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戦いの終わりから、リヴェランドの街は自然発生した宴へと雪崩れ込んだ。
海には二頭の魔物が棲み着いており、リヴェランドの経済活動はそれによって大きく妨げられている。
その内の一頭、月魚が討伐されたのだ。まだもう一頭残っているものの、もう夜になる度に妖しく発光する海に怯える必要はないのだ。
それにランタンたちはもう一頭の海竜の討伐も約束したのである。
街は沸きに沸いた。
ランタンとリリオンは途中で中座したが、宴は夜通し続けられたようだった。
部屋で目を覚ますと、窓の外からはまだ浮ついた街の雰囲気が伝わってきた。遠くに太鼓の音が聞こえる。
ランタンがしばらくリリオンの寝顔を見つめていると、リリオンの目蓋がゆっくりと持ち上がった。
眠たげな眼がランタンの顔を見つけると、少女は猫のように目を細め、身体をいそいそと寄せた。魔物に止めを刺した探索者とはとても思えない。
しかし少女からは微かな潮の香りが感じられた。
月魚の飛沫を頭から被ったせいだった。
ベッドの中でなお温かなリリオンに抱きつかれていると、去って行ったはずの眠気が再び訪れる。
しかしもう一眠りしようと瞼を閉じたランタンを抱きしめたまま、リリオンは身体を揺すった。
太鼓の音色と一緒に、わっしょいわっしょい、となにやら威勢のいい音が聞こえてくる。どうやらその音に合わせて身体を揺らしているみたいだった。
リリオンはベッドの上を転がって、そのままランタンごとどしんと転がり落ちた。
「ぎゃあ!」
二人して叫び声を上げて、もう眠気なんて吹っ飛んでしまった。
「ランタン、いたかった?」
「痛いっていうか寒い」
欠伸をしながら着替える。
これだけ騒いでも姿を現さないところを見ると、ハーディはずっと宴に参加しているのかもしれない。何とも元気な男だ。
二人は館に戻ってから、ざっとひとっ風呂浴びるとすぐに眠りについた。
慣れぬ、不安定な足場での戦いはなかなか大変なものだった。
もう一回か、とランタンは考える。海竜に挑む前に、もう少し戦い方を練ってもいいかもしれない。
着替えをすませた二人は、朝食も摂らずに街へ出た。
昨晩の空が嘘みたいに、頭上には雲がかかっていてあたりは薄暗い。
しかし街は明るかった。
月魚討伐の報せに沸いたままだった。
ランタンとリリオンが寒い寒いと寄り添いながら浜の方へと向かうと、商売人たちが持ってけ持ってけと色んなものを二人に押しつけてきた。昨日の今日ではまだ漁は再開していない。
棚にはまだ並べられる商品も少ないというのに、月魚討伐の礼であるらしい。
浜へ着く間に二人の両手は一杯になってしまった。
浜辺には商人ギルドの一同が勢揃いしていた。
酔い潰れて眠っているものも少なくない。凍死せずに済んでいるのは、彼らが立派な毛皮を持っているからだろう。
そこでは男も女も老いも若きも関係なく、皆一緒になってロープを引いていた。ロープの先は月魚の尻尾にくくりつけられている。
月魚の血に染まった青い海には、何隻かの船が浮かんでいる。
その中の一つにエスタスの姿を見つけることができた。彼らは長い竿を使って月魚の死骸を浜の方へ誘導している。
ドーフが戦太鼓を叩いていた。昨夜よりもゆっくりとした間隔で、それに合わせてわっしょいわっしょいとロープを引いているのだ。
ゆっくりゆっくりと月魚が引き寄せられる。
波打つ海面を月魚が引きずられる度に、その内臓を突いている魚が驚いたように飛び跳ねた。海面が沸騰したみたいに泡立った。
「おー、すごい。大漁だ」
夜通しかけて喰らいきれぬ内臓に引き寄せられた魚たちが、月魚の開かれた腹に潜り込んでいた。このまま行けば地引き網みたいに一網打尽になるだろう。
「お手伝いする?」
「しない。これじゃあ手伝えないし、食事にしよう」
堤防に腰掛けて、どれから食べようかと話し合っていると、二人を見つけた漁師たちが大きく手を振った。
それに手を振って応えると、唐突に尻を蹴っ飛ばされた一人の若い男が大急ぎで駆け寄ってきた。
「ランタン、リリオン。昨日はありがとう! ありがとう!」
「どういたしまして」
昨晩のうちに聞き飽きた言葉に、ランタンはいちいち照れたように曖昧に頷く。
「手伝おうか?」
料理に手をつけぬうちにそう尋ねたランタンに、リリオンは微笑んだ。
男はとんでもないとに首を振った。
「いーいーいーいーよ! 疲れてるだろうし、悪いよ。そうだ、これ食ってくれって皆が。余りもので悪いけど、これからもっと美味いもの食わせてやれっから!」
男はそう言うと、鍋の具を全部さらったような、具だくさんの潮汁を二人に渡した。白々と立ち上る湯気までもが美味そうだった。
「わ、うれしい。ありがとうございます」
リリオンが礼を言うと、男は照れたように頭を掻いた。
月魚はどれほど重いのだろう。ロープを引いていた男の手は真っ赤になっている。じゃあ俺戻っから、と男は走って浜へ戻っていった。
「おいしいね」
「お米入れたい」
「んふふ、ランタンったらそればっかり」
潮汁は戦いの前に食べた鍋を、水と具を継ぎ足し継ぎ足して炊いたものだった。透明だったスープは濁酒みたいに白濁して、魚介類の旨味が濃縮されている。
一口啜ったランタンは、うっとりと白い息を吐いた。宴でしこたま呑まされた身体に染みるようだ。
道中に持たされた食べ物はどれもが保存食のようなものだった。芋を練って作った餅やパン、干物に漬け物。何か礼がしたくて、とりあえず渡せるものを渡したという感じだった。
「ランタン、あっためて」
「ええっと、これをこうして、こうだ」
ランタンは貝殻を使って、堤防に魔道式を書き込んだ。掌に発生させた炎を魔道式の上に垂らすと、溝に流れ来むように魔道式そのものに熱が宿った。
リリオンはかちかちに硬いパンをむしるみたいに半分に開き、その断面に鰯の油漬けをたっぷりと乗せた。
ランタンは魔道式の火力を調節し、その上にパンを置いた。接地面だけではなく、見えざる炎がパンを包んだ。
油漬けの白く固まった油が溶けだして黄色く透明になった。油はそのままパンに染み込み、ふつふつと沸騰するみたいに鰯の皮目に焦げ目が浮かぶ。小麦の香りと、癖のある鰯の匂い。
二人が大きく口を開いてパンにかぶりつくと、ざくりと小気味いい音がした。鰯は小振りながら肉厚で歯ごたえがよく、魚の味が濃かった。
「うーん、パンでも美味いな」
「もうちょっとお塩してもいいかしらね」
「じゃあ塩漬けだ」
「バターでもいいんじゃない?」
油漬けの代わりに塩漬けの鰯。油漬けはそのままにバターを一欠片足す。
両方とも試し、どちらも美味しかったので交換しながら次の組み合わせを考える。
「おお、二人とも朝から御馳走を食べているな」
「ん? あ、ハーディ。おはよう」
二人があれやこれやと試しながら食事をしていると、ハーディが街の方から姿を現した。
ハーディの隣には亜人族の女性がいた。影のようにぴったり寄り添っている。
頭上に犬の耳があり、ちょっとふくよかな感じのする若い女だ。たしか昨晩の集まりの中にいたような気がする。
「俺にもくれ」
「……お連れさんは?」
「そうだった。一緒にどうだ?」
「わたしは大丈夫です。朝ご飯、たりませんでしたか?」
「いや、美味かったとも」
女は上目遣いにハーディを見上げた。
「わたしは皆のところに」
「うむ、そうか。世話になったな」
「ハーディさま、また会って下さいますか?」
ハーディの逞しい手を取って胸に抱いた。ハーディは鷹揚に頷いた。
「もちろんだとも。まだ倒すべき魔物がいるのでな、しばらくはこの街にいるだろう」
「――うれしい、でも、その魔物を斬ったら、ハーディさまは行ってしまうのね」
なにやら二人で、あるいは女一人で盛り上がっている。
ランタンとリリオンはそのやり取りを横目に見ながら、ばりばりと焦げ目のついたパンを頬張っている。
ランタンは白けた顔をしていて、リリオンは恋愛物の演劇でも見るみたいに興味津々と言った感じだった。
女は寂しげな顔になったかと思えば、するりとハーディの手を離して浜へと駆け下りていった。犬の尻尾が右に左に揺れている。
その背を見送ることもなくハーディはランタンを振り返った。
「あれ、パンは?」
「これでお終い」
ランタンは最後の一欠片を見せつけるように口の中に放り込んだ。
「ひどいじゃないか」
ハーディはがっかりした様子で肩を落とし、そのままランタンの隣に腰を下ろした、
その身体からはハーディらしからぬ清潔な匂いがした。
どうやらハーディは彼女のところで一晩、そして朝食まで世話になったようだった。
「ううむ、こうして見るとなかなかの大物だな」
遂に浜へ引き揚げられた月魚の威容と言ったら、まるで座礁した大型船のようだった。
胴体の半ばから尾の付け根まで、腹から背を貫いて切れ目ができている。その間にたくさんの魚が巻き込まれているようだった。
胴体を絞るようにして細まった尾は、しかしその先端で扇のように横へ広がる。尾びれの付け根には連珠状の瘤があった。光の収束器官かもしれない。
その姿をエイに似せる半円の鰭は色も光も失って、今は半透明だった。ガーランドの髪、クラゲのようだった。
何とも不気味な姿だった。
「みなさん、おはようございます」
三人の背に声を掛けたのはサリエだった。子供たちをぞろぞろ引き連れている。
「ああ、おはよ――」
挨拶を返そうとすると、子供たちに囲まれてしまった。
昨日はすごかったとか、かっこういいとか、爆発しろとか、剣を教えてくれとか、口々に好き勝手言いながら纏わりついてくる。
「こら、あんたたち。迷惑掛けちゃだめでしょ! わたしたちのために戦って下さったんだから、生意気なこと言わないの! ほら、挨拶とお礼をしなさい」
雷を落とされた子供たちは一瞬怯んだ様子だったが、海中から露わになった月魚の姿を発見するともうサリエにもランタンたちにも興味はないというように、歓声のような悲鳴のような声を上げた。
好奇心旺盛な子たちはサリエの制止も聞かずに浜へと駆け下りていき、何人か残った子たちはランタンたちにしがみつくように月魚から顔を背けた。
「あれ、まもの? もううごかない?」
「動かないよ」
「ほんと?」
「ほんとうだよ。ほら、皆のところへ行っておいで」
皆で手を繋ぎながら促されて浜へと向かい、その途中で立ち止まって振り返る。
「襲われたら助けてあげるから」
「ぜったいだよ!」
子供たちはやけくそに叫んで、おっかなびっくり月魚へと近付く。
「ランタンさま、リリオンさま、ハーディさま。ありがとうございます」
サリエが昨晩も聞いた言葉を再び繰り返した。ありがとうございます、ありがとうございます、と何度も。
「父も浮かばれると思います。……きっと」
真っ直ぐに向けられたサリエの視線に、ランタンは頷くこともできなかった。かろうじて僅かに顎を引くだけだった。
サリエは子供たちに呼ばれて、浜へと降りていった。
その小さな背中を見送る。
浜では月魚の解体が始まっている。
端の方の皮を捲ると、そこにフックを引っ掛けて、再び大勢でロープを引いた。べりべりと皮を引き剥がすと、真っ白な身が姿を現す。
鰭の部分は身の構造が繊維状になっていて、皮を剥いてしまうと溢れるように繊維が解れた。
これには皆さすがに驚いた様子で、女たちが戸惑いながら繊維を巻き取っていく。透明な糸はくるくると巻き取っていくと白い塊になる。
男たちは山を切り崩すみたいにして月魚を塊に切り分けていった。そしてそれをさっそく市場へと運んでいく。それは何とも逞しい光景だった。もしかしたらその月魚は、サリエの父やその仲間を喰らったかもしれないというのに。
そうやって生きてきたのだろう。魔物の存在にかかわらず、この海での漁には死の危険がともなった。
子供たちは月魚の内臓を突くのに夢中になって陸に揚げられてしまった魚をきゃあきゃあと騒ぎながら拾い集めていた。
鱗に気をつけろとか、棘に刺されたら教えろとか、そう言うことをサリエが叫んでいる。
仇は討たれたかもしれない。しかし父が帰ってくるわけでもない。
気丈な女の子だった。
子供たちは手際よく魚を集め、売り物にならぬほど小さいものは海へ投げ込んだ。
「ねえ、ランタン。わたし、手伝ってきていい?」
「いいけど、寒そうだよ」
「平気よ」
リリオンは一瞬、浜辺を通り越して湾の向こうへと視線を向けた。リリオンは立ち上がって尻をはたき、手伝いに浜へ降りていった。
靴を脱ぐと、膝まで裾を捲り上げて子供たちに混じって魚を捕まえ始める。頭一つどころか大きなリリオンだが、子供たちに似て無邪気に騒いでいた。
「……あれを手伝うのか」
ランタンは呆れるように呟き、濡れた足の冷たさを想像して震えた。
「それで次の魔物に挑むのはいつだ? おい、これを炙ってくれ」
「……僕が貰ったんだけど、まあいいか。そのあたりは王子次第だね」
鱗の赤い干物を炙ってハーディに渡してやると、騎士は骨も何のそのむしゃむしゃと食べ始めた。騎士というよりも海賊だった。
「動くか?」
「可能性は高いと思う」
魔物の討伐に動かなかった海軍に対しての不満や不信感が、もともとリヴェランドの市民の間で広がっていた。そんなところに急に現れたランタンたちが魔物の片割れ、月魚の討伐に成功したのである。
昨晩の宴でも海軍に対しての不満や侮りの声は多く聞かれた。
海軍の評判は下がるばかりだ。
そしてランタンたちはもう片方、海竜の討伐にも意欲的だったし、それを隠そうともしなかった。
「その先の目的も、大酒飲みのおかげで充分に広がっている」
故郷を一目見たいと願うリリオンの気持ちを知って、同情したり、これを許可しない海軍へ憤りを覚えたりするものさえいた。
海軍の評判は更に下がり、市民の不満は更に高まっていく。
ランタンたちの助けを借りろだとか、彼らの手伝いをしろという声は昨夜の宴の最中にもよく耳にした。
神から与えられし王権。
その代行者である王子は神に等しいが、同時に市民の不満を無視することができない。それが為政者というものだった。巨大な権力を担保するものは、常に市民の信頼だからだ。
そして為政者が無視できぬものがもう一つある。
海軍の方にも王に対する不満が溜まっていた。彼らは臆病者の汚名をそそぐ機会を与えられないことに対して、アラスタ王子に不満を抱いている。
彼らは自分たちをリヴェランドの守護者だと自負していたし、実際にその力も、実績も有していた。
彼らが海竜討伐に出ないのは、ひとえに王子からの命令がないからだった。
市民に加えて更に彼らからの信頼も失うことは、いかに王権代行官といえども避けねばらぬことだった。
「もう尻に火はついてるよ。僕らは討伐できることを証明した。あとはどれぐらいうだうだしているかだな」
「……だが、あまりやりすぎると意固地になるのではないか?」
その可能性は大いにあった。
王子がと言うよりも海軍が、評判を取り戻すために自分たちだけでの海竜討伐を王子に強く願うかもしれない。討伐にランタンたちが参加したとなると、実力の証明にけちがつく。
「そこでハーディの出番だ。人を口説くのは得意でしょ?」
「ご婦人方なら、少しはな」
「よく言う。ドーフさんに海軍の伝手がある。大将を口説いてきて」
「まったく、巨人と戦うのも楽ではないな」
ハーディは大あくびをして、顎の髭を撫でつけた。
ランタンは腕組みをして溜め息を吐く
「けど、そもそもなんでアラスタ王子が戦いを先延ばしにしているのかが謎だ。海竜によって海運を妨げられるのはリヴェランドにとっては致命的なことなのに。そのあたりのことも聞けるなら聞いてきて」
「人使いの荒いことだな」
ほら、とランタンは余った干物やら何やらをハーディに押しつけた。
ハーディは肩を竦めた。
魔道式を踏みけして、ランタンも浜へと降りた。
さすがに生臭かった。
剥がれた皮はよく伸ばされて、裏面の脂肪を丁寧にこそぎ取っている。あの硬度と強靭さだ。きっと防具や装飾品になるのだろう。
月魚はもうほとんど骨も露わになっていて、一緒に揚げられた魚も捕らえ尽くしたようだった。
濡れた子供たちは天日干しするみたいに、雲から差し込む僅かな光に手足を差し出している。
サリエとリリオンだけがまだ波打ち際で、辛抱強く何かを探していた。
そう見えるだけではなく、海水は月魚の血で薄青く染まっている。青ざめた白波が砂浜に色をつける。サリエの被毛も青みがかっていた。
散り散りになった内臓が浜辺に漂着する。
まさか内臓を集めているわけでもなかった。
なんとなく声を掛けるのが躊躇われた。
ランタンが立ち竦んでいると、サリエが急にその場で膝を突いた。その身体に容赦なく波が打ち寄せた。サリエはそのまま蹲るみたいに、胸元に何かを抱きしめる。
波を踏み付けてリリオンが駆け寄った。
子供たちが何かを察したように波打ち際に集まった。騒ぐこともなく静かに。小さな手がランタンの外衣を掴んだ。しがみつくみたいに。
「ああ、帰ってきたんだな」
ドーフがランタンの背後で呟いた。やるせない声音だった。
サリエが見つけたのは父の遺品だった。
豊漁と帰還を願った刺繍のお守り。それだけだった。
波の音に負けぬ声でわんわんと泣くサリエにリリオンが寄りそう。
沖合の船が鎮魂の鐘を鳴らす。




