからだ。その黒い石のようなものは、私が入っているスライムだ。最期の力で這いずってそのスライムに精神を移した。赤黒いのは私の血液だ」
そんなことが出来るなんて。
私もスライムに精神を移せば、生きられるということなのかしら?
でも無理よ! 魔法なんて使えないもの。
瞬時に思考する間に、男の人が話を続けていた。
「私は支配状態でスライムに入ったことで魔法が使えたが、もう少しで魔法が切れて主導権がスライムに戻るのだ。その前に君とスライムを融合させて、蘇生を図ることが可能だと思う。ダメ元でやってみるかい?」
スライムと融合?
どういうことなのだろう?
「私は回復魔法を持っているから、損傷を受けて使えない君の体をある程度までは復活できる。ただ切り離された腕や足先は作れないので、スライムの体を代用すれば良い。そして回復したら、私がスライムの核を破壊すれば主導権は奪われない」
「……スライムの核、を破壊したら、貴方は、どうなるの、ですか? 私の、体の中で、生きると、いうこと、ですか?」
「いいや、私もスライムと共に死ぬだろう。あくまでも私は、スライムに転移しているのだ」
「死ぬと、言うこと、ですか?」
「良いんだよ、私は。いや、命を託せて良かったというべきか。私はスライムに転移後、人型になれないかいろいろ工夫したのだが、駄目だった。だから絶望し、このまま動かずに消滅を待っていたんだ。だが先程の話はあくまで理論で、思わぬ作用もあるかもしれない。それでも試してみるかい?」
男の人は言う。
思いつきで話したが、成功するかどうかは分からないと。
それでも私は挑戦したい。
どんなことがあっても生きたい。
そしてあの女に復讐したいのだ。
恐らく父も殺された。
この男の人も、この男の雇い主だった人も。
まだまだ被害者はいるかもしれない。
この悔しい思いのまま死ぬくらいなら、化け物になっても良い!
「お、ねが、いし、ます、いきか、えらせて…………」
もう意識を保つのも難しい。
次の瞬間にはもう、意識を手放していた。
◇◇◇
「チュンチュン、チュン、チュンチュン」
雀の声で目を覚ますと、そこは馬車が落ちた谷だった。すぐ横には大きな川が流れ、魚が時々跳ねていた。
あれほど全身の骨が折れ痛みで苦しかった体は、微塵の痛みも感じることなく、肘から切断された腕や足先も元通りになっていた。
「ああっ、本当に元に戻ってるわ」
自分に起きた出来事が嘘のように思えたが、壊れた馬車の残骸やボロボロの服を見ると、現実に引き戻される。
そして男の人の記憶やスライムの記憶も、脳内から溢れ出しそうに駆け巡った。
「ぐっ、ああぁ、あああーっ!!!」
あまりの酷い頭痛に陥り、こめかみを強く押さえた。
永遠とも思える苦痛の後、滂沱の涙で頬が濡れる。
私は1人と1匹を犠牲にして、復活を果たしたのだ。
「ありがとうございます。おじさん、スライムさん。私生きるから。最期まで諦めないで生きるから」
姿はもう、何処にもない彼らに、石でお墓を作ってその場を去ることにした。幸いなことに、馬車には着替えのトランクと宝石と金貨を積んでいた。川の水で汚れを落として服を着替えると、川に添って下って行く。この川の先は、領地の1つ前の村に繋がっていると知っていたから、一足ずつ歩みを進めた。
痛みがない体なら、何処までも進んでいける。
歩いていると脳裏に、男の人の無念の記憶が流れ込んで来た。
(愛しい妻と可愛い娘。あの2人を残して逝くなんて、嫌だ、悔しい、どうしてこんなことに…………)
「ああっ、この人にも家族がいたのね。それなのに…………」
涙が溢れて来るが、拭うことなく構わず歩いていく。
切断されていた左腕は、自分のもののように動く。握る指にも力が入った。
(これがスライムさんの体なのね)
そう思いスライムの姿をイメージすると、腕が一瞬ドロリと溶けた状態になった。
「えー、腕が溶けた! あ、元に戻ったわ」
何とイメージすると、元のスライム状になるようだ。人前でこうなれば、さすがに不味かっただろう。
「これを隠せるように、腕まである手袋をしなければ!」
さっそくトランクから手袋を出して、装着した私。まずは一安心だわ。
いろんなことを思いながら歩き、夕方には無事に村に着いた。その日は宿屋に泊まり、翌朝御者を雇い、荷馬車に乗って領地まで移動する。
日が沈み月が姿を現す頃、領地の祖父の邸に着いた。馬車ではなく荷馬車に乗った私に驚く祖父達だったが、顔には出さず御者へは多すぎる金貨を握らせて「無事に届けてくれてありがとう」と感謝を述べた。御者も深く頭を下げ、口外しないことを誓って去って行った。
「話は中で聞くよ。よく無事に来たね。良かった」
「うわぁああ。お祖父様、お祖父様ぁ」
号泣して抱き合う2人を、使用人達は涙を堪えて静かに見守っていた。
◇◇◇
ビワンダは、馬車が襲われて何とか逃げ延びたのだろうと考えていた。従僕達がいないことから、アメリを庇って死んだか怪我をしているのかもしれないと。
だが、アメリから聞く話は予想外のものだった。
「御者のサムと従僕のコウジーは、崖道の途中で私ごと馬車を谷に落とし去って行きました。私がもう死ぬと確信し、フランシーヌから頼まれたと告げ嘲笑っていましたわ」
深い悲しみを湛えて話すアメリが、わざわざ嘘を言う理由はない。真実だと直感したビワンダだが、同時の疑問が湧く。崖から落ちて無傷なことなど、ありえるのだろうか?と。
困惑するとアメリが言う。
「私は落ちた時、瀕死の状態でした。助けてくれたのは魔導師のザルツさんと、スライムさんなんです」
記憶を辿るうちに、男の人の名前や出来事が自然に浮かんでくる。
魔導師が助けてくれたのは分かる。だがスライムとはどういうことなのだろう?
混乱すビワンダに、アメリは話を続ける。
「私が会ったザルツさんは、スライムの上に透明な姿で浮いていました。彼もフランシーヌに殺され、あの谷に落とされたそうです。彼はミラフェス男爵の護衛だったそうで、男爵もその時亡くなったそうです」
真っ青になるビワンダに、確信を深めたアメリ。
「私はフランシーヌの前の婚家を知りません。もしかしたらミラフェス男爵なのですか?」
ビワンダはアメリを見つめ頷き、「そうだ」と呟いた。
「サム達は私が死んだとフランシーヌに報告したはずです。そのうちに王都で義娘が死んだと、泣きながら葬儀をすることでしょう。でも私の死体はあそこにはありませんわ。あ、そうだわ。千切れた左腕と右足先だけは、そのままあるかしら。ボロボロになって着替えた服も」
「おい、アメリ。着替えた服は分かるが、千切れた腕と足とはどう言うことだ。お前に怪我はなさそうだが」
全身を見て首を傾げるビワンダは、心配そうに顔を歪める。見えない部分に怪我でもしているのかと思い。
その様子に、もうこれ以上黙ってはいられなくなったアメリは、全てを伝えることにした。
「お祖父様、私が瀕死だったと言いましたよね。その時に左腕の肘から先は馬車の破片で切断され、右足先も引き千切れ、太ももはガラスの破片で切り刻まれていました。後少しで息が止まる寸前でザルツさんが回復魔法をかけてくれて、転移した先のスライムの体を使って千切れた体を補修してくれたの。そのせいでザルツさんとスライムさんは死んでしまったの。私を救う為に。うっ、うっ、ぐすっ、うっ……」
「……そうか、そうか。まだ呑み込めない部分もあるが、彼らが命を救ってくれたんだな。それは分かったよ。彼らには感謝で、頭が上がらないな。私の代わりに孫を救ってくれたのだから」
いつまでも泣き止まぬアメリの背を、ビワンダが優しく撫でる。祖父の肩に頭を預け顔を手で覆うアメリは、漸く安堵を感じそのまま眠りに就いてしまった。
「疲れただろう。ゆっくりおやすみ、可愛いアメリ」
◇◇◇
1週間が経った頃、ビワンダの元にフランシーヌから葬儀の案内状が届いた。
「アメリよ。女狐から呼び出しだが、お前も行くかい?」
「勿論ですわ、お祖父様。式には皆様が集まった頃に伺いましょう。フランシーヌの挨拶は見事なのですよ。何を話してくれるか、今から楽しみです。お祖父様、憲兵にも連絡しておきましょうね」
「ああ、勿論だ。誰1人逃げられないように、家の護衛もたくさん連れて行こう」
「ふふっ、今から楽しみですわ。あの澄ました顔がどんな風に歪むのかと」
「私もだ。息子の命を奪い、孫を殺そうとした報いは重い。逃がしはしない」
顔を見合わせて復讐に向かう2人は、悲しげな笑顔の下に強い憎しみを滾らせていた。
◇◇◇
「こんなことになるなんて…………。落ち込むアメリさんを領地で休養するように言ったのは私なんです。申し訳ありません。うっ、うっ……」
「そんなことないです。奥様はお嬢様に優しかったですわ」
「そうだ。気づかっていましたよ。十二分に」
「奥様はお金をたくさんくれるので、いつも嬉しいですよ」
新しいメイドやサムやコウジー達がフランシーヌを擁護する言葉を発する中、厳かに式は進められていく。
泣き崩れるフランシーヌの側に、遅れてきたビワンダが近づいて声をかける。
「今日は誰の葬儀なんだい?」
「え、ビワンダ様。アメリさんの葬儀ですわ。信じられないかもしれませんが」
フランシーヌはビワンダがショックを受けて、正気を失っているのだと思った。だから必要以上に優しい言葉をかけ続けた。
「どうか心を穏やかにして、アメリさんを一緒に送ってあげましょう」などと、宣いながら。
ビワンダの隣には黒いレースで顔を覆った女性が俯いて参席していたが、急にそのレース付きの帽子を胸元に寄せて顔を見せた。
「ごきげんよう、フランシーヌさん。束の間の夢は見られましたか? 貴女に伯爵家を好きにさせませんわよ」
「そうじゃ、女狐め。死体もなく葬儀する愚かさ。財産目当ての結婚を繰り返す浅ましさ。全て分かっておるぞ!」
そこに憲兵と護衛が現れて、明確に罪を犯した関係者を捕縛していった。
「なんで、なんであんた生きてるのよ! 崖から落ちたんでしょ? この化け物!」
「嘘だろ、確かに手足が千切れていたのに!」
「俺は確かに確認した。血も大量に溢れて、馬車の下で潰れていた。生きてるはずがない!」
混乱して自白していく3人は、葬儀の参列者から白い目で見られながら、憲兵に引きずられていく。サムとコウジーは、まるで幽霊でも見たように驚愕にうち震えていた。それをアメリは満面の笑みで見つめ、唇を動かす。
『次は貴方達の番よ』
「ヒィ、嘘だ、嘘だ、うそだ………………」
「ひひひっ、夢だ、これは悪い夢だ。じゃなきゃ、あああぁ」
2人は化け物を見たようにうわ言を紡ぎ、顔を紙のように白くして腰を抜かしていた。誰が見ても、正気ではなかった。
◇◇◇
「終わりましたね、お祖父様」
「ああ、そうだな」
少し疲れた私達は静かに寄り添い、王都の邸に辿りついた。領地のからの護衛騎士を山のように引き連れて。
フランシーヌの手駒である可能性の残る使用人達を個別に部屋へ隔離し、荒っぽい騎士達が事情聴取することになっている。忠誠心の欠片のない彼らなら、自分の罪を軽くする為にもすぐに全てを話すだろう。
憲兵が引き取りに来るまで、有益な自白が取れることだろう。
「お祖父様。私、とっても眠くて…………」
「そうだろうな。お前は頑張ったよ。ゆっくりおやすみ」
「はい。ありがとうございます。お祖父様も休んで下さいね」
「ああ、ありがとう」
そう言ってアメリは、自室で眠りに就くのだった。
「フランシーヌを捕まえても、息子は帰って来ない。虚しいことだ。好いた女より、娘をもっと大切にすれば良かったのに。バカ息子が…….、親より先に死ぬやつがあるか! うっ、ふぐっ…………」
切ない気持ちを抱えながら、アメリの部屋の前で護衛をするビワンダ。椅子に腰掛け、ワインを飲みながら愛しい孫をドア越しに見守る。今日ばかりはアメリが悲しい夢を見ないように、神に祈りも捧げよう。
「ふぁ~、さすがに疲れてきたなぁ」
深夜になりビワンダも眠くなりかけた時、アメリの眠る部屋のドア下の僅かな隙間から赤黒い物体がにじり出て来て、ボールのように丸まり転がっていった。
「なんだ、あれは。アメリは大丈夫か?」
アメリの部屋のドアを勢い良く開け、室内を見回るも特に動きは見られない。
「室内に怪しい気配はないようだ。ふむ、アメリは眠っているな。おや、布団がはだけているではないか? 風邪をひくぞ。うあぁ、なんと!」
布団をかけ直そうとした時、アメリの左腕がないことに気づくビワンダ。なくなっている部分の先の、腕の断面に血は出ておらずツルンと綺麗な状態だった。アメリにも痛みはないようで、穏やかに寝息をたてている。
「どういうことだ。一体何があった!」
アメリの部屋に護衛は近づけないようにしていた為、ビワンダのあげた声に気づく者はいない。傍にいるアメリさえ、起きる気配はなかった。
ビワンダは放心のまま、可愛い孫の顔を眺めていた。
「起きて腕がなくなっていたら、アメリは悲しむだろうな。なんてことだろう」
そうして眠らずの番をしながら、ビワンダは朝を迎えた。
そして朝日が登りきる前に、赤黒い物体が丸い玉のように転がりながらアメリの元に戻って来た。そしてビワンダの前を飛び上がり、アメリの腕に戻ったのだ。
「な、なんと! そんなことが」
驚愕のビワンダだったが、急速に現れた睡魔に負けてアメリのベッドサイドで眠りに就いてしまう。
◇◇◇
「あー、良く寝た! あらっ、お祖父様ったら。私が心配で付き添ってくれたのね。ありがとうございます♪」
微笑むアメリは知らない。
左腕が夜中に徘徊し、祖父が驚愕していたことを。そして一睡もしないで、その顛末を見ていたことも。
椅子に座ったまま眠り続ける祖父に、毛布をふわりとかけて洗面する為に部屋を移動したアメリ。
その後覚醒したビワンダが、「アメリ、何処にいるんだ!」と叫びながら探すのは、みんなの噂にあがるほど爺バカだと有名になりホッコリされていた。
◇◇◇
その後。
フランシーヌの前夫ミラフェス男爵の死には、ある手紙での密告から殺人の可能性が高まり再捜査が行われている。
ミラフェス男爵の護衛ザルツは、同馬車に乗り込む前に食事に睡眠薬を盛られ、判断能力が低下していたと推測された。主人を守れなかった役立たずと罵られていたが、集団的犯罪に巻き込まれては仕方なかっただろうと擁護の声があがる。
その為、ザルツの妻と息子には護衛協会から、遺族への見舞金が支給されることになった。
ザルツ夫人は夫が巻き込まれた事件に大いに悲しみ、そして責任感の強い夫が仕事を熟せなかったことを悔やんだ。無念だったでしょう?と言って、悲しく俯いて。
そのまた少し後、ザルツの妻子にはお世話になったからと言って、アメリとビワンダからお礼金を渡すことになった。きっと彼の未練は妻子だったろうから。この資金があれば、2人で10年は暮らせるはずだ。だけどザルツの妻は、その申し出を1度断っていた。こんなに施される覚えはないと言って。
それでもアメリは言う。
「彼がいなければ、私は死んでいました。私の命の値段はそんなに安くないのです。お願いですから受け取って下さい」
そう説得を続けると、ザルツの妻は大泣きしながら「ありがとうございます。これで息子を学校に行かせてあげられます。本当にありがとう…………うっ、うっ」と、金貨を受け取ってくれた。本当はザルツが亡くなり、とても不安だったそうだ。ザルツが亡くなり更に誹謗中傷までされ、彼女は心身共に打ちのめされていた。今後の金銭面や将来の不安ものし掛かっていたのだろう。
アメリからの礼金は、全額息子名義で貯金された。
「このお金があると思うだけで勇気が湧いてきます。バリバリ働くので、残された資金には手をつけません!」
支えができたことで、彼女の気持ちは前向きになった。ザルツの名誉が回復したのも大きかったみたいだ。
(これでザルツさんの心残りは、少しだけ薄れたかしら?)
そしてはミラフェス男爵の両親は、息子の死因を疑っていたが、フランシーヌの雇ったならず者に脅され憲兵に訴えられなかったと言う。それどころか未亡人になって男爵家を去るから、慰謝料を寄越せと脅してきたそうだ。その時点で大きい金額の資金が、フランシーヌに流れていたのだ。
憲兵の話に寄ると、他国でもフランシーヌとは別の名前で同じような事件が起こっているらしい。根の深い事件になりそうだ。
そして伯爵家で暮らすフランシーヌは、生前からアメリの父に多額の資金が貢がれており、死後も(生前に書いた)遺言により大金を残されていた。だがアメリを谷底に落とした後は、好き勝手に邸の美術品を売りまくり更なる収益を得ていたようだ。
それに荷担した使用人達は、その資金の一部を報酬として得ていたことから、窃盗犯の一味として関与者全員が捕まった。
「知らなかった」
「主人に逆らえる訳がない」
言い訳のように叫ぶ使用人達だが、アメリに対して真摯に仕えることもなく、フランシーヌに侍っていた者も多いので減刑はされないだろう。
◇◇◇
調査が終了した後。
葬儀の時に棺の中に入っていた、アメリの左腕や右足部は父の墓の傍らに埋めることにした。仇は取ったとの報告と共に。ただ父は本当に幸せそうだったので、何も知らず苦しまないで逝けたなら、この世に未練はないかもしれない。フランシーヌは父をとても愛しているように演じていたから、信じて逝けたと思えば少し気は楽になりそうだ。
◇◇◇
ビワンダはアメリの部屋から動き出した、赤黒い物体を忘れてはいない。たとえ翌日にアメリの腕が元に戻ったとしても、夢で片付けるほどめでたい思考はしていなかった。
その赤黒い物体が、何をしていたかは予想が付いていた。確信と言っても良い。
あの日憲兵に捕らえられていた3人の、右足の指が全部なくなっていたと聞く。ただ痛みもなく、いつの間にか消えていたそうだ。
特に自分が美しいと自覚のある、フランシーヌは暴れたらしい。
「こんなチンケな拷問をするなら、一思いに殺れ!」と潔く啖呵を切って。騎士の仕業ではないので、言われた方は何も返せない。切断の傷痕もないなんてまるで魔法のようだが、そんなことが出来る者はここにはいないのだ。
別件でのフランシーヌ絡みの事件は多く、それを明確にして被害者遺族に伝えるまでは、処刑はされない為、彼女の望みは叶わない。
でももう、逃げられもしない。
彼女の貯えた資産は、慰謝料として多くの者に渡るだろう。彼女に残される物は、もう何もない。
逃げ場のない実行犯の3人は、牢の中で被害者遺族の面会で罵詈雑言をぶつけられ、疲弊する日々を過ごす。時に嘘泣きではなく、本当に泣いているフランシーヌだが、もう誰からも涙を拭われることはない。ここは完全な独房だから、男性を誑かし利用してきた彼女の技は、ここでは通用しないのだ。
「こんなはずじゃないの、私の人生は! どこで狂ったのかしら、完璧な計画は……」
世の中に完璧などあり得はしないのに。
そうしてアメリが深く眠りに就く時、またフランシーヌ達の体が消えていく。何故なくなるのか? 次は何処の部位かと不安は膨らんでいくのだ。今朝起きると、痛みもないまま右手の人差し指が消えていたそうだ。
「助けて、神様。もう悪いことはしないから!」などと、殊勝な気持ちで祈る彼らだが願いが叶うことはない。それが虐げた者の責任なのだ。死による救済はまだ遥か先だ。
◇◇◇
ビワンダはそれらの情報を聞き、アメリがやったことだとすぐに分かった。正確にはアメリの左腕の一部だが。
赤黒い物体は何をしたいのかも分からない。
ただ悪人達へ心身共に恐怖を与えていることだけは確かだ。
「どんな姿でも、私だけはお前を愛しているよ。可愛いアメリ」
ビワンダは領地から王都に引っ越し、アメリの傍にいる。今度こそ彼女の心身を守る為に。
アメリは左腕のことは露とも知らず、領地経営の仕事を一部任されて張りきっている。彼女の微笑みに、ビワンダの苦労や蟠りの全てが洗い流されていくのだ。
こうしてまた、新しい日が来る。
アメリは何も知らず、幸せなままで。
ザルツはまだ許していないんでしょうね。




