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迷宮の最下層たる宮殿に近付いている実感はほとんど得られない。
一時、それに近付いたとしても次の角を曲がると宮殿は遠ざかる。転移というのは非常に厄介だった。数度繰り返せば転移酔いをすることもなくなるが、それでも瞬時に景色が変わることにはなかなか慣れない。
研究者たちも探索者たちも苦労している。
なぜこのように厄介な迷宮をわざわざ研究対象に選んだのかと思ってしまう。
もちろんその転移自体が重要な研究目的であることに変わりはない。しかしこの迷宮はそれにしても謎の宝庫だった。物質系、獣系、不死系の三種混合迷宮であることや、はっきりとした地上との類似性。細かなことを上げればきりはなく、この迷宮に入っている研究者の数だけ、その目的はあった。
先導の四人が立ち止まり、一つの民家を指差す。
ああ、とジャックが頷く。
「復活してるな」
「何がですか?」
迷宮での復活といえば、魔物の再出現である。
あの馬群との遭遇以降、散発的に魔物と遭遇したが、あれほどの群はまだなかった。遭遇したのは、はぐれた魔物か探索者が討伐しきれずに転移によって逃がしてしまったのだろう魔物ばかりだった。
そういう魔物を探索者は追わない取り決めになったのは、この迷宮が探索されてからすぐのことだったらしい。その魔物を逃がしてしまうことで起こる被害より、予定外の転移によって自分の居場所を見失ってしまうことで発生する不利益の方が大きかったからだ。
「あれが不死系の住処の目印だ」
その民家は何の変哲もないが、ただ一つ違いがある。軒先に白っぽい何かが飾られている。
「不死系」
そう聞くだけでただの民家が、何かおどろおどろしいもののように思えてしまう。リリオンがこっそりとランタンと距離を詰めた、指先で手繰るようにして外套を引っ張ってくる。
この民家が、この迷宮の特徴の一つだった。三種混合迷宮であるが、不死系魔物は家に取り憑いている。
「ここに家のメイドが、おっと間違えた、――幽霊が住んでいるんですか?」
ランタンはリリオンの代わりにジャックに尋ねる。
「メイドの霊は知らんが、なんだ、守護霊だったかな。なあ?」
ジャックの問い掛けにギルドの二人が頷いた。
ランタンとリリオンが揃って首を傾げると、アデルが詳しく教えてくれる。
「いわゆる首刈りはさまざまな地域で見られますが、主に砂漠の民の風習が有名ですね。彼らは狩猟した獲物や、討ち取った敵の頭骨を軒先に飾り、自らの力を誇示する風習があるのです。また頭骨は神聖な力が宿るとされています。その魂や、あるいは依り代を失った精霊が宿ると信じられているのです。軒先に飾ることはそういったものを家の守り神とする意味合いも持つようですね」
「なるほど。押し入ったりすると守り神に怒られると」
民家に近付くと柱に細かな蔦の模様が彫刻されており、軒先からこちらを見下ろすように角度付けた頭骨にまでその模様は絡みついている。
「蔦には縛るような意味合いと、化粧の意味を持ちます。これは南ホバ族の特徴ですね」
「実際にあるんですか? 似てるとかじゃなくて」
「はい。完全に合致しております。これが北ホバ族のものになりますと蔦ではなく茨になり、彫刻も色を使った華美なものになりますね。他にもわざと頭骨を汚したものもございます。そちらはヴィドィ族の風習ですね。ホバ族が守り神とするのに対し、ヴィドィ族では祟り神としてそれを使役するとされます。恨みつらみの力は恐ろしいもので、穢された頭骨の飾られた家はより気を付けなければなりません」
「へえ、じゃあ全部どこどこの部族のって調べたの?」
「さすがに全てではありません。もちろん類似に留まるものもありますし、見たことも聞いたこともないようなものもあります、もしかしたら実際にあっても私どもが知らないだけかもしれませんし――」
「――卵が先か、鶏が先かってやつだ」
「はい、そのような研究もありますね」
「どういうことだ?」
ランタンが納得していると、ジャックが首を傾げる。
「その風習はもしかしたら迷宮から始まっているのかもしれないって考え」
「……ぞっとせん話だな。ま、探索者には関係ない話だ」
ジャックは嫌な気分を箒で掃き散らすみたいに尻尾を左右に大きく揺らした。反射的にランタンがそれを掴もうとするので、さっと身を翻す。
「やめろ」
リリオンが釣り糸を垂らすみたいに銀の髪をランタンの前に揺らした。思わずそれを掴んでしまう。意地悪な男の子みたいにぎゅっと引っ張った。リリオンは満足気に微笑む。
「もう怖くないの?」
「あら、なんのことかしら?」
ランタンは鼻息を一つ短く吐き、扉に手を掛ける。ジャックが慌てた。
「待て待て待て。馬鹿、勝手に開けるな」
「魔物がいるんでしょう?」
「いるよ。そりゃいる。この骨がある家は絶対にいる。それで入るのか」
「無視して通過して、危険はありますか?」
「ない、と言われてはいるな」
「誰に?」
「そりゃもう」
言うまでもない、と言うようにジャックはギルドの二人を見る。でしょうね、とランタンも頷く。なら聞くんじゃねえよ、とジャックは睨む。
「それで、それを信じる探索者ってどれぐらいいましたか?」
「多くはありませんね」
アデルが苦笑交じりに答えた。
「僕も無視は出来ないかな。後ろに魔物がいるのは怖すぎる。だから――」
「それには全面的に同意するが、だけど、お前は引っ込んでろ」
やる気を出して戦鎚を抜いたランタンの襟首を引っ掴んで、ジャックは小躯をリリオンの方へ押しつける。
「捕まえてろ」
「はーい」
「はーい、じゃないよ。なんでですか」
「戦いたがりめ。お前らの本当の仕事は後に残ってるんだから少し休んでろ」
「いやでも、迷宮の感じを掴んでおかなきゃ」
「やり過ぎるとこっちの勘が鈍る。――用意! さっさとしないと全部こいつに食われるぞ」
ランタンもリリオンも、道中の戦闘への参加はしなくてもいい契約だが、今のところその全てに参加している。そしてこの二人が戦いに参加するということは、護衛であるはずのジャック以下の探索者の出る幕がないということだった。
「おまかせしましょ。わたしのこれじゃあ、不死系は斬れないかもしれないし」
リリオンに言われて、ランタンはつまらなさそうに戦鎚を腰に戻した。
「戦うのがお好きなんですね。ランタンさまは」
「そう言うわけでは」
「リリオンさまも、不死系を斬る時があれば、私が対不死の効果を付与させていただきましょう」
ヤナが黒樫の杖を撫でながら言う。
「すごい。付与魔道師か。珍しい」
「いえ、まだまだ未熟なものです。効果時間は一時的なものになりますし、本格的にやるにはやはりそれなりに準備も時間も必要ですから」
本来、武器に魔道式を刻み、特別な効果を与えるためには相応の知識と技術、道具と、そして時間を必要とする。そして往々にして付与魔道師はあまり前線に出てこない。
短時間とはいえ、即席で武器に効果を付与できるとなるとこれはかなり貴重な存在であるし、彼女自身も戦闘能力を有しているとなるとこれは更に数は少ない。
「ギルド職員より、探索者やった方が稼げそうだ」
「あら、嬉しいことをおっしゃってくださる。稼がせてくださるんですか?」
「それはまた今度」
ランタンは肩を竦め、会話を打ち切った。
探索者は若い四人で話し合っており、ジャックは輪の中にいるが口出しをしていなかった。
「この頭骨は鼠とか、兎とかそのあたりね」
「なら数がいるか? だとすると面倒だな」
「いや、でかいのが一匹ってほうが可能性は高いよ。鼠と言っても侮れないんじゃないか、面倒とか言うなよ」
「弱気だな。鼠に食い殺される気はねえよ」
「食い殺されたくて、殺される奴なんて一人もいるはずないだろ」
斑模様の二人が言い合いをしている。
同年代に近い、ともすれば年下であるランタンの実力を目の当たりにした所為だろうか。二人ともようやくの出番が回ってきて、勝ち気に逸っている。やる気があるのはいいが、戦闘するのには少し意識が散漫かもしれない。
「私の魔道で先制するわ。大物でも小物でも足止めになるでしょ?」
苛立ったように魔道使いが言う。
何か言い返そうと斑模様が口を開きかけたが、大鎧が言葉を発するのが早い。
「コリンの言う通り、彼女に先制してもらおう」
低く落ち着いた声だった。まとめ役なのかもしれない。
「こういう時はいつだってそうだろ。それにやるべき事は変わらない。俺が盾になるから、状況確認後に二人は斬り込む。変なところで張り合ってもしょうがないだろ」
変なところ、というのはランタンのことかもしれない。
「そうね。バロータの言う通りだわ。カートとケールは少し落ち着きなさい。ジャックさん、もしもの時のフォローお願いしてもいいですか?」
「なんなら二人の代わりをしてもいいぞ」
ジャックが冗談めかして言うと斑の二人は、そんな、と悲鳴のような声を上げた。
「情けない声を出すな。しっかりしろ、やるべき事は誰かにいいところを見せることじゃない。魔物を殺すことだ」
ジャックにそう言われて、しかしカートの方ははっきりとランタンに視線を寄越し、ケールの方は背を向けたままだがそれでも分かるほどの強い意識を感じた。男としての競争意識なのかもしれない。
「こういうのはちょっとだけ面倒臭いな」
「ローサは別にこんな風にならないわよ」
「あれがこうなるとは思ってないよ」
ランタンは荷車に飛び乗った。
「ど、どうしたんだ」
荷台の縁にへばり付いて、転移酔いの合間合間に迷宮を窺っているアダムスが驚く。悲鳴を上げないだけ迷宮に慣れたのかもしれない。
「気にしないで。ちょっと動かして、もうちょっと右旋回、あと少し、よしっ。この角度かな」
この位置なら家の中がよく見える。
大鎧のバロータが扉に張り付いた。その背後にカートとケールが長剣片手に、獣のように身を低く構えている。そしてコリンが戦棍めいた短杖を額に当てて、集中力を高めていた。
起点となるのはコリンだ。彼女の周囲に鉄の匂いが濃くなる。地の魔道使いである。さすがにリリララほど瞬時に力を発現はさせられないようだが、それでもかなりの力を感じる。
「いいわ!」
コリンの合図に、バロータが扉をぶち破った。
開かれた瞬間、内側から存在感が溢れ出た。それは鼠であるが、熊に見える。それほど大きい。白い毛皮で覆われており、山査子のように小さく赤い眼が毛の中に埋もれている。
コリンが指すように短杖の先端を向ける。鉄の気配が室内へ雪崩れ込む。そして瞬時に形をなした。四方八方へ先端を向ける針の塊が、魔物の眼前に出現した。
なかなかやる。
地の魔道使いのほとんどは実際にある物質を変質、変形させるものだ。なにもないところにあれほどの質量を生み出すのは才能だろう。そして出現した針塊はさらに膨脹し、その鋭い一つ一つが伸張して鼠に襲いかかった。
やってることはすごい。だが効果は今一つだ。針塊は強度が足りない。民家の壁や戸板は突き破っている。だが強靭な毛に覆われた鼠を刺し貫くほどではない。
ぎゅるる、と鼠は唾液を啜るような咆哮を一つ。突如身体を折り曲げ、丸まり、そして毛を逆立てた。
針山とはこういうものだと言わんばかりだった。
「大針鼠か」
毛の一本一本が指ほどの太さのある針である。丸まることで全身が針で覆われる。そしてそのまま針鼠は猛然と転がった。一時の足止めにはなったがコリンの針塊は粉砕され、針鼠は身体の半分もない玄関口をぶち破って飛び出した。
「来ぉいっ! うっ!」
バロータがその恐ろしい塊を全身を使って止めた。大鎧の表面を針が削り、しかし突き破ることはない、幾つか根元から砕けた。バロータは瞬時に右足を一歩退き、根を張るように腰を落とす。鎧の隙間に針が入り込んでいる。左右の一本ずつ針を掴んで、気合いで突進を止めた。
カートとケールが、それぞれ左右から襲いかかる。丸まりの内側に隠された腹部を狙う。僅かな隙間を突き通した。だが血は出ない。
「そうか、不死系か」
重要臓器を潰したとしても、それが致命傷にならない。針鼠は貫かれたまま、じたじたと暴れる。
彼らには果たしてここからの打開策があるのだろうか。
「ぐうっ」
押さえ込むバロータが苦悶の声を上げた。カートとケールも、長剣を押し込んだままでいるのでどうしても針に引っ掻かれてしまう。
「大丈夫かしら」
リリオンが心配げに呟いた。腰の剣を今にも抜きそうになっている。
ランタンも同じ心情だった。しかしジャックが動かないのならば、ここは静観するべきなのだろう。
「――おまたせ!」
コリンが甲高く叫んだ。その瞬間に、大鼠が大きく苦しんだかと思うと、身体を弛緩させてひっくり返った。大針鼠は絶命していた。それは砂の塊であったかのように崩れ、作り物のような骨格だけが綺麗に残った。
「こわ」
ランタンは思わず呟く。
針鼠の内側で、長剣が変形していた。樹木が旺盛に枝を伸ばすように捻れ、分かれ、広がり、尖っている。
なるほどコリンは地の魔道使いだ。カートとケールの役目は、敵の体内に鉄を打ち込むことにあったのだろう。差し込んだ長剣が敵の内部を食い荒らし、核となる部分を刻んだのだろう。
「僕とは相性悪いかもな」
「どうして?」
「あれじゃあ、身体で攻撃を受けられないだろ。喰らったら即死じゃん」
「そもそも身体で受けないで。心配しちゃうでしょ」
「それもそうか。取り敢えずお見事」
ランタンは聞こえていないだろうが、賞賛を送った。
四人は魔精結晶が転がっていることを確認して、気が抜けたようにへたり込んだ。ジャックを振り返る。期待を込めた眼だった。自分たちはよくやったんじゃないかと、心のどこかで自負している。
「気を抜くのが早い。まだ室内に魔物が残ってたらどうするんだ」
ジャックはなかなか厳しいが、優しくしたら彼らが死んでしまうので仕方のないことだった。




