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空を翔ける少女――覚醒への助走

 二〇一八年八月初旬、フウカの高校も夏休みに入った。やはり七月はコロナ騒動による休校で授業時間数が足らず、埋め合わせのため出席となった。

 十六歳、高校二年生となっていた。

 ここは、ハンググライダーの訓練施設だ。

 母と一緒に来ている。滝子は、インストラクター資格を持つほどのベテランである。

 小学生の頃は、亡くなった父も含めて家族で訪れていた。

 山の中腹に在り、森林を切り拓いた草原の斜面となっている。

 この春は休校がしばらく続き、明けてからも学校と家とを往復する毎日だった。

 久しぶりの遠出であった。

 両手を開いて草や樹木の香りを胸いっぱいに吸い込み、開放感を味わった。

 空には、色とりどりのハンググライダーが舞っている。

 小中学生の頃は、凧揚げのような紐付きのトーイングや熟練者と共に飛ぶダンディムフライトで楽しんでいた。

 中学二年の夏休みから急に滝子から連れ出されることが多くなり、スクールにも入った。現在は、指導員の監督の下で飛ぶことができるC級である。自動車免許でいう「仮免許」だ。

 本格的な単独飛行をおこなうためにはパイロット資格(P級)が必要であるが、もうすでに受験資格要件は、ほぼ満たしていた。

 フウカは、空を飛ぶことが大好きだ。

 だから滝子の誘いに不満はなかったが、フウカの都合に合わせて仕事先の休みを無理やり取得してまで付き合ってくれることに、多少の戸惑いを感じることもあった。

 フライト前に二人は草原に座り、背筋を伸ばし、印を結ぶ。

 深く静かに呼吸し、意識と身体の調整をおこなうのだ。

 千竈家に伝わる「息吹(いぶき)」という瞑想技法の一つである。

 風の女神「()()()()()」の姿を思い描き、飛翔する後を追う。

 吐く息と共に身体を浮かせ、ゆっくりと上昇していく。

 最後は、雲海の上に出る。

 蒼天の下、風の流れに身をゆだね浮遊する。

「なんで、こんなことするの?」

 幼いフウカは、母に尋ねた。

「準備体操よ。

 泳ぐ前には、身体をほぐしておくでしょ。

 お空を泳ぐんだから、準備が必要なの」

 滝子は笑みを浮かべながら、説いた。

(みんなは、こんなことしていないのに……)

 納得はしていなかったが、やり続けてきた。

 今では習慣となっており、とくに疑問も抱かなかった。

 むろんイメージ・トレーニングなので、実際に身体が浮くわけではない。

 ただ身体が、ちょっと軽くなったような気にはなった。

 車の上に積んできたグライダーを下ろして、組み立てる。

 ブーメラン型の翼を張り、付属部品を取り付ける。

 フウカの愛機「ファルコン」は、父、高志の遺品だ。両親は学生時代にハンググラダークラブで知り合ったとのことで機のタイプは、同じ。ただ翼の色が少し異なる。

 ファルコンは上三分の二が白で、下が赤である。滝子の「シナド」は、下部が青になっている。通称「ファル」と、「姫」だ。

 最初は、飛行を滝子にチェックしてもらう。

 フウカは、ヘルメットをかぶってハーネス(翼と身体をつなぐ袋状の器具)を装着し、愛機の下に身を置く。翼にハーネスをリンクする。

 楽器のトライアングルのような操舵器具の中に上半身を入れ、両手で器具の両側を握り、肩で翼を持ち上げる。

 向かい風に合わせて、斜面を五、六メートルほど駆け下る。

 操縦者を吊り下げるベルトがピンと張り、さらに走り続けると身体がフワッと浮く。

 テイクオフ(離陸)した。

 底辺のベースバー(操舵棒)を両手でしっかり握り、バーを少し前へ押し出す。

 水平飛行の態勢を取った。

 やがて田畑が、眼下に広がる。

(気持ちいい!)

 (ほほ)で、風を感じる。

 上昇気流を捕らえ、高度を上げた。

 旋回を何度か繰り返した後、山腹の出発点へ戻る。

 まだ滝子の視界から外れることは、許されていない。

 8の字を描き、風下から進入する。

 徐々に角度を上げ、最後にグッとバーを押して推力を殺し、地面に両脚を着ける。

 無事、ランディング(着地)。

 笑顔を浮かべ、滝子にVサインを送った。

「基本は、修得できたみたいね」

 近づいてきた滝子は、そう声を掛けた。

 その後は、母子で空中散歩を楽しんだ。

 ベテランの滝子は幾つかアクロバティックな技を披露し、貫禄(かんろく)を見せつけた。

 フウカが先に着陸態勢に入った。

 いつもの手順で機の鼻先を上げ、速度を落としていく。

 地上から十メートルくらいまで高度を下げたとき、強い突風に見舞われた。

 (あお)られて失速し、墜落(ついらく)――。

「あッ!」

 後ろにいた滝子は、思わず声を上げた。

 まだアクシデントに対する措置は、十分に学んでいない。

 地面に激突するかと思われたが、機首を上げ竿(さお)()ちになりながらも、ゆっくりと沈んでいった。

(あり得ない……)

 滝子はホッとしながらも、目を疑った。

 同じようなケースは、何度か見てきた。

 ほとんどの場合、パイロットは地面に(たた)きつけられ、大怪我を負った。

 斜面の草原に身を伏せたファルの下から、フウカがモソモソと這い出て来た。

 立ち上がり、笑顔で手を振った。

 すぐに着陸し、駆け寄る。

「大丈夫?」

「うん、何ともないよ」

「良かった」

 フウカを抱きしめる。

 機にも、損傷はないようだ。


 その場に座り込んで、様子を尋ねる。

「ヤバい!

 ――と思ったよ。

 ママが『危険を感じた時ほど、気を落ち着かせなさい』と言っていたのを思い出したの。

 だから、シナト姫を思い浮かべたんだ」

 イメージ・トレーニングが、役に立ったのだ。

 白銀に輝く薄衣「(あま)羽衣(はごろも)」をまとった姫神が両手を広げ、ゆったりと舞い降りる姿は、容易に思い浮かんだ。

「そう……」

 滝子は(うなず)きながらも、首を傾げた。


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