ここが我らの「蓬莱島」だ!――壱岐島へ到達
すでに先乗りの兵士五人が、敷地内で待機していた。
夕刻から内部の様子をうかがい、静まり返った後に忍び込んだ。
見張りは、物見櫓の一人と、指令棟の入り口を固める二人だけだった。他の者たちは、ぐっすり寝込んでいるようだ
「燕」の兵士たちは、連行してきた村人たちを棒で殴ったり蹴ったりして、痛めつけた。恐怖感を植え付け、反抗心を削ぐためだ。女たちは、両手と首を括られ、柱の間を渡す横木につながれていた。獣欲の赴くままに凌辱されたという。
その後は酒盛りとなり、ドンチャン騒ぎをしたらしい。
砦といっても各建物は、急造された簡素なものだった。
司令棟と武器庫は土壁で囲われているが、兵舎は長い草を束ねたものを連ねて、壁替わりにしていた。後の建物は、草ぶき屋根と柱があるだけだった。
襲撃班は、各建物へ接近する。
まずは物見櫓の見張りが落下したのを合図に、司令棟前の敵兵を背後から襲い、頸動脈を掻き切る。さらに、寝室へ入って、司令官を刺殺した。
兵舎は、炊事小屋から持ち出した油を草壁に振り掛け、火を放った。入り口で待ち構え、燃え盛る炎の中から飛び出してくる敵兵を、弓で射ったり槍で突いたりして次々と倒していった。
救出班は、囚われていた人々の縄を切り、逃走路へ誘導した。
広場では絆を解かれた馬が暴走し、逃げ回る敵兵を蹴散らしていた。
運良く木柵の出入り口へたどりつけた者も、一斉に矢を浴びせ掛けられた。
それでも、三割ほどは襲撃の手を逃れ、林の中へ駆け込んであろう。他の砦へ急報される前に、手を打っておく必要がある。
マオは村人の有志からなる情宣班に、指示を出しておいた。
「近くの村々に『燕の砦が襲撃を受け、壊滅した』と触れ回れ。
襲ったのは、『周王朝に所縁を持つ公子の義軍』だ。
『天の命により、誅伐をおこなった』とな」
このように知らせておけば、敗残兵に力を貸すことはないだろう。これまでも、虐げられていたはずだからだ。
連絡を遅らせるとともに、「燕」側の情報収集と対策会議で時間を稼ぐことができる。その間に、さっさと撤収する。
助け出した村人たちには、しばらくの間、みんなと一緒に山の中へ入り、潜み隠れることを勧めておいた。
「倭」は、各勢力が覇を競っている地である。そこへ「燕」と対抗する謎の一団が加わったとしたら、他の砦は防備に徹するしかない。とても打ち壊された砦を取り戻すため、打って出る余裕はないであろう。
「周の公子」という名乗りも、偽りではない。
マオの長男は、「越」の王子である。春秋戦国時代の諸国は、「周」の封建制度による領地であった所が多い。当初、領主には、皇室の血縁者が任命された。「越」も、そうだった。よって、僅かながらであっても、皇室の血を引いているはずである。
「周」は国家としては滅びても「ブランド名」としては、後々まで残った。理由は、孔子を始祖とする「儒家」が、「周」の政治体制を理想化して世に広めたためだ。
野営地に戻ったマオたちは、すぐさま出航した。水や食糧は、すでに補給してある。手土産として、武器庫から鏃や鉾先などの鉄製品を貰ってきた。「燕」の鉄製品は、品質に優れているからだ。
次の行き先も、決めていた。朝鮮半島の南端である。周辺の島々を含め、倭人が大半を占める地域だ。そこから海を渡り、「蓬莱島」へ向かう。
数日後、南端沿岸に点在する島々が、見えた。その内の最も大きな島(現在の巨済島)へ、上陸した。
山に登り東の海を眺めると、島影が見えた。対馬島だ。
地元の倭人たちに尋ねると、「扶桑国」(九州本土)に連なる島だと言う。
「とうとうやって来たな」
マオは、感慨深く語り掛けた。
「そうですな。
長い旅路でした」
右脇に立つデンが、答える。
「……ですが、この先には海中を流れる大きな川があるようです。
扶桑国へ行くには、そこを渡らなければならないのですが、流れが激しいとのこと」
左脇に立つ船頭のウェイが、懸念を示した。
「そのようだな。
しかし、行ってみなければわからぬ」
マオは、腕組みをしながら、言い切った。
「扶桑国」と、その道筋についての情報は、より詳しくなっていた。
そこは広大な土地で、すでに多くの部族が渡っているらしい。「呉」や「越」のような南方系の海人だけでなく、大陸の中北部からも下ってきて海を渡り、拠点を築いているようだ。
やはり「雑居の地」で、互いに相争ってもいるとのことだった。とても話に聴いていた理想郷とは、言えないことがわかってきた。
だが、漁労民である倭人は、半島南部及び「扶桑の地」の沿岸と、その間に在る島々を生活の場としているので、そうした争い事に巻き込まれることは、比較的少ないようだった。
航路に関しては、二つの島をたどって行くことになるが、この先の対馬島は、平地が少なく耕作には適しておらず、主に漁労をおこなう倭人しか住んでいないらしい。
マオの一行は、脱落者で数が少なくなっていたといっても、総勢三五〇人はいる。邑を作って漁労と農耕で暮らしていかなければならない。
(争いが起きそうな部族が近くにいなくて、平地が多いところか……。
けっこう条件が、厳しいな)
ため息が、漏れた。
三日の後、対馬へ向かう。
島は見えているのに潮の流れが激しく、まっすぐ進めない。すぐに北東へ押し流されてしまう。陽が沈みかけた頃、ようやく着くことができた。
水先案内を頼んだ倭人によれば、これでも流れは緩やかであったという。
小舟の乗員だけ、浜へ上がった。水を補給する。
翌朝、次の島へ――。
倭人たちは、この島を「イキ」と呼んでいた。やはり倭人たちが住んでいるようだったが、得られた情報は少なかった。
かなりの距離があり、また、急な潮の流れに妨げられて、到着までに二昼夜を要した。天候には恵まれていたので、星空を頼りにできたのは、幸いだった。
昼過ぎ、船団のすべてが停泊できるくらい広い湾へ進入した。
湖のように波静かだ。中央に小さな島が、ある。
船上から陸地を眺めると、平地が拡がっているようだ。
湾に沿って小さな集落が、いくつか見受けられた。
兵士とマオの側近が先乗りして各集落を訪れ、挨拶と情報収集をおこなう。
調査班の報告を受けた。
大船団の到着は、やはり住民たちに恐怖を与えたらしい。よって、土産を手渡し、身元と目的を丁寧に伝えて理解を求めた。
報告によると、住民は倭人であるとのことだった。言葉も、通じた。
島に支配的な勢力はなく、とくに争いもないようだ。
湾に流れ込む川は比較的大きく、小舟なら楽に遡れそうである。大型船でも、少しは乗り入れることができ、水深が浅くなっても人が下りて両岸から綱で引けば、さらに内陸へ進むことができそうだ。
ウェイによると、雲の動きや風向きから見て、「一両日中に天候が崩れるかもしれない」とのことだ。季節柄、大風(台風)に襲われる可能性が、高い。
川岸まで広葉樹の林が迫っている場所があった。
小舟は持ち上げ、大型船は丸木をコロにして木立の中へ引き込む。
少し小高くなっている所に、仮設小屋を設けることにした。
船を横倒しにして斜めに差し掛け、丸太や石積み(野面積み)で支える。周りは 草を束ねて壁とした。強い風雨に耐えられるように全体を綱で巻き締め、さらに四方の木々に結び付けた。周囲に溝を掘って、雨水が流れ込まないようにする。
崖の斜面に、岩窟があった。四〇人ほどは、入れる。貴重な荷物を運び、本部とした。幹部は、そこで雑魚寝だ。マオと巫女たちの寝床は、荷物置場の奥に設える。
二日目の夜から雨が降り始め、夜明けとともに暴風雨となった。
だが、木立が遮り、風雨の勢いを減じてくれていた。
「困ったな。
これでは、動きが取れない」
デンが、外を眺めながら言った。
「大風じゃ。
すぐに通り過ぎる。海の上でなければ、何と言うこともない」
出入り口近くに設けた竈の前に座り込んだウェイが、砕けた口調で答えた。
身分の差はあるが、互いに心を通わせる仲となっていた。
ウェイは、朝食用の粥を掻きまわしている。良い香りが、食欲を刺激する。アワビや小エビ、ワカメなどが入っているようだ。船頭なのに慣れた手つきである。
(まぁ、なんとか空が荒れる前に、住処を確保できたことを喜んでおこう)
木箱に腰掛けたマオは、二人の会話を耳にしながら思った。
しかし、この先のこととなると、憂鬱な気分となった。
(どうする……。
扶桑の地へ渡るか?)
迷っていた。
目的とする所へ近づき状況が、はっきりしてきた。
想像上のユートピアとして「蓬莱島」と「扶桑国」は同じだと思っていたが、どうも違うようだ。
陽の昇る東の海上に「扶桑国」と呼ばれる地は、確かに在った。だが、仙人が住む理想郷ではなく、多くの先住者がいる。わかっていたことだが……。
国を名乗る集団も、少なからず存在するようだ。そこへ数百人の集団が割り込もうとすれば、争いは避けられない。
一日が過ぎ、嵐は去った。幸いにも大きな被害は、なかった。
空は晴れたが、なぜか海は荒れ続けていた。
マオたちは、島を見て回ることにする。
川は大きく蛇行し、周辺には湿地帯が多い。大雨の度に、水が溢れるのだろう。平地はあるが、耕作している様子はない。中央部は、低い山地となっている。
視察隊は、マオ・デン・ウェイといった幹部と護衛兵士の他に、水田や畑の環境を整える土地改良、農業技術、土木、建築、風水(地形や方角)などといった専門家によって構成されていた。
歩いていると、住居や水田跡が点々と残っているのが気になった。
「これだけ良い土地なのに、どうして人が住んでいないのだろうか?」
マオは、土地改良の専門家である李に質問を投げかけた。
「越」は、長江下流域にあった。豊かな水を背景に水田耕作が、広くおこなわれていた。しかし、長所は、短所にもなる。洪水に、悩まされてきたのだ。
よって、水田開発や維持管理の専門家が、数多く存在した。とくに治水は、国家事業として、重要視された。
「やはり洪水が、大きな原因でしょう。この川の流れ方であれば、無理もありません。
大風(台風)の度に実りの時期を迎えた穀物が、やられたんでしょうね」
手にしていた長い棒で、ぬかるんだ地面を突きながら答えた。
「排水路を整備しなければならないということか?」
「その通りです。川に堤防を築き、水路を張り巡らせば、立派な水田地帯となるでしょう。
また、荒れ地に水が導けますので、畑も広げることができるかと思います」。
ぜひ手掛けてみたいものですね」
リは、目を輝かせながら言った。
「それに、土地も肥えていますぞ。
あの山のお陰でしょう」
農業の専門家である程が、口をはさんだ。
落葉が腐植土となり、雨で流されて下流域に堆積する。洪水の多い地域は、豊かな土地でもあるということだ。
「なるほどな。
水路を整備して、田畑を開くには、多くの人手と農具、余剰食糧が必要となる。
これまでの住民は、それだけの力がなかったということか……」
マオは、納得した。
家族や少人数の一族が生きていくには、沿岸での漁労と小規模な焼畑農業で食い扶持を稼ぐのが手っ取り早い。これまで出遭ってきた倭人の暮らしは、ほぼそのスタイルであった。
「……邑を開けなかった理由は、まだあるのではないでしょうか」
護衛のために付き添っていたデンが、傍らから言葉を添えた。
腕を組み、思案しながらである。
「どういうことだ?」
「野盗や海賊に狙われやすかった……ということです。
これだけ肥えた土地ですから、農耕の知識が多少でもあれば、すぐに実りを得られたでしょう。
蓄えがあると知られたら、すぐに狙われます。
野盗や海賊と言っても、いつもは普通の農民や漁民です。
毎年、確実に生きていくだけのものが得られるとは限りません。
少しでも不漁や不作が続いたら、ためらうことなく他から奪うことを考えるでしょう。
ここは平地で『環濠』の跡もありませんので、襲いやすかったでしょうな」
デンは、顎髭を片手で揉みしだきながら言った。
環濠とは、集落を取り巻く堀のことだ。防備のため、二重三重に設ける場合もある。だが、防備を整えるには、それなりの人数と武器、警戒体制を整えなくてはならない。
豊かさは、それを守れるだけの武力がなければ、維持できないのだ。
「皆の考えは、正しいのだろう。
そうだとすれば、それぞれの問題を解決できれば、『定住は可能だ』ということだな」
マオは、大きく頷く。
その夜、夢を見た。
風の吹きすさぶ中、岬に立ち、東の海を眺めていた。
波は荒く、空は曇っている。
水平線の彼方から、輝くものが海面を割りながら向かってくる。
ソレは、マオの手前で止まり、ザバッと海中から姿を現した。
青き竜であった。半身を持ち上げる。深山に聳え立つ巨木のようだ。前脚がない。中国の竜とは、少し異なる。
黄金の両眼が、マオをジッと見つめる。
『剣の守り人よ。
吾は、ヤマトを守りし神。
よくぞ参った。
だが、扶桑の地に渡るのは、しばし待て。期が熟しておらぬ。
剣は、時を見て吾が下へ招く。
まずは、この島に留まり、海の民草を束ねよ』
竜は、それだけ告げると身を翻し、去って行った。
翌朝、全員を集めた。
「皆の者、よく聴け!
我らの旅は、終わった。
この地を、我らの『蓬莱島』する」
凛とした声で、マオは力強く宣言した。
「オオオオオオォーー」
歓声が、沸き上がる。
拳を突き上げる男、泣き崩れる女など、その反応は様々だった。
だが、その胸に去来するものは、一様であったことだろう。
これまでの苦難の道筋への思いと、「ついに到達した!」という安堵と喜びである。