334
半端。
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影の中で来るべく冬への支度に大鼠が一心不乱に残飯を漁っている。
六匹の兄弟だった。
残飯が詰め込まれた頬袋は今にも破裂しそうだ。残飯へ顔を突っ込んでいた兄鼠がふいに顔を上げると、弟たちが遅れてそれに続いた。末弟だけが身体を半分も残飯に埋もれさせて、がつがつと漁り続けている。
兄鼠が叱るように鳴くと、弟たちが一匹残らず走り出す。末弟が遅れた。兄鼠は路地の闇へと追い立てるように小さな尻を鼻面で押す。
路地裏でたむろしている男たちが、その慌ただしい後ろ姿をじっと見送った。
うらぶれた六人の男たちだった。
日中でも陽の入らぬ路地裏は、夜になりすっかり闇に包まれる。
薄曇りの空には輪郭のぼやけた月が微かに透けるばかり。夜は容赦なく体温を奪い、男たちは自分自身を抱きしめるように腕組みをし、苛立つような貧乏揺すりはいつしか足踏みになっている。
「――ああ、さみぃ」
「言うな。余計に寒くなる」
言葉に己らの懐事情が思い出されて、一人の男が小さく舌打ちをした。
金さえあればこれほど寒い思いをしなくてもいい。ああ、そうだ。寒い生活も今日までのはずだ。
仕事を終えれば、まとまった金が手に入る。
「そろそろじゃないか?」
「ああ、たぶんな」
「煙草、煙草吸おうぜ」
「火、火ぃ、――あぁ」
懐から煙草を取り出して、壁に燐寸を擦る。手で風除けを造り、咥えた煙草に火を吸い付ける。
足元に捨てた燐寸を踏み付けて、煙草を大きく吸うと肺に煙が流れ込んでくる。煙草火がぼうっと赤みを増して仲間たちの顔を照らした。
餌を目の前にして待てと告げられた犬のような顔だと思った。
肺一杯に煙を吸い込むと、煙草を隣の男に回した。六人で一本の煙草を分かち合う。その惨めさが煙で肺を満たし、それを吐き出し、六人分の煙が路地裏に滞留し、煙に包まれるほどに薄らいでゆく。
それは麻薬煙草だった。煙に溶け出した成分が緊張を解きほぐし、安心感が肺から血管を通じて全身に広がる。指先が火照り、むず痒くなった。安心感はやがて高揚感へ育ち、男たちは口元に薄ら笑いを浮かべる。
腰に剣を差し、手にするのは短銃だった。
この銃というものの規制が発令されたのは夏の盛りの頃だった。製造、売買、持ち込み、所持、使用。そのどれにも許可が必要になった。迷宮で稀に見つかるこの武器の有用性を知るものはまだ少ない。
例えば銃は迷宮ではそれほど実用的ではないからだ。
弾は銃身に見合ったものを用意しなければならない。火薬も必要だ。ようやく撃てるようになっても当たるかどうかがまず怪しい。そして当たったとしても魔物相手に致命傷を与えることは難しい。
だから規制案に対する反発は少なかった。
新しい王権代行官はやり手だった。先見の明がある。
これは人を殺せる。そして探索者は人だ。
「へへ、腹の空気を抜いてやる」
男の一人が呟く。
煙草の煙が高揚感を、銃は男たちに勇気を与えた。
男たちの手首には古ぼけた探索者証が嵌められている。だが探索をしたことはほとんどない。迷宮の辛さに耐えられず、すぐに探索から足を洗ったからだ。
だが呪いのように探索者証を外すことができなかった。
これを見せつけてちょっと脅しをかければ、日々の飯代酒代ぐらいは巻き上げることができた。女だって、たまには買えた。
だが今はその暮らしも厳しい。
少し前までは金を握らせれば騎士どもを懐柔することができた。
もちろんその相手は選ばなければならなかったが、見極めは難しい話ではなかった。そういう奴は顔に出る。自分たちと同じ顔をしているやつを選べばいい。
くそ、あいつらめ。
笠に着るものが違うだけで、裸に剥いてしまえば同じ悪党だった。
だと言うのに、今は正義面をして自分たちを取り締まってくる。
男たちは追い詰められていた。明日の飯にも困っている。
だから持ちかけられた話に乗ったのも無理からぬことだった。
見ず知らずの相手だったが、話を聞くだけで飯を奢ってもらえた。内容を聞いても、簡単な仕事だと思った。女を一人さらえばいい。それだけで明日の飯どころか、一月後の飯にも困らない。女に限らず、人攫いの経験は三度有った。
問題はその女が、ある探索者の女かもしれないと言うことだった。
煙草を大きく吸った。煙が肺を満たす。近付いてくる煙草火が唇を焦がした。熱も痛みも感じなかった。煙草が根元まで灰になった。
大丈夫だ。
その探索者は曰く付きだ。手を出すべきではないと、散々に言われてきた。悪党からは死神のように恐れられていた。だがそれも過去の話だ。今ではすっかり大人しいと聞く。
死神の噂は下街の廃虚群とともにティルナバンからは消え去った。
それにその探索者も今頃は王権代行官と会食をしている。計画の邪魔をするはずがない。領主館に馬車で乗り付けているのも確認済みだ。今頃、豪勢な食事を摂っているかと思うと腹立たしかった。
目的の女が仕事の後に、夕飯を買いに近くの飯屋に行くことを知っていた。
事前の情報収集の大切さは、嫌と言うほど教え込まれた。それを仕込んだ先輩の探索者は迷宮に潜ったきり帰ってこなかった。きっと情報収集が足らなかったのだろう。
手にした銃が確信を抱かせる。
成功する。邪魔者はぶっ殺せばいい。
銃は護身用だと依頼主から持たされたものだった。だがこれは探索者さえ殺せる。もしその探索者が、何かの間違いでやってきても大丈夫だ。銃は人を殺し、探索者は人である。人殺しの経験は三度どころではない。
「ああ、腹に穴開けてやる。そこに俺のを突っ込んでやる」
下卑た冗談に仲間たちが笑った。路地の向こうに顔を出していた見張りが、来たぞ、と言った。男たちは一塊になって路地裏から出ようとした。
ふいに数少ない探索を思い出した。左右に迫る煉瓦の壁が、迷宮の閉塞感に似ている。
迷宮は広々としている。だが思い出すのは息苦しさばかりだった。小さな箱の中に閉じ込められたような。
満足に肺も膨らませることができないような、迷宮という小さな箱に、魔物と一緒に閉じ込められる。
迷宮の記憶が蘇る。
息苦しい。
呼吸が早まった。息苦しさが解消されない。
おかしい。
たかだか数歩の距離が遠い。
ここは路地裏で、迷宮ではない。
迷宮ではないはずだ。
なのに魔物がいる。
先頭の、見張りをしていた男が抵抗もできずに路地裏に押し込まれた。動かない。足元に倒れている。それを踏み越えて近付いてくる。
魔物は男たちの半分もないような黒い影だった。
それは目深にフードを被り、外套に身を包んでいる。
子供のような。
だが男たちにはそれが夜影が起き上がって、立体を持ったもののように思えた。
卵から孵るように、影の一部がやぶられた。フードの内側に白々としたものがある。それが柔らかそうな頬の色だとは、とても思えない。
人の姿をしているが、人ではない。
高揚感も、勇気も、瞬く間に失せてしまった。
慌てて短銃を照準しようとするが、手が震えてそれどころではない。
そして、それはもう銃の間合いの、さらに内側にいた。
近すぎる。引き金さえ引けない。
手首を取られる。
関節が外された痛みが他人事のようだ。
フードの中の瞳が、炎の色をしている。
男たちの意識はそこで途切れる。
最後の探索者が帰還に遅れた。
待ち時間は辛い。引き上げ屋は迷宮口の畔で一人、それを待たなければならない。可能ならば延々と待っていたい。だが時間は有限だ。次の仕事がある時は、それが区切りをつける言い訳になる。
だが最後の客の場合は、言い訳のしようがない。
それは諦めだった。信じて待つべき自分が、帰ってくるのを諦める。
それはひどく残酷なことのように思える。慣れることはない。
人通りの少ない路地をミシャは小走りに駆ける。
帰還予定時刻に遅れた探索者たちは一人も欠けることなく無事に帰ってきた。くたくたに疲労して、血みどろだったが、指の一本も欠けていなかった。
無事に地上へ戻った時のほっとしたような顔を見るとミシャは嬉しくなる。
足取りは軽い。
ミシャは行く先に見間違うはずもない姿を見つけて、思わず速度を上げて駆け寄った。
「――ミシャ」
「ランタンくん、どうして?」
会う約束はしていたが、待ち合わせをしていたわけではない。彼の家へ向かう途中だった。
「迎えに来た」
「遅れたから?」
「夜の一人歩きは物騒だから」
「そんな、子供じゃないんだから」
「起重機に乗ってくるって言うんなら迎えには来なかったよ」
「ふふ、ありがとう。うれしい」
ミシャは丸い目を細めて笑った。
「お母さんも褒めてたよ。ランタンくんはまめだって」
「ああ、うん。そう」
ランタンは曖昧に頷き、照れくさそうに微笑んだ。
ティルナバンの治安は次第によくなっているが、夜はまだ物騒だった。
物盗りはいるし、魔物も出る可能性もある。人攫いもいる。探索後の疲労状態の探索者を狙った襲撃者もやはりまだいる。路地裏を覗き込めば鼠の兄弟が残飯を漁っている。そのさらに奥では人影がうごめいている。何か大きな荷物を引きずっていた。もしかしたら死体かもしれないし、ただの泥酔した酔客かもしれない。
小走りだったのは探索者たちが無事帰ってきたことへの喜びと、ランタンに急いで会うためと、そしてやはり夜という状況への警戒心からだった。
「ほら」
ミシャは差し出されたランタンの左手を握る。走ってきたミシャの手よりもランタンの手が暖かい。
それが妙に照れくさい。ランタンはそのままミシャを引き寄せて、肩が触れるような距離で並んで歩いた。
「こういう時、馬に乗れたらいいのにって思うよ」
「どうして?」
「その方が格好いい。あと早く着く」
ならば馬には乗れない方がいいかもしれない、とミシャは思った。
気恥ずかしくも甘ったるいこの時間が早く終わってしまうのはもったいない。
遠回りになるが人通りの多い通りを行くのは犯罪を回避するための鉄則だったが、ランタンは気にせず人通りの少ない最短距離を行く。
この少年はそれが許されている。左手はミシャと繋がれて、ランタンの右手は戦鎚の柄を弄んでいる。
「――煙草のにおい。吸ったの?」
「におう?」
ミシャが尋ねるとランタンは眉を顰め、首を捻り、肩のあたりに鼻を寄せた。
「吸ってない。ちょっと煙いところにいただけ。蹴散らしてきたけど」
「蹴散らしたって、煙を?」
「まあ、そう」
「格好つけて吸ったのかと思った」
「煙草吸ったって格好はつかないよ。吸って恰好いい人は、もともと恰好いい人だよ。つくとしたら臭いだけだ」
戦鎚から手を離し、汚れでも払うみたいに身体を払った。
どう、とランタンが尋ねるので、ミシャは顔を寄せて匂いを嗅いだ。煙の臭いはしない。
清潔な匂いがするだけだ。そう確かめてから、余計に数秒、ミシャはランタンに寄り添った。
「いいと思う」
「そりゃよかった」
沈黙は苦ではなかったが、他愛のない会話も途切れることがない。
「新しい子、入れるかもって。おかげさまで忙しいから」
「そうなの? ミシャに弟子ができるんだ」
「もしかしたら義妹ができるかもしれないけど」
「え!?」
あっと言う間に館に辿り着いた。
ランタンが先に入り、勿体ぶった様子でミシャを招き入れたのは、家人がランタン一人だけだったからだ。
リリオンはアシュレイに相談事があるそうで、彼女と夕食をともにしている。そうなると自動的にローサもくっついていくことになる。
「僕のメイドって言うよりローサのメイドだからな、あいつ」
館にはランタンとミシャの二人きりだった。
我が家なのだから当然だろう、ランタンは調理場で手慣れた様子で鍋を火にかける。
リリオンが作り置きしていったものだ。綺麗に丸められた肉団子と、透明になったタマネギ、四つ割りにされた赤かぶが琥珀のスープに沈んでいる。
ランタンの指先や掌から湧き出す炎をミシャはまじまじと見つめた。魔道は珍しいものではないが、間近で、じっくりと観察できることはそんなにない。
料理を温める炎が二人を暖めた。
「――あれは、さすがにびびった。待ってみたら何かあったのかもしれないけど」
そのまま調理場で食事を摂った。料理は文句なく美味しかった。
「本当にびっくりしたのね。その話、二度目よ」
「あれ、そうだっけ? だって本当にびっくりしたんだよ。あのまま待ってたらどうなってたんだろう?」
「待ってみればよかったじゃない」
「やだよ。絶対碌なことにならない」
ランタンは一度目と同じように嫌な顔をした。
それは、もう一人の自分が存在するかもしれない、という話だ。
迷宮でそのようなことがあったらしい。
話を聞きながらミシャが想像したのはもう一人の自分ではなく、もう一人のランタンだった。
この少年がもう一人いたらどうだろう。
「変な顔してる」
「失礼ね、もともとこういう顔よ」
ミシャは威嚇する獣のように、わざと顔をくしゃくしゃにして見せた。上顎に折り畳まれて隠された毒牙が危うく起き上がりそうになる。
「そうだっけ?」
ランタンはきょとんとした顔を作り、よく見せて、と顔を近付ける。
間合いの内側だった。
ランタンだけが好きに動けて、ミシャは手の出しようもない距離だ。呼気のスープの香りがある。
「まだ、……食事中」
「もう食べ終わったよ」
胡椒の香りが鼻に抜けた。鍋底に沈殿する胡椒粒まで綺麗さっぱり分け合った。身体はぽかぽかと暖かい。首筋にしっとりと汗が浮く。
ランタンの焦茶色の瞳にじっと見つめられると、どうしてか目蓋を閉ざしたくなる。
「……お風呂、に、先に」
ミシャは辛うじて呟く。
そのつもりで来たが、調理場では幾ら何でも不健全な気がしたし、仕事が終わって急いでやってきたのだ。着替えこそしたが、洗ってはいない。
先に、と鸚鵡返しにしたランタンに、小さく頷く。
風呂は疲れや緊張を洗い流すと言うが嘘だと思う。
ミシャは広々としたランタン邸の湯船に一人浸かった。
特別な石材をたっぷりと浸かった贅沢な浴場だった。少しだけ気後れする。
何度も使ったことのある浴場だったが、どうにも居心地が悪く感じてしまうのは一人だからだろう。リリオンやローサと一緒に湯に浸かる時は感じない。それは女同士の楽しい時間だった。
居心地の悪さの正体は、愛するものを共有するリリオンに対する小さな罪悪感だった。ランタンと逢瀬を重ねるのは、これまでずっとミシャの部屋だった。アーニェに会うことを恥ずかしがり、ランタンは窓からやってくることが多かった。
ここはランタンと、そしてリリオンの家だ。
そんな風に思う。
ミシャは裸身を隠すように、すっかりと肩まで湯に埋まった。
物思いに耽っていると、当たり前のようにランタンが後からやってきた。
ミシャはランタンをじっと見つめる。
洗い場に流れ出した湯を踏み付ける足音の軽さが、少年の体重の軽さだった。
ランタンは掛け湯をすると、そのまま身体を洗い始める。小さくなって、神経質に身体を擦る様子は小動物の毛繕いを思わせた。
丸めた背中に浮いた、背骨や腰の形は華奢であっても男のそれだ。まだ癒えぬ傷が散見したが、探索者にしては控えめなものだった。痕になるような傷がない。
腸が零れるような傷を負ったことがあるとは到底思えぬ身体だった。
ミシャは湯の中にある自分の身体と比べる。
尖ったところのない、丸みを帯びた女の身体。悪くはない、と思う。長く隠してきた身体の鱗も、ランタンはいつも褒めてくれる。
それはミシャを勇気づけ、喜ばせた。
好きな男に褒められることはやはり嬉しい。
見比べたのはランタンの身体だったが、しかし頭の中で思い比べたのはリリオンやレティシアの均整の取れた肉体だった。
彼女たちとは裸の付き合いがある。
嫉妬すら起きない彫刻のような肉体と比べると、自分の身体はいかにも弛んでいるように思える。
衣服を失うとそれがすっかり露わになったような気がして、ミシャは湯の中で膝を抱えた。
もし自分も探索者だったら、あんな風な身体になるのだろうか。ふとそんなことを思った。彼女たちといる時は思いもよらない考えだった。
いや、しかし違う。身体の変化などどうでもいい。
ランタンとの関係が、どう変わるかが気になるのだ。
命を預け合うような関係であれば罪悪感も薄らぐだろうか。
身体を洗い終わったランタンがミシャの前を堂々と横切り、湯に入った。
「どうしたの?」
「なんでもない」
ランタンの問いかけをミシャははぐらかした。答えようもなかった。
ランタンは、ふうん、と呟くだけで湯の中に足を伸ばす。
これまでと一転して会話はなかった。
湯が波打つ音だけがする。
苦でないはずの沈黙が気まずく思えて、ミシャは横目にランタンを盗み見る。
くつろいだ様子の横顔が大人びて見えた。少し寂しく思えるのは、出会った頃の弱々しかった面影がまるでないからだ。
立派になった。
「――!」
ミシャの身体を何かが撫でた。まるで魚が尾びれでそっと肌を撫でたようだ。くすぐったくてミシャは身を捩った。
ランタンへ視線を向けるが、少年はそっぽを向いている。
ランタンにはこういう所がある。
また触れた。今度はもっと大胆だった。ミシャがそれを無視すると、触れたものは腰を巻いて内腿にまで伸ばされた。
「ランタンく――」
咎めようとしたのか、受け入れようとしたのか。
感情がぽんと投げ出されたのは、ミシャが湯から引きずり出され、持ち上げられたからだった。
「――きゃあ!」
何が起きたのかまったくわからなかった。
一瞬で天地が逆転する。湯面が真下にあった。真っ黒い湯船がきらきらとして夜空のようだ。太ももから脛へ、足首に湯が絡みついている。まるで大蛸の脚のようだった。
湯の中に魔物が潜んでいた。ミシャはそう思った。
そしてそれはあながち間違いではない。
それは水質浄化用の不定型生物だったが、まさかミシャはそんなものが湯の中に沈められているとは思っていない。
ランタンは知っていたが、それは檻の中にしっかりと封じられているはずだった。
しかし驚きよりも早く、ランタンは湯から飛びだしている。
「ミシャっ!」
名を呼ばれるだけで混乱が解け、恐怖が遠ざかってゆくのを感じた。
ミシャは逆さまの視界に、ランタンの裸身の変容を見た。
濛々と真白い湯気を身に纏う少年の身体が、はっきりと探索者のそれとなった。拳を握る。前腕が筋張り、二の腕の力こぶが膨らみ、胸筋と背筋が厚みを増した。
空中にいるのに、そこに静止しているように思う。
正拳突きが不定型生物の脚を粉砕した。ミシャに絡みついていたものが形を失って崩れる。
ミシャはそのままランタンの胸に抱きとめられた。
――ああ、これだ。
ランタンが着水した。王冠のように水飛沫が広がったというのに、ミシャはまだ宙にいるかのようにふわふわした気持ちだった。
ランタンの胸の中は穏やかだった。
だが不定型生物は脚の一本を失っただけだ。ざわざわと湯面が逆立ち、突き出た不定型生物はまさしく蛸のような八本の脚となってランタンを狙った。
「ふ」
ミシャは笑い声を聞いた。
ただ半身になっただけで、八本脚が尽くランタンを素通りする。
ランタンは片腕でミシャを抱いたままざぶざぶと湯を蹴って、その根元まで進んだ。通り過ぎた八本脚は慌てたように折り返し、だがもう遅かった。
ランタンは湯の底にある檻を拾い上げた。
檻は格子の一部が大きく広げられており、そこに八本脚の根元があった。ランタンはそれを引き千切る。八本脚はあっという間に崩れて、湯に同化した。
不定型生物は湯の中の汚れを餌にし成長する。しかし檻の内側には棘がついており、不定型生物が大きく育つと、これを傷つけ体積を減少させる。そういう残酷な仕組みだった。
育つ速度が速すぎたのかもしれない。傷ついてなお成長した。
原因は魔道ギルドが説明と違うものをランタンに渡したか、あるいは餌が良すぎたかのどちらかだろう。
ランタンはまだはみ出た不定型生物を檻に押し込めて、拉げた格子を力尽くで元に戻した。
檻を洗い場に引き揚げる。餌がなければ大きくはならない。そのはずだ。
「よし」
「……本当に?」
ミシャは恐る恐る尋ねる。
「何があってもちゃんと守るよ。誰にも渡さない」
ランタンはミシャを抱いたまま、ゆっくりと湯に身体を沈めた。
ミシャは大人しくランタンの胸の中にいた。
「痛いところはない?」
「うん、大丈夫」
「本当?」
「嘘なんて言わないわ。本当に大丈夫よ」
「じゃあ、いい」
そう言ったが信じていないような声音だった。
その癖に、こういう時はべたべたと触って確かめようとしない。ただミシャを抱き寄せる。
「信じてないでしょう」
ミシャはそのままランタンの首に腕を絡める。
顔を見るのはやはり恥ずかしかった。耳元に唇を触れさせる。
「確かめて、ランタンくん」
そう言って、しかしミシャは確かめようもないほどランタンに抱きつく。




