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本を迷宮由来のものとそうでないものに分けていく。凄まじい量の本の一冊一冊を、しっかりと確かめることは時間的にも難しい。
もはや持ち主のいない本だが、それでも乱暴に扱おうとは思えなかった。
迷宮由来の本には独特の雰囲気があった。
普通の本とは製本の仕方や紙の質が良しにしろ悪しにしろ違うのだ。
いちいち本を開かずとも表紙に触れるだけそうだとわかった。
その事に気が付いたリリオンがランタンに触れた。髪の柔らかさに指を通し、肌の滑らかさを掌に確かめる。
選別はリリオンとルーに任せて、ランタンは迷宮由来の本の内容に目を通していた。
使われている文字には読めるものと読めないものもある。読める文字で書かれていても内容も理解できるものとできないものがあった。
読める本の中にはごく僅かに懐かしさを感じるものもあったが、それは文字そのものに対する懐かしさだろう。
ここの本の多くは医学書などで、その内容に懐かしさなどは憶えなかった。
少なくとも自分は医者や医学生などではないようだった。
ランタンはしばらくリリオンの好きにさせていたが、肌を撫でるばかりではなく、抓ったり引っ張ったりするようになってようやく反応を示した。
「なんだよ。調べようって言ったのはリリオンなのに、邪魔するなよ」
「確認よ。やっぱり本当にランタンは迷宮から生まれたのかもしれないわ。本と同じよ。他とは違うもの。ランタンは特別製ね」
「他とは? 誰と比べたんだよ。リリオンが他の男の肌触りを知っているとは知らなかった」
「やだ、知らないわ。ほんとうよ! 本と比べたのよ!」
ランタンがわざとらしく拗ねた口ぶりで責めると、リリオンは悲鳴みたいにそれを否定した。
眉根を寄せて、いじましくランタンを見つめる。冗談であっても疑われたことを、本気で哀しんでいるようだった。
申し訳ない気持ちになった。
「わかってるって、冗談だよ」
本当にそんな疑いを抱いたらそれをリリオンにぶつけることはできないだろうとランタンは思った。
「冗談でもやめて。わたし、ランタンにそんな風に思われたらいやよ」
「悪かったって。心にもないよ、そんなこと。ほんとに」
リリオンは抗議の意味も込めて乱暴にランタンの髪を掻き回し、それから丁寧に手櫛で乱れた髪を撫でつけた。
そんな様子を横目に選別を続けるルーは、微笑ましさに口元を緩めた。
「――ランタンは最初から、一目見たときから他の人とは違ったわ。なんだかとっても清潔で、探索者には見えなかったもの。ね、ルーさんだってそうでしょ」
「残念ながらわたくしがお顔を知ったときには、もうすでに単独探索者と呼ばれておりましたから。まったく、ただの何者でもないランタンさまを知りませんの」
「そっかあ」
「でもリリオンさまがそう仰るなら、きっとそうなんだと思いますわ。ミシャさまだって、だからこそランタンさまに声をかけられたのかもしれません」
「それはミシャが優しかっただけだよ。あと僕がみっともないぐらいに惨めったらしかったから」
レティシアやアシュレイのような貴族の姫さま方も確かに清潔で美しかったが、リリオンの目にはランタンのそれとは異なって見えた。
出会ったばかりのランタンは、探索から帰ってきてすぐの状態だった。探索帰りの探索者はみな一様にくたびれている。怪我をし、汚れ、疲れ果てている。
もちろんランタンもそうだった。
だがそれでも清潔だった。
そのような人をランタン以外にリリオンは知らない。
数ある本の中で迷宮由来のものはほんの僅かだが、しかしこれだけ集めるのにはどれほど苦労しただろう。
「この本もそう。書いてあることはわからないけど、とってもきれい」
少しのずれもなく文字は並び、一つ一つが判を押したように整って、滲みも掠れもない。
滑らかでつるりとした手触りをして、指が切れそうなほど薄く、しかし丈夫な紙。
すべての本がそうではないが、迷宮由来で、かつそういった特徴を持っているものはランタンに似ていると思った。
「何が書いてあるの?」
リリオンはランタンの肩口から、開かれた本を覗き込んだ。
「脳について。構造とか、働きとかかな。ものを考えると頭の中に電気が流れるんだって」
「電気? レティの魔道みたいな?」
「そう、もっと弱いけど。頭だけじゃなくて、全身に流れてるんだ。レティにびりっとやられると、身体がびくって動くだろ。つまり僕らは電気によって動いてるんだって」
「ふうん、変なの。じゃあ頭の中も、身体みたいにとんだり跳ねたりするの?」
「しない。脳は筋肉とは違うから、動くんじゃなくて電気で考えるんだよ。だから脳に電極を刺して電気を流すと、忘れててたものを思い出したり、性格が変わったりするらしい」
「へえ、――そういうの懐かしいって思う?」
「思わないよ、さすがに。ここに書かれていることは難しすぎるし、そもそも読めない字も多いし。僕のもともとの知識は子供並みだな。これは大人の本だよ。しかもお医者さんが読むような」
ここにある本のほとんどが医学書なせいもあって、ランタンはそこに郷愁を感じなかった。読める文字への懐かしさもやはり微かだ。
なぜか読めてしまう、という気さえする。
もっと身近な、例えば同年代の男の子の日記などであればまた違ったことを感じたかもしれない。
「電気を流してもらえば、何か思い出すかな。レティに頼んでみようかな」
遠征前にレティシアから貰った魔精結晶のお守りが懐の内で重みを増したような気がした。内部で魔精が煙る特別な魔精結晶だし、レティシアの念が込められている。もしかしたら気のせいではないのかもしれない。
「それが普通の医療だったのでしょうか。何とも恐ろしい話ですわね」
ルーはランタンの冗談に眉をしかめる。
「田舎の呪い師がやる治療みたいに聞こえるけど、ちゃんとした医療の一つみたいだよ。だってこんな立派な本に載ってるぐらいだもん。ローサにも検討したみたいだ」
端書きにローサの意識を覚醒させるために使えるかもしれないと書かれている。
昏睡状態にあったローサは魔精薬の風呂に浸けることでどうにか生き長らえていた。しかし終わりの時が刻一刻と近付いているのを彼女たちは理解していた。
ローサは内側から、つまりは臓器から弱っていったらしい。
だから今、ローサの身体の中にある臓器は姉ロザリアから移植されたものであり、それでも足らない部分を下肢に継いだ炎虎の臓器で補助している。
ランタンは自分の由来を探しているはずなのに、つい彼女たちについて思いを巡らせてしまう。
本に目を通していると、時折ローサがやってきた。
ローサはローサで日誌を読み続けている。読み疲れたり、内容に傷ついたりすると、その度にひどく甘えた。
今はリリオンにしがみついて、胸に顔を埋めている。
「よしよし、いい子ね」
「この子はずっとねむったままだけど、くるしんでるんだよ。でもたすけてあげられない」
ローサは日誌に書かれている違う名前の自分を、この子、と呼ぶようになった。
そしてその境遇に同情し、姉と同じ苦しみを味わっている。
リリオンはローサをあやしながら髪を掻き分け、頭皮に電極を差し込まれた形跡がないかを探している。それが見つからないと今度は頭蓋骨に穴が空いてないかと指で押して確かめる。
ランタンは本を閉じた。
「僕の方はあんまり収穫はないな」
本の内容をロザリアたちはある程度、理解していた。
誰がその翻訳をしたのか。
もしかしたら自分と同じような境遇の人がいるのかもしれないと思う。
だがどんな分野にも研究者はいるものだったし、迷宮が気まぐれに謎を解くきっかけを与えてくれることも知っている。
例えば同じ文章をこちらの文字と迷宮文字で併記した石板などはいくつも見つかっている。
ランタンよりもよほど流暢に迷宮文字を読む人もいるだろう。
自分は期待していたのだろうか。
まともに読めもしない本に目を通し続けたランタンは目頭を押さえる。
疲労のせいで自然と涙が滲んだ。
「余計に自分がわからなくなる。単純に僕は元から頭がおかしくって、自分をそうだと思い込んでただけの異常者みたいに思える」
「わたくしはそれでもかまいませんよ」
ルーが目の上に掌を置いた。ひんやりとした闇に包まれ、ランタンは身体から力を抜いた。
「どのようなお生まれでも、ランタンさまに変わりはありませんもの」
「……例えば泥の塊に雷が落ちて、突然に意思をもって動きだしたのが僕だとしても?」
「よくわかりませんが、もちろん」
「心強い言葉だ」
ランタンは闇の中で口だけで笑った。
「ランタンさまはご自身を知ることを、恐れていらっしゃるのではありませんか?」
笑みに自嘲の気配が混じった。
「それは、そうかもしれない」
躊躇いがちに答える。
「だからすぐに投げだして、終わりにしたくなるのかも。変異者に結構大変なことをやらせてたんだな。自分を取り戻すなんて、混乱の極みだ」
そもそも取り戻すべき自分などいないかもしれない。
そういう考えがふと頭の片隅に過ぎる。それならそれでもいいと思うが、それは実は建前で、もし本当にそうだったらそれは恐ろしい。
ひんやりしていた掌が、じんわりと温められていく。
それからずしりと重たくなった。
「なんだなんだ」
目を覆っていた手を退けると、リリオンとローサがルーに手を重ねていた。
「なんだローサ、さっきまでめそめそしていたのに。もういいのか」
「ローサ、ないてないよ。おにーちゃんがないてたんだよ」
「泣いてない。目が疲れただけだ」
リリオンの胸元には、はっきりと涙の染みが浮かんでいる。だがローサにそれを指摘しなかった。
「ローサ、名残惜しいかもしれないが、きりのいいところまで読んだら出発したい。みんなを待たせてるんだ。いいか?」
ここで自分の由来は見つからなかった。それはしかたのないことだ。今まで知りたいと思いながら、ちゃんと探したことはなかった。最初の一歩で見つけられるとは思っていない。
取り戻すべき自分はいないかもしれない。
だが散り散りになった変異者たちはどこかにいる。優先すべきはそちらだった。
ローサは頷いて、これから何度も読み返すことになるだろう日記を大切そうに抱きしめる。




