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ある少女の場合

 「え、え、何なの! キャー、誰か助けてえぇー」


馬車が崖道を移動していた途中、ガタッ、ゴトッという音と共に停止した。その直後、アメリは馬だけが切り離された馬車部分と共に谷底に落ちたのだ。


「ドガアアアァァンッ、バダンッ、ガカッツ」

バウンドした馬車は、大きな岩にぶつかり動きを止めた。


御者と御者の隣に座っていた従僕が、馬車から這いずり出た瀕死のアメリを崖の上から嘲笑う。


「ああ、可哀想なアメリお嬢様。新しい奥様に疎まれて、命まで奪われた」

「本当にお可哀想に。新しい奥様が、アメリお嬢様を前伯爵様の元に遊びに行かせる訳ないのに」


可哀想と言うわりには、醜悪な顔に満ちている2人。彼らはアメリの義母、フランシーヌが嫁いで来てから、臨時給金を渡されて手足の様に動いていたようだ。


他の使用人達はアメリが母を亡くした後、家族のように親身になって接してくれたので、寂しさをさほど感じずに過ごしてきた。あの2人との関係もそれほど悪くはなかったはずなのに。



◇◇◇

そんな2人の裏切りに気づいたのは、侍女のメアリーが教えてくれたからだ。

「お嬢様、お気を付けください。サムとコウジーは後妻に金を渡され、碌でもない輩の所に足を運んでいるようです。特にサムは旦那様がいない時に、閨にまで入り込んでいましたから」


信じられないと思う私に、彼女は続けた。

「あの女は自分に都合の悪い使用人を、次々と追い出しています。私もいつ追い出されるか分かりません。くれぐれも油断なさりませんように」


そう言いながら彼女は、辺りを見回してから部屋を出て行った。


予言のように彼女はその後すぐ解雇された。

彼女だけではなく、古参の使用人も日を置くごとにいなくなって行く。


さすがに不安になり父に相談したが、義母を信じる父が言う。

「家のことは彼女に任せてあるからね。まあ少しぐらい譲歩してあげておくれ。彼女も彼女なりに女主人になろうと必死なんだよ」


ああ、駄目だ。

父は彼女の妖艶でか弱く、いつも俯きかげんの庇護欲を刺激する姿に心を奪われている。彼女の薄紫の髪が揺れるだけで、父は目を細め優しく微笑むのだ。


いつも行く教会で、下位貴族の未亡人である彼女に、何度も偶然に顔を合わせたことで恋に繋がったと言う。


本当に偶然なの?


何もかもが、彼女に都合良く進んでいる気がする。


嫁ぎ先から追い出されて、悲嘆に暮れて市井で暮らしていた?

そんな人が頻繁に教会に行く暇などあるの?

追い出されたならそんなに財産はないはず。普通なら働くでしょう?

そう言えば、彼女の家族に会ったこともないわ。


何処までが本当のことなの?


ずっと解けない思考の迷路から抜け出せない。


そんな時に父が事故で亡くなったと連絡が来た。領地から王都の邸に戻る途中だったそう。愕然とした。いつも通る道なのに、どうして?


葬儀には、父方の祖父が真っ先に駆けつけてくれた。黒髪黒目の父と違い、金髪と紫紺の鮮やかな色目だ。アメリは祖父の血が濃く出たようだ。

「ああ、可哀想なアメリ。母に続いて父まで亡くするなんて。困ったことがあればすぐに教えておくれ」

抱きしめられたことで、張り詰めていた心が揺れた。泣き止まぬ私に声もかけず、ずっと寄り添ってくれていた祖父。もう17才になっていた私が、伯爵家を継ぐことになる。いろいろな意味での負担を考慮してくれていたのだ。


義母は庇護欲溢れる姿に涙を浮かべ、本当に悲しげに参列者に挨拶をしていた。父と仲睦まじいことを見せられていた人々が、彼女を怪しむことはなかった。


その後私は執務以外の時は部屋に閉じこもり、父の死を受け入れられずに泣いていた。義母はなにくれと声をかけて気づかってくれた。そしてある時こう言ったのだ。


「気分転換に、お祖父様の所へ訪問するのはどうかしら?」

「………そうですね。それも良いかもしれないですね」



メアリーからあれほど言われていたのに、優しくしてくれる彼女に心を許し始めていた。そして祖父に手紙を書いて連絡し、祖父の住む領地に向かっている途中で馬車が落ちたのである。


この場所は時々雨の時に事故が起こる難所で、馭者は特に神経を使う崖に添った道だ。けれどアメリが移動中は雨は一度も降っていない。そんな状態で事故を仕組んだ使用人達。



◇◇◇

今の私は誰が見ても虫の息だ。

落ちた時に壊れた馬車の下敷きになり左腕は千切れ、窓ガラスの破片は深く太ももに突き刺さっていた。使用人達は馬車から外した馬に乗り去っていく。仕事の完了を報告しに行くのだろう。領地に続く崖の道は、滅多に人は通らない。私は誰にも見つからずに、このまま死んでいくのだ。


「そこの人、まだ生きているか?」


もう死を待つばかりの私に、声が聞こえた。

それは年配の男の人のようだ。

(幻聴かしら?)


私は痛みを堪え浅い息を繰り返しながら、その声の主を探した。声の主は血の乾いたような黒い石の上にいた。そして向こう側が透けて見える。


「ああ、貴方は、生きてはいな、いのね」

思いがけず声をかけていた。


「そうだ。人としては、もう死んでいる。君もフランシーヌの犠牲者かい?」

「え! どう、して、義母の、名を? ま、さか!」

「そうだ。私もその女の犠牲者だ」

「なんて、こと。どうなって、いるの? くっ、」


話すことで更に力が抜け、目の前が歪んでいく。


それを見て男の人が叫ぶ。

「俺は魔導師だ。彼女の夫の護衛として雇われていたが、彼女の仲間達にその夫ごと落とされたのだ。馬車の中にいたから対応が間に合わなかった!」


何人も殺しているということ?

何なのあの人(フランシーヌ)

いったい何を考えているの?


ああ、悔しい、憎い、このまま死にたくない。

生きたい、生きたい、生きたい、生きたい!


「君が望むなら、生きられる方法がある。私が未だに消滅していないのは、死ぬ直前にスライムの体を支配(テイム)して体を乗っ取ったからだ。その黒い石のようなものは、私が入っているスライムだ。最期の力で這いずってそのスライムに精神を移した。赤黒いのは私の血液だ」


そんなことが出来るなんて。

私もスライムに精神を移せば、生きられるということなのかしら?

でも無理よ! 魔法なんて使えない。


瞬時に思考する間に、男の人が話を続けていた。


「私は支配(テイム)状態でスライムに入ったことで、魔法が使えたが、もう少しで魔法が切れて主導権がスライムに戻るのだ。その前に君とスライムを融合させて、蘇生を図ることが可能だが、やってみるかい?」


スライムと融合?

どういうことなのだろう?


「私は回復(ヒール)魔法を持っているから、損傷を受けて使えない君の体をある程度までは復活できる。ただ切り離された腕や足先は作れないので、スライムの体を代用すれば良い。そして回復したら、私がスライムの核を破壊すれば主導権は奪われない」

「………スライムの核、を破壊したら、貴方は、どうなるの、ですか? 私の、体の中で、生きると、いうこと、ですか?」

「いいや、私もスライムと共に死ぬだろう。あくまでも私はスライムに転移しているのだ」


「死ぬと、言うこと、ですか?」

「良いんだよ、私は。いや、命を託せて良かったというべきか。私はスライムに転移後、人型になれないかいろいろ工夫したのだが、駄目だった。だから絶望し、このまま動かずに消滅を待っていたんだ。だが先程の話はあくまで理論で、思わぬ作用もあるかもしれない。それでも試してみるかい?」


男の人は言う。

思いつきで話したが、成功するかどうかは分からないと。


それでも私は挑戦したい。

どんなことがあっても生きたい。

そしてあの女に復讐したいのだ。

恐らく父も殺された。

この男の人も、この男の雇い主だった人も。

まだまだ被害者はいるかもしれない。


この悔しい思いのまま死ぬくらいなら、化け物になっても良い!


「お、ねが、いし、ます、いきか、えらせて…………」


もう意識を保つのも難しい。

次の瞬間にはもう、意識を手放していた。



◇◇◇

「チュンチュン、チュン、チュンチュン」


雀の声で目を覚ますと、そこは馬車が落ちた谷だった。すぐ横には大きな川が流れ、魚が時々跳ねていた。


あれほど全身の骨が折れ痛みで苦しかった体は、微塵の痛みも感じることなく、肘から切断された腕や足先も元通りになっていた。


「ああっ、本当に元に戻ってるわ」

自分に起きた出来事が嘘のように思えたが、壊れた馬車の残骸やボロボロの服を見ると、現実に引き戻された。



そして男の人の記憶やスライムの記憶も、脳内に溢れ出しそうに駆け巡った。

「ぐっ、ああっ、ああーっ!!!」


あまりの頭痛に頭を抱え、こめかみを強く押さえた。

永遠とも思える苦痛の後、滂沱の涙で頬が濡れる。


私は1人と1匹を犠牲にして復活を果たしたのだ。


「ありがとうございます。おじさん、スライムさん。私生きるから。最期まで諦めないで生きるから」


姿はもう、何処にもない彼らに、石でお墓を作って、その場を去ることにした。幸いなことに、馬車には着替えのトランクと宝石と金貨を積んでいた。川の水で汚れを落として服を着替えると、川に添って下って行く。この川の先は、領地の1つ前の村に繋がっている。だから一足づつ歩みを進めた。


痛みがない体なら、何処までも進んでいける。


歩いていると脳裏に、男の人の無念の記憶が流れ込んで来た。

(愛しい妻と可愛い娘。あの2人を残して逝くなんて、嫌だ、悔しい、どうしてこんなことに…………)


「ああっ、この人にも家族がいたのね。それなのに………」

涙が溢れて来るが、拭うことなく構わず歩いていく。


切断されていた左腕は、自分のもののように動く。握る指にも力が入った。

(これがスライムさんの体なのね)

そう思いスライムの姿をイメージすると、腕が一瞬ドロリと溶けた状態になった。


「えー、腕が溶けた! あ、元に戻った」


何とイメージすると、元のスライム状になるようだ。人前でこうなると不味いだろう。


「腕まである手袋をしなければ!」

さっそくトランクから手袋を出して装着した私。まずは一安心だわ。


いろんなことを思いながら歩き、夕方には無事に村に着いた。その日は宿屋に泊まり、翌朝馭者を雇い、荷馬車に乗って領地まで移動する。


日が沈み月が姿を現す頃、領地の祖父の邸に着いた。馬車ではなく、荷馬車に乗った私に驚く祖父達だったが顔には出さず、馭者には多すぎる金貨を握らせて「無事に届けてくれてありがとう」と感謝を述べた。馭者も深く頭を下げ、口外しないことを誓って去って行った。


「話は中で聞くよ。よく無事に来たね。良かった」

「うわぁああ。お祖父様、お祖父様ぁ」


抱き合う2人を使用人達は静かに見守っていた。



◇◇◇

祖父ビワンダは、馬車が襲われて何とか逃げ延びたのだろうと考えていた。従僕達がいないことから、アメリを庇って死んだか怪我をしているのかもしれないと。


だがアメリから聞く話は予想外のものだった。

「馭者のサムと従僕のコウジーは、崖道の途中で私ごと馬車を谷に落とし去って行きました。私が死ぬと思ってか、フランシーヌから頼まれたと言って嘲笑っていましたわ」


悲しげなアメリが嘘を言う理由などない。真実だと直感する。だが崖から落ちて、無傷なことなどあるのだろうか?


困惑するとアメリが言う。

「私は落ちた時、瀕死の状態でした。助けてくれたのは魔導師のザルツさんと、スライムさんなんです」

記憶を辿るうちに、男の人の名前や出来事が自然に浮かんでいた。



魔導師が助けてくれたのは分かる。だがスライムとはどういうことなのだろう?


考えるビワンダにアメリは続けて話す。

「私が会ったザルツさんは、スライムの上に透明な姿で浮いていました。彼もフランシーヌに殺され、あの谷に落とされたそうです。彼はミラフェス男爵の護衛だったそうで、男爵もその時亡くなったそうです」


真っ青になるビワンダに確信を深めるアメリ。


「私はフランシーヌの前の婚家を知りません。もしかしたらミラフェス男爵なのですか?」

ビワンダはアメリを見つめ頷き、そうだと言う。


「サム達は私が死んだとフランシーヌに報告したはずです。そのうちに王都で義娘が死んだと、泣きながら葬儀をするでしょう。でも私の死体はあそこにはありませんわ。あ、そうだわ。千切れた左腕と右足先だけは、そのままあるかしら。着替えた服も」


「おい、アメリ。着替えた服は分かるが、千切れた腕と足とはどう言うことだ。お前に怪我はなさそうだが」


全身を見て首を傾げるビワンダは、心配そうに顔を歪める。見えない部分に怪我でもしているのかと思い。


その様子に、もうこれ以上黙ってはいられなくなったアメリは、全てを伝えることにした。

「お祖父様、私が瀕死だったと言いましたよね。その時に、左腕は肘から先は馬車の破片で切断され、右足先も引き千切れていました。太ももはガラスの破片で切り刻まれていました。後少しで息が止まる寸前でザルツさんが回復魔法をかけてくれて、転移した先のスライムの体を使って千切れた体を補修してくれたの。そのせいでザルツさんと、スライムさんは死んでしまったの。私を救う為に。うっ、うっ、ぐすっ、うっ、」


「そうか、そうか。まだ呑み込めない部分もあるが、彼らが命を救ってくれたんだな。それは分かったよ。彼らには頭が上がらないな。私の代わりに孫を救って貰ったのだから」


いつまでも泣き止まぬアメリの背を、ビワンダが優しく撫でる。ビワンダの肩に頭を預け、顔を手で覆うアメリは漸く安堵を感じそのまま眠りに就いた。




◇◇◇

1週間が経った頃、ビワンダの元にフランシーヌから葬儀の案内状が来た。


「アメリよ。女狐から呼び出しだ。一緒に行こうか?」

「勿論ですわ、お祖父様。今回は最後の方に伺いましょう。フランシーヌの挨拶は見事なので。何を話してくれるか、今から楽しみです。お祖父様、憲兵にも連絡して行きましょうね」


「ああ、勿論だ。誰1人逃げられないように、家の護衛もたくさん連れて行こう」


「ふふっ、楽しみですわ」

「私もだ。息子の命を奪い、孫を殺そうとした報いは重いぞ!」


顔を見合わせて復讐に向かう2人は、強く憎しみを滾らせていた。




◇◇◇

「こんなことになるなんて…………。落ち込むアメリを領地で休養するように言ったのは私なんです。申し訳ありません。うっ、うっ、」


「そんなことないです。奥様はお嬢様に優しかったですわ」

「そうだ。気づかっていましたよ。十二分に」

「奥様は、お金をくれるので嬉しいです」


新しいメイドやサムやコウジー達が、フランシーヌを擁護する言葉を発する。そんな中で厳かに式は進んでいく。


泣き崩れるフランシーヌの側に、遅れてきたビワンダが近づき声をかける。


「今日は誰の葬儀なんだい?」

「え、ビワンダ様。アメリの葬儀ですわ。信じられないかもしれませんが」


フランシーヌはビワンダがショックを受けて、正気を失っていると思った。だから必要以上に優しい言葉をかけ続けた。


「どうか心を穏やかにして、アメリを一緒に送ってあげましょう」などと宣う。


ビワンダの隣には黒いレースで顔を覆った女性がいたが、急にそのレース付きの帽子を胸元に寄せて顔を見せた。


「ごきげんよう、フランシーヌさん。束の間の夢は見られましたか? 貴女に伯爵家を好きにさせませんわよ」


「そうじゃ、女狐め。死体もなく葬儀する愚かさ。財産目当ての結婚を繰り返す浅ましさ。全て分かっておるぞ!」


そこに憲兵と護衛が現れて、関係者を捕縛していった。


「なんで、なんであんた生きてるのよ! 崖から落ちたんでしょ? この化け物!」

「嘘だろ、確かに手足が千切れていたのに!」

「俺は確かに確認した。血も溢れて、馬車に潰れてた。生きてるはずがない!」


混乱して自白していく3人は、葬儀の参列者から白い目で見られながら、憲兵に引きずられていく。サムとコウジーは、まるで幽霊でも見たように驚愕にうち震えていた。それをアメリは満面の笑みで見つめ、唇を動かす。

『次は貴方達の番よ』



「終わりましたね、お祖父様」

「ああ、そうだな」


少し疲れた私達は静かに寄り添い、王都の邸に辿りついた。領地のからの護衛を背に引き連れて。

フランシーヌの手駒である可能性の残る使用人は、部屋に隔離して眠りに就く。


「お祖父様。私、とっても眠くて………」

「そうだろうな。お前は頑張ったよ。ゆっくりおやすみ」

「はい。ありがとうございます。お祖父様も休んで下さいね」

「ああ、ありがとう」


そう言ってアメリは、自室に入って行った。



「フランシーヌを捕まえても、息子は帰って来ないのだ。虚しいことだな」


切ない気持ちを抱えながら、アメリの部屋の前で護衛をするビワンダ。椅子に腰掛け、ワインを飲みながら愛しい孫を見守る。今日ばかりはアメリが悲しい夢を見ないように祈りながら。



「ふぁ~、さすがに疲れてきたなぁ」

深夜になりビワンダも眠くなりかけた時、アメリの部屋のドア下から赤黒い物体がにじり出て来て、ボールのように丸まり転がっていった。


「なんだ、あれは。アメリは大丈夫か?」

アメリの部屋のドアを勢い良く開け、室内を見回るも特に動きは見られない。

「室内に怪しい気配はないようだ。ふむ、アメリは眠っているな。おや、布団がはだけているではないか? 風邪をひくぞ。うあぁ、なんと!」


布団をかけ直そうとした時、アメリの左腕がないことに気づくビワンダ。なくなっている部分の先の腕の断面に血は出ておらずツルンと綺麗な状態だった。アメリにも痛みはないようで、穏やかに寝息をたてている。


「どういうことだ。一体何があった!」

アメリの部屋に護衛は近づけないようにしていた為、ビワンダの声に気づく者はいない。傍にいるアメリさえ、起きる気配はなかった。


ビワンダは放心のまま、可愛い孫の顔を眺めていた。


「起きて腕がなくなっていたら、アメリは悲しむだろうな。なんてことだろう」

そうして眠らずの番をして、ビワンダは朝を迎えた。



そして朝日が登りきる前に、赤黒い物体が丸い玉のように転がりながらアメリの元に戻って来た。そしてビワンダの前を飛び上がり、アメリの腕に戻ったのだ。


「な、なんと! そんなことが」

驚愕のビワンダだったが、急速に現れた睡魔に負けてアメリのベッドサイドで眠りに就いたのだ。



◇◇◇

「あー、良く寝た! あらっ、お祖父様ったら。私が心配で付き添ってくれたのね。ありがとうございます」


微笑むアメリは知らない。

左腕が夜中に徘徊し、ビワンダが驚愕していたことを。

そして一睡もしないで、その顛末を見ていたことを。


椅子に座ったまま眠り続けるビワンダに、毛布をふわりとかけて洗面する為に部屋を移動したアメリ。


その後覚醒したビワンダが、「アメリ、何処にいるんだ!」と叫びながら探すのは、みんなの噂にあがるほどじじバカだと有名になりホッコリされていた。




◇◇◇

その後。

フランシーヌの前夫ミラフェス男爵の死には、ある手紙での密告から殺人の可能性が高まり再捜査が行われている。

ミラフェス男爵の護衛ザルツは、同馬車に乗り込む前に食事に睡眠薬を盛られ、判断能力が低下していたと推測された。主人を守れなかった役立たずと罵られていたが、集団的犯罪に巻き込まれては仕方なかっただろうと。

その為、ザルツの妻と息子には護衛協会から、遺族への見舞金が出た。

ザルツ夫人は夫が巻き込まれた事件に大いに悲しみ、そして責任感の強い夫が仕事を熟せなかったことを悔やんだ。無念だったでしょう? と言って悲しく俯いて。


その少し後、ザルツの妻子にはお世話になったからと言って、アメリとビワンダからお礼金を渡すことになった。きっと彼の未練は妻子だったろうから。この資金があれば、2人で10年は暮らせるはずだ。だけど妻は1度断った。こんなに施される覚えはないと言って。

それでもアメリは言う。

「彼がいなければ、私は死んでいました。私の命の値段はそんなに安くないので」

そう言えば泣きながらありがとうございますと、金貨を受け取ってくれた。全部息子に為に貯金するそうだ。


(これでザルツさんの心残りは、少しだけ薄れたかしら?)



そしてはミラフェス男爵の両親は、息子の死因を疑っていたが、フランシーヌの雇ったならず者に脅され憲兵に訴えられなかったと言う。それどころか未亡人になって男爵家を去るから、慰謝料を寄越せと脅してきたそうだ。その時点で大きい金額の資金が、フランシーヌに流れていたのだ。


憲兵の話に寄ると、他国でもフランシーヌとは別の名前で同じような事件が起こっているらしい。根の深い事件になりそうだ。



そして伯爵家では、フランシーヌはアメリの父から多額の資金を貢がれていたのに、アメリが居ない間に邸にある美術品を売りまくり収益を得ていた。それに荷担した使用人達は、その資金の一部を報酬として得ていたことから全員が捕まった。

「知らなかった」

「主人に逆らえる訳がない」

と叫ぶ使用人達だが、アメリに対して真摯に仕えることもなく、フランシーヌに侍っていた者も多いので減刑はされないだろう。



◇◇◇

そして葬儀の時に棺に入っていた、アメリの左腕や右足部は父の墓の傍らに埋めることにした。仇は取ったとの報告と共に。ただ父は本当に幸せそうだったので、何も知らず苦しまないで逝けたなら、この世に未練はないかもしれない。フランシーヌは父をとても愛しているように演じていたから、信じて逝くのも悪くないことだろう。



◇◇◇

ビワンダはアメリの部屋から動き出した、赤黒い物体を忘れてはいない。

たとえ翌日にアメリの腕が元に戻ったとしても、夢で片付けるほどめでたい思考はしていなかった。


その赤黒い物体が、何をしていたかは予想が付いていた。確信と言っても良い。


あの日憲兵に捕らえられていた3人の、右足の指が全部なくなっていたと聞く。ただ痛みもなく、いつの間にか消えていたそうだ。


特に自分が美しいと自覚のある、フランシーヌは暴れたらしい。


「こんなチンケな拷問をするなら、一思いに殺れ!」と潔く啖呵を切って。騎士の仕業ではないので、言われた方も何も返せない。切断の傷痕もないなんてまるで魔法のようだが、そんなことが出来る者はここにはいないのだ。


別件でのフランシーヌ絡みの事件は多く、それを明確にして被害者遺族に伝えるまでは、処刑はされない為、彼女の望みは叶わない。

でももう、逃げられもしない。

彼女の貯えた資産は、慰謝料として多くの者に渡るだろう。


逃げ場のない3人は、牢の中で被害者遺族の面会で罵詈雑言をぶつけられ疲弊する日々を過ごす。時に嘘泣きではなく、本当に泣いているフランシーヌだが、もう誰からも涙を拭われることはない。ここは完全な独房だから、男性を誑かし利用してきた彼女の技はここでは通用しないのだ。


「こんなはずじゃないの、私の人生は! どこで狂ったのかしら、完璧な計画は………」



世の中に完璧などあり得はしないのに。



そうしてアメリが深く眠りに就く時、またフランシーヌ達の体が消えていく。何故なくなるのか? 次は何処の部位かと不安は膨らんでいくのだ。


「助けて、神よ」などと殊勝な気持ちで祈るが、願いが叶うことはない。それが虐げた者の責任なのだ。死による救済はまだ遥か先だ。


◇◇◇

ビワンダはそれらの情報を聞き、アメリがやったことだと分かった。正確にはアメリの左腕の一部が。


赤黒い物体は何をしたいのかも分からない。

ただ悪人達へ心身共に恐怖を与えていることだけは確かだ。



「どんな姿でも、私だけはお前を愛しているよ。可愛いアメリ」

今ビワンダは領地のから王都に引っ越し、アメリの傍にいる。今度こそ彼女の心身を守る為に。


アメリは左腕のことは露とも知らず、領地経営の仕事を貰い頑張っている。彼女の微笑みに、ビワンダの苦労や蟠りの全てが洗い流されていく。



こうしてまた、新しい日が来るのだった。




ザルツはまだ許していないんでしょうね。

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