332
332
「これがねえ。そんなに良いものか」
ランタンは仰々しく手渡された鋼材を、丁重に商人に突き返した。
「滅多に出ない掘り出しものですよ!」
「そうか、それはいいな。ならこうしよう。職人ギルドか魔道ギルドに鑑定に出して、その証明書を貰ってきてくれないか」
それは、と口を挟もうとした商人がランタンの冷ややかな視線に口を噤んだ。子供の姿に騙されていた。彼が今目の前にしているのは探索者ランタンだった。
「そちらの言う通りに、とてもとても素晴らしい掘り出しものなら言い値を支払おう。もちろん鑑定料込みで」
ランタンは淡々とそう言うと、微笑みの一つもなく、ではさようなら、と命乞いをする相手に告げるようにさらりと言い放った。
それまでかなりの粘りを見せた商人だったが、ついに肩を落とし鋼材を包むと扉から出ていった。
「ガーランド、お見送りを。……それから塩撒いておいて」
ランタンの小声にガーランドは律儀に頷いて、しかし机上の砂糖入れから、角砂糖を一つ触手を使って取り出して持っていった。
塩の代わりに撒くらしい。ランタンは文句を言わなかった。
溜め息を一つ吐き、腕組みをした。
リリオンが武器を求めているという噂がどこからか広まっているらしく、館には妖しげなものを売りつけに商売人が訪れることがこのところ多くあった。
まともな商人もいたが、リリオンの求める品質には足りず、しかしそれはマシなことだ。先程の商人はおそらく詐欺師だった。
ランタンの金払いのよさは職人や商人たちにとっては周知の事実だった。しかし金払いがいいと言うことを、騙されやすさや押しへの弱さと勘違いしているものたちも一定数いた。
商人たちばかりだけではなく、街を歩いていると見知らぬ探索者からなまくら刀を売りつけられそうになる。舐めているとしか言いようがない。
かつてより最近のランタンはかなり気安い存在だった。かつてのランタンならまず無視をして、それでも諦めないようなら腕力にものを言わせただろう。
今はもちろん、そんなことはしない。
ランタンは角砂糖を舌の上に一つ乗せ、それを口の中でゆっくりと溶かした。素朴な甘みが口いっぱいに広がる。
すっかり溶かしきると、時計を見て、部屋を出た。
リリオンの部屋の前に行き、扉をノックする。
「開けていい?」
「だめー!」
「めー!」
姉妹の拒絶する声が聞こえてきて、ランタンは嫌がらせのように扉を連打した。
リリオンが扉を半分開けて顔を出す。
「やめて」
それだけ言って扉を閉じようとするので、ランタンは咄嗟に爪先を挟んだ。リリオンが視線を爪先に向け、それから再びランタンの顔を見た。困ったような視線だった。
その視線にランタンは少しの満足感を覚える、困らせようとしていたからだ。
「まだ? 僕の方の用事はもう終わったんだけど」
「まだ。もうちょっと待ってて」
「あとどれぐらい?」
「もう、ちょっとよ」
「もうちょっとって百年後?」
「そうよ」
リリオンは自分の爪先をランタンの爪先にくっつけて、ぐりぐりと一回り小さい足を押し返す。ランタンは意地を張らずにそのまま押し返された。
ランタンは肩を竦める。リリオンは申し訳なさそうに微笑む。
「すぐだから、ごめんなさい」
「――いいよ。じゃあ百年後に」
閉ざされる扉の隙間から鏡に向かっているローサの姿がちらりと見えた。
ランタンは玄関広間に降りて、二人の準備が済むのを待った。待つ間にふと広間に飾られている馬像に跨がったことにさしたる理由はない。
その馬像はもともと物質系の魔物だった。砕けた欠片を迷宮から運びだし、復元したものだった。
広間の中心に飾られた姿はなかなか堂々としたものだった。
傍目にはただの陶製の馬像である。だがやはりそれが魔物であることにかわりはない。
砕けた際にそれは魔精結晶を生み出した。その時点で魔物は命を失っているはずだ。だが破片を繋ぎ合わせて復元し、全身に及んでいた罅や欠けはいつの間にか失われていた。
怪我が治癒するように。
そして、そればかりではなく馬像は成長していた。
以前にランタンが跨がった時には、まだ爪先が床に着いた。
秋の冷気に染まりひんやりとした馬像の背中にランタンは股ぐらを押しつけ、爪先が付かないことに気が付く。あれ、と思い目一杯に膝を伸ばし、精一杯に爪先を真下に向けるが床は遠かった。
一瞬、自分が小さくなったのかもしれないとひやりとした。
「大きくなってる」
ランタンは奴隷の首輪を巻かれた馬首を撫でた。もしかしたらその内に鬣も生えてくるかもしれない。そしていずれ動き出すのだろうか。
「こいつ、生きてるのか?」
ランタンは馬像から降りることなく考え込んだ。意識や命が迷宮から生み出されることを考えている内に、ランタンは少し苛々するみたいに身体を前後に揺らし始める。
「――お待たせ、ってなにしてるの?」
リリオンの声にランタンははっとして振り返った。
そして自分がまるで乗馬ごっこをしているように見られたかもしれないと思うと、急に恥ずかしさが込み上げてきた。爪先が床に着かないことがそれに拍車をかけた。
「……いや、別に」
ランタンは素知らぬ顔で馬像から降りる。
リリオンの背後から驚かそうとするように飛び出してきたローサが満面の笑みを浮かべた。
「ローサのせなかにのる? のってもいいよ! ローサがはこんだげる!」
「いや、乗らない。大丈夫」
ランタンが平静を装うために素っ気なく言うとローサは不満気に、なんで、と言った。
「なんでって――」
ランタンは一瞬リリオンの方へ視線を泳がせる。
リリオンは髪を綺麗に纏めていた。かつてランタンがしてやったように細く編んで、それ自体を髪飾りのように頭部に巻き付けている。よく似合っていた。
「なんでって、背中に乗ったらせっかく綺麗にやってもらった髪がよく見えないだろ。ほら、顔をよく見せてごらん」
ローサは肩に触れるかという長さの金髪を緩く巻いていた。ローサの自身の炎で熱したこてを使って、金の髪にくるくると癖を付けたようだった。
いつもの真っ直ぐで素直な髪は活発な印象を与えるが、緩く巻かれた髪を揺らすローサからは少しだけ甘い雰囲気を感じられた。
いつもみたいに乱暴にせず、ランタンはそっとその髪に触れる。
「よく似合ってるよ」
「ほんと!?」
「うん、百年待った甲斐があったよ」
「ひゃくねん?」
ローサは首を傾げ、けれどだらしなく頬を緩めた。
ランタンはほっとして、またリリオンに視線をやった。
「どうせなら首から下もやってやればよかったのに。この恰好でいいのか?」
「だってそれがいいって言うんだもの」
二人の少女がランタンを待たせたのは出かけの準備だったが、しかし迷宮へ行くわけではない。
だがローサは革の鎧をきっちりと身につけて、槍を背負っている。
「せめて槍は置いていかないか?」
「や!」
ローサは槍を隠すように身を捩った。
「おにーちゃんたちといっしょ!」
それから指摘するようにランタンの腰に提げられた戦鎚を指差した。
何故、自分だけ武器の携行が許されないのか。ローサの指先はその不公平を雄弁に訴えている。
「それもそうだな」
迷宮に、戦いに行くわけではないがランタンもリリオンもそれぞれ武器を携えている。
槍とおめかしをしたその髪型の取り合わせに違和感があるわけではなかった。結局のところまだローサと槍が馴染んでいないのだ。ランタンは腰の戦鎚をもう肉体の一部だと認識していた。
「そうよ。結局、グランさんの所に行くんだから、持っていっても変じゃないわよ。ランタンこそ、そんな恰好でいいの?」
「なにかおかしい?」
「今日は風があって寒いわよ」
リリオンはランタンがいつもの探索装束であることをすっかり見抜いていたようで、手にしていたマフラーを少年の首に巻き付けた。ランタンは少し窮屈そうに首を動かす。
「じゃあ、行ってくる。本当に留守番でいいのか?」
「構わん。今日は寒い。――それに家を空にしては番犬の意味もないだろう」
そう言うガーランドに見送られて館を出る。
ローサは何度も振り返ってガーランドに手を振り、ガーランドは扉を閉める機会をその度に見失って結局三人の姿が見えなくなるまで玄関の外にいた。風は冷たい。冬はそう遠くはないだろう。
門を出てすぐの所に蟻がたくさんうろうろしていた。
「あんまりお転婆にするなよ」
それを丁寧に一匹一匹踏み潰そうとするローサの手を引く。
リリオンが反対側のローサの手を取った。
ローサが笑う。手が暖かい。
三人は酒と道中で購入した焼き栗を手土産にグラン工房へやってきた。
「ああ、いつも悪いな」
季節関係なく炉の熱で肌を赤銅に焼いたグランは受け取ったそれを弟子に渡す。
「ローサおみせのほうみてていい?」
「いいけど、売りもんに触るなよ。指落ちるからな。指落ちたら手、繋げなくなるぞ」
「わかった」
頷いて店の方へいこうとするローサをグランが引き止める。
「酒の礼だ。持っていけ」
「わあ、きらきらもらった!」
それは色取り取りの金平糖だった。
「お礼言いな」
「ありがとうございます!」
ローサは星屑のようなその砂糖菓子一粒口に入れて、跳ねるような足取りで店の方へ駆けていった。グランは老人らしくその浮かれた後ろ姿に脂を下げる。
「一気に食うなよ! ――ありがとうございます」
「ああ、気にするな。炎虎ってのは俺らにとっては神さまの使いみたいなもんだからな。機嫌をよくしてもらわないと仕事にならん」
グランはそう言うとランタンとリリオンを応接室の方へと通した。
グランは年季の入ったソファにどかりと腰を下ろして、さっそく話題に入った。
「それで今度の剣はどうだった? 保ったか?」
「はい」
「お、そうか」
リリオンは鞘ごと剣を外してグランにそれを渡した。
グランは鞘から剣を抜き取って、刀身の調子を確かめる。眉間に深く皺が寄り、真剣な表情をしていた。鍔元を叩いて、その音色に耳をそばだてる。
「罅か。中で割れているな。保ったと言うよりは保たしてもらったって感じだな」
グランはリリオンのための剣を作るのにかなりの試行錯誤を行ってくれていた。
そしてリリオンも自分の身体の使い方を同じように模索している。
力を抜くのではなく、技でもって武器を壊さないようにしたのかもしれない。
しかしそれは戦いの中ではやはり雑事だろう。本来、意識するべきではないことだった。武器を信用し切れてないと言うことに他ならない。
「まったく、困ったな」
グランはがりがりと頭を掻いた。リリオンが申し訳なさそうな顔をすると、それを否定するように手を振った。
「客の求めに充分に応える。可能ならば求め以上のものを作る。それが職人の務めだ。むしろ悪いのはこっちの方だろう。これでも結構、腕はあると自負してたんだがな」
白い髭に覆われた顎を揉むグランは、困った困ったと繰り返しながらもどこか楽しそうでもある。根っからの職人であり、同時に研究者気質の老人であった。探求すべきものができたことが喜ばしいのかもしれない。
「正直な話、坊主に作った戦鎚とそう強度は変わらないはずなんだよ。以前に折れたやつは」
「そうなんですか?」
「そうだよ。同じぐらいの値段しただろ」
「覚えてないです」
「――つくづくいい客だな、坊主は」
グランは呆れたように言う。
「もちろん剣と鈍器じゃ使いようは違うが、坊主だって相当乱暴な使い方をするだろう」
「覚えてないです」
「――乱暴な使い方してます」
惚けたランタンに対して、リリオンが真剣な表情で言う。
「二人は同じ迷宮を探索してるし、救護制度もあって坊主の方が探索回数は多い。なのにこの差だ。嬢ちゃんだって、もう相当の使い手だろう? 変な使い方をしている訳じゃない。なのに折れる、壊れる。その原因は力の差だけじゃなかろうよ」
「じゃあ、何の差なんです?」
「素質だな」
グランの言葉に、リリオンがふいに不安げな顔になった。恐る恐る尋ねる。
「……探索者としての素質ですか?」
「いや、違う。言うなれば武器を育てる素質だな」
「なんですか、それ」
ランタンは胡乱げな視線をグランに向ける。
「戦鎚も剣も武器、――要は道具だ。道具ってもんは使えば使うほどに消耗する。消耗ってのは弱まるってことだ。切れ味が鈍ったり、それこそ欠けたり折れたり曲がったり。だけどな探索者とともに、何度も何度も迷宮をくぐり抜けた道具は強くなる。――こともあると言われている」
「と、言われておりますか」
言葉尻に噛み付いたランタンに、グランは開き直ったように頷いた。
「妖刀魔剣の類いは、最初っからそうに生まれたもんと、そうでないもんがある。迷宮で拾ったもんは大抵は生まれながらの魔剣が多い。けどな、前に教えなかったか。大昔に職人達が何百何千という武具を迷宮に置き去りにした。ある迷宮に取り込まれたもんが別の迷宮に姿を現すことがある。そしてそれは迷宮の力を宿すことがある。迷宮によって武具は強化される。覚えてるか?」
「朧気に。グランさんに教えてもらったかは覚えてないですけど」
「教えがいのないやつだな。ああ、――それにお前らにとって身近なところではネイリング家の宝剣もそうだ。万物流転。所有者の元に帰ってくる剣。あれは何代にもわたってネイリング家に所有されている。あれの原点は、ただのよく斬れる剣だったはずだ。当主とともに修羅場をくぐり抜けることでああなった」
「へえ、知らなかった」
「ま、それは伝説みたいなものだがな。ともあれ迷宮を探索することで探索者が強くなるように、武器も強くなる、と言われている。この曖昧さは、やはり武器が道具だからだ。使えば消耗する。強化と弱化は同時に起こる。人間みたいに勝手に治りはしない。強化を実感する前に壊れるし、よしんば物凄い力を手に入れたとしても、それは迷宮の偶然性によるものと考えた方がしっくりくる。祝福とも言われるな」
「だけどグランさんはそれを信用したと」
「ああ、坊主の武器はえらく長く持った。今の一個前のは特にな。俺の腕のおかげかと思ったが――」
「そうですよ」
「――坊主の迷宮攻略数もやはり関係してるんだろう。強化を実感するには、それ相応の迷宮を攻略するか、それなりの時間を魔精に浸かっていなきゃならんのじゃないか」
そこまで言って、グランは湯気の立つ茶で口の渇きを潤した。髭の先に茶が雫となって、グランはぶ厚い掌でそれを拭う。
じゃあ、とリリオンが言った。
「じゃあ、素質ってどういうことですか?」
「例えば武器を拵える時、魔精を鋼材に混ぜ込むことがある。まさに強化だ。だが同じ鉄でも、親和性の高いのと低いのがある。上手くいく、いかないと言い換えてもいい。それが素質だ。探索者もそうだろう。まったく同じ人間ってのはいねえが、それでも同じ迷宮を一緒に攻略しても明確な差が出る。それが素質だ。坊主は、ランタンは魔精と相性がいい。一目見ればわかる。こんなやせっぽちの子供が平気で魔物をぶっ殺しやがる。肉体がもともと持つ力じゃない。だけどリリオンは、ちょっと俺には判断がつかない」
リリオンはそれほど魔精と相性がよくないかもしれない。一時リリララに師事していたが、結局魔道を使うことはできなかった。しかし完全に相性が悪いとも言えない。身の内に蓄えた魔精を、外に出すのが苦手と言うだけのことかもしれないからだ。
リリオンの並外れたその力は魔精によるものか、それとも巨人族の血によるものか。これもまた相性の判断を迷わせる要因の一つだった。
「ああ、そんな顔するな。この素質ってのは探索者の素質じゃない。さっきも言ったが武器を育てる素質だ。武器ってのは迷宮にあれば自動的に強くなるのか、それとも探索者に使われることによって強くなるのか。俺は後者だと思う。例えば探索者を経由して剣に流れ込むのかもしれない」
「魔精独り占めか。ああ、リリオンって食い意地張ってるからな」
沈んだリリオンの顔を見て、ランタンはつい軽口を叩いた。
リリオンは顔を上げて、ランタンと視線を絡める。ランタンは安心させるように目元を緩める。
「人と魔精、魔精と鉄、鉄と人。それぞれの相性が、相互に影響しているんじゃないかと俺は思ったんだ。だから、まあなんだ」
グランはソファに深く腰掛け直した。
「気兼ねなく、じゃんじゃん壊してくれ。その度に剣は用意する。最初っから正解を得ようなんてのは甘い考えだな。この歳になっても勉強することばかりだ。ランタンみたいに硬けりゃ何でもいいって訳じゃないんだろう。女の子の趣味ってのは難しいって言うからな」
老職人は丸太のような腕を組み、思春期の男子のように、ううむ、と唸る。
「巨人鋼、一欠片でも手に入らんかな」
巨人、とリリオンが小さく呟く。
自分が何者であるかを再確認するように。




