皇都へ
森の中を進みながら、俺はラプに狩りを教え、薪の扱いを教え、旅の教訓を教えた。
ラプは俺の背中を見て歩いていた。焚き火に手を当て暖かさを感じていた。旅の楽しさを満喫していた。
二人の姿は既に親子に見えるはずだ。二人には親子という絆が既に出来ているはずだ。
森を出た。
ここからは人の領域だ。
その先には人が住む村や町がある。
青竜からもらった服に着替え、人目を気にすることなく、街道を歩くことができる。
それがこれほどありがたいものだということを、この旅を経験するまで考えたことなどなかった。
最初の村は小さな村だった。
昔、なんどか来たことがある村だが、これといった印象もなく平凡な村だった。
しかし、その村はラプにとっては初めて見る人の村だった。
家や建物を見ては、指を指してその名前や意味を訊いた。
家畜や飼われている動物を見ては、指を指してその名前や味を訊いた。
畑を見ては、指を指してその名前や何をするものなのかを訊いた。
宿屋に着いた時には少し疲れてしまっていた。
部屋に入り、その部屋の中でも、そこにある目に入ったもの全てを片っ端から訊いてきた。
全ての質問に根気強く、丁寧に答えた。
ラプの目が鏡に止った。
ラプはその鏡を覗き込み、初めて見る、はっきりとした自分自身の顔を見た。
それまでも川面や氷に映る自分の顔は、ぼんやりとではあったにしろ見たことはあっただろう。しかし、はっきりと見る自分の顔はこれが初めてのはずだ。
ラプはその鏡がなんなのか訊くかわりに、この顔は自分なのかと訊いてきた。
「そうだよ。それがラプの顔だ」
「ロヒにそっくりな、いい顔をしているね」
ラプは一筋の涙を落した。
夕飯もラプの質問攻めは止らなかった。
美味しそうに食べる食事も、いつもの「おいしいよ」を連発してくれた。
やがてこの光景は日常になっていくのだろうが、今、この時のラプの表情を忘れることはないだろう。
ラプは寝る前に、また鏡を見たが、そこには涙を流すラプではなく優しい笑顔を浮べるロヒの顔があった。
その顔をなつかしく思いながら見ていたが、そのことはラプには伝えなかった。
いつまでもロヒを引き摺るのはやめよう。今のラプの親は俺なのだから。
引き摺ること、それ自体を悪いこととは思わなかったが先に進むには少し重いもののように感じていた。
久し振りに人が眠ることを想定したベッドへ寝転ぶと、その感触は至高とすら感じることができるものだった。
その夜の人への復帰は、生涯忘れることのできないものとなった。
そろそろロヒの住処を出てから一年が過ぎようとしていた。
人や人の生活にラプを慣らすために、ゆっくりと旅を続けた。
村や町を幾つか通り、ラプも人というものに慣れてきていた。
これならばラプを人の中で育てることに問題は無いと思いながらも、実際の皇都での生活を想像するといくつかの不安はあった。しかし、これから人の中で暮らすのであれば乗り越えなければならない壁なのだと自分に云い聞かせて皇都に向った。
さらに歩みを進め、そして、この大陸で一番大きい町であり、ヴァルマー国の首都でもある皇都が見えてきていた。
ふいにラプが立ち止まり、右前方に見えるヴオリ山の方を見詰めた。
「なにかみえるのか?」
「おとうさんのおとうさんがとんでる」
意味を理解できず、訊きなおす。
「おとうさんのおとうさん?ロヒのおとうさんってこと?」
そう訊きながら、昔、ロヒが白竜を見つけて立ち止まり、見詰めていた時のことを思い出した。
そうだったのか。
最初に白竜を見た時のロヒが、うれしそうでもあり、さみしそうでもあり、かなしそうでもあり、いつもの明るさの無い複雑な表情だったことを思いだし、その表情をさせていたロヒの思いを今知ったのである。それは親元を離れていた子供が久しぶりに親を見た喜び、もう一緒に並んで飛ぶことは無いというさみしさ、そんな親と子の間にあった様々な思いがその表情をさせたのだ。
「白竜が飛んでいるのか?」
ラプの見詰めている先であろう空を見てもそれらしい影を見ることはできなかったが、ラプはその姿をしっかりとその目に捕えているのだろう。
「うん」
しばらく見詰めていたラプが目を細めだした。
「みえなくなっちゃった」
そう云うと、皇都の方を向き歩きだした。
忘れていた。
この小さな子竜からはまだ訊かなければならない様々のことがあるのだ。
――なぜロヒは抵抗せずに殺されたのか。
――なぜラプは無傷だったのか。
――白竜との関係はいつ知ったのか。
そして、これから先、ラプはどうしたいのか。
ラプの過去と未来とを想像しながら、そして目の前の皇都での生活を考えながら、並んで歩きだした。
この夏が終わればまた冬が来る。
この子の歩いていく先にある夏も冬も一人で乗り越えるための術をこれからも教えていかなければならないのだ。
それはこの旅で出会った竜達の支えに報いるためであり、そして自分が生きた証を残すためなのだ。
これまで伴侶や子供を持つということを考えたことはあまりなかったが、いつのまにか自分の中にある「子供を育てる」という決心がそこに在るという事実に少し戸惑いながらもそれが自分の生きる証になるのだと思えばそれほど悪い考えではないと思うようになっていた。たとえその証が人の目には触れることのない証であったとしても。
「今日は白竜を見たのだから良いことがあるな」
「今日だけなの?」
これから先、幸福だけの生活はありえないが、この子の未来に幸多かれと願うのは親馬鹿というものだろうか。