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カボチャ頭のランタン  作者: mm
16.Stay Home
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「こら、ローサ邪魔しないの」

 ローサは厨房に立つリリオンの背中にまとわりついている。背中に顔を擦りつけたかと思えば、右の肩口から、左の腋の下から顔を覗かせて、叱られても悪戯っ子の笑みを浮かべてじゃれつくのをやめようとしない。

「ローサおてつだいするよ!」

「ならローサにはクリームを作ってもらいましょう」

「クリーム!」

「手を洗って」

「て!」

 鍋にバターの欠片を落とし、ローサは熱い飲み物を冷ますようにそっと息を吹く。すると少女の唇の間から、ほとんど色のない炎がそよいだ。

 鍋が熱され、バターがゆっくりと形を失って、すっかりと液体になる。ローサは隣に立つ姉に視線を向けた。唇をすぼめたまま、まだ、と尋ねる。

「それぐらいね。そうしたら次は」

「ここ? ここにいれる?」

「そうよ。バターを牛乳に入れる。牛乳をバターに入れちゃダメよ」

「うん」

「そしたら軽く混ぜて、また温めるの」

「ふう――」

 溶かしバターをよく冷えた牛乳に混ぜて、再び温めながらかき混ぜる。湯気が出たら火から外し、ローサが次の指示をまだかまだかと待っていた。

 金色の瞳に見つめられて、リリオンは微笑んだ。するとローサも鏡写しにしたように、いや、それ以上の満面の笑みを返してくる。

 旅から帰ってきてからローサはランタンとリリオンの二人にべったりだった。

 どこへ行くのも何をするのにもくっついてきて、ひどく甘えたがった。離ればなれになっていた時間を埋めるようだった。

 そんなローサにリリオンは自分を重ねる。

 留守番の間ずっと世話になっていたガーランドに、ローサは見向きもしない。彼女も積極的にローサに構う方ではないからしかたのないことだったが。

 リヴェランドではずいぶんとランタンにひどいことをしてしまった。目の前にある母の思い出ばかりに執着して、ランタンのことを蔑ろにした。

「つぎはなにをするの?」

「じゃあまた混ぜて」

「また?」

「そう、でも今度は一生懸命混ぜるのよ、はい、これを使って」

 泡立て器を渡すとローサはそれを戦棍のように構えた。

「お料理ができたら、ガーランドさんも懐かしく思うんじゃないかしら?」

「ゆーれーよろこぶ?」

「ええ、きっと」

 二人で作っているのはリヴェランドの郷土料理だった。

 バターと牛乳で、向こうでは山羊乳を使っていたのだが、クリームを作り、芋を主体とした野菜とサーモンにそれを絡め、硬くなったパンを削ってまぶし、窯でしっかりと焼き上げる。

 鍋ごと窯に入れて、火力を調整する。その鍋と一緒にパイを焼いていた。ニシンの塩漬けや魚の燻製、コケモモの砂糖煮を包んだり練り込んだりしている。

 熱に鼻先が赤くなるのも気にせず、ローサは窯を覗き込む。

「あとは焼けるまでにスープを作りましょうか」

「はーい!」

「ローサはお留守番の間、ちゃんとごはん食べてた?」

「うん、ゆーれーといっしょにたべてたよ」

 ローサは食堂の方を振り返った。

 旅の間中ローサの世話をしてくれたガーランドにランタンが休日を与えていた。

 だと言うのにガーランドはいつもと同じ時間に目を覚まし、しかし仕事をする必要がないので、食堂の椅子に腰掛けて食事の時間が来るのを待っている。

「ほかにもみんなきてくれたよ。フーちゃんでしょ、クーちゃんでしょ。ししょーにせんせー、レティとミシャさんとルーさんと」

「たくさんお世話になったのね。みんなにお礼しないと」

「それからねー。ディラさん」

 知らない名前が出てきてリリオンは首を傾げる。

「どちらさま?」

「ディラさんはー、おにーちゃんのやくのやくしゃさん」




 ぜんぜん兄と姉が帰ってこない。

 ローサはだんだんとさみしくなってきて、出かけるのもやめて玄関扉の前で過ごすことが増えてきた。

 いつ兄姉が帰ってきてもすぐに会えるようにここで待機しているのだ。

 その日の夜はローサが寂しがっているのを知ってフルームとクロエが泊まりに来てくれていた。

 できることならずっと一緒にいてほしいが、幼いながら彼女たちには孤児院での仕事がある。今日もその仕事をして、明日が休みだから泊まってくれるのだ。

 食堂で給仕の真似事をするのは小遣い稼ぎでしかない。

 本来の仕事は自分たちよりももっと幼い子の世話である。

 捨て子もいれば、探索中の探索者の子もいる。

 女の探索者にとって妊娠と出産は、迷宮探索と天秤にかけなければならないことだった。子育てをしながら探索者を続けることは難しい。だから探索者を辞めるか、産むこと自体を諦めるか、子を手放すかする。

 そのためか思いの外、孤児院に子供を預けていく女の探索者は多かった。

 そしてそのまま帰らないことも。

 迷宮で果てたのか、それとも迷宮へ行くと偽って捨てていったのか。

 その真実を追求することはない。

 孤児院では預けられた、そして残された子をただ責任もって育てるだけだった。

 そういう事情もあって、正確に理解しているわけではないが、ローサも無理には遊びに来てくれとは言わない。

 子守の手伝いをすることもあって、あの赤ちゃんという生き物の儚さは、ローサにとっては少し怖いものでもある。

 触ろうとすると怒られる薄かったり細かったりする硝子の細工みたいに、ちょっとしたことで壊れるんじゃないかと思う。

「ランタンさまたち、いつ帰ってくるっていってたの?」

「としがあけるまえにはって」

「とおいところだもんね」

 玄関広間に布団を引っ張ってきて、三人はそこに寝転がっている。広げた大陸の地図を蝋燭の火が照らした。犬人族のクロエが指を尺取り虫みたいにして距離を測った。

「お空をとんでいけば、だいたいこれで一日よ。向こうまで行って、帰ってきて、いちばん早くても十日ぐらいかしら」

 ローサは指折り過ぎ去った日々を数える。両手の指を全部折り曲げても、もう足らなかった。ローサは切なそうな顔になって、枕を二つ抱きしめた。それは兄姉の枕だった。ここ最近はこれを抱きしめて眠っている。

「……フーちゃん、どうしたの?」

 猫人族のフルームが黙っているのに気がついて声をかける。

 フルームは背を反らすみたいに上半身を起こして、広間を見回していた。ローサのそれと同じ、縦に裂けるような瞳孔が薄暗い広間をよく見通している。

「ランタンさま、いなくてへいき?」

 ちょっと怖がるみたいに囁く。

 二人はそれなりに館に遊びに来ているが、昼間に見る広間と夜に見る広間では、その雰囲気がまったく違っていた。ランタンやリリオンが居ないのだという事実も、またそれに拍車をかける。

 玄関広間は四方に棚があり、そこには迷宮由来の品々が飾られている。

 とりあえず拾ってきたものを飾っているせいで、それはひどく雑然と、あるいは混沌としており、ある意味迷宮を再現しているようだった。

 魔物の骨格標本なんかはまるっきり不死系の魔物のようで、今にも動き出しそうだった。

「へいきじゃない……」

 ローサがそう答えるとフルームはぶるぶると震えた。ローサの大きくて温かな身体にぴったりと寄り添う。その恐怖心が伝染したのか、クロエも不安そうな顔つきになった。

 あらためて辺りを見渡すと少し不気味に、ローサも思えた。

 立派だが古く、広い館である。あたりはしんと静まりかえっていて、部屋の隅にわだかまっている闇にはいかにも何か潜んでいそうな気がする。昼間には気にならなかった棚の木目が人の顔に見える。

「ローちゃん、動いたりしない?」

 どれを指しているわけでもなくクロエが呟く。

 友達の二人は物怖じしない質だった。

 今はローサの半身である炎虎という魔物を、孤児院に隠れて飼育していた過去がある。そんな二人が不安がっていると、ローサも不安になってくる。

 それは三人の幼さからくる不安の伝播だったが、迷宮でもよくみられる現象だった。

 一人の不安や恐怖が伝染し、探索班が見るも無惨に崩壊していくのは迷宮の日常だった。

 それゆえに指揮者は班の志気を維持するのに腐心する。自らの抱いた恐怖心や不安を隠し、元気に、勇敢に振る舞う。

 伝染するのは負の感情ばかりではなかった。

 しかし空元気や蛮勇の伝染は、負の感情と同じほど危険なものでもある。退き時を見失って崩壊する探索者もまた多い。

「うごいたり、するよ」

「え!」

 ローサの言葉に、二人がいかにも不安げな声を上げた。言ってはいけないことを言ってしまったみたいに、不安ばかりではなく罪悪感もやってくる。ローサは言い訳するように言葉を継ぎ足す。

「あのお馬さん。たまにうごくよ」

 広間の中心に飾られている陶器の馬は、迷宮で砕け、館で復元したものだった。

 復元作業にはクロエとフルームも参加している。復元したばかりの頃は罅だらけだったが、今ではその痕跡も見られない。

 白く、濡れたようにつるりとして、闇の中では仄青く発光しているようにも見える。

 今は沈黙不動を貫いているが、それはローサの勘違いではなく、実際に微かに動くことがあった。

 それは物質系の魔物だった。

 迷宮では鉄馬の群の中にあって一頭だけ陶器製だった。そのせいか群れからはぐれ、転倒して砕けてしまったのだと兄から聞かされている。首に巻いているリボンは飾りではなく、奴隷の首輪という行動を制限する魔道具だった。

「急にかみついてきたりしない?」

「……だいじょうぶ」

「ほんと?」

「うん……」

 単純な疑問が、なんだか責められているような気分になってローサは哀しくなった。子猫と子犬と子虎の三人は、大きな毛玉みたいに一塊になって息をひそめる。

 鼻歌を歌って磨いてやった陶器の馬の、その滑らかな手触りが途端に掌に蘇った。ローサは寒気に背筋を震わせた。

「――まだ起きているのか?」

「わあ!」

 闇から声をかけられて三人は悲鳴を上げると頭から毛布を被った。

 しがみついてくる小さな友人たちの存在が、ローサに辛うじて勇気を与えた。

 自分は探索者だ。魔物なんてこわくない。嘘。すこしこわい。

 ローサが恐る恐る顔を出すと、そこにいたのはガーランドだった。

 白い顔に透ける触手の髪は、ともすれば抱いていた恐怖心が人の形を取って具現化したようだったが、もう留守番を始めて十日以上になる。その間はずっとガーランドは一緒にいてくれた。

 心強い保護者だった。

「ゆーれー!」

 ローサは毛布をはね退けて立ち上がった。

「ねえ、ゆーれーいっしょにねて?」

 ローサはガーランドの手を取って、いじましく引っ張った。ガーランドの足元ではクロエとフルームが縋るような表情をしている。遠慮がちにガーランドの足に触れる。驚くほど小さな指の感触に、ガーランドはほとほと困り果てる。

 少女たちが何かを怖れているのはわかるが、何を怖れているのかはまったくガーランドにはわからなかった。

「寝るまで、そばにいよう」

 ガーランドはその場で腰を下ろすと、不慣れな手つきで少女たちに毛布をかけてやった。

 蝋燭の火を消し、あたりは闇に包まれる。

 少女たちが眠った後も、ガーランドはしばらくその場を離れなかった。




 目覚めてまずすることは陶器の馬を磨くことだった。

「もう、こわがらせて!」

 そんな風に悪態を吐きながら、叩く代わりに一生懸命そのつるつるの肌を磨いた。

 それから一晩をともにした友達二人と料理を作り、ガーランドと一緒に朝食を摂る。

 一休みしてハーディの愛馬に水と餌をやり、三人で探索者ごっこをしてから、馬を運動させに街の外へ出た。ガーランドは館に残り、昼寝をするらしい。

 街の外に広がる平原はすっかりと夏の勢いを失っている。緑は色褪せ、所々では地面も剥き出しになっていた。立ち枯れした草は茶とも灰ともつかぬ色をして、風に揺れる度に乾いた音を立てる。

 クロエとフルームは馬の背に乗っている。ローサが手綱を引き、馬はよく躾けられて大人しかった。老馬と言うほどではないが若馬でもない。

 三人よりも年上だった。

 ハーディの巨体を乗せて戦場を駆けるのであるからもちろん巨馬であり、クロエとフルームの短い足で跨ごうとすると目一杯に開脚することになるので、二人は淑女のようにその逞しい背中に横様に腰掛けている。

 しかしそのままでは全力で駆けることはできない。彼女たちに全速力で駆ける馬にしがみつけるだけの腕力はないからだった。

「十かぞえたらおいかけるからね」

 ローサは友達二人を抱き下ろして、自分の背中に乗せた。二人合わせてようやく兄一人分ぐらいの体重しかない。その重たさがローサには嬉しかった。

 (たてがみ)を撫でてやると馬は返事をするように(いなな)き、気持ちよさそうに走り出した。後ろに土を蹴り上げて、地響きみたいな音を立てている。

 平原には狼が出ることもあったが、きっと狼も逃げ出すだろうと思った。

 気持ちよさそう走りっぷりに、ローサは十まで数えるのがもどかしくなった。


 それから三人で一緒に十まで数えると、遠くへ行ってしまった馬を追いかける。

 秋の風は冷たく、頬を打つほどに笑いが込み上げてくる。背中の二人はきゃっきゃと笑って、虎の毛皮を痛いくらいに握り締めてしがみついてくる。

「まてー!」

 そんなことを言いながら馬の尻を追いかけていると身体がぽかぽかしてくる。全力で身体を動かしていると寂しさを忘れられた。枯れ原を駆けるローサの姿は、まるっきり虎のようだった。

 汗だくになるほど平原を駆け回って、ローサは遂に馬を捕まえた。あるいは馬の方が気を使ったのかもしれない。

 ローサも馬も、しがみついているだけのクロエもフルームも汗だくになっている。馬はその全身に蜘蛛の巣のように血管を浮かび上がらせていた。

 風邪を引かぬように汗を拭い、それから三人で弁当を食べて、その間、馬はまだ緑の草を食んでいた。

 弁当を食べ終わってからはおしゃべりをしたり、花を摘んだり、草原に住む小動物を見つけては追いかけ回したりした。

 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。

 日が落ちるのが早くなった。

 空が茜色に染まる頃に街に帰り、ローサはクロエとフルームと一緒に孤児院へ行き、そして別れた。少女たちには明日の仕事があるのだ。名残惜しく孤児院の前でもう少しおしゃべりをして、けれど年長の女の子に二人は呼ばれて行ってしまった。

 ローサは馬の手綱を引いて、とぼとぼと館へ足を進めた。

 駆け回っている時には冷たくて気持ちよかった風が、今はただ冷たく寂しい。ぐずぐずと垂れそうになった洟を啜る。

 街では人が行き交っている。みんな楽しそうにしていて、ローサは何だか自分一人だけがひとりぼっちになったような気がした。

「……あ」

 そんなとき、人並みに黒髪の後ろ姿が目についた。

 肩よりも短く切り揃えた黒髪に、肩が細く、背が低い。それは兄の姿によく似ていた。

 ローサは思わず立ち止まって、その背中を見つめる。幻のように思ったが、それはティルナバンの街を歩いている。

 帰ってきたんだ、と思った。

 姉がいないのが不思議だが、きっと姉は家で待ってくれている。そして兄は自分を探しに来たに違いないと思った。

 兄は探索者街の方へ向かっているようだった。ローサがたまにそっちに足を運ぶことを知っているから当然だった。

「おにーちゃん!」

 ローサは叫んだ。周りの人々が一斉に立ち止まり、ローサのほうを見た。彼女のこのような奇行は珍しいことではない。彼らは苦笑したり、迷惑そうにしたりして、再び歩き出した。

 ただ兄だけは振り返りもしなかった。

「さきかえってて!」

 ローサは馬にそう言うと、手綱を放り出して兄の背中を追いかけた。

 いつもならばすり抜けられる人並みが、今日に限って自分の邪魔をしているように感じられるのは、それだけローサが慌てているからだった。上手く避けることができない。

 兄からは人にぶつからないように気をつけるよう口を酸っぱくして言われている。ローサの体重が、それなりの速度でぶつかれば大怪我をさせてしまう可能性もある。老人なら死んでしまうかもしれない。

「ねえ、まって! まってってば! いじわるしないで!」

 兄は通りを曲がった。

 しめた、と思う。曲がったのは路地裏だ。人通りがないので、きっとすぐに追いつける。

 ローサは背中を追って路地裏に入る。夕焼けも届かぬ暗い小路だった。ローサが先を急ぐと、ほどなくそこには兄の背中があり、兄を通せんぼする三人の男がいた。

 すぐにわかった。

 兄がいじめられている。

 一人の男の手にはナイフが握られていた。

「なにするの!」

 ローサは一喝した。

 兄の実力ならば手を貸す必要など微塵もないが、しかしそんなことを考えている余裕をローサは持ち合わせていなかった。

 ローサは俊敏な身のこなしで壁を蹴って跳び上がり、兄と男たちの間に割って入った。

 男たちは物凄く驚いたようだった。前に二人、後ろに一人。後ろの一人が驚きすぎて腰を抜かし、ナイフの男はナイフを落っことして危うく爪先に刺さるところだった。

 男たちの目に映ったローサは魔物も同然だった。のっしのっしと昼間の大通りを歩く姿を見たことはあるが、それとは訳が違う。

 燃えるような毛並みに走った黒の縞模様が、闇の中でなお黒く見える。継ぎ合わせた少女の上半身はむしろ下肢の獰猛さばかりを強調して、瞳孔が縦に裂ける金色の瞳は捕食者のそれに違いなかった。

「うわああ!」

 男たちは悲鳴を上げて去っていった。その背中を一睨みして、ローサは憤るように鼻を鳴らし、わくわくしながら兄を振り返った。

 その瞬間、兄はローサから距離を取るようにくるりと大きく後ろに跳躍して、そして腰が抜けたのか尻餅を突いて、両手をこちらに突き出し、へたり込んだまま後退った。

「おにいちゃん、……じゃない」

 それは兄ランタンではなかった。

 後ろ姿はよく似ているが、柔らかそうな頬や顎の輪郭は一目見て女のそれだった。

「だれ?」

 ローサはがっかりしながら近付き、問い掛けた。

 女はあわあわしていたが、ローサがすぐそこまで近付くと大きな声を上げた。

「わあっ! ――あ、あなたローサね! うわあ、本物!」

 立ち上がって、先程までの怯えようはどこへやら、ローサに近付くと握手を求めてきた。

「ローサは、ローサだよ。だれなの?」

「ああ、ごめんなさい。私、ディラよ。よろしく。ローサは、あのローサよね。探索者ランタンの」

「おにーちゃんの?」

「お兄ちゃん? そう、妹なの。……ほら、やっぱり。ペットじゃないじゃない。――わたし、王都であなたのこと見たのよ! リリオンと巨人の戦い! その後、急に出てきて大舞台で踊りまくってて、羨ましいったらなかったわ!」

 ディラと名乗った女はぶつくさ呟いたかと思えば、拳を握り叫び、そしてにっこりと笑みを浮かべた。

「ねえ、ローサ。よかったらあなたのお兄さんと、お姉さんのこと聞かせてくれない? わたし、旅芸人で役者をやっているの。……まだ端役しか貰えてないけど。でも来年の題目は迷宮の太陽! 探索者ランタン! ね、お願い!」

 ディラは降って湧いた幸運を逃がすまいとするように捲し立てると、両手を合わせて頭を下げた。

 それは食事をする前に兄が見せる仕草だった。そのせいかもしれないし、熱意に負けたせいかもしれないし、ただローサが優しいからかもしれなかった。

「いいよ!」

 旅芸人も、役者もよくわからないけれどローサは頷いた。




「これローサがつくった! おねーちゃんと!」

 料理をテーブルに置く度に、自慢げにローサが言う。ガーランドは困った様子で、いちいち律儀にそれに頷いてみせた。

「なつかしい?」

「いや」

 テーブルにはリヴェランドの郷土料理が並んでいる。足らない材料もあるので完全な再現ではないが、既に懐かしいおおもう香りがランタンの鼻腔をくすぐった。

 ガーランドは彼の地で暮らしていたが、まともな料理などというものを口にしたことはほとんどなかった。ローサは少しがっかりしたが、きっとおいしいよ、と念を押す。

 表面がかりかりに焦げ、中はほくほくしている芋を突き崩し、クリームソースに絡めて口に運ぶ。

 クリームソースは濃厚で、塩味は燻製にしたサーモンから出た分だけだったが充分だった。サーモンの旨味がソースに溶けていて、芋の素朴な甘みが引き立っている。

「おいしい。ずるい」

 ローサがほっぺたを押さえながら言った。

「なにがずるいんだよ」

「だっておにーちゃんたちだけ、おいしいものたべてた」

「だけってことはないだろ。ほら」

 クリーム煮に入っている水で戻した干し貝柱をローサに食べさせてやると、ローサはまたずるいと言った。

「ガーランドも手伝ってくれたんだろ。そんなこと言っちゃあ哀しがるぞ」

 ローサははっとしたようで、申し訳なさそうにガーランドへ視線を向けた。

 彼女は気にするなというように、一瞬だけ視線を上げる。ローサは自分の皿から、最も大きなサーモンの塊をガーランドの皿へ移した。

 ガーランドは困惑する。しかし手をつけないでいると、それはそれでローサが哀しそうにする。

「きらい? おいしくなかった?」

「いや、美味い」

「じゃあ僕のもやろう」

 ランタンはガーランドの皿に野菜を移す。

「いらん」

「遠慮しなくていいよ」

 そんなやり取りにリリオンがくすくす笑った。

「お野菜足りなかったら言ってね。まだあるから。ローサもおかわりあるから。ほらお姉ちゃんの分けてあげる。後で一緒におかわりしましょ」

「うん」

 ローサはパイ包みにかぶりつく。ざくざくといい音がする。中のきのこからは旨味のある汁気が染み出して、ローサの顎先から滴った。

「わかった。そいつ、そのディラってのが悪い奴で、家を荒らしたんだろう? ダメだぞ知らない人についていったら」

 ローサから話を聞いているが、まだ館を荒らした犯人に辿り着いていなかった。

 ランタンは口元を拭ってやりながら言った。ローサは口元を拭われたまま首を振る。

「ちがうよ。わるいひとじゃないよ」

「嘘つく奴は悪い奴だよ。僕が劇の題材になるわけないだろ」

 ランタンはうんざりしたように呟く。

「ほんとだもん」

 ローサはふくれっ面になった。

「でもランタン似の役者さんなんて、ちょっと会ってみたいわ。どんな人なのかしら。わたしの役とかいるのかな?」

「おにーちゃんににてるよ! これくらいでー、かみのけまっくろでー、おむねがないの」

 姉妹は何だか楽しそうにしている。ローサも劇を見てみたいと騒いでいた。劇というものがどんなものかをまだちゃんと理解はしていないようだったが。

 結局犯人は誰だよ、と思いながらも楽しそうにしているローサを見ると話の先を急かすのも躊躇われた。

「ガーランドは犯人知ってるんだよね」

 ランタンは小声で尋ねる。

「おしえて」

 ガーランドはちらりと楽しげなローサを盗み見た。

「断る」


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