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魔精結晶を回収し、リリララが魔物の死体を砂の下に沈めた。
蛮族の戦士は知性らしきものを有しているとルーが言ったからだった。森に仲間が潜んでいたら、その死体を見つけてランタンたちを探そうとするかもしれない。
早朝から探索を開始し、一度の戦闘を挟み、歩き続けおよそ五時間ほどの時間が経過している。
ようやく島を半周し、北端の浜辺で昼の休憩をとることになった。振り返ればなだらかな森丘の、その背後に始点の山が聳え立っている。こうやって離れると、かなり峻険な山だったことがわかる。
ランタンは砂浜に腰を下ろし、手首を掻いている。
「うう、痒くなってきた」
返り血はよく拭ったが、どうにも肌が粘ついているように感じた。爪や皺に入り込んだ血は拭いきれず黒ずみ、痒みが発生している。
「掻き破ってしまいますわよ」
ランタンが神経質そうに肌に爪を立てていると、ルーがその手を止めた。
「あたしとお揃いになっちまうぜ」
リリララは剥ぎ取るようにランタンの外套を外し、背嚢を引っ剥がした。リリララの細腕にはかつての戦闘で、自ら掻き毟った傷跡がまだほんのうっすらと残っている。舐めるほど近付かなければもう確認はできないが。
血は魔精の溶媒だった。だからこそ魔物の血は青く、そして人の赤い血にも魔精が含まれている。
わざわざ血を流さずとも精神の力によって魔道を放つことはできる。血を流したからといって威力が増すわけでもない。
リリララのそれは血を絞り出すように魔道を放たなければならなかったことの証明だった。
「ほら海で洗ってこいよ。飯の用意はあたしがしておくから」
魔精結晶を収納し膨らんだ背嚢を胸に抱えると、リリララの身体のうすべったさが鮮明になった。
「海中からの警戒は、あたしはできねーから気をつけるんだぞ」
リリララの忠告にランタンは肩を竦めた。
「そちらのほうはわたくしが」
「……ふたりと探索するとどうしても偉そうになっちゃうな」
困ったように呟く。
リリララとルーは顔を見合わせた。
「ばか、お前は偉いんだよ。あたしのご主人さまだろ」
「なんなりとお申し付け下さいませ」
ランタンは曖昧に返事をしながら、気まずそうに顔を背けた。その背中を見て二人して声を出さずに笑った。
「ルーにお世話をさせてくださいませ」
ルーはそう言いながらランタンの前に回り込み、砂浜に膝を付いた。陽射しが眩しそうに目を細めながらランタンの顔を見上げ、少年の足を自らの太ももへと導いた。
「いーって、自分で脱ぐから」
「あら、遠慮なさらなくてもよろしいのに」
「王さまじゃないんだから」
ランタンは靴跡のついたルーの太ももを払ってやり、それから一歩後退って踵を踏むようにして脱いだ戦闘靴に丸めた靴下を突っ込む。
ズボンの裾を膝まで捲る。脛が白く、ふくらはぎがほっそりしている。
「じゃあリリララ、ごはんの用意お願い」
「へいへい。溺れんなよ」
焼けた砂浜が熱くて、ランタンは足踏みするような小走りで波打ち際へ向かった。さらさらした砂が湿り気を帯び、しかし熱を奪いきれず生温い。
波打ち際に小さい足跡がくっきりと浮かび上がっては波に掠われる。
ランタンはほっと一息ついた。
太陽は頭上に昇り、空は青く雲は白い。海もまた透けるように青かった。
迷宮の海は、リヴェランドの海とはまったく違う雰囲気だった。
リヴェランドの海は時に黒々として重く、深く、底の知れない感じがした。
しかしこの海は軽やかで、波の音さえ楽しげだった。
リリオンも、きっとローサも喜ぶだろう。迷宮に来てしまったからもう彼女たちに手助けのしようはないが、ふとしたときに風邪は治っただろうかと考えてしまう。
波打ち際を駆け回る妹の姿を思い浮かべてランタンは浮き輪でも用意しようかと思う。どうせ入るなと言ってもローサは海に入りたがるだろう。
打ち寄せた波が足を濡らした。思いがけぬ冷たさにランタンは三歩ほど後退し、引き波に合わせて前進した。
寄せる波が脛を洗う。跳ねた飛沫が捲ったズボンを濡らした。ランタンは裾をもっと捲って、膝はすっかり露わだった。引き波に足裏の砂が持って行かれて、身体が沈み、足先が砂の中に埋まった。
「へへ」
そのくすぐったさにランタンは思わず声を漏らした。
「冷たくて心地良いですわね」
「うん」
一人笑っていたのを見られただろうか。
ランタンは少し恥ずかしくなる。それを誤魔化すみたいに腰を屈め、汚れた手を洗った。
波と砂を使って爪の隙間まですっかり綺麗にするが、やはり少しかぶれてしまっていた。
手が発赤で斑になっている。
海の冷たさは痒みを少しばかり抑えてくれた。
「おいたわしい」
「大げさだよ。ルーは平気?」
ルーも魔物の血を浴びていた。
「わたくしはご覧の通り。代わって差し上げたいですわ」
ルーの手は、肌は濡れるほどに艶めかしくなる。それは蛙人族の特徴だった。水分を含み、ぬめるようにしっとりした肌は独特の風合いを帯びた。
それは端的に言って男をひどく喜ばせる類いのものだった。
しかしこの手があの巨体の戦士を殴殺したのだから、物は使いようと言うほかない。あらゆるものは表裏だと実感させる。薬は人を癒すこともあれば殺すこともある。
「あとでお薬を塗って差し上げましょうね」
ランタンはついでに山刀をじゃぶじゃぶと洗った。黒ずんだ血が解けるように海へ溶けてゆく。迷宮であってもやはり海水はしょっぱい。そのままにすれば刀身は錆びてしまうだろう。
「ランタンさまはどうして刀を」
「特に理由は――、いや、リリオンが剣使ってるし、刃物の使い方を知るのもいいかなって」
「リリオンさまの剣ですか」
「新しく作ってもらってるけどね。どれだけ保つか。力の問題だけじゃなくて、やっぱり技術的な問題もあると思うんだよ」
ランタンが思い浮かべたのはハーディだった。
彼もまた類い稀な力の持ち主だ。巨人族の血を引くリリオンに匹敵、いや、まだ上回っているかもしれない。とんでもない剛剣の使い手だ。
もちろん誰が使っても、使うほどに剣は、道具は消耗して、やがては破損する。しかしハーディはリリオンほど剣を使い潰してはいない。
「どこか身体の使い方に間違いがあると思うんだよ。――よし、こんなもんかな」
海中から引き上げた山刀は、魔犬の骨を断ってずいぶんと痛んでいる。血は洗い流せても脂で曇り、ぶ厚い頭蓋を砕いた刃は潰れたり欠けたりしている。
「鈍器と同じ使い方じゃあこんなもんか」
刀身を振って水滴を飛ばし、ランタンはじっと刀を見つめる。すると濡れた刀身がほのかに熱を帯び、温度はぐんぐんと高まって、やがて鉄の焼ける臭いが鼻についた。
刀身にフジツボのように塩が結晶化した。
「素晴らしい」
「まだ訓練中なんだ。あんまり褒めないでよ。戦闘には使えないし」
探索者は魔精によって身体能力を強化する。研究者によっては、それは身体能力を強化する魔道であるというものもいる。その理屈の一つとして、探索者が使う武器もまた強化されるからだ。
馴染んだ武具は五体の一部として、身体能力が向上するのと同じように硬く、鋭く、あるいは魔道の発動体となる。
しかしそれは手に馴染んだものという前提がある。
不慣れな武器に力を通すことは簡単にはできないことだった。多くの探索者は無意識にそれをしているので、意識的にそれをすることができない。
少なくともランタンは、その技術の一端を理解していることの証明だった。
「リリオンはこれがちょっと苦手なんだよね。魔道もずっとリリララに習ってたけどローサに抜かれちゃったし」
「やはり血なのでしょうか?」
「そう、そこなんだよ。巨人族は魔道を扱うのが苦手らしい。この前会った人たちもその気配はほとんどなかったし。だからリリオンもかと思ったけどさ、人の血の方があの子には多く流れているんだからその理屈はどうなんだろうって思うわけ」
「なるほど」
ルーは顎に手を当てて考え込む。
「リリララぁ! 塩いらない?」
ランタンは塩の付着した抜き身の山刀を問答無用に浜へ投げ飛ばした。それはくるくる回転し、食事の用意をするリリララのすぐ側に突き刺さった。
リリララは耳を逆立てて、怒鳴るがランタンはまったく聞こえない振りをした。
「不躾な質問ですが、リリオンさまの月のものは、もう?」
「……まだ、だと思うけど」
もしかしたらリリオンはもう経験しているかもしれない。
四六時中一緒にいて、そのような身体の不調に気が付かないはずがないとは思う。だが女ではないランタンに、それを知ることは不可能だった。
ううん、とランタンは唸る。
「そうですか。でしたらいつか訪れるそれが、きっかけになるかもしれませんわね」
物理的に血を流すことは魔道の発現のきっかけになることがあった。その中でも女性特有の生理現象は、そのきっかけとなりやすい、とされている。男が比較的多い探索者の中にあって、魔道使いは女の方が圧倒的に多いことがその説を有力視させている。
「もしそうだったら、僕にできることはないよなあ」
リリオンは巨人族の血のせいで身長こそ高いが、しかし実際的な肉体的な成長は緩やかだった。まだ大人の体付きではない。少女の肉体をただ引き伸ばしたかのような、幼さを残している。
「そんなことはありませんわよ。その時になったら優しくしてあげてくださるだけでいいのです」
「善処します」
ランタンは畏まって目を伏せる。くすりと微笑んだルーが、そっとランタンに近付いた。
「ランタンさま、失礼しますわ。そのまま」
首筋に冷たいものが触れた。絞った布が襟元から入り込んだ。
顔を汚し、首に垂れた血をそっと拭った。血を吸った布に青い染みが広がる。ルーはその染みを海水で洗った。
「お脱ぎくださいませ。そのままではかぶれてしまいます」
ランタンは言われた通りに上着を脱いだ。
夏の陽射しが肌を炙り、じりじりと痺れるような熱が背に広がる。反面、海風は涼やかですらあって項に鳥肌が立った。
顔を汚し、首から垂れた返り血は背中と、腋の方へと伝っていた。白い肌に静脈が輪郭を失ったような青い染みが広がっている。
ランタンは腕を上げる。つるりとした腋の下をルーが拭うと、くすぐったさに身を捩った。
「じっとしてくださいませ」
「くすぐったいよ」
「しかたのありませんこと」
逃げようとするランタンの身体を、しかしルーは逃すことはない。
先の戦いの中でもそうだった。相手の動きと等速に、見えざる糸で結ばれたようにルーはついていった。
魔犬と戦う視界の端に映ったルーの勇姿は軽やかであり、けれどその一撃は重厚である。ハーディの剣撃を連想させるが、しかしまったく異なる術理がそこにはあるはずだった。
ランタンはルーの手から逃げようとするように身体を動かす。
ルーは困った顔をする。しかしそれは顔だけで、身体を拭う手はそのままランタンに触れている。
「ルーは、戦い方を変えた?」
「戦い方というよりも、意識の問題でしょうか。できるだけ相手に近い場所に身を置こうかと思いまして」
それは攻め時に懐へ飛び込むということではない。
常に相手との距離を詰め、保つ。己の拳が当たる位置に常に身を置くということだ。それは迷宮戦闘において徒手格闘を選択したルーには避けて通れない覚悟なのかもしれない。
「怖い考え方だ。ルーは命知らずだね」
「あら、そんなことはありませんわよ」
「そう?」
「ええ、だって考えてもみてくださいませ。こちらは攻撃できず、相手ばかりが攻撃できる位置に身を置く方が怖ろしいことではありませんか」
「そりゃそうなんだろうけど」
深く、相手へあと一歩深く踏み込むことの恐ろしさをランタンはよく知っている。
ランタンは大抵の相手に対して体格で劣る。素手のルーほどではないが、敵の攻撃可能範囲はいつだってランタンを上回った。そういう相手の懐は、いつだって一方的な一撃の先にある。
近付けば近付くほど攻撃の選択肢は増えてゆく。ある一定の距離までは相手の距離で、それより近付けばランタンやルーの距離となる。
しかしそれはやはり命の距離の近さでもある。
近ければ近いほど、命は剥き出しになってゆく。
やれることは増えるが、恐怖も増す。
だからこそ人はその手に剣や槍を持ち、石を投げ、矢を射かけ、銃を、そして魔道を用いるようになったのだろう。
「それにこうすれば相手のことは手に取るようにわかります」
ルーはすっかりランタンを磨くと、その手を取って己の掌と合わせた。しっとりとして吸い付くようなルーの掌は海水よりも僅かにひんやりしている。それは海よりも尚、液体のような冷たさを感じさせた。
「それって洒落?」
「まさか洒落を言うならもう少し気の利いたことを申し上げますわ。押し引きしてくださいませ」
ランタンは言われた通りに手を押し引きする。
ルーはそれにぴったりと動きを合わせた。
「目も耳も、もちろんリリララさまのように優れた耳をお持ちの方もおりますが、どうしても騙されやすい。けれどもこうして触れ合っていれば、相手の動きに合わせることは容易でしょう」
ランタンが悪戯心を出して欺こうとするが、ルーはそれに騙されることはなかった。
「最終的には触れ合った相手と一個となること。自分の身体と同様に、相手を操作すること。身体の動きから心を読む。そうすれば、……ちょっと説法のようですわね」
「いや、おもしろいよ」
自分と相手の区別も曖昧になる。その感覚をもしかしたら自分は知っているのかもしれない、とランタンは思う。
もちろんそれは錯覚かもしれないし、思い上がりかもしれない。だが愛する人と身体を重ねているとき、ランタンはそんな気持ちになる。そこに不安はない。
「じゃあ僕が何をしようとしてるかわかる?」
「さて――」
触れ合った手から最も遠いところ。ランタンは手をくっつけたまま、肘を伸ばしルーから距離を取ると同時に水を蹴り上げた。飛沫がルーに襲いかかり、しかしそれはふと動きを止めた。
飛沫はルーの眼前で丸い水滴となって浮遊している。
「――どうでしょうか?」
ルーはにっこりと微笑む。すると水滴はその場で真下に落下した。
ランタンはむっとしたような、楽しむような表情を浮かべたかと思うとルーとの接触を断った。
「くらえっ」
腰を屈めて再びルーに水を浴びせかける。小さな手ですくったとは到底思えない、大魚が跳ねたような水柱がルーの視界を奪った。
ランタンは波を蹴ってルーの側面に回り込む。不安定な砂の足場。足首に絡みつくような水の重さ。だがそれはルーも同じはずだった。
気配はある。
だが、いない。
ランタンが驚いていると、ルーがどこからか飛び掛かってきた。彼女が隠れていたのはランタンが作った水柱だった。崩れる直前の波頭に逆さまに立って、真上からランタンを強襲する。
「ランタンさまったらお戯れを」
上から飛び掛かられて、ランタンは尻餅をついた。普通なら支えられる。だが巧みな重心の移動によって体勢を崩されてしまった。
すっかり下着まで濡れてしまったランタンは怒った視線をルーに向けるが、彼女もまた水を被っている。
そもそも仕掛けたのはランタンが先だった。
「ああもう、びしゃびしゃだよ」
「せっかくの海ですもの、いいじゃありませんか」
ずぶ濡れになった今では捲り上げた裾が虚しい。ランタンは濡れた髪を掻き上げる。
「この陽射しですもの、すぐに乾きますわよ」
ルーは海面に立ってランタンに手を差し伸べた。心を読まれそうだと思ったが、読まれて困るようなことは考えていないはずだった。
「おわ、よく立ってられるな」
ルーの重力圏に相乗りして海面に立つと、その不規則な波の動きに足が取られる。不安定な足場には慣れっこだが、しかしそれでも安定するのは難しい。
向かい合うルーは濡れた服が身体に張り付いて、メリハリの利いた肉体の輪郭が露わだった。結んだ裾を一度解いて絞り、それからより高い位置で結び直す。鳩尾のあたりに刻まれた魔道式が顔を覗かせる。
「ランタンさま、お手をどうぞ」
よたよたするランタンに向けて、ルーが両手を差し出した。さながら歩き始めた子供へそうするように。
「どうも、ありがとう」
ランタンはそう言いながら不意にルーの臍に触れた。
「きゃっ!」
「ははは――うわあ」
ルーは愛らしい悲鳴を上げ、ランタンがようやくしてやったりと上げた高笑いは、だが自業自得の悲鳴へ変わった。
体重を支えていた水の柔らかさが崩れるように失せる。乱れたルーの心は、重力圏を維持することができなかったのだ。
ランタンとルーは二人して海の中に尻餅をつき、不運にも打ち寄せる波を盛大に被った。
海水を飲んでしまったランタンは苦しげに咳き込む。たまたまランタンの背によって守られたルーは、その小さな背中を撫でてやる。
「もう、悪戯な人ですこと」
「だって、やられっ、ぱなしって、嫌じゃん」
「ええ、まったくですわね」
そう言ったルーは背中からランタンに抱きつくと、前に手を回して臍を指でくすぐった、電流を流されたようにランタンの身体が跳ねる。振り返ろうとすると、ルーの腕の中でランタンだけが回った。
向かい合わせになる。ルーは両手でランタンの脇腹をくすぐった。
「ほら、どうですの?」
「ぎゃ、やめ、げほ、まだ咳が――」
「知りませんわ」
ルーは海面にランタンを押し倒した。
背後に蒼天を背負うルーの髪から雫が垂れて、ランタンの胸を叩いた。どうにか咳が治まり、それでも激しく上下する胸にルーは手を添えた。
とくとくと心音が掌に触れる。両手を重ねて、うっとりと目を閉じる。その音はルーの中にもあった。
身体に刻まれた魔道式は、魔精を集めるものだ。普通ならば魔精過剰症となるが、ルーはその身に魔精欠乏症を有している。失われる分の魔精をこの魔道式によって集めている。
魔精は色づく。迷宮には迷宮それぞれの、魔物には魔物それぞれの、人には人それぞれの魔精がある。喪失と獲得を繰り返すうちに、ルーはそれを感じるようになった。例えば魔道はそれが可視化したものだ。
出入りの激しいルーの肉体にずっと残っている魔精がある。
それはランタンの魔精だ。ルーは胸の中にそれを感じることができる。
ランタンはルーを見上げながら肩の力を抜いた。
海面に浮かぶわけではなく、寝転がる感覚の不思議さは面白かった。立っていたときの不安定さとはまったく異なる、揺り籠にも似た穏やかさがある。少し眠たいのは、早起きのせいばかりではないだろう。
背に触れる海の冷たさ。降り注ぐ陽射しの眩しさ。腹を跨ぐルーの太ももがすべすべしている。波に合わせて、重心を揺らしている。さながら船を漕ぐようだった。
「心臓打ち抜かないでよ」
「うふふ、打ち抜かれたのはわたくしの方ですわよ」
ルーはそっと目を開き、胸から手を離した。
そしておもむろに張り付いた上着を脱いだ。白い肌に魔道式の黒がいっそう濃く見える。最初に見たときは痛々しくも思えたが、今ではすっかり肌の一部のようだった。
「なんで脱いだの?」
ランタンは膨らんだ胸よりも、魔道式をなぞるようにルーの肌に指を滑らせる。
肌を滑り落ちるのは海水だろうか、汗だろうか。
「だって海ですもの」
この上なく明快な答えだった。




