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カボチャ頭のランタン  作者: mm
14.Day By Days
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 一秒だってじっとしていられなかった。

 足音が聞こえる。迷宮の方から自分の方に駆け寄ってくるのだとローサは思った。

 背中に鼻先がくっつくぐらい近くに、もうすぐそこにいる。

「はっ!」

 ローサは背後を振り返った。そして自分の尾を追うようにぐるぐると回転し、じたばたと足踏みを繰り返す。背伸びをして跳び上がり、そのまま何度も跳ね回った。

 そんなローサの様子にランタンもリリオンも、果てはガーランドまでもが呆れた様子になっている。

 もう止めるのも疲れたといった感じだった。

 昨日のうちに荷詰めを済ませた背嚢(リュック)をひっくり返し、中身を広げ並べ、必要なものがちゃんと揃っているか指さし確認を繰り返す。朝からもう四度目のことだった。

「もうふ、たべもの、おくすり、ほうたい、おみず」

 一つ一つを口に出しながら、再び背嚢の中へ戻していく。

 ただ浮かれているだけではなかった。

 それらはローサに任せられた仕事そのものだった。背嚢は荷車を喪失した時のための予備の荷物だ。万が一の時に、自分自身のそして兄や姉の命を長らえるためのもの。

 荷物の一つ一つは、使命や責任が形を持ったに等しい。

 ローサは真剣そのものだった。背嚢の中に丁寧に詰め直す。一つも忘れず、残さず、きっちりと。もう手慣れたものだった。

 それを試しに背負うと、その重さに誇らしくなる。

 ローサはそのまま荷車の方へ向かおうとする。車輪の軸受けに油を差すのだ。

「落ち着け」

 しかしさすがにそれはランタンに止められた。

 車輌の整備はもう六度目だった。軸受けからはすでに油が溢れて滴り、車輪そのものを濡らしかねない。七度目の油差しを行えばせっかく用意した荷車が、その場で車輪をくるくる空転させるばかりの役立たずに成り果てるに違いない。

「でも、かくにんしないと。ちゃんとうごくか」

 ランタンの人差し指がローサの唇を塞ぎ黙らせると、兄は妹の額に掌を当てた。

「ちょっと熱いか。あんまりはしゃぎすぎると熱出るぞ。熱出たら探索は中止だよ」

「や!」

 ローサはじりじりと後退りしてランタンの手を額から剥がし、熱そのものを拭うように掌で擦った。

「いやなら大人しくしてな」

「むー」

 衝動に水を差されたローサは頬を膨らまし、不満たっぷりの生意気そうな視線を兄に向ける。

 苦笑するランタンはローサの頭に手を伸ばした。

 指の真っ直ぐなその手が、いつだって優しく自分を撫でてくれるをことを知っていたし、撫でられることは好きだった。しかしローサは反射的にその手を避けて、背を向けた。

 作戦室へ逃げ込むように入った。

 そこではさんざん迷宮についてランタンから教えられた。

 低難易度獣系閉鎖型小迷宮。迷宮の構成はほぼ直線形、道幅は広く天井は高い、地面は下生えで車輪との相性は悪くない。壁から天井は岩塊の積層で落石に注意。小型の魔物が多数出現し、草陰にはもちろん、岩の隙間にも蛇や蜥蜴といった危険が潜む可能性がある。

 降下予定時間は翌朝の八時、帰還は明後日の夜八時。迷宮滞在時間は三十六時間。初日に最下層に到達できればそのまま攻略、できなければ偵察探索となる。

 机の上に重ねられた迷宮情報と探索計画をローサは一瞥する。もうすっかり暗記していた。

 ローサはそのまま奥にある武器庫に入った。

 そこにはローサ憧れの斧槍(ハルバート)がある。

 リリオンが迷宮から持ち帰った大斧槍だ。

 濡れるような銀色につやめく。それは斧であり槍であり鉤である。鋭く突き出た槍の穂先。三日月の斧。猛禽を思わせる鉤。

 ローサはそれを持ち上げた。

「よい、しょっ」

 その圧倒的な重量感に床が沈むように錯覚する。熱いような冷たいような。握り締める掌がびりびりと痺れた。

 鏡の自分の姿を写し、胸を張った。重さを支えるために腰を反らし、前肢は爪先立ちになる。

「むん」

 一端(いっぱし)の探索者のようだ。

 ローサは誇らしく思い、うっとりする。鏡の中の自分がだらしなく自分に微笑みかける。

 ローサは慌てて、厳めしく探索者らしい表情を作る。唇をへの字に曲げて、目に力を込める。自分自身を睨みつける。

「ふふん」

 斧槍を右肩に担ぐと鎖骨が軋んだ。

「ローサ。また勝手に触って、ランタンに叱られるわよ」

 背後からリリオンに声を掛けられてローサは振り向く。

 それから自慢するように斧槍を頭上に持ち上げた。背骨が危うく左にねじ曲がり、炎虎の巨体が重心を取り戻そうとしてよたよたと踏鞴(たたら)を踏む。

 リリオンが軽々とローサを支えた。右手に腰を抱きしめると、空いた左手で手品みたいにローサから斧槍を取り上げる。ローサは姉の匂いを胸一杯に吸い込んだ。清廉な匂いがする。強く美しい姉はローサの自慢だった。

「ローサ、これがいい」

「困ったわね」

 リリオンは花瓶に花を生けるようにすっと斧槍を棚に戻した。迷宮由来の長物ばかりを立てかけてある飾り棚の中でもその斧槍ははっきりと大物だった。

 ローサが迷宮へ携える武器は柄を樫木で拵えた槍だった。訓練用の木槍と同じ素材なのでよく手に馴染み、訓練用と違って先端には本物の穂先がついていた。鋭くも厚みのある刃は斬ることも突くこともできるが、同時に鈍器の役割を期待してのものだ。

 ローサがそれを振り回さなければならない時は、きっと乱戦に違いなかった。

 頼もしい武器である。渡された時は踊り回ったほど嬉しかった。だがこの斧槍と比べてしまうと、どうしたって見劣りする。

「どうしてこっちがいいの?」

「だって、こっちのほうがかっこういい」

 見ればわかるでしょ、というようにローサが言う。リリオンは小さく笑った。

「そうかしら。ローサの槍だって格好良いわよ」

 姉にそう言われたがローサは納得せずに疑わしげな目をした。

「ほら」

 押しつけられるように渡された槍をローサは胸に抱いた。

 鏡に映るその姿は、胸を張ることもなければ背伸びをすることもない。人形を抱きしめる子供のような、生まれたばかりの探索者の姿がそこにあるばかりだ。

 似合っていると思う。

 だがそれを受け入れることは難しかった。

 いつだって憧れは現実より眩しい。

「むー……」

 心を言葉にできないもどかしさにローサは呻く。

 リリオンはそんな妹の頭を胸に掻き抱いた。そうされるだけで胸の中にもやもやしていたものが薄れていくのを感じた。

「あせることはないのよ。あの斧槍、あれはいつかローサのものになるわ」

「ほんとう? いつ? あした?」

「あせらないの。いくつか迷宮を攻略して、一人前の探索者になったら、あれはもうローサのものよ」

「……うん」

 ひとしきり頭を撫でてもらうと、ローサは小さく頷いた。

「そうね。ローサにいいものを貸してあげるわ」

 胸の膨らみに顔を埋めて甘える妹を離れさせて、リリオンは首飾りを頭から抜いた。それは親指ほどの大きさの水精結晶を飾りにしたものだった。一切の不純物がない純水精結晶のお守りだった。

「今回の探索でローサが大丈夫なように」

 ローサは結晶に彫刻された神獣交合図を興味深げに観察する。ローサの目にはそれが戯れているように映った。子供と獣が楽しそうに遊んでいる。

「ローサにくれる?」

「貸すだけよ。わたしの宝物なんだから。もうローサは欲しがりね」

 銀の鎖をローサの首にかける。肌に触れる水精結晶は、まさしく水を水のまま固体化したように柔らかく冷たかった。

 にへら、とローサは頬を緩ませる。

 樫の槍を肩に担ぐ。

「じまんしてくる!」

 一秒だってじっとはしていられない。

 ローサは武器庫を飛び出した。




「門限やぶったら、探索に行かせないからな」

「いってきます!」

「これ持ってけ。今日は感度がいいはずだから」

 振り返ったローサにランタンは遠話結晶を投げ渡した。空には気球が幾つか浮かんでいる。それらは遠話結晶の中継器だ。長距離通信の実証実験だった。

 通信の妨げになるものは色のついた魔精だ。それはつまり迷宮であったり、魔道であったり、魔物であったり、もっと言えば人間そのものも障害の一つだった。それらを迂回するために気球に中継器を積んでいる。高所という意見はランタンによるものだった。

「気をつけろよ」

「はーい!」

 首飾りを兄に、ガーランドに自慢したローサはその勢いのまま館を飛び出した。

 革の鎧に身を包み、樫の槍を肩に担ぎ、背嚢を背負っている。

 腰にくくりつけられた時計は探索用の頑丈なものだ。魔精の濃さによって色を変える深度計と一体になっており、針の先と文字には発光細菌を利用してあって闇の中でも利用することができる。

 そんなローサの姿は誰がどう見てもこれから迷宮攻略に挑む探索者だった。

 ローサは弾む足取りで孤児院に向かった。

 孤児院には友達がたくさんいたし、併設される宿屋には探索者ばかりが宿泊しており、彼らから迷宮の話や、兄や姉の話を聞くことは楽しかった。特に兄の話は驚くことばかりだ。

 彼らが語る兄はとんでもなく強く、とんでもなく恐ろしい。迷宮にも敵となる人間にもまるで容赦などない探索者だ。

 自分と手合わせをして勝ったり負けたりしている兄と、話の中の兄が同じ人物だとは思えない。

「あれ? おおーい!」

 ローサは孤児院に向かう途中で見知った顔を見つけて手を振って呼びかけた。

 孤児院で暮らす五人の男の子たちだった。ローサの姿を見つけると顔を顰める。

 探索者ごっこして、魔物役のローサが探索者役の彼らをこてんぱんに叩きのめしてしまったことをまだ根に持っているのかもしれない。

 彼らは宿屋で雑務の仕事に就いていた。

 宿屋では様々なギルドに加入している職人や商人が日替わり週替わりで店を出している。

 探索道具の売買、刃物研ぎ、医者に薬師、迷宮由来品の買取、役者が劇を披露することもあれば、占い師が探索日の吉凶を占うこともある。身売りの傭兵探索者が首から値札を提げているのをローサは見たことがあった。

 孤児たちは宿での仕事を通じ、その働きぶりが認められるとそうやって宿に店を出す商店や工房に下働きとして誘われる。そうやって孤児院から巣立っていく。

 しかし声を掛けられるのを待つばかりではなく、自らを売り込むたくましい子たちもいた。

 そしてそういう子たちは往々にして探索者に憧れるのだった。

 ローサは彼らが探索者に弟子にしてくれと頼み込んでいるのを見たことがある。酒に酔った探索者たちは安請け合いをして、彼らがそれを喜んだところも見ていた。

 しかしそれはもちろん酒の席のことで、子供の真剣さなど酔っぱらいたちにとってはさして価値のあるものではない。彼らが探索者見習いとして働いているところはまだ見たことがなかった。

 ローサは彼らに駆け寄った。するとあからさまに嫌な顔をされた。

「どこいくの?」

「どこだっていいだろ」

 子供にしては体格の良い少年がぶっきらぼうに言った。日頃の労働でくたびれた衣服を身につけ、しかし腰に刃物を差していた。台所からくすねたものではない。戦いのための刃物だった。

 彼らはローサに背を向けて、早足に歩きだした。

「ねえ、それどうしたの?」

 ローサは背中を追いかけて尋ねる。彼らは駆け出す寸前まで足を早く動かすが、ローサはまったく苦にしない。

「どうだっていいだろ。ついてくんなよ」

 はあはあと呼吸を荒らげながら少年が吐き捨てた。言葉の棘にローサは傷つくが、その程度の傷で怯むローサではなかった。

「どうしてひみつにするの? いけないことするつもり?」

「ちっ」

 舌打ちだった。少年たちの顔が苦々しく歪む。ローサの胸元に指を突き付けた。

「俺たちがどこで何をしようとお前にゃ関係ないだろ」

「かんけいあるよ」

「ない」

「だってともだちだもん」

「ああ、くそっ。話になんねえ」

 少年は髪を掻き毟った。他の四人を手招いて、ローサを仲間外れにし、肩を組み、角突き合わせて相談する。五人の内二人は亜人族で、牛人族と鹿人族だ。まだ柔らかい幼角が擦れ合ってかちかちと音を鳴らした。

 五人は頷くと、黙って移動を開始した。

「ねえ、ねえねえ」

 ローサを無視する作戦のようだった。

 声を掛けられても背後を振り返ろうともせず、ローサが前に出れば視線を逸らしてその脇を通り過ぎる。ローサはむくれて意地になった。彼らとの我慢比べだった。

 その我慢比べはあっという間に決着がついた。

 子供の忍耐力などそれぐらいのものだったし、そもそも秘密というものはむしろ自慢したくなるものだった。

「管理外迷宮って知ってるか?」

「しってる。まちのおそとにあるめいきゅうでしょ? おにーちゃんにおしえてもらった」

 ランタンの話題が出ると少年たちはこぞって微妙な顔をした。

 探索者は憧れであるが、ランタンは憧れるには年が近かったし、どうにも子供っぽい気がした。憧れよりも嫉妬を抱くのは孤児院の女の子たち、ちょっと気になるあの子が、きゃあきゃあと騒ぎながらランタンの噂話をしているからだろう。

「騎士さまの見逃しが街の近くにあるんだ。この前、遊んでたら見つけたんだ」

 その言葉にローサははっとした。

「おにーちゃんがいっちゃだめだって」

 そう言うローサに少年たちはにやりと笑った。

「へへっ、平気だよ。俺たち魔物やっつけたことあるんだぜ。狼の魔物だ」

 少年は自慢げに腰の短剣を叩いて見せた。

「うそ」

 ローサが言うと、少年はむっとした様子になった。ローサの身に付ける探索装備にようやく気が付いたとでも言うように目を剥くと、頬を赤くして怒鳴った。

「嘘じゃねえよ! 本当だよ。血だって青かったんだぜ。ほら! お前、魔物ぶっ殺したことあるのかよ!」

「……ないけど」

 少年たちはそれぞれ自分の服の袖を見せた。そこには青い染みが滲んでいる。魔物の青い血の汚れだ。

「魔精結晶は見つけらんなかったけど、でも毛皮は金になった。それでこれを買ったんだ。俺らは探索者になって金持ちになるんだ」

 街を囲う外壁まで来てしまった。

 その先に明るい未来があるかのように少年たちが外に出ようとする。ローサはその前に立ちはだかった。

「ダメ。ぜったいダメ! あぶないし、きけんなんだから!」

「止めるなよ。ローサ」

 広げたローサの腕の下をくぐり抜けて少年たちが次々に言った。

「俺らはお前とは違うんだ」

「自分で金を稼がないとな」

 ローサはいいね。女の子たちにそんな風に言われることがたびたびあった。

 ローサはいいね。ランタンさまに拾ってもらえて。

 拾うという言い回しについて深く考えたことなどはなかった。

 だから兄と一緒にいられることの幸せにローサは頷くばかりだった。頷くローサを見つめる女の子の眼差しがふいに思い出された。笑っていたけれど、瞳の奥に不穏な気配があった。

 ローサはその視線の幻影を振り払って、少年たちを追いかける。

「ねえ、やめよう。ダメなんだから。めいきゅうはほんとうにきけんなんだから!」

 少年の腕を掴むと、さすがに鬱陶しそうにローサを振り返り、乱暴にその手を振り解いた。

「ああ、お前も探索行くんだってな。さんざん自慢してたもんな。あれ買ってもらったこれ買ってもらったって。いい加減うるせえよ。あー、そういうことか。わかった。俺らに先を越されるのがいやなんだろ」

「ちがう!」

 兄からさんざん聞かされた迷宮の危険性が耳の奥で繰り返されて、わんわんと反響した。

 もっともらしいことの一つでも言えればよかったのに、ローサはちがうちがうと繰り返すことしかできない。ほとんど泣きそうなほどに顔を歪める。

 出かけに高鳴っていた胸の鼓動が、今は焦りを煽るように打ち鳴らされている。

 少年たちは本格的にローサを無視するようにして、外壁伝いにティルナバンの北東へと足を進めた。

 しゃくしゃくと夏草を踏み潰す。腰の短刀を抜いて、行く手を阻む背の高い雑草を斬り払った。なまくらであるらしく、雑草の茎が折れるばかりだった。苛立つようにそれを蹴っ飛ばすと、他の少年が、修行が足らん、とそれらしい声音で一喝した。

 わっと起こった笑い声は軽薄だった。心の底にある、迷宮への恐怖から視線を逸らすためかもしれない。

 その背後をローサは追いかけた。言葉をかけようにも声にならず、引き止めようとも先程振り解かれた時に感じた冷酷さがローサを尻込みさせた。

「どうしよう、どうしよう」

 ローサはおろおろしながら少年たちの後ろをとぼとぼと付き従った。

 管理外迷宮は、本当にティルナバンのすぐ傍にあった。

 外壁から数十メートルも離れていない。それがむしろ見逃している理由かもしれなかった。そこにはローサよりも大きな巨石がごろんと転がっており、その傍らに迷宮口はぽっかりと口を広げている。そしてその迷宮口は夏草にすっかりと覆い隠されていた。

 垂直の穴ではなく、動物の巣穴のように傾斜している。迷宮特区に発生する迷宮口よりも遥かに小さい。まだ子供である彼らなら通れるかもしれないが、しかしローサはどうだろうか。

「行くぞ」

「おお、金持ちになろうぜ」

「あれ、怖がってる? だっせえ」

「馬鹿言え、それはお前だろ」

「俺たちの探索者人生はこっからだ! よおし、行くぞお!」

 少年たちは拳をぶつけ合って、おお、と勇ましく声を上げる。

「――ダメっ! ダメったらダメなんだから! ほんとうにあぶないんだから! どうしてわかってくれないの! ううう!」

 ローサはもうどうしようもなくなってわんわん泣いて、地団駄を踏んだ。

 これにはさすがに少年たちもぎょっとして気色ばんだ。

 ローサが自分たちのことを心配しているのだと言うことは伝わってきた。あのランタンとリリオンの妹だ。自分たちより迷宮については詳しいだろう。

 しかし迷宮はもう足元にある。

 探索者という職業が危険なものであることは誰もが承知するものだ。だから探索者の親兄弟、伴侶に恋人は、探索者になろうとする彼らに思い直すように伝える。

 しかし探索者は自らを心より心配する声を振り払って迷宮へ下る。夢見る一攫千金、力の渇望、成り上がり。原動力は、そういうものばかりではない。

 迷宮には何か、問答無用に人を引き寄せる引力がある。

「大丈夫だよ。心配しすぎなんだ、ローサは」

 少年の一人が打って変わってローサを安心させるように、大人びて呟く。それから四人の悪友、探索仲間に目配せをするとやり直すように、行くぞ、と気合いを入れ、足から穴に飛び込んだ。

 ローサが引き止める間もなく、四人が次々にその後を追った。穴の奥に何か待ち構えており、その存在に足を掴まれて引きずり込まれたように、少年たちは穴の中に滑り落ちていった。

「はあ――……」

 ローサは息を吸い込んだ。夏の熱気が、けれど冬の空気を吸い込んだように冷たく感じた。ローサは身体を抱きしめ、がたがたと震えた。指先まで、骨身まで凍えるように冷たくなった。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 声にならず反復し、息は吸っても吐いても、何度深呼吸を繰り返しても震えが止まらない。

 不安でいっぱいだった。独りぼっちになって立ち竦んだ。

「おにーちゃん、おねーちゃん……」

 指先に触れる。手の中に握り締める。

 ローサは知らず水精結晶の首飾りに縋り付いていた。

 夏風が吹いた。青々した匂いに混じって、姉の匂いが思い出される。

 守る。守ってもらう。

 走って助けを呼びに行こうか。しかし彼らはもう迷宮へ行ってしまった。迷宮は恐ろしいところだ。呼びに行く暇などきっとないはずだった。

 迷宮で容易に人は死ぬ。

 脅し文句ではなく、ただの事実として兄の口から何度も告げられた死という言葉が思い出された。

 死というものを詳しくは知らない。しかしその気配はローサを(おのの)かせる。

 そして決意させる。

 出かけに持たされた遠話結晶を思い出して、ローサはそれをばんばん叩いて起動させた。

「おにーちゃん、おにーちゃん、おにーちゃん!」

 噛み付くように口を近付けて大声で叫び、もどかしさを堪えて返事があるのを待った。

 沈黙が返ってきて、ローサは足踏みを繰り返しながら何度も結晶に呼びかけた。ざらざらと雑音が遂に返ってきた。

「おにーちゃん、おにーちゃん、たすけて! たすけにきて!」

 言葉は届いているだろうか。ざらざらと雑音ばかりが返ってくる。しかしそれでも音が返ってくることが頼もしかった。

 大丈夫。兄はきっと助けてくれる。それが約束だった。

 困った時に呼べ。素っ気なく呟いた兄の顔を思い出す。

 呼べばローサのことを守ってくれる。

 確信が胸を満たした。

 ローサは拭うのも忘れていた涙の後を拭い、太く息を吐いた。

「だから、それまで、ローサがまもる。ともだちだもの」

 ローサは背嚢を下ろし、それを尻尾の先にくくりつける。

 どうせ持っていくことは出来ない。目印にするために樫の槍を迷宮口の傍に突き立てた。

 覚悟を決めて突き立てたのに、すぐに心許なくなった。

 あとは腰に括り付けた狩猟刀だけが頼りだ。

「ローサめいきゅうにいくよ。ともだちをまもるの!」

 約束を破ったら迷宮には連れて行ってもらえない。

 そんな約束事など、少しも思い出さなかった。思い出してもローサは躊躇わなかっただろう。

 遠話結晶に向かって宣言すると、ローサは雑音を吐き出し続ける結晶を槍に寄り添わせた。

 ローサの身体が燃え上がり、そして夏草に燃え移った。ローサは迷宮口の周囲をぐるりと駆け抜ける。水分をたっぷり含んだ夏草は燻り白い煙を立ち上らせる。すぐに消えてしまうかもしれないが、しないよりましだ。

 迷宮探索は、実際に探索するその前から始まっている。

 思いついたことは全部する。それも兄の教えだった。迷宮に挑み、抗い続けること。

 ローサは迷宮口に頭から突っ込んだ。

 無理矢理に身体を押し込んで、つっかえた骨盤を尻を振ってぐりぐりとねじ込む。

 そこさえ抜けてしまえばあとはもう猫科動物特有の柔軟さが発揮されて、炎虎の巨体さえ液体のように迷宮口を滑り落ちるだけだった。

 後には燃える夏だけが残っている。


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― 新着の感想 ―
[一言] 読み返していると、ずいぶん長い事流し読んでいたんだなと思う。 ローサと暮らすようになってからの記憶がほとんどない。 レティシアとの初逢瀬はおろか、ミシャやルーやリリララとも肌を合わせていたの…
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