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敵は多い。
ランタン自身がそれを自覚している。
探索者としての活動は、それがそのままランタンの活躍だった。そして活躍すればするほどに目をつけられる。悪循環だ。
反探索者同盟や迷宮解放戦線というような活動家たちから賞金がかけられている。彼らの信条とは相容れぬ存在だった。
それだけはなく恨みもずいぶんと買っていた。自衛のため、という言い分はあるが、それにしてもランタンの手は、赤にも青にも血に染まっている。
そのせいで親しい人たちにも害が及ぶことがあった。ランタンを脅す材料にするためであったり、あるいは本人には敵わないからそこで憂さを晴らそうというような。
敵は全て蹴散らせばよい。だがそれは不可能だ。次から次に湧いてくる。きりがない。先手を打てることなど稀だ。どうしても後手に回らざるをえない。
今はまだ対処に間に合っている。だがもしかしたら、いつか手遅れになる日が来るのかも知れない。
日常と非日常は地続きにある。
ランタンが打てる先手と言えば、それは孤独になることかもしれない。
「そのためだもん、好きな部屋をミシャの部屋にしていいよ」
だがランタンは手放さないことを選んだ。
選びきれなかったのではない。
全てを欲し、その覚悟を決めたのだ。
「義妹だか、義弟だかができるんだろ?」
「かもしれないって言うだけよ。ただ、どうせなら住み込みでって。――お母さんが、私がランタンくんの所に行くから部屋が空くって。片付けさせるための方便よ。だから綺麗になさいって」
ミシャは少し切なげに笑った。
「アーニェさんだって、こっちに移ってもらっても構わないよ」
「そしたらちゃんとお義母さんって呼んでくれる?」
「……その発音は、したことないからな。あー、おー、あー? なんだっけ? その発音の筋肉が喉にない」
「もうっ」
ミシャはランタンの脇腹を抓った。すべすべした肌に、抓めるような脂肪はほとんどない。肌が指の腹を滑り、逃げ出す。そのせいでむしろ余計に痛そうだったが、ランタンは表情を変えない。
裸で、二人。
ベッドの上でランタンは組み敷いたミシャを見下ろす。ミシャは喉を晒すように顎を持ち上げる。
「ランタンくん。……んっ」
ランタンはミシャの下唇を甘く噛んだ。
ミシャがランタンの背中に手を回し、その身体を引き寄せる。左の手がランタンの項を滑り、頭を乱暴に掴んだ。小さく形の良い頭部。黒い髪を握り締める。そこにはまだ湿り気が残っている。身体にはまだ湯の温もりが、だが髪は軋むように冷たい。
「好き、ランタンくん、――好きよ」
噛み付き返したミシャは歯の間にランタンの唇を捕らえながら繰り返した。
いつものミシャとは少し違う。ランタンはその事に気が付いた。
ミシャの部屋でする時、彼女はもっと受け身だった。近くに、すぐ側にアーニェの存在があるから気を使っている。ランタンもそうだ。
「あぁ――ぁ、ミシャ」
肺から息が漏れるような切なげな呻き声がミシャの鼓膜を揺する。
足を絡げる。ミシャの肌を飾る蛇の鱗が闇の中で陶器のように艶めかしく滑った。ミシャの口の中に唾液が溢れる。それが舌を伝ってランタンの口腔に流れ込んだ。
生暖かい。
ミシャは口を塞ぐように唇を押し当てる。ランタンの口の中にミシャの舌がぬるりと滑り込んだ。
蛇人族の舌だった。蛇人族の中には先端の割れる、二枚舌の特徴を持つものもいるがミシャはそうではない。
だがいつもはそれほど意識しない舌の長さが妙に意識された。自分の舌の根元に、ミシャの舌先がある。
ミシャは遂に両手でランタンの頭を抱き寄せる。隙間なく唇が重ねられ、呼吸する鼻先がこそばゆい。
「んんーぅ!」
淡い突起の陰影。ランタンの控えめな喉仏が、はっきりと上下する。唇が離れ、細く糸を引く。
「……タンパク質の味がする。ミシャの味だ」
唾液にはミシャが体内で合成し、分泌する毒が混じっている。だがそれは胃液に無毒化される。ランタンは毒のあるミシャの身体を少しも恐れない。
その毒は微かな甘みを感じさせた。
ぬらぬら光るランタンの唇をミシャはひと舐めする。ランタンは驚いたような、うっとりしたような眼差しでミシャを見つめた。
ミシャが笑った。その顔がアーニェの顔によく似ていて、どきりとするような色気を感じさせる。
ミシャの手がランタンの下腹部に伸びた。
「硬くなってる」
ランタンは苦しげに呻く。
「だって」
叱られて言い訳をするような言葉が漏れた。
力の差は歴然だった。ランタンがその気になれば、ミシャを好き勝手にできる。だと言うのに蛇に睨まれた蛙のようにランタンは自由を奪われる。
それは刷り込みだった。ランタンとミシャの間には覆しきれぬ、そして覆そうとも思わぬ精神的な上下関係がある。
「ランタンくん」
「なに?」
「下になって」
どうして、と視線で語ってもランタンはそれを口にしなかった。ひどく従順に、ミシャの背中をそっと支えながら、もぞもぞと緩慢な動きで二人の上下を入れ替えた。
最後の抵抗のように肩の辺りを浮かしていたランタンの胸を押す。ベッドに背中を預けた。大きな枕の中で顔が小さくみえる。
あらゆる悪党から死神のごとく恐れられているこの少年をミシャは見下ろした。
童顔の、甘やかな顔立ちだった。ミシャはランタンの柔らかい頬を撫でる。爪を立てただけで切り裂けそうな肌だった。
掌にランタンは頬を押しつけた。
「ミシャ」
名を呼ばれてミシャは喜びに震えた。
ミシャはランタンの腹部に跨がって、そっと体重を預ける。ランタンが呼吸をする度に、ゆっくりとミシャの身体が揺れる。薄い脂肪の下に腹筋の塊がある。
熱い。
汗ではない。
ランタンの臍にじわりと水溜まりができる。
ミシャが腰を浮かすと湿っぽい音がした。毒蛇が獲物を狙い水辺を静かに移動するような。
「私は、平気よ」
そう言ったミシャの唇が微かに戦慄く。ランタンは少女の太ももを撫でる。不定型生物が巻き付いた方の脚だ。鱗がいやに白々しく目立つのは、赤らんだ肌でそこだけが色が抜けているからだ。
「確かめて、ね?」
ミシャはほんの僅かに位置を後ろに下げ、ゆっくりと、ゆっくりと腰を沈める。
ランタンの腰回りが緊張した。
「んっ」
「うあ……ぁ……っ、ぁぁっ。ミシャっ――、だめっ!」
ランタンの口から苦悶にも似た快楽の声が零れる。
探索者であるランタンならば決して口にしない声だった。骨が折れようと、血が流れようと歯を食いしばって耐える。だがそんなランタンが声をまったく我慢できなかった。
無遠慮にぎゅうっと締め付けられたように、声が絞り出される。
ミシャの背筋が歓喜に震える。もっとその声が聞きたいと思う。
ランタンは腕を伸ばした。まるで押し退けるみたいだった。だがその手がミシャの豊かな胸に埋まった。
仕事着に包まれている時に目立たぬことが不思議なほどの肉体だった。
ランタンの指が沈み、その間から収まりきらぬ柔らかさが溢れる。心音が遠いほどの肉の厚みだった。ずっしりと重たい。胸の下に蛇鱗が密集している。
柔らかくも、しかし皮膚よりも硬質な鱗は、その女の膨らみをしっかりと支えていた。
上下する。
「んっ、ふっ、ふっ、ふうっ、ん、ん、んっ――」
ミシャは唇を白くなるほど噛んで、激しく身体を搖すった。沈む度に、押し出されるようにと息が漏れた。それは官能的で、だが同時に拙い動きだった。
彼女たちのようには動けない。その時を目にしたことはない。だがそれぐらいのことはわかる。これは一種の戦いであり、彼女たちはその身を武器に戦い、ミシャはその経験に乏しい。
いつもはランタンが一方的に攻めて立て、その時々にミシャの僅かな、抵抗とも呼べぬような攻撃があるだけだった。
いつもはしてもらうばかりだ。
愛することに理由はない。色々な関係に複雑に絡み合った、その中にある戸惑いや罪悪感、負い目や悩みも、それをやめさせることはできない。時に苦しいほど悩ましいそれらを捨てることよりも、この気持ちを捨てることの方が圧倒的に苦しい。
ただ選ばれただけではない。
ミシャもまた自分で選んだのだ。
だが自分の愛は、自分が愛したものにどのようなものを与えるだろう。
例えば快楽はその一つの要素に過ぎない。自分が与えられるものはどれぐらいだろう。彼女たちの鍛え抜かれた肉体は、この愛しい少年をどのように愛するだろう。
自分よりももっと素晴らしいものをこの少年に与えているのかもしれない。
嫉妬、対抗心、独占欲、負い目、謙遜。
どの言葉もしっくりとはこない。
もう息が上がった。全身から汗が噴き出す。恥ずかしいぐらいに身体がぬらぬらとした。毛先から飛び散った汗が、まるで身体から鱗が剥がれるみたいにきらきらして、ランタンの肌の上で弾けた。
それは比べることのできないものだ。でも、だからこそ考える。考えて、考えて、いつも同じ答えに辿り着く。
それでも私が与えられるものを与えたい。
ミシャは身体を前に倒した。胸を掴んだままのランタンの腕が曲がった。もう片方の手がしがみつくように、ミシャの尻の肉を掴む。細い指が肉に埋まった。
柔らかい。
押し潰すみたいにランタンに口づけた。ランタンの方が目を瞑った。ぎゅっと。唇を押しつける。少しでも離してしまうと声を堪えることができない。ランタンの口が半開きになる。喘ぐような呼吸を繰り返す。
挑む。
そうだ、これかもしれない。
「んー!」
呻いたのはミシャだった。腹の中がいやに熱い。自分でさえ触れられぬ所に、ランタンが触れているのを実感する。
「うっ、んっ、あん、あっ、んぅぅっ!」
ミシャはランタンの唇を噛んで、声を閉じ込める。
「ミシャ」
息の上がった声でランタンが名を呼ぶ。視線だけでミシャは応える。動き続ける。
「ミシャ、ミシャ。ミシャの声、聞きたい――」
蛇が獲物を窒息させるように締め付けられて、ランタンの腰が跳ねた。ミシャは身体全部を使ってランタンをベッドに押しつける。まるで黙らせるみたいに。だがランタンは繰り返す。
「ミシャの声、聞かせて」
「うう……――っ、んランタン、くん」
声を堪えるのは癖になっている。
ミシャの部屋は狭く、壁は薄く、同じ階で眠るアーニェのことを忘れることはない。
恥ずかしい。身体が火照った。全身が真っ赤になって、鱗の白がそれをより赤く見せた。
ミシャの情欲と羞恥が隠すことのできない色となって肉体に表れた。
乱暴にしがみつくミシャの背にランタンの腕が回った。濡れた身体をそっと抱きしめる。
ミシャの丸い瞳がどうしようもなく潤んだ。
「ランタンくん」
「うん」
「ランタンくん、好き。大好き」
耳元で囁く声がどうしようもなく熱っぽい。それでいて泣き言のような震えがある。ランタンが下から、小さく身体を搖すった。それがまるでねだるみたいに思えて、ミシャは再び動き出した。ランタンにしがみついたまま身体を動かす。
「ランタンくん、ラっン、タンく、――んっ、ランあ、タっ、ンくん、あぁ、っ、ん、すき、あん、は、すき、だいすき」
名を呼ぶほどに頭の中にランタンの姿が思い浮かんだ。言葉は乱れた。自分がいつもされている時のように、ランタンがそうするように身体を動かしているつもりだったが、ぐちゃぐちゃだった。
「ミシャ、うぅ、ミシャ、すごい――っ、うぐ、あっ、あっ、もうっ」
ランタンは圧倒された。抵抗の余地もなかった。
熱く柔らかな肉体がランタンの上を這い回る。大きな白い蛇が巻き付いたような、ミシャの身体に浮かぶ鱗が、それ自体が光を放つように輝いている。
白い蛇に巻き付かれたみたいに、ランタンの肉体が捩った。
他の男ならこうはならない。
ミシャは美しかった。
それは月明かりの美しさだ。
太陽に照らされるがゆえの輝きだった。
その眩しさにランタンの視界が真っ白に。
「―――――っ!!」
先に果てたランタンを追うように、数秒遅れてミシャの肉体が激しく痙攣した。ランタンに抱きつく。その首筋に噛み付いた。ミシャの痙攣がランタンをさらに追い立てる。ランタンの喉が、本人の意思とは無関係に少女のような声を発した。
ぎゅるりと搾り取られた。
弛緩したミシャの肉体がランタンに寄り掛かった。荒々しい呼吸だけを繰り返す。抱きしめることも、押し退けることもできなかった。
しばらく呆然として、正気を取り戻すのに時間がかかった。
汗はまだ引かず、だがどれだけ時間が経ったのかも定かではない。身体は芯まで熱かった。
「ミシャ」
「……ん、ランタンくん」
ミシャは唇を内側に丸めて、恥ずかしそうにした。
ちらりと窺うようにランタンを見て、懐かしさに襲われる。
本気なのか、冗談なのか。
ランタンの視線は妙に気弱げで、臆病な感じがした。
ミシャは笑う。その形の唇でほっぺにキスをして、その視線を覗き込んだ。
「ふふ、ランタンくん。どうしたの?」
視線を逸らされる。これも懐かしい。目が合うまでになかなか時間がかかった。
「負けた」
「あら、勝ち負けなんてないでしょ?」
「……あるんだよ。男には」
「そうなの? んふふ、大変だね。男の子は」
ミシャは鎌首を持ち上げるみたいにゆっくりと身体を起こし、髪を掻き上げた。汗が胸の谷間を流れ落ちた。
「僕、あんまり負けたことないんだよ」
ランタンがせめてもの強がりを言う。それは事実だとしても、少し配慮に欠けた言葉だったかもしれない。
でもそういう男の子を好きになったのだからしかたがない。
それがようやく外気に触れてランタンがびっくりしたみたいに身体を震わせた。
その顔がおかしくて、ミシャは声を出して笑った
ランタンが拗ねたようにむっとする。
「そんな顔しないで。ほら、大丈夫だったでしょ? だから、次は――私のこと、負かしてくれる?」
ミシャはそれでも笑うことをやめられず、本心からそう言った。
「言ったな、ミシャ。後悔させてやる」
「後悔なんてしないわよ」
再び上下が逆転し、探索者らしい力強さを取り戻したランタンがミシャを組み伏せる。
「大好きよ」
先手を打った。ランタンは後手に回る。
「それよりも、僕の方がミシャのことを好きだよ」
「ん。ふふ、勝負なんだもんね」
ランタンはその噛み付くみたいにミシャに口付ける。
勝ったり負けたりを繰り返して朝になった。
ランタンは腰にある重たい疲れに目覚めてからもしばらく起き上がれなかった。隣でミシャが寝ている。
今なら完璧に勝てるかもしれない、と不埒なことを思う。
だがミシャがその気配を察したのか目を覚ますと、まったくそんなことを考えていたとは思えない表情を取り繕った。
「おはよ」
「……うん、おはよう」
ミシャは寝ぼけ眼を何度か瞬きし、それからすぐに赤くなって顔を隠し、その後にようやく裸であることに気付いたように布団をかき寄せる。
「隠さなくてもいいじゃん」
「だって、――朝よ」
うう、と唸るミシャが愛しくてランタンは思わずにやつく。ミシャは丸い目を細めて睨んだ。ランタンはひやりとする。自分を半分、いや半分以上負かした相手だった。
「ああ、爽やかな朝だな。素晴らしい」
夜の内に雲は流れ、秋の冴え冴えとした陽射しが窓から差し込んでいる。ランタンはようやく重い身体を起こした。身体を巡る血がどろどろしている気がした。身体を伸ばし、深呼吸をして、頭に酸素を補給した。
「朝、――今何時だろう?」
「えっと」
ミシャも前を布団で隠しながら身体を起こす。ベッドの脇には探索用の、そして引き上げ用の時計が投げ出されている。どちらも秒針までぴったりと整合している。
それを手に取ることはなかった。
扉がノックもなしに開かれた。
「あ、ようやく起きた」
リリオンが顔を覗かせた。
ランタンとミシャがびっくりしている顔を見て、楽しそうに微笑んだ。
「もうそろそろお昼よ。二人ともお寝坊さんなんだから」
「えっと、うん」
「お姉さまにお料理持たせてもらったから温め直してるの。みんなで一緒に食べましょ。お腹空いてるでしょ?」
「空いてる」
「やっぱり。うーん、でも、その前にお風呂ね」
「うん、そう」
ランタンは頷いた。ミシャはまだ驚いて固まっている。
「おねーちゃーん、こげるー!」
「わかった、いま行く! 火から外しておいて!」
階段下へ振り返ったリリオンが、再びこちらに顔を向けた。
「じゃあ、わたし行ってくるね。あんまり長湯だと真っ黒焦げになっちゃうからね」
「わかった」
頷いたランタンに満足して、リリオンは扉を閉めた。
かと思えば再び顔を覗かせる。
「どうしかした?」
「おはようわすれてた。おはよう、ランタン。おはよう、ミシャさん」
「ああ、おはよ。リリオン」
「おはよう、リリオンちゃん」
「うん」
リリオンはそれだけで嬉しくて堪らないといようににんまりと笑った。
「おねーちゃぁぁぁぁんっ!」
半開きに閉められた扉の隙間から、妹に急かされて軽やかに階段を下る足音が聞こえる。
ミシャは溜め息を吐いた。
「かなわないかも」
「……勝ち負けなんてないんじゃないの?」
「あるのよ、女の子には」
「ふうん」
「それが挑まない理由にはならないけどね。私、やっぱりリリオンちゃんのことも大好きだわ」
ランタンは大きく欠伸をする。
「ふわ、奇遇だね。僕もだよ」
「嫌われないためにさっさとお風呂入りましょ」
「うん、ああ、そうだな。あー、べたべたする。うわ、さみぃ」
二人して一つの掛け布団に包まって部屋から出る。
それから身体を流し、ほんの少しだけ焦げた昼食をみんなで摂る。
迷った分だけ挑戦してみた。




