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リリオンが腕によりをかけて作ってくれた朝食は素朴だった。
棚から見つけたいつのものとも知れない小麦粉をこねて焼いた硬いパン。庭で摘んだ菜の花と痩せた大根のようなその根で作ったサラダ。申し訳程度に肉の入った豆のスープには、パンと同じ小麦粉と芋から作った団子が浮かんでいるが、煮ている間に形は崩れてしまっている。
質素な食事だが、パンと団子によって量だけは充分にあった。
「どうかしら?」
「これはこれで美味いよ。顎が鍛えられそうだ」
ランタンはパンを干し肉みたいに噛み千切りながら言った。顎をぎしぎしと軋ませて咀嚼し、たっぷりのスープで流し込む。
器用に皮を剥いた菜の根をかじると、鼻につんとくる独特の辛みがあった。その辛みを誤魔化すように団子を口に入れる。
芋の持つ甘みはごく僅かだが、舌に優しく感じられた。
「もうちょっとお肉があればよかったんだけど」
「充分だよ」
本当においしかった。一年も食べ続けろと言われると嫌になってしまうが、手間のかかった食事には心を安定させる力があった。
ローサは菜の根の辛さにぎょっとして、もう口に含んでしまった分をどうにか飲み込み、残りの半分をそっとリリオンの皿に移した。
リリオンは微笑み、それをぽいと口の中に放り込む。
「あら、食べられないの?」
「からい」
「カレーの辛さは好きなのにな」
鼻に抜ける辛みが苦手なのだろう。ローサは鼻を赤くして、ぱくぱくと団子の甘みを頬張った。
机の上からつけ合わせもスープもすっかりなくなって、冷めて硬くなったパンだけが残される。
それをちまちまと千切って口に含みながら、ようやく思い出したように状況の整理を始めた。
「腹ごしらえもすませたし、じゃあ僕らがこれからやるべきことは?」
「どう動いたらいいかを決めないといけないわね」
「動くためには目的を決めないといけない。僕らは何を失っただろう?」
「いくつかの荷物、それからみんなよ。遠征隊のみんな」
「うん、僕らは彼らを探さないといけない。その責任がある」
しかし、どうやったら彼らと再び出会えるだろうか。
ルーは目覚めた。それは眠りの理由が魔精酔いだったからだ。
しかし変異者たちは、眠りの中で理想の世界を見るためにこそ眠っている。
眠ることを望んでおり、何人たりともそれを妨げることはできない。目覚めるには、彼ら自身がそれが夢であることを自覚し、そして夢の中の安寧を棄てる覚悟を持つしかない。
だからもし眠っていたままなら、できることは無いに等しい。
しかし何もできないからと言って、彼らに再会する必要がないとはランタンには言えなかった。
「せきにん」
リリオンが棒読みにその四音を呟いた。隠している怪我を見つけようとするように、じっとした目でランタンを見つめる。
「そう責任だ」
ランタンがはっきりと繰り返すと、リリオンはもう何も言わなかった。
「療養所のあの状況がそっくりそのまま放り出されているなら、全員が全員、眠ったままにはならない。夢を見なかった変異者もいたし、観測官たちはよく看病をしてくれた。だから向こうも僕らを探していると仮定しよう。なら彼らは僕らの行く先がどこになると思うだろう?」
ルーが千切ったパンを更に細かくちぎって、薬のように水で飲み込んだ。
「迷宮で仲間とはぐれたと考えるのならば、最初に立ち返るでしょうか? ティルナバンを目指すとは言いませんが」
「ティルナバンはなくても、遠征の最初や道中に立ち寄った村にまで戻っている可能性はあるだろうな。けどそれは探索を諦めたときの行動だ」
ううん、と誰ともなく唸って、リリオンが口を開いた。
「みんなが目指していた場所は? みんなが自分を失っちゃったっていう戦場跡」
「うん、それもある。しかしそうなると僕らがそこに辿り着くのは難しい。その正確な場所を知らないからだ。森を抜けて、人が住んでいるところを探して、その人からその場所を教えてもらう必要がある」
そしてその人がそれを知っているとは限らない。そうなるとこの広大な、変幻地帯と化した土地を当てもなく彷徨うことになる。
彼らを探す責任があっても、なかなかうんざりする話だ。
我関せずといった感じだったガーランドまでもが、しかし、と口を挟んだ。
「その二つの場合、変異者たちはお前と再会したいと思っているだろうか? ルーの意見ならばそもそも目的を果たしている。リリオンの意見ならば、変異者たちはこの遠征を既に放棄している」
「一理ある。けどみんながどう思っているかはもう関係ない。僕が再びみんなと会いたいと思っている」
「会ってどうするんだ」
「ああ、生きてたんだってほっとする。帰るって言うんならそれはそれで尊重するし、迷ってそうならもうちょっと進んでみたらどうだって言うかもしれない。まだ決めてない。顔を見たらなんか言うことが決まるんじゃないか」
「ご苦労なことだな」
「自分でもそう思うよ。――あと考えられるのは中央を目指すということか。遠征の最中に散々言ってきたからな。最終的な目的はそこだ」
ランタンは一人一人の顔を確かめる。
三人は不思議なほど表情が読めなかったし、ローサはなんの話をしているのかわからないみたいに頭を揺らしている。
「僕は中央を目指したい。ガーランドには色々言ったけど、やっぱりまだ進む意思があるんだって信じたい。自力でも何でも目覚めて、進んでいてほしい」
元の顔もわからないほどの異形と化した変異者たちの顔を思い出した。もはや見慣れてしまって異形とは思えない。
ティルナバンでうなだれていたときのしみったれた顔つきも、遠征の中ではずいぶんと生き生きとしていたように思うのは勘違いではないと確信している。
彼らは多くの苦しみを抱えていたが、それを分かち合い、助け合っていた。変異者である仲間を励まし肯定することは、同時に自分自身を肯定することと同意だった。
「いいと思うわ、それで」
リリオンが同意して、ルーもそれに続いた。
ガーランドは肩を竦め何も言わず、ローサだけが遠慮がちに口を開いた。
「……ローサ、もうちょっとここにいたい」
「あの日誌か?」
「それもだけど、ここ――」
ローサは陽射しの入り込む窓に目を細める。見覚えはなくとも懐かしさを感じるこの家に名残惜しさを感じているらしい。
「――もうちょっとだけ」
ガーランドをつけて、ローサをここに置いていくという手もある。脳裏にそんな考えが過ぎると、ローサはそれを読み取ったみたいに首を振った。
「ローサもいくよ」
「ええ、もちろんよ。ローサ、すぐに動き出すわけじゃないわ。大丈夫よ」
リリオンが安心させるように告げる。そして彼女はランタンに向かって言った。
「みんなに対する責任があるのはいいわ。でもランタンはランタンの目的も果たすべきよ」
「もくてき?」
「ランタンがどこから来たのか知ること。ううん、探すこと、くらいにしましょうか」
「そんなの後回しで」
「だめよ。ちゃんと自分の順番が来たら自分のことをするの」
有無を言わせない口調だったので、ランタンは思わず背筋を伸ばしてしまった。リリオンは机にぐっと身を乗り出した。
「ここには迷宮由来の本が沢山あるんでしょ? ランタンが読めちゃう文字で書かれた本とかも。きっとそういうのを一つ一つ調べるのが大切なのよ。なにか急に全部がわかることなんてないんだもの。そうでしょ?」
「そうかもしれないです」
「じゃあ決まりね。みんなで本を片っ端から調べましょ。出発するのはそれからでも遅くはないわ」
残ったパンを五等分して全員で食べきると、まずリリオンとルーは皿洗いを始めた。
ランタンは最初の一冊を手に取る。




